10/27/2009

consent

 患者さんから手紙をもらった。ICUで診療にかかわった患者さんで、回復して感謝の気持ちを伝えに手紙を書いてくれたそうだ。私の名前や、You saved my lifeなどと書かれた手づくりの工芸品も一緒に送ってくれた。面はゆい気持ちになったが、ありがたく読ませてもらった。「お手紙ありがとう、私が特別なことをして助けたわけではないけど、回復したようでうれしいです」という返事を書こうと思う。

 ICUは殺伐したところだし、たいてい患者さんは鎮静下にあり喉に管が入ってとにかく苦しいはずである。会話もできない。でも、毎朝診察すると「今日は調子がいいよ」と身振りで示していた。人工呼吸器から離脱できるか瀬戸際だったが、本当に幸運なタイミングで喉の管を抜くことができた。もう一日遅かったら、気管切開になっていただろう。

 今日は以前に診た患者さんに電話してみた。彼らの症例を論文に書くためだ。もし承諾してくれなければ、ここ数週間書き続けていた原稿がパア(もっとも投稿しても通るとは限らないのだが)だった。前述の患者さんの手紙に勇気を得て「私は患者さんに親身に接していたはずだ」と受話器を取ると、患者さんも回復していたし、執筆にもOKしてくれた。
 

10/26/2009

case report

 医学論文を書こうとすると、すでに知られている事実については文尾に番号を振って参考文献を示さなければならない。Plagiarism(剽窃)扱いされたくないので「この病気には次のような症状があります」というような、すでによく知られた事実についても文献をつけている。書くときには、何が伝えたいのか、どのような構成で書くのかを考えてからにすると書き上げやすい。そしてその為には、周辺事実を把握するために多少関連文献をリサーチする必要がある。

10/20/2009

Language Line

 今日は外来診療、患者さんは英語が話せない人だった。付添いの人も通訳の人もいない。部屋にはLanguage Lineという受話器が二つ付いた電話がある。電話の向こうには通訳がいて、受話器の一方を私が持ち、他方を患者さんが持つ。私が電話越しに英語で質問すると、通訳が患者さんに訳して伝え、患者さんが通訳に返答したのを今度は私に英語で教えてくれるという仕組みだ。
 手間がかかるので同僚たちには忌み嫌われているこのシステムだが、診療の助けになった。時間に余裕もあったし、患者さんも初めての受診ではなかったので、今回の受診理由について主に問診したので済んだので焦りがなかったせいもある。最も困ったのは(喘息等に使う)吸入器の使い方を説明する時だったが、受話器を片手にどうにか口から大きく息をしてエアロゾル成分を肺に吸い込むことは伝わった。
 Language Lineは便利だが、診察が終わった後には使えない。患者さんがどうやって検査を受けに病院のある部署まで歩いていくのか、どうやって薬をもらいに処方箋を薬屋に持っていくのか、不安を抱いた。受付の秘書さんもLanguage Lineを使えるらしいから、地図などを見せて十分に説明してくれたことを祈る。そうしてみると、付添いの通訳さんがいてくれたほうがずっと助かるのだが。
 移民してくる患者さんは、こちらに来る前に十分な医療を受けられなかったせいもあり、既往歴として確立した診断名がない。だから、患者さんの症状から自分で診断しなければならない。でも、本来医師の診察はそうでなければならないし、他医で診断がついた患者さんでも自分で確かめるまでは疑ってかかるくらいでなければならない。

10/15/2009

扉を開ける

 論文作成は、考慮すべきことが多く一朝一夕には行かない。参考文献を集めたり、フォーマットを各論文の要求する規格に合わせたり。また、1500語の英文を書くのはこれが初めて(400語程度にまとめる作業がほとんどだった)でもある。しかし作業そのものは楽しい。医学的にも病態の理解が深まるし、社会勉強の意味でも学ぶことが多い。
 今日は患者さんの病理標本スライドを論文に挿入するため、病理検査部に行ってみた。実はうちの病院にも病理医のresidencyはあり、residentがこころよく(part of our jobと言っていた)スライドを出してきて、パソコンと接続した顕微鏡からきれいな写真を取り込んでくれた。さらに関連する資料もコピーしてくれた。励みになる。

10/14/2009

presubmission inquiries

 最近は自分の経験した興味深い症例が関係しそうな分野の医学雑誌をみつけ、editorの先生にpresubmission inquiryという題で「こんな症例があるんですが、投稿してもよい(appropriate)でしょうか」とメールを送る日々だ。そして、「いいよ(good to consider)」とか「teaching pointを明確にできれば通るかもね」とか返事が来たら原稿の作成にとりかかる。これらの作業でパソコンからの光線をたくさん浴びるのに閉口する。

 外の景色を時には眺められればよいのだが、コンピューター室には窓がない。目が疲れないパソコンを開発した人がいたらとても偉い。ぜひ開発して、しかも無償ですべてのパソコンに適用してほしい。Michael Moore監督の最新作"Capitalism: a love story"に出てきたが、ポリオワクチンを開発したSalk博士はワクチンに特許を取らず無償で提供した。インタビューで特許について聞かれると、「息子に特許は取らないでしょう」と冗談を言っていた。

