10/30/2013

忘れられない一言 6

 ローマの賢人皇帝マルクス・アウレリウスは自省録で「汝、海に屹立する崖になれかし、波は絶えず打ち砕けようとも、崖は静かに聳(そび)え立ち、まわりの逆巻く波も穏やかに静まりぬ」と書いた。これは近代医学教育の父ウィリアム・オスラー卿の講演集『平静の心』の最初に書いてあるから、医療界には知っている人も多いだろう。

 この引用句を久々に読んで、「どれだけの人が亡くなる前に平静でいられるだろうか」と考えた。そして、亡くなる直前に、はっきりした意識で、BiPAP®(陽圧換気で呼吸を助ける器械)の突風を受けながら診療チームの私に力強く"Thank you"と言った方を思い出した。それも、何度も。

 その平静さと思いやりに、私は患者さんがまるで家族のように感じられた。手をとり絶句したが、正直涙をこらえるので精一杯、あの場で平静さを保つのはとても難しかった。医療は煩雑で、時間がかかり、苦痛を伴い、治せないものは治せないし、治せるものも良かれと思った治療が裏目に出るし、どんなに気をつけても見逃し間違える。

 しかしこの世に医療がある限り、いつの時代も医療者はその時の倫理観と知識・技術・経験のベストを尽くして患者さんを良くしようとしていると私は信じたい。そして、『もはや動かしがたい事態に対して潔く従われんことを』(プラトン『ソクラテスの弁明』より、またD・カーネギー『道は開ける』でも紹介されている)、だ。


10/29/2013

忘れられない一言 5

 あれは米国でインターン(一年目レジデント)をしていたときのこと。私は最初のICU勤務、毎朝早起きして患者さんの各システムについて刻々変わる状況を把握しようと必死だった。それでも結局担当の看護師さんのほうがよく知っていたから、プレゼンしてもしばしば「ううん、今はもう違うよ」と正された。それにまだ経験が少なかったから、プレゼンして意見を訊かれても「あー」と立ち尽くすこともあった。自分は役に立っていないと思った。
 ICU勤務が終わって数ヶ月して、メールボックスに手紙が入っていた。小さいのに分厚い封筒で、患者さんからだった。たしかこの方は、人工呼吸器管理だったが、気管切開になろうかという直前に抜管に成功した。彼女の回診では指導医から「肺胞がどうの」「換気がどうの」と呼吸生理学の質問を矢のように受けたのを覚えている。
 しかし彼女の管が抜けた翌日に彼女は一般病棟に移ったので、おそらく会話はしていない。それなのにどうして私に手紙を?と、封を切ると手紙と小さな贈り物が入っていた。手紙は所謂サンクスカード。私はこの文面を生涯忘れることはないだろう。それを以下に要約して紹介したい。

 お久しぶりです、私が伝えたいのは最大の感謝です。入院を繰り返し、人工呼吸器がついて動けないし話せない私はmessでした。でもあなたは親切で思いやりある態度で朝起きる私を迎えてくれました。私はあなたの手をとって目を合わせ、「私の命を救ってくれて有難う」と感謝の気持ちを精一杯伝えていたんですよ!

 私は、主があなたをほかの人たちと共に私の元に届け、私を健康に導き、そしてもう一度地上の人生にゴーサインを出してくれたと信じています。二ヶ月かかってしまいましたが、手作りの小さな贈り物を作りました。何もお返しできませんが、私はあなたを尊敬し感謝しつづけるでしょう。You're the Best。

 ところで、これについて書くには少しの年月が必要だった。というのも私はこの手紙を受け取って、「私にこれを受け取る資格があるのか?」と複雑だったからだ。私には神の手もないし、ほかの人より献身的なわけでもない。上にも書いたが、診療方針は私の診察所見より正確な看護師さんの情報に基づき、私の診療方針よりすぐれた指導医の意見で決められた。
 でも歳月を経て、少なくとも患者さんが診療チームメンバーの中で私を選んでYou're the Bestと言ったのには何か理由があると考えられるようになった。そして今は、たとえ言葉が通じなくても、話ができなくても、ずっといられなくても、毎日の朝回診で、ほんとうに数分だけでも、患者さんの病態を一生懸命探ろう、良くなって欲しいという真心は伝わるのだと信じている。

