12/29/2010

pulmonary embolism

 重度の肺塞栓症は、ICUで経過をみる。多くの場合、患者さんの血行動態は保たれ、1-2日でICUを出ていく。これは考えると不思議なことである。左右の肺動脈が詰まって、さらに主幹部にも左右紐状にまたがる血栓があるような場合、右心室からの血流はブロックされているはずである。右心室はもともと肺循環が低圧システムなため壁も薄く、急激な圧上昇には対応できない。たとえ小さな肺塞栓であっても、肺血管抵抗が上がることで右心に耐えられない負荷が掛かるはずだ。右心不全の他にも、右→左シャントによる低酸素血症や致死性不整脈をおこす可能性がある。
 にもかかわらず、ICUで毎日のように運ばれてくる重度の肺塞栓症のうち血行動態が不安定な例は(私の数カ月のICU経験で)数えるほどしかない。心エコーやCTで右心に負荷が掛った所見がみられることはあっても、血圧がどんどん下がり補液に次ぐ補液を要するような例は稀である。それどころか「偶然見つかったが血圧も酸素濃度も正常」というような例まである。そういう場合どんなメカニズムで血行動態をたもっているのだろう。亜急性~慢性に少しずつ血栓が肺に蓄積していくような場合は患者さんがうまくtolerateしていくのか。側副血行路があるのか。

12/28/2010

End of life

 New York Times日曜版を毎週読むと決めたので、配達してもらうようにネットで注文した。さっそく日曜朝、配達された新聞が玄関前の廊下に落ちていた。New York Timesの日曜版はものすごくぶ厚く、雑誌並みだ。他の新聞(たとえばUSA Today)の記事が表面的で詰まらないのに対し、これは解説や考察が充実しており買って読む価値がある。

 さっそく、End of life counselingに関する記事を読む。Medicareが毎年一回end of life counselingの医療費を支払うように民主党が提案している(現行では5年に一度)。忙しい外来でどれだけのPCP(主治医)が患者・家族とliving willなどにつき話しあう機会を設けているだろうか疑問だ。この変化でもっと議論されるようになるだろうか。

 Living willは弁護士に高額のお金を払って作成してもらうものの、「回復不能の意識不明になった場合に以下の治療を望む・望まない(抗生剤、補液、透析、経管栄養、人工呼吸器管理、心肺蘇生など)」という条件つきなので実際の臨床では多くの場合「回復不能かどうかなんてわからないから、これは当てはまりません」となる。ただしLiving willは本人の意思を忖度するのには役立つ。

達成感

 ICU勤務の最終夜は10人の新患が来たが、どれも興味深い症例で、時間内で良い仕事をした。最高のパフォーマンスをしながらも疲れを感じない、ハイにもなりすぎずに落ち着いていられた。胆力がついた。何が起こっているかがわかって仕事をするのは、この上ない喜びだ。全貌までいかないが、色々見えてきて今が一番楽しい時期と言える。16日間の夜勤を終えて、超爽快な気持ちだ。成し遂げたことを心から祝福したい。自分の成長を誇りたい。いらだったり傷ついたり、疲労もあって参ってもおかしくない状況でもうまく乗り越えて精神面も鍛錬された。

12/27/2010

Whisky

 喉頭蓋炎または血管浮腫でICUで経過観察となった患者さんがじつは大酒家で、ICU入室後にアルコール離脱症状をきたした。痙攣したら気道確保しなければならないが、喉頭蓋が腫れているので気管内挿管には気道閉塞のリスクがある。Fiberoptic intubation、うまくいかなければ外科的気道確保(緊急気管切開)かなあと考えていた。

 指導医に相談したら、「アルコール離脱を止める最も早くて簡単な方法はアルコールを与えることだ。飲めるならウイスキーを60ml(一日三回)与えよ、飲めないなら経鼻胃管から注げ」とのこと。ウイスキーとビールが治療としてオーダー出来るとは噂に聞いていたがオーダーしたのは初めてだ。ほどなく淡い色でよい香りのウイスキーが運ばれてきた(銘柄は不明)。

