2/10/2013

Meiryo

 日本語でパワーポイントを作るのが嫌(日本語で話すのは何の問題もない)なのは、英語のほうが少ないスペースで多くの情報を書けることもあったが、なによりMSゴシックが醜かったからだ。明朝もあるが、ひげ(serif)があってパワーポイントには向かない。欧文フォントのデフォルトがArialからCalibriに変わったのに、和文フォントはMSゴシックのままだ。
 しかし今日、新日本語フォントMeiryo(メイリオ、「明瞭」に由来)に出会い、使ってみて気に入った。少しだけ横長のくっきり・すっきりした字体で、横書きでの読みやすさを追求したという。和文は河野英一氏ら、欧文はVernadaの親Matthew Carter氏が作った。これから、日本語のパワーポイントも色々つくろうかなと励まされた。

2/07/2013

Service and education

 採血、患者さんを運ぶなどは分業されたので米国で研修医がすることはまずないが、オーダー、電話などこまごまとした仕事はたくさんある。アメリカに来て、仕事といえば電話ばっかりで「ここでは医師の仕事は電話することなのかな」と思ったほどだ。
 Serviceとeducationはしばしば臨床研修において対立項で論じられる。学費を払って勉強する学生と違い研修医は働いて勉強するから、ほっとくと労働力になる。それで教育者の役割はserviceを最小限にして教育の質を保つことと考えられてきた。
 しかしserviceとeducationは分離して考えられない。採血がうまくなればそれは技術だし、機内で急患にさっとIVラインを取れるだろう。退院サマリーを書くのも外来アポを取るのも大事なスキルで、教育価値がまったくないとはいえない。
 それで今週のNEJMに、卒後研修におけるserviceとeducationの関係を捉えなおそうという論文がでた(NEJM 2013 368 500)。もともとACGMEは医学知識だけでなくpatient care、practice-based learning、systems-based practiceなど「仕事がちゃんとできる」ための教育を重視してきた。
 この論旨もその流れに沿ったもので、serviceにも教育価値があるから「雑用(scut-work)」と粗末にするな、そしてserviceをもっとembraceする文化を創ろうという。まあ、医師に求められるserviceと仕事量は増える一方だから、それを教育の障害と考えては立ち行かないのは確かだ。

2/01/2013

Kool-Aid

  米国トレーニングは雑用が少なく効率的に学べるというのはある程度正しいが、それでもそれなりにフェローでなくても出来る(というか他がすべき)仕事が回ってくる。それをみて後輩フェローが「何でおれたちがやらなきゃならないの?」というので、「まあフェローなんて所詮そんなもんでしょ」と答えたら、"Don't give me that Kool-Aid"という。
 Kool-Aidとは人工着色料と人工甘味料で出来たジュースの素で、夏などに子供が水に溶かして飲む。すでに溶かしたものも売っている。しかしここで彼は「ジュースなど要らぬ」といっているわけではない。「そんなふうに洗脳しないでくれ」と言っているのだ。なぜか?
 詳しくは書かないが、1978年に起きたカルトPeoples Temple信者たちが「これを飲めば革命が完成する」だのと洗脳され毒入り飲料(Kool-Aidのようなジュースだったらしい)を飲まされた、身の毛もよだつ集団自殺にちなむ(多くは強制とも)。しかし現在では、アメリカ英語のイディオムとして定着しているようだ。