10/24/2013

忘れられない一言 4

 「よき腎臓内科医はよき総合内科医」というモットーは割と業界で共有されている。腎臓内科は疾患の性質上全身を診なければ勤まらないし、腎臓内科医がかかりつけ医になっている透析や移植の例もある。私も"We are general internists who happen to be nephrologists"という移植・腎臓内科に精通した若恩師の言葉を胸に日々診療している。

 しかしこれには異論もあって、たとえばCKDクリニックなどで「私達は血糖管理やら疼痛管理やらまで手を出すべきではない」という現実的な見方をする先生もいた。私は帰国して出会った「CKDの集学的治療」という言葉が美しくたいそう気に入っているが、一人に40分掛ける米国大学病院の専門内科外来でさえそんなことしていたら外来は回らない。

 そんなある日、今は亡きボスと一緒にCKD患者さんを診察した。私は(今もだが今よりもっと)かけだしで、血糖が少し上がった患者さんに「血糖は内分泌の先生と一緒にコントロールしてくださいね」みたいなことを言った。ボスは思案しながら私のプレゼンを黙って聴き、そのあと二人で診察室に向かった(米国は日本と違い診察室に患者さんが待っている)。

 ボスは患者さんに「病状は私から聞いた」と言い、共感の視線を向けて「大変だよね、"Why me God?(神様、どうして私がこんな目にあうのですか)"と思うよね」と静かに言った。表層の数字から、若いのにインスリン注射しなければならない(確かうつ病で治療も受けていた)この症例の本質を見通すボス。思わず涙する患者さん。肩に手をやるボス。





 2年も前のことだが、いまだに鮮やかに覚えている。こんなボスに出会えたことを心から感謝せずにいられない。うちの大学の各種臨床医養成過程を総称したMaster Clinician Programのウェブサイト表紙に彼が患者さんと写った写真が載っているのも納得だ。そして私も、このよき臨床家へのJediship(ジェダイ道)を研鑽し後世に伝えたい。

10/21/2013

忘れられない一言 3

 医学生数人を連れて患者さんの病歴聴取の練習をしに病棟に行ったときのこと。ボランティアしてくれる患者さんのところへ学生さんを連れて行き、問診を始めてもらう。彼らの問診は素人らしくてフレッシュな面もあるが、ともすると機械的になってしまうので、病室に顔を出して口を挟むのが私の役目だった。臨床家として何にでも興味をもつことの重要性を伝えるこのような機会は私にとって有難かったし、いまでも問診はこだわりを持って教えている。

 私がこうして「なぜ?」「どうして?」と考えながら問診ができるようになった最初のきっかけは、初期研修医時代。米国から教えに来た先生に、症例プレゼンする人が「これは面白い症例ではありません」と日本的に謙遜したら、その先生が「面白くない症例なんてない」と言ってからある逸話を紹介した。それが、あのOn Being a Doctorの名投稿"Curiosity"(Ann Int Med 1999 130 70)だったと知ったのは何年もたってからのこと。

 さて、そんなことを考えながら学生さんと患者さんのところへ行く。するとちょうど学生さんが患者さんに喫煙歴を聞いているところで、患者さんが「タバコはX年前にやめた」と具体的な年数を口にした。こういうときには、やめることを決心させた出来事があったと考えられる。心筋梗塞を契機に禁煙した、という人が最も多い(喫煙が一次予防ではなく二次予防・三次予防になってしまうのが悲しくもあるが、それが現実だ)。

 いずれにせよ学生さんが「X年前ということはY pack-yearか」と計算できたことに満足して先に進もうとするので、私が「どうして禁煙されたのですか?病気をなさったのですか?」と聴いた。すると患者さんは「9/11のあとでやめました」と言った。自分にも何かできることはないかと考え、一種のpledge(誓願)として禁煙したそうだ。歴史上の出来事というのは、いろんな人々がいろんな受け止め方をするものと実感した。