 [2016年7月追加]Salk博士は「太陽に特許は取らないでしょう」と言ったそうだ、だから映画の字幕は誤訳だったことになる。

10/09/2009

new drugs

 リウマチ内科、腫瘍内科、HIVクリニックと続き、これらの分野はとくに新薬が次々と使われているのに驚く。抗HIV薬も、NRTI(nucleoside/nucleotide reverse transscriptase inhibitor)、NNRTI(non-nucleotide reverse transscriptase inhibitor)、PI(proteinase inhibitor)、それぞれに多種類の薬があり副作用のprofileなどに応じ使い分けることができる。耐性を獲得したウイルスにもsecond line、third lineの薬がある。Integrase inhibitorや、CXCR5 inhibitorなどがそうだ。
 HIV患者で妊娠しても、2nd trimester(妊娠中期)から抗ウイルス薬で治療すれば母-胎児の感染はまずおこらない。コントロールができればAIDSの状態にならずに十年単位で生活でき、むしろ心筋梗塞や悪性腫瘍など、ほかの患者と同じような病気に気をつけなければならない。そうなると禁煙指導、体重コントロール、cancer screening、うつ病のscreeningなどが重要だ。

10/07/2009

future practice

 外来診療をベースにしつつも、自分の患者さんが入院すれば自分で病院に行って診療する、退院すればその後もフォローするようなpracticeが将来的にしたい。そして、一年の数か月は入院診療に専念する時期があり(その間はパートナーに外来をカバーしてもらう)、そこで研修医の先生方と教育回診したりレクチャーしたりする。少なくとも私にとって"I am your doctor"と言えることは医師としての誇りと責任だし、患者さんも腰を据えて関係を築けるかかりつけ医がいたほうが頼もしいのではないか。

sobering

 生活をエンジョイするのもよいが、ふと「それでどうなるの?」と自問することがある。何かに発展していくこと、話が大きくなっていくこと、質が向上すること、なにかしらの展開を期待したい。ふと頭をよぎったのが「挑戦」の二文字。「挑戦して、失敗しても何かを得る、そんな人生」を歩みたい。飛び込み台に立っていると水が怖いけど、飛び込んでみたら爽快だったという様な経験をしてみたい。そう気づいて、今まで楽しんできたことの見方も変わった。料理するなら人を招きたいし、演奏するなら披露したい。
 これから始まるフェローシップ応募準備も、Program directorとの面談で聞いたsobering(酔いが醒めるような、厳しい、真面目な)話では困難も予想される。カフカの『掟の門』でも言うように、掟の門は自分が乗り越えるもので、開くのを待っていても何も起きない。すべきことで出来ることをする、そしてそこから始める(go from there)。面談直後は友人によれば私は悲しい顔をしていたそうだが、いまは健全なfighting spiritが湧いている。

10/06/2009

感情の機微

 感情の機微というのは外国人には分かりにくいものだ。先日恩師の先生が家族でうちに来た際に、アメリカの有名なコメディーThe Princess Bride、の名シーンを解説してくれた。先生とその家族は笑い転げていたが、私たちと訪れていた友人夫婦は、理解はしても別に笑えなかった。たとえば死んだ友人を生き返らせてくれと、主人公が奇跡を起こせる魔法使いのところに連れて行ったら、「彼は完全には死んでいない、almost deadだ」という。ここで爆笑が起こる。結局完全に死んでいないということで生き返らせるのだが。ちなみに、誰にもわかるようなドタバタ喜劇(Tom and Jerryのような)のことは英語でslapstickという。

 怒りでも気づいたことがある。先日、病棟のcase managerもフェローも大変な思いをして患者さんを退院させようとしたのににうまくいかなかったことがあった。どちらも明らかに不満げであった。フェローがそれを話題にしようとcase managerに話しかけると、彼は「その話は聞きたくない、もういい、私の手を離れた問題だ」とシャットダウンした。私からすると、そこまで失礼な態度には見えなかったのだが、フェローはあきれてものも言えないほど怒り心頭だったらしい。あとで「ありえない!なんて失礼な!!」と怒り狂っていた。相手をあからさまに拒絶するのは失礼ということか、自分も気をつけようと思った。

Karwa Chauth

 実は同僚の研修医がKarwa Chauthというインドの風習を実践していることがわかった。これは既婚女性が夫の健康と長寿を願ってその日一日絶食するというものだ。ヒンドゥー暦のある夜(今年は10月7日)、月が見えると同時に夫の見ている前で絶食を開始する。断食は次の日の夜に月が見えるまで続く。その夜は女性が最上の着物とアクセサリー、henna(肌に描く装飾画)をして、月が見えると夫の前で祈りを捧げ、夫から水と食べ物の最初の一口を受け取る。そのあとはお祭りの特別な食事が用意されているらしい。地域によって風習には若干差があるようだが。昨年は天気が曇りで月が見えないので、夫がしびれを切らして彼女をクルマに乗せて月の見えるところまで高速を走ったらしい。今年も天気はあまりよくなさそうで、どうなる事やら心配だ。

Whatever

 二年目になってとくに、スケジュールの変更を求められる機会が増えた。スケジュールの組み方がうまくないのもある様だが、二年目になってフェローシップ応募でローテーションの順序を変えたい人が多いのと、週末のカバー(病棟業務の人が休む代わりに働く)が増えて互いに融通を利かせてプライベートな予定をうまくかなえる必要がでてきたからだろう。今日もpageされて答えたら"I would like you to do me a favor"、ときた。
 変わってほしい人は如何に重要な用事や事情かを説明し、ほかにオプションがないと迫る。変わらないとこちらが悪いと思うほどだ。しかしフェローシップにしても、1年次に志望を決めておけば事前にスケジュールをそれに応じて組めたはずである。Whatever、理由が何であれ自分がしたくないと思えばNoという。"Be difficult"、"Think of yourself"、そうでなければカモになって各方面から要求が増えるし要求もエスカレートしてしまう。