7/25/2016

人類補完計画

 人類は氷河期と飢餓に適応して生き延びてきたので、血糖を上げるホルモンは何個もあるのに下げるホルモンはインスリンしかなく、いまだ経験したことのない未曾有の飽食時代に肥満と(2型)糖尿病のパンデミックがおきている。みたいなくだりは陳腐になるほど聞かれる。アメリカ時代に今は亡き私が最も尊敬する臨床と教育の師で、糖尿病撲滅のため慈善財団に寄付をもらい研究もしていた先生が、ICUでの回診中に「これを見ろ。みな糖尿病の結果だ」と言ったように、糖尿病の下流に感染症があり心筋梗塞があり心不全があり心房細動があり足壊疽があり脳梗塞がありCKDがあり末期腎不全がありショックがある。
 で、このワクチンも核兵器も効かないインディペンデンス・デイなみの人類の敵である糖尿病を、本気で滅ぼす気があるのかわからないときがある。糖尿病が医科診療医療費に占める割合は4.5%(厚生労働省『国民医療費』、平成22年)というが嘘である。上記合併症のこともあるし、おそらく平成22年以降に新規経口血糖降下薬がたくさんでた。ということは、糖尿病は巨大市場なのである。この病気があるおかげでクリニックと病院と透析センターとカテ室と製薬会社が食べていける。もしこの病気がなくなったら大変なことになる。
 糖尿病と肥満は、薬を使わず治すことも不可能ではない。生活習慣について、生活習慣についての気持ちの持ち方、また病気についての気持ちの持ち方をしっかり聞いて、動機付けを助けて適切にアドバイスを行うことで、BMIも血糖もさがる。気持ちは晴れやかに、身体は軽くなって生まれ変わってくれる。外食産業やコンビニと敵対しなくても、高級スポーツクラブに通わなくても、これらを実現することはできる。全員にできるとはいわないし、清濁併せ呑む医療を理想だけで生きていくことはできないが、患者さんに教わったこのことを私は忘れずにいたい。
 さてその肥満について、キーとなる遺伝子をターゲットにした治療をおこない成功したパリとベルリンの研究者による論文が出て(NEJM 2016 375 240)、個人的には衝撃だった。メラノサイト刺激ホルモン(MSH)の上流にあるPOMCの欠損症はたしかにまれな病気だが、MSHがmelanocortin−4 receptorを介して食欲低下を起こすleptin-melanocortin経路の異常は一般的な肥満にも関係している。論文ではPOMC欠損症(と合併する副腎不全へのステロイド補充)による過食肥満でBMI 50kg/m2程度のloss-of-functionのヘテロ接合体とホモ接合体の2例に対してSetmelanotideの1日1回皮下注射を行い、レプチン値の著明な低下、空腹感スコアの改善、BMIの著明な改善、耐糖能の改善を認めた。このクラスの薬の重要な副作用である高血圧はみられなかった。
 2例の結果で人類全体のことを話すのは針小棒大だし、この手の脳内を改造する薬は行動異常とか自殺とかの副作用がでることがあるのでポシャるかもしれない。人類を飽食時代に適応させるために人類補完計画が必要だなんて言ったら、マッドサイエンティストだと思われるかもしれない。でも、人類とまでいかなくても身近な人達の心身の健康を置かれた環境から守るためにできることを考えている私にとっては、この論文はとても意味のあるものに思えた。臓器を治療する時代から、脳を治療して行動を治療する時代がきているのかもしれない。それは手術とか薬ではなくてもいい。私が患者さんにみせてもらったのも、結局は脳の改造だ。


7/14/2016

Era of Artificial Intelligence

 人工知能の発達により仕事がなくなるという心配は、産業革命のときなどと同質だがより影響が深く広いかもしれない。インスタグラムがフェイスブックに10億ドルで買収されたとき同社に従業員は14人しかいなかったのに、同時期に14万5000人の従業員をかかえたKodak社が倒産した(どちらも写真をあつかうというだけで因果関係はないようだが)。

 それに備えてuniversal basic income(一定額の収入を全員にあたえる一種の社会保障)が本気で議論されて、スイスでは国民投票になった。産業革命時のThomas PaineやJohn Stewart Millの思想をもとにしているが、働く意欲をなくすのと逆進的だということで圧倒的多数で否決された。それでも、フィンランドやオランダで真剣に検討されている。

 人工知能じたいが映画のように人間に立ち向かうことは考えにくいにしても、人が悪用することは十分にあり、悪用された人工知能は核兵器より恐ろしいとも言われる。たとえばロシアは警察が顔認識システムFaceFinderをつかい、中国はソーシャルネットワーキングサイトを検閲して反乱分子をみつけている。さらに軍事利用までされたら大変だ。

 人工知能が取って代わりやすい仕事はルーチンで思考をあまり要しないもの(たとえばテレホンアポインターなど;実際に自動音声案内がすでに使われている)とされるが、Alpha Goで有名なディープラーニングによって他の仕事も危うくなってきた。医療は比較的守られていると思っていたが、たとえば放射線画像の読影システムEnliticなどが開発されている。内科でも、症例をたくさん覚えさせたら人間よりよい鑑別診断を挙げてくれるかもしれない。

 物理学者Stephen Hawkingも人工知能を公に心配しているらしいし、元英国王立協会会長のReeds卿も人工知能が安全で有益であることを保証するよう求める公開書簡を書いている。だからというわけでもないが、私も人工知能の爆発的な発達(intelligence explosionという)をどう受け止めるか考えている。

 人工知能を活用できればそれに越したことはないが、私は人工知能と対になる集合知能(collective intelligence)が重要だと思っている。この言葉じたいは経営用語として日本で生まれたそうだが、要は人々が知識と知恵を共有するということだ。それでこのサイトがあり、また知識や経験をすすんで吸収する姿勢をもってどんな人々からもいろいろ学習し続けたいと思っている(他のブログもよく読むし)。

 しかし人間は完璧じゃないから(このサイトだってそうだから免責している)、脳が集まりお互いに指摘しあって協力しあうことも大事だと信じている。Google社で研究するJulia RosovskyらがおこなったProject Aristotleは人と人が協働するときにプロダクティビティを最適化するにはどうしたらいいかを調べたものだが、それによればメンバーの能力にかかわらず、以下の三点があるグループがもっともプロダクティビティが高かった。すなわち①メンバーが均一に参加している、②お互いを配慮する力が高い、そして③女性が多い(!)という点だ。

 もう一つ人工知能にできないのが、心であり愛を注ぐことだと思っている。患者さんの痛みをとるのは痛み止めだけではない。共感することであり、理解しようとすることであり、そばにいることであり、眼差しであり、笑顔であり、手をかざすことであり、言葉をかけることである(本当にそれで痛みが消えることはある)。人倫として当たり前かもしれないが、医療従事者にとってこれからその重要性はいよいよ増すかもしれない。