10/17/2013

忘れられない一言 2

 Cardiorenal syndromeで利尿剤を様々に使って体重、浮腫、asterixis、クレアチニンなどをフォローしていた時のこと。治療に反応しなければ透析だから、毎日しっかり患者さんに様子を聞いた。それがご本人は"doing fine"、"whatever"というばかり。たしかにクレアチニンが5.5mg/dlだろうが5.7mg/dlだろうが違いを感じるわけじゃない。

 毎日変わらず体重、尿量、食欲など感じにくいものを聴かれても困るかと思い、ある日「趣味は?」と聴いてみた。すると、絵を描くことだという。やっと定年になってYellowstone、Montana、Redwoodなど若い頃に行った美しい景色を再び見て、その絵を描きたいと思っていた。「透析になったら旅行もできなくなるかな…」と彼は淋しげに言った。

 透析になっても旅行はできますとはお伝えしたが、煮えきれない思いが残った。それにしても彼が若い頃にした旅行の話がとても美しかった。Redwoodでキャンプしたときの火、Montanaでの大きくてフレッシュなクマの足跡(大変だ)…。それが余りにも鮮やかで、管とモニターと食べかけの食事トレイと数独が置かれた殺風景な病室とのコントラストに目がチカチカした。

 その後、どういうわけか(本当に分からないが)利尿剤が効いて心機能と腎機能が回復して、この方は透析を必要とせずに退院することができた。彼が旅行に行ったどうかは、知らない。あとこの方、退院時に「これでhamburger、pizza、fried chickenが食べられる」と真顔で言うので慌てたが、それは別の話。

10/14/2013

忘れられない一言 1

 今でも忘れられない一言は、"It's easy to die, it's coming back that's painful. Dying is a lot easier than coming back."というもの。ある患者さんが、心肺蘇生後のことを何ヶ月もしてから振り返ってこう語った。
 あの時、なんと返していいかわからなかった。素直に「その通り(蘇生後のほうが大変)なんだろうな」と思った。それで「なるほど…でも(痛くても)蘇生してくれてよかった」と言ったかな。
 患者さんとは帰国の間際に病院のロビーですれ違ったような。Good luckと応援してくれ、"Are you coming back?"と聴かれて分からないというと、彼は「二つの道はまたどこかで交差するかもしれない」と言った(なお、これらのストーリーは詳細を少し変えてある)。

10/12/2013

ある問い

 「あなたにとって最も印象深かった患者さんは誰ですか?」と聴かれたら何と答えるだろうか。すぐに心に浮かぶ人がいるだろうか(個人情報だから別に言わなくてもいいが)。教師に印象深い生徒がおり、結婚式を挙げる聖職者に印象深いカップルが(たぶん)いるように、医師に印象深い患者さんがいてもおかしくないだろう。

 この質問が聴いているのは「最も印象深かった患者さん」であり「最も印象深かった症例」ではない。医学的に「印象深い症例」は山のようにあり、学会でも雑誌でもたくさん紹介されている。そうではなくて、この質問はお互いに人として関わったような、何か影響を与え合ったような、そんな患者さんはいますか?と聴いているのだ。

 この問いは私には重いが、それに答える助けとして、今まで書きたいと思っていた臨床医としての思いを書き始めたい。β介在細胞と体液貯留に関する新たな展開(JCI doi:10.1172/JCI63492)や、L-WNK1と家族性高K性高血圧の関係(PNAS 2013 110 14366)についての話を待っている方もいるかもしれないが、そっちは少し待ってほしい。

 というのも、私はイオンチャネルにしか興味ない訳じゃないから。いままでも経験をあちらこちらに書いてきた。うまい文章かはさておき、書き続けることが上達への早道と信じて、私なりにやってみよう。「学問と芸術とは肺臓と心臓のように助け合う」というゲーテの言葉もある。