 しかし患者さんは「私はジンが好きで、ウイスキーはオエッてなるから飲みたくない」とかぶりを振る。経鼻胃管の挿入を試みるも、喉頭蓋が晴れているためか(あるいは患者さんが暴れているためか)食道に入らず、気管に入って低酸素血症をきたしかけたので止めになった。困ったなあと思ったら看護師さんがすごんで何とか患者さんがウイスキーを飲んでくれた。

 これが朝6時で、私はシフトが終わったので帰った。夕方帰ってみると、ほどなくベッドサイドで麻酔科が何という困難もなく挿管して鎮静剤で離脱が抜けるまで待つことになったと聞いた。




ICU

 ひさびさのICU勤務は楽しい。12/23夜にICUに行くと、あっちで心肺蘇生、こっちで緊急挿管、そっちで緊急気管切開、さらに新患は来るはでてんやわんやだった。きっとキリストが誕生する前で悪が世界を支配していたに違いない。家に帰るとすぐ眠くなり、仕事の夢を見る。久々に戦場のような経験をしているので無理もない。フラッシュバックのように目覚めるわけではないし、勤務4日目で仕事の夢も見なくなった。

12/22/2010

WPW

 WPW症候群の患者さんを初めて診た。失神で救急外来に搬送され、救急外来での当初の診立ては飲酒による酔っ払いであったが、その後上室性頻拍をきたし、adenosineでもリズムが変わらずdiltiazemでようやく洞頻脈に戻った。この人は今回の前にも、じつは数年前から週2-3回の動悸発作(数分でおさまる)を繰り返しており、心疾患の家族歴も濃厚だった。それで、アルコールは直接の原因として関与はあるものの、それ以外に基礎心疾患があるに違いないとおもっていた。それで洞頻脈に戻ったところでECGを取り直したら典型的なdelta波があって診断に至った。上室性頻脈は、房室結節から順行に伝導された脱分極が副伝導路を逆流してサーキットを形成したorthodromic AVRTだったらしい。この場合、洞結節からの刺激が副伝導路を介して起こるpreexcitationがないのでdelta波は見られないというわけ。電気生理学の先生にコンサルトして、ablationになった。

12/21/2010

よい診療

 夜勤もいまのところ新患の数が少なく、よいケアーを心がけている。まず、患者さんのベッドサイドに座り落ち着いて話を聴き、問題の深層に迫る問診をする。「なぜ?なぜ?」と自問しながら、少しでも引っ掛かる点があれば聞き逃さない。患者さんのかかりつけ医でもあるがごとく生活歴や家族歴を聞き、患者さんにとって大事な逸話やエピソードにしばし耳を傾ける。仕事をしていれば「大変ですね」、仕事がなければ「お気の毒に」、子供がいれば「かわいいですね」、軍隊にいたなら「どこに行きましたか」。
 問診でほぼ何が起きているか分かる。診察で自分の仮説を確認した後、何が起きているかについて病態生理にもとづいた平易な説明をして、治療と検査のプランを説明する。そのあと患者さんと家族の心配と質問に応じ、カウンセリングする。心配を分かち合って、状況に応じてどのような行動計画があるかを説明する。「突然ERにきて入院だなんてcrisisでとても心配だと思う」と伝えることにしている。
 これだけやっても、朝になれば患者さんは別のチームに移っていく。退院すれば、あとは野となれだ。それでも自分にできることをしたい。僕はオーダーマシンじゃない。患者さんはモノじゃない。患者さんをよく知り、医学知識・経験と患者さんのバックグラウンドを合わせて問題の根底を見抜き、治療を継続して診られる医療を実践したい。

