4/30/2015

忘れられない一言 30

 米国内科学会誌のOn Being A Doctorを久しぶりに読んだ(Ann Int Med 2015 162 594)。著者は医師を志すところから始まり、医学部時代に苦労して勉学したこと、右も左も分からず孤独できつかったインターンイヤー(伝統的に米国では医者一年目をインターン、二年目以降の研修医をレジデントという;専修医がフェローで、これらを総称してハウススタッフと言ったりもする)を回想したあと、二年目半ばのある日に飛ぶ。

 その日、著者はメンターと将来を話し合うことになっていた。しかしメンターは著者と目を合わせず挨拶もなく、唐突にある患者について尋ねた。孤独で疲れる24時間当直のあいだに診て、チームで決めたプランをオーダーし、退院オーダーにサインし、独りでバスに乗って帰った患者だ。メンターは"Well, he died 12 hours after you discharged him from the hospital. You are being sued."と言った。思わぬ言葉を信じられず口も利けなくなり、将来が暗転した。ここで、著者がメンターの部屋を出るときにメンターは何と言ったか。

 "You are the type of person who is going to change the world."

 パンドラの箱を開けたあと最後に希望が残っていたような話で、こんなことなかなか言えるものではない。ちょっと意味が分からないほどだ。現実には私が世界を変えるどころではない、それは医療の世界が私を変えた瞬間だった、と著者は回想する。弁護士から届く手紙に怒り悲しみ、この件について同僚に相談することを許されず、失敗することを極度に恐れ不安におののき、レジデンシー最後の1ヶ月は出てこないように言われ、パニック発作を起こした。深く傷ついてのレジデンシー卒業だった。

 裁判になる二日前に和解が成立して著者は条件付きの放免になった。しかしその頃には著者は粉々に砕け散り、その破片だけがあとに残った。この経験に意味を見つけようとするのに長い時間を要したし、自分自身が持続的に浸蝕され、暗闇のなかで不安や怒りや窒息や腐敗や内臓がむき出しになるような感覚に傷つきながら医学を学び自分自身をhealerと位置づけ続けることは容易ではなかった。こんな自分は、世界を変える人ではない、と思った。
 それでも、医学の難しさと医療の不確実性、それに携わる厳しさ(ときに逃げ出したくなるほどの厳しさ)を嫌というほど思い知らされたことを、著者は医師を志す第二のawakeningと回想する。まだどっちに向かっていけばいいのか分からないし、この経験がどう活きるのかもわからない。それでも、I need to feel empowered again. I need to feel like I am walking forward and that I might, just might, be able to change the world.という著者。

 I need to、という助動詞に共感できる。一度粉砕されると、「またやるぞ」となかなか言えない。「~じゃなきゃいけない」とは分かっている、という感じだ。Empowered、と受動態なのもわかる。Change the world、という言葉にはやはり光を見る。神は乗りこえられない者に試練を与えない。そしてなにより、こうやって著者が自分の経験と心の中をシェアしてくれることで、読者に希望を与えることができる。誰しもが苦しみや失敗や逆境や試練を経験する。You are not alone、と思える。



4/28/2015

気持ちが萎える薬屋さんの説明

 餅は餅屋、薬は薬屋といいたいところだが薬を処方するのは医師だ。だから各社が各病院に担当者を配置して自社商品の優位性を伝えさせる。お薬屋さんの商品プレゼンは、パワーポイントもお金と時間を掛けてプロが作るのでそれはそれは出来がいい。最近はテレビ番組みたいな動画もついている。多額の研究費用と長い年月を掛けて作った新薬だから利益を回収しなければならない、薬屋さんからしたら当然のことだ。

 私もレクチャなり講演なりでパワーポイントをたくさん作ってきたが、あの完成度には敵わないなと思ってしまう。というか「もう綺麗に凝って作るのはやめだ(下の絵みたいなのはさすがに作ったことないけど、自分なりの美意識はあった)」という気持ちになる。うまい弁当を食わされても気持ちが萎えるばかりだ。内容なんてどうでもいい、どうせ「この矛はどんな盾も突き通す」とか言っているんだろう?と思ってしまう。

 そもそも米国にはない習慣なので、COI的にどうなのか?と、帰国したばかりの前の職場では罪悪感いっぱいで説明に参加してたいてい途中で退席していた。いまの職場では薬屋さんの説明が前座になっているので退席できない。

 それはさておき、今後パワーポイントを作る機会が来たらどうしよう。パワーポイント使うのはもうやめようかな。でもまあそういうわけにも行かないから、内容があってシンプルで洗練されたものにしようかと思う。しかしそうしようにも、薬屋さんがやっている論文を無料で読めるサービスに登録しなければ論文へのアクセスすらままならない(自分が入っている学会の雑誌は読めるけど)。薬屋さんに支配されているように感じる。

 それなのに各病院に配置された薬屋さんの担当の方々は恭しく接してくれるので、医師達はそう感じないように巧妙に操られている。本来なら医師が薬屋さんの担当者に「薬屋さんあっての医療でございます、いい薬を作ってくださり有難うございます」と言うべきなのだろうか。まあそんなこと気にしていたらやっていけない。流れにまかせて生きていこう。



4/20/2015

ニッポンのお医者さん(aka 忘れられない一言 29)

