11/26/2007

減速要素

 カルテでリハビリの記録を読んでいて「減速要素」という語を見つけた。減速要素がないので危なっかしいという。たとえばベッドから車椅子に移るときに、腰をじょじょに落として車椅子に座るのには減速要素が関与している。それがないと、ストンと車椅子に尻餅をついてしまう。
 最初この語をみて不思議に思ったが、調べるとスキーなどでも用いられる用語だった。減速要素を少なくすると早く滑れる。まったくなければ、重力にしたがって落下していることになる。おもしろいので比喩的にも用いてみようと思う。「君には減速要素がない」とか。

診断力

 入院患者さんの診断がさっぱり分からない、といっていたら、後輩の1年目の先生が(おそらく正しい)診断を思いついた。なんでも、最初から気づいていたのだが言い出せなかったという。それも、8月頃、別の科でみた患者さんに似ていたという。
 その患者さんのことは、私も知っていたが、結びつけては考えられなかった。臨床は、やっぱり経験が重要と痛感した。そして経験値は経験年数に応じてつくものでもなく、どれだけ一人一人の患者さんから学ぶかが重要と思った。ふらふら診ているだけでは身につかない。

11/16/2007

綱渡り

 人脈というのは成功のために欠かせない。しかし、その人との関係がうまく行かなくなったらその後の進路がうまくいかないと思うと綱渡りのようだ。時候の挨拶、サンクスレター、相手を大事に思っていることを知らせる、自分が優れていることをアピールする、などが欠かせない。
 相手にとって、自分が青田買いする価値のある人間とも思えないのに、善意なのか篤志なのかよくしてくれる、私を推薦するよう申し出てくれるときなど、ほんとうに恐縮である。自分の本性や真価が判ったときにこれらがなくなると思うと不安である。
 でもやっぱり綱渡りではダメだろう。おべっかを使っても仕方ない。自分で考えたユニークな意見、夢、使命を持つことだ。あらゆる成功哲学書が、結局この点を強調している。夢を信じる力が強力なGPSとなって、何度でもルート再検索して目的地へたどり着けるだろう。

11/15/2007

安全確保

 透析のあいだ血液の一部が常に体外に出されている(1分間に150-200ml抜いて、そして戻している)ので気分が悪かったり寒かったりするが、慣れた患者さんはじっとしてテレビを観ている。それが、4時間くらいかかる。慣れない人は大変である。誤って血液を抜いてくる管をはずそうものなら血まみれの事故になる。だから、管を触ろうとする不穏な人には、寝てもらうこともある。
 事故があってはならない。透析室では何人もの人たちがベッドに横になって透析を受ける。中央のタンクで浄水から透析液がつくられ、各患者さんに供給されている。一人だけにかかりきりになるわけにも行かない(心筋梗塞後など、きわめて不安定な人は別)。事故などあれば本人のみならず、他の患者さんを極めて不安にさせてしまう。
 とはいえ昼間から鎮静剤を使って夜に眠れないのもつらいので、時間があれば付き添って鎮静剤を切ってあげることにしている。それに、患者さんが透析に慣れてくれば、薬もいらなくなるだろう。

どうなることやら

 22のプログラムに応募して、結局は縁のある2病院から面接に呼んで貰った。ありがたいことだ。返事待ちのところも多いが、メールで「せっかく行くのでもしよければ呼んでもらえないか」と打診するのは、応募者にとって常識らしい。渡米は1月上旬になる可能性が高いが、交渉しており希望どおり行くかはわからない。
 面接の準備をする必要がある。よく準備しておけば、如才なく応答することができるだろう。「なぜあなたを雇わなければならないのか?」「いままで経験した面白い症例について話せ」「なぜ米国に来たいのですか」「米国にずっと居るつもりですか、日本に帰る積りですか」など。答えがないものもあるが、ないなりにも納得いく返答をしなければならない。

11/12/2007

これがあれで

 機内で落語をよく聴く。楽しいし、時間をつぶすのに最適だ。一度は末廣亭に行ってみたい。こないだも、小噺を聴いていた。医者にかかって高血圧を指摘される場面があり、「いまの血圧はこれくらいで、これがあれぐらいになると良くないから、それぐらいになるようにしましょう」と説明をうけた、というくだりがあって面白かった。実際にもおこることである。専門外のことについては、誰もがそんなもんである。

不全感

 動脈硬化を元に戻すことはきわめて難しい。よくはできないこと、いままでの生活習慣の積み重ねであること、悪化すれば血管が詰まる・破れるなどの合併症が起こること、これらは直視したくない事実だ。そして、いままでの生活を是正し、薬をのみ、採血され(針を刺され)、うまくいかないと落ち込む、がんばっても、治せるわけではない。「しんどい」ことと思う。
 患者はそれだけのことを、何のためにするのか。医師はそれだけのことを、何のためにさせるのだろう。患者がハッピーになるためのはず。患者は、病院に通うために生きているのではない。ハッピーに生きる(のを助ける)ために病院に通っているはずである。協力してうまくやる、不全感を克服することが大事と思う。

11/09/2007

血管の病気

 腎臓内科で勉強している。腎臓が勝手に脹れて故障する病気もあるが、大抵は高血圧、糖尿病などで動脈硬化が進んでなった病気をみている。というのも、腎臓は血液をろ過する工場で、細い血管のかたまりだからだ。1分間に1Lもの血液(心臓から出た血液の1/5)が腎臓を巡る。
 動脈硬化が進めば、心臓の血管も狭くなり、脳に行く血管も狭くなる。心筋梗塞、脳梗塞を起こした患者さんも多い。腎臓が悪い人は、そうでない人に較べ圧倒的に病気になりやすく、重症化しやすく、何かにつけ病院に来て、多くの場合入院することになる。
 腎臓内科医は本来は透析をまわさずに済むよう努力するのが仕事である。しかし、透析という国営医療(月60万円かかっても自己負担は1万円以下)が充実した日本では、建前ではなんとか悪化を食い止めよう、といいつつ、本音は、悪くなっても透析がある、と思い勝ちらしい。

11/03/2007

検査前確率

 胸をぶつけたあと、徐々にそこが痛いという患者さん。診察室で椅子に座っていても、痛みはほとんどないようだ。打撲だろうか。診察すると、肋骨や胸骨に痛みはない。しかし、みぞおちを押した途端に豹変。息ができないと訴え、腹筋を緊張させきつそうな表情を浮かべる。結局、脾臓を損傷していた。
 本物(の臓器損傷や骨折)かどうか、検査する前に判断する能力が必要だ。本物っぽくない患者さんに念のため検査してしまうことも多い。それはそれで大事なこと。しかし、明らかに痛がっている、お腹がかたい(腹膜炎の症状)ときに限って、意外と検査するか迷っていたりする。経験が必要だ。