12/13/2010

レモンを持ったらレモネードを作れ

 今夜から夜勤に入り、このシフトは12/28の朝まで休みなく続く。あまり良い思い出がないのでI am not looking forward to it(嫌だなあ)、気持は暗い。しかし、後輩を指導したり、興味深い症例にあたったり、Reader's digest誌を読み始めたり、楽しいことも実はあった。今回は、最初から飛ばしすぎないこと、淡々と仕事をすること、暇な時間があれば確実に休むこと、をとりあえず念頭に置いてやってみる。本を持っていき読むのも気分転換になってよさそうだからやってみる。

12/11/2010

public speaking

 Toastmasterに通いだしてから、仕事にも好影響がでているのに気付く。公の場(meetingやconferenceなどで)以前より自分の考えをはっきりと述べることができる。第一にfiller word(um, ah, like, you know, etc)がほぼ絶えた。第二に、ただcomplainするのではなく、statementを述べることができてきた。先日などは私の発言のあとにspontaneousに拍手が起こってびっくりした。meetingの後に、同僚から「僕もそう思っていたんだ」「賛成だよ」「よく言った」と言われたこともある。この訓練は始まったばかりだけれど、この調子で続けよう。

12/09/2010

Cardioplegia

 CABG(冠動脈バイパス手術)とAVR(大動脈弁置換手術)を見学した。じつは今の病院で毎日のように行われていたのだが機会がなかった。今月は循環器科コンサルトで、2年目のフェローが「見てきたら」と勧めてくれたので実現した。循環器科フェローシップでは2年次で心臓外科ローテーションがあるらしく、1年目のフェローは「お前にはまだ早い、俺もまだ観たことない」とか言っていたが、外科医はそんなこと気にせず気軽に入れてくれた。手術中は麻酔科医のポジションからよく観察できた。

 血管吻合や弁置換自体は、要は血管を縫い合わせるので器用だなあと驚きはしたが外科のテクニックであり、もっと驚いたのは人工心肺と心臓麻痺(cardioplegia)だった。右心房と上行大動脈にメスでスリットを入れ太いカニュラを挿入する。心臓はまだ動いているし血液で満ちているのであるが。右心房から静脈血を引いてきて、酸素化して大動脈に返す。磁石の力でlaminar flow(拍動のない一定した流れ)を生み出し、血液はトロトロ身体を流れる。




 Cadiac outputに相当する分時循環流量をダイヤルで調節できるようになっている。肺循環をバイパスするので酸素化が必要で、吸入麻酔も人工心肺を介した麻酔に切り替わる。人工心肺下にある間は、主にperfusionistと呼ばれる人工心肺のテクニシャンが患者さんの循環を担当し、麻酔科医はあまりすることがない。循環の指標にはmixed venous O2 saturationを用い、リアルタイムでモニターしていた(75-80%を維持)。

 Cardioplegiaは、クロスクランプ(右心房と大動脈をクランプして心臓を血流から遮断)した後に冷たいカリウム溶液に心臓を浸して心臓の動きを止めること。冠静脈には弁がないので、coronary sinus(冠静脈洞)から麻痺液を流すと静脈を逆流し毛細血管を介して冠動脈に達することで心臓全体を液で潅流させることができる。これをretrogradeといい、逆に大動脈側から潅流することをantegradeという。冠動脈に狭窄や閉塞がある場合は、動脈側と静脈側の両方から潅流しなければならない。

 心臓を直接触る手技が終わるころに心臓を再び温めると、心室細動がおこることもまれではない。ただし、循環はまだ人工心肺で行われているのでこの場合の治療の緊急度は低いし、心臓が温まるにつれ元に戻る。必要に応じて心臓を除細動パドルで挟み30J程度の低い電流でショックを掛けたり、リドカインやアミオダロン、マグネシウムを用いる。人工心肺から血液を戻しunclampしたあと、血圧によってはepinephrineを用いるが、必要としない場合がほとんどである。

 人工心肺がまわる間、約1300-1400mLの血液が体外にある。これをできるだけ戻すが、戻しきらない分はcell saverという器械にまわす。これにより術中の出血(ドレーンされた分)と人工心肺装置内の血液を回収し、洗って赤血球成分を体内に再び戻すことができる。なので心臓手術といえども輸血を必要とすることは少ない。なお透析と同様、体外のサーキットに血液を通すので術中はへパリンを流し、ACT(絶対凝固時間)をbaselineの約4倍に保つ。体内に血液を戻す頃にはプロタミンでへパリンをreverseする。

 ECMOや人工心肺は、外科領域なのでたとえ内科ICUにいても見る機会はほとんどないのでラッキーだった。また、心臓外科手術といえどもここでは日常茶飯事で、CABGも私が入ったのはその日2件目だった。手術もメインの心臓外科医と第一助手のレジデントの二人で淡々と行われていた。CABGが4時間で、心臓に触って血管吻合している時間は2時間くらいと想像より短かった。術後の回復も早く、だいたい翌日には外科ICUから退出し一般病棟に移る。入院期間は5-7日という。

12/05/2010

RI

 左冠動脈の主幹部から分枝するのは前下行枝と回旋枝であるが、ときに三番目の枝が分かれている場合がありこれをramus intermidius(RI)という。いままで循環器科でたくさんの冠動脈疾患に触れてきたのについぞ出会わなかったが、先日にこの枝がある患者さんを二人診た。この枝がある人はどれくらいいるのか、この枝は他の枝に比べてとくに詰まりやすいのか、他の枝が詰まった場合と比べて治療に違いはあるのか、などの疑問について自分で調べようと思う。

12/03/2010

protege

 今月は循環器内科で、カテをみたり回診についたりしているが、昨年に二か月過ごしたCCUが基礎になっており余り新しく学ぶことはない。自分の考えと指導医の考えがだいたい同じなのを確認したり、違うところから学んだり、後輩の先生にいろいろ教えてあげることがメインだ。

 CCUでついた先生は、Johns Hopkins出身の、うちの病院では最も優れた教育者であったが、先月一杯で転職され、郊外の病院の院長(administrator)になってしまった。これはうちの病院にとって大変な損失であるが、彼はシカゴ大学でMBAを取得されており、この決断もやむないのだが。

 この先生に教えてもらったおかげで、心電図を読むのだって誰にも負けないくらいの自負がある。今となっては、先生に教わったことを自分が後輩に伝えることが使命と思う。他の指導医には教えられない特別な何かがあり、それを受け継いだのは(循環器志望でもないけど)他ならぬ私だと信じている。

12/01/2010

senior resident

 シニアの仕事は、ジュニアレジデントを教えて、ジュニアレジデントが私と同じレベルで診断の議論ができ治療の計画が立てられるようにすることだ。だから回診中は、ジュニアレジデントが指導医にプレゼンするあいだ「いいんだよ」というfaithfulな眼で彼らを見ながらゆっくりとしばしば頷くのがおもな仕事である。指導医が何か質問しても、すぐに自分が答えるのではなく、ジュニアレジデントが知っているはずだという信頼のまなざしを向け、彼らに答えさせる。幸い、教え甲斐のある優秀なジュニアレジデントに囲まれて、愉しい月だった。

30 hour calls

 今月で私の30 hour callは終りである。古き良き30 hour callも、ACGMEの規則が変わり来年からはすべてのプログラムで消滅する。朝から24時間のあいだ新患を取り続け、他チームのクロスカバーを対応し、翌朝回診して昼に帰るというのは大変である。しかし、夜間に来た新患を初期対応し、さらに引き続き診続けるのは継続性の観点から望ましいと私は信じている。さらに、昼に仕事を終えて半日休むほうが、休日が増えたみたいで私は好きだった。それに何といっても私はナイトフロートというのが大嫌いなのである。夜しか働かず、朝が来ればI don't careというのは性に合わない。とはいえ来年からは新しいシステムになる。診療の質が下がらないか心配だ、注視しよう。