 病棟も診て、外来も診て、病棟当直もして、ER当直もして、外勤もして、土曜も普通に働いて、朝6時に起きて夜10時に帰ってくるのがニッポンのお医者さんだ。ひょっとしたら、勤務医だけじゃなくてニッポンの雇われサムライ(男女を問わず)はどんな業種でもそれが当たり前なのかもしれない。それでも日曜日は活発に過ごしていて、パワフルだ。キラキラしている。聞けば「そういうもんかと思ってました」とかしれっと言うから、慣れというのは素晴らしい(というか恐ろしいというか…私にはMURIと思ってしまう)。

 専門医をいっぱい持っていて、でも「専門医を取って喜ぶのはその日(合格した日)だけです」と言われるニッポンのお医者さん。そんなエネルギーに満ち溢れた先生から「米国でのクリエイティブでアカデミックな活動と日本の勤務医の仕事のあいだにはギャップがあって大変だと思います」とか言われたら、有難うございますって癒される。エネルギーを分けてもらったみたい。いやとんでもない、あなたの成し遂げたこととしている事に比べたら私なんてまだまだです、しっかりしなきゃって思う。それでか、今日は一日へばらずに終えることができた。有難う。それから、今日もお疲れ様。


4/03/2015

狼狽

 いまの職場にいると、自分がいかに曖昧に成長してきたかを痛感しうろたえる。ここの指導医は、きちんとした教え方ができる。それはきっと彼らもきちんと教わったからなのだろう。漏らしのないよう知識をリストまたは語呂合わせで教えるので、教わるほうも感心して安心して内容をメモれる。また、重要なエビデンスとガイドラインが完璧に頭にインストールされているので教える側も自信を持って教えられる。

 私も医学生時代はカレント2003を読み、レジデント時代はpocket medicineの第一版(赤いの)を読み、卒業前にはMKSAP15の教科書を読み問題も全部解いた。しかし忘れるものは忘れるし、医療は日進月歩である。私が腎臓内科の専門医教育を受けていた間、また韓国語短期留学していた間もずっと日米両方の良いとこ取りをした総合内科を学び教え、鍛え磨きつづけた彼らにかなうわけがない。

 また、学び直さなければならない。しかし、焦っては駄目だ。それから、自分がやってきたことにも自信を持たなければならない。焦りや羨望、劣等感が生じるのは仕方ないにしても、それをうまく処理する。人間関係をちゃんとつくってサポートを維持する。レジリエンスに関する本を読む。できることはできるし、できないことはできない。自分の強みと弱みを理解して、強みを磨き弱みを平均くらいにできればいい。

ABPP for PAL

 いま総合診療科にいるので、診療するのに使う知識が2011年まで遡る。それは、多くのことをすでに忘れているということを意味する。しかしmaintenance of certificationの意味でもここで忘れていたことを学び直し知らなかったことを学び続けることは有益だ。
 その一つに、PAL(persistent air leak)に対するABPP(autologous blood patch pleurodesis)があった。論文(Thorax 2009 64 258、Current Opin Pulm Med 2012 18 333)によれば、tetracyclineやtalcに比べて非侵襲的で気胸再発のリスクも低い方法だという。
 デメリットとしてchest tubeが細いと自己血が凝固して詰まって緊張性気胸を起こすことがあるので、前者の論文は生食フラッシュを薦めていた。また入れる血液の量は、最初の報告は50mlだったが、100mlのほうがより有効だそうだ。

4/02/2015

忘れられない一言 27

 外来、小さな教育的clinical pearlも見つかった。それは、外来受診前に患者さんが書く質問票を鵜呑みにしないということだ。

 忙しい外来で質問票がたいへん役に立つことは言うまでもない。しかし、患者さんがすべて正直に書くとは限らないことを知るべきだった。私が担当した患者さんは、私が現病歴をあらかたきいたあと一通り既往歴、内服などと尋ねようとすると「そこに書いてあるでしょ」と言った。確かにかいてある。

 それで、相手に迎合するような形で「飲んでる薬はないんですね」「タバコはすわないんですね」と軽い確認をしてしまい、患者さんも「そう」と答えた。でも血液検査で多血症が見つかり、まず「タバコ吸いますっけ?」と聴いたら、「吸わない」にチェックされた質問票にちらりと目をやり申し訳なさそうに

「すいません、嘘書きました」

 と言った。

BAD DAY

 Bad dayなんて書いたら嫌なことがあったみたいだが、そんなことはない。むしろ、同僚の先生の誕生日祝いができてhappy birthdayだ。なのになぜbad dayかというと、BAD(branching atheromatous disease)型脳梗塞について勉強したからだ。
 ラクナ梗塞が細い脳動脈が高血圧性にhyalinosisにを起こして詰まるのに対し、BADは、レンズ核線条体動脈、橋傍正中枝などの入り口がアテローム性病変によりふさがり狭窄・閉塞する。1989年に提唱されたものだそうだ。入り口が詰まるので、枝そのものは空いている。
 臨床的には、ラクナ梗塞よりも進行が早く治療に難渋するそうだ(入り口が詰まるので梗塞範囲が深く広くなる)。日本でよく研究されているらしい。治療はおおよそ他の脳梗塞に準じるが、アテロームの炎症を抑える意味でスタチンが一層効果があるかもしれない。