3/22/2008

政・官・財

 官公庁ではたらく先輩と話す機会があった。学生時代、いまの病院に見学にきた際に研修医をされていた。直接ついたわけでもないのに仲良くなった。たまたま札幌に来ており、みんなと飲み会をするというので入れてもらった。3年ぶりの再会でもお互い変わらず親しく思っておりうれしかった。入省してからは精神的にも肉体的にも最もきつい日々だったと彼は語った。
 感じたことは2つあった。一つ目は、世の中ほめられない仕事、感謝されない仕事のほうが多かろうということ。関係各所の調整をする仕事など特に、最大公約数の提案にしてもすべての方面から叩かれるらしい。扱う利権が大きいだけに怒号やヤジも日常茶飯事だという。じつは心のそこで「よくできたね、よしよし」とみんなから言われたいと思っている私など大アマちゃんもいいところだ。
 もう1つは、省庁でも地方自治体でも、とにかく組織のなかで目先の仕事をこなすので精一杯だということ。予算削減が景気後退のせいだろうが、いままでの滅茶苦茶で国が借金しているからだろうが関係ない。考えたところで変えることもできない。組織の都合、組織の論理で動く。だがあくまで正論を言いたいし、潰されぬようにも立ち回れる彼は省の良心となろう。いずれ出馬するだろうか。

3/21/2008

速報

 さきほどメールとウェブ上で確認し、ピッツバーグの病院に決まった。アイオワでないのは少し残念でもあるが、あそこは外国人医師にとっては300倍の倍率で、面接に呼ばれるだけでも30倍であった。マッチングであるから、病院にも私にもどうしようもないことだ。
 アイオワの次にランクした病院にマッチした。ピッツバーグの病院をふたつ受けたうち、いまの病院と提携しているほうではなく、いまの病院に去年までいた米国人医師が勤める病院である。わたしが見学したなかではもっとも面倒見がよい。program director、総合内科スタッフも見学・面接時から非常にwelcomeであった。市中心部から近い病院でもある。
 ピッツバーグはいわずとしれた全米一住みやすい都市、そして日本人社会も確立されている。同じ職場には日本の方がいないというのもちょっと良い。それに、前の病院で出会い知遇を得ている「師」の米国人医師と近くで働けるのもうれしい。
 とにかくこれで、マッチング生活は終わり。超特急に乗って米国で働く前から「時代の寵児」「鳴り物入り」になるのもうまくいかなかったらと不安であった。地に足着いた生活をして下積み生活+家庭生活を充実させたい。

3/18/2008

速報

 本日午前2時(米国東部時間で3/17 12h00)、マッチング協議会から"Did I match?"メールが届き、すくなくともマッチはしたとのことだった。そのとき私は患者さんの対応をしていたので、2時間くらいして救急外来のパソコンでメールをひらいたら判った。
 どこの病院にマッチしたかは、日本で言う金曜日の午前2時にわかる。もし決まっていなければ今からscrumble(空きポジションへの二次募集)に参加しなければならず、緊急国際電話、緊急渡米もありえた。しかし実際には、ありえなかった。だからよかった。

3/17/2008

試練は成長の好機

 先日に仕事で自分の考えも聞かずに「もっと考えなきゃだめだ」と言われ、人の自尊心を壊して支配したいのか恨まれたいのか判らないが、自分の考えに沿ったことがされていないと「基本がなっていない」、とにかく駄目であると全否定される経験をした。この経験には、なぜそこまで言われなければならないのか分からず大変憤った。
 しかし、もっとショックだったのは、自分も他人のことは言えないのではないかと感じたことだ。押し付け、否定ではなく相手の考えをきき、尊重しつつ提案する(あるいは思いつかせる)のが重要と本で読んでいながら。それでその日はものすごく疲れた。人間、身体的なことで疲労するのではない、精神的なことで疲労するのだ。寝たらなおったが。
 そういえば、その先生はタタキアゲなのだと誰かから聞いた。それに幼時から自分はいじめっ子であったと豪語するような人だ。人を変えることは出来ない、自分で対応していこう。これから米国でふたたび研修医をするのだから、へんなプライドはかなぐり捨てたほうがよい。無知の知、知れば知るほどわからないことは増える。聖書にも「柔和なる者は幸い、天の国はかれのものである」とある。

3/15/2008

Sante publique

 昨日は講演会に行ってきた。演者の先生はフランスで公衆衛生学を学んだ経験もある人で、現在九州の大学で教えていることもあり食指が動いた。医療政策と財源についての冷静な分析と提言で、自分が働きながら感じている矛盾や疑問の多くが言及され、それらに対する学問的にとりくみが紹介されていた。
 国家財政、社会保障としての医療と考えると、誰のせいだか知らないが国庫が何百兆円の債務を抱えて、年金も吹き飛んでしまった以上「医療費減らせ」の大合唱は続くと思われる。しかし、現時点で医療は原価割れし、医療者の無償労働により補填されている。さらに今後高齢化社会で急性期疾患、慢性期疾患、介護のすべてで需要が急騰する。
 そこで、対厚生省ではなく、対国民(支払者)対財務省に声を上げる必要がある。どれだけの質の医療をするのにどれだけのコストが適正なのかを説明する。そのためには自ら適正化の努力をして、可視化されたデータを公開せねばならない。これなしに支払者の同意は得られない。
 また演者の先生はDPCという診断群分類を開発した一人だが、これは[病気][患者][治療]が示されたコードで、同じ病気で同じような患者が同じ治療を受けたときどれだけお金がかかるか、どのような結果になるかを全国的に相対評価できる。元々保険診療に用いられていたレセプト電算を基盤にしており、頭のいいひとがいるなあと思う。

3/14/2008

雨降って地固まる

 今年初めての雨。路上の雪もいくばくもない。空気の匂いがちがう。昔の人々は春の到来と喜んだかもしれないが、魔法がとけたみたいでちょっとさみしい。雪が降り積もる地域で越冬できたのは成果だった。雪道の運転は結局しなかったが、これからはそういう土地に行くこともあるかもしれない。
 マッチングの発表が迫っている。周囲の人々に言及されて、自分までそわそわした。マッチしなかったときのプランは結局考えていないが、考えてもいまから数日の間に何か思いつくわけじゃない。結果を待ってから動くしかない。じたばたしても結果は決まっている(発表されていないだけ)。