9/25/2013

You will write again

 日本にいても米国や英国の雑誌が届くよう手続きしておいたのが、やっと届き始めた。それで、習慣を続けることができて幸いだ。なかでも米国内科学会誌の感動エッセーOn Being a Doctorは生きていくうえでの勇気を与えてくれるから、こうして日本でも読むことが出来て嬉しいし、そのメッセージをこれからも共有していきたい。
 さてこないだは、The Evening Seminarというエッセーがあった(Ann Int Med 2013 159 432)。患者さんを招いて気分障害の治療について患者さんからの視点などを学ぶセミナーで、「一番きつかった不眠をどうやって解決したのですか?」と問われた患者さんが「先生がいつも"You will sleep again"と言ってくれたからです」と答えたというエピソード。そこで著者が感じた、「医師が患者さんにできること、それは薬やオーダーだけじゃない、希望を与えることだ」というメッセージに共感した。
 しかし私がこのエッセーから受けたメッセージは、他にもう一つある。それは「自分にも書きたいことがあったら書けばいい」ということ。というのもこのエッセーを書いたのは、