1/22/2010

empowerment

 語気が強く感情をこめて反駁しがちな後輩の先生がいて、目についていたが「態度が悪い」と今まで他の先生の間でも問題になっていたと知るにつけ徐々に介入し始めていた。率直にどういうつもりか訊いてみると、"The argumentative Indian(議論好きなインド人)"というノーベル経済学賞受賞者(Amartya Sen)が書いた本を持ち出して、議論こそ学びの原点であり、私はそういう文化で育ちましたし、けっして悪気はありません、という答えだった。確かに普通に話す分には感じのよい先生だし、悪気があるわけではなさそうだった。
 しかし、ある日に患者さんとトラブルを起こしてしまったので「あなたの態度は、他人を傷つけるし、ひいてはあなた自身の評価を傷つける」ということを分からせる必要に迫られた。チーフレジデントに説明するも、やはりインド系なせいか「プログラムディレクターからきつく言ってもらう」とか「患者さんをあまり持たせないようにしてみては」とか、(そんなことをしたら雰囲気が悪くなりすぎて月末まで一緒に働けないよ)というアドバイスしかもらえなかった。さてどうしたものか。
 トラブルがあった日の翌日は休日だったのでその間ある程度考えて、①なるべく感情をこめずに客観的な事実を伝える、②私があなたに成功してもらいたいと思っていることを伝える、という二点を胸に翌日に二人で個別に話をした。それでも彼女がdefensiveに反駁してきた時は、もう仕方ない。そのまま文化相違に適応できずにさらなる大事故を起こしてdrop-outしても助けられない。難しいけれどやってみよう。
 まずは「この件を知ってから私は二日間あなたをとても心配し、どうしたらあなたを助けられるか考え続けた」という思いやりから始めた。そして「あなたの態度について患者さんがこのように不快な思いをした」という事実をつたえた。幸い彼女は「私はそんなこと言ってません」とか「そんなつもりじゃありませんでした」という気持ちをいつものように感情をこめて表出せずに、少ししょんぼりした面持ちで私の言葉を待った。
 つづいて「あなたがそんなつもりでなかったことは信じるけれど、あなたの態度は、時に他人を傷つける」と率直に指摘した。彼女は「そうですね、でもお父さんもそういう態度だったし、私は生れてからずっとそういう環境で育ったんです」と心の内を口にした。私は「文化的相違に適応することも異国で臨床研修する過程で獲得すべき重要な資質の一つ」と研修目標を示し、「自分も異質な文化からやって来たので困難はあったけれど、この一年でずいぶん学んだ」と共感した。そして「私たちはここに学ぶためにおり、私の仕事はあなたをempowerし成功に導くことで、私はあなたをあきらめない。私があなたがこの件から何かを学んでよりよい医師になってほしい」と言った。
 彼女は「あなたの言葉はとても美しく表現されている(beautifully put)と思います。あなたは他の先輩達と違ってmatureだと思います。あなたの期待に添えるように頑張ります」と言った。「そうだと確信している(I am sure you will)」と元気づけてその場は終わった。その時から彼女は、少なくとも私に対しては今までの態度を改めた。長い間身に付けた性格を変えるのは難しいと思うけれど、彼女が平静の心(Aeguanimitas)を身につけようと努めていることがとてもうれしかった。そして私自身も、この件を通じて単に気持ちをぶちまけたり、怒ったりするのではなく、それこそ平静の心で困っている相手を助けるという大事な訓練をすることができた。

1/15/2010

一皮むけたかな

 仕事をしていて、だんだん率直で単刀直入になっている自分に気づく。へんな遠慮がいらないと正直、楽である。たとえば、何か成し遂げたい仕事(検査、治療など)があるときに"Can you do this?"とたずねるのではなく、"I want to get this done"というように相手がyesだのnoだの言えないように要求を突き付けるようにしている。

1/08/2010

Teaching senior

 病棟業務をこなす日々からteaching monthに変わって、暇さえあればのべつ幕なしに喋って後輩の先生や医学生達に教え続ける日々になった。彼らがそばにいるたびに何か教えなければという気持ちになる。まるでひな鳥にえさをあげる親鳥のよう。と書いて、spoonfeedするよりも、えさのとり方を教えることが教育ではないか?という問題提起がおこった。その目で振り返ってみると、今のところ最終的な指示や決定方針を与えるのではなく、治療指針や考え方を教えるようにしているから大丈夫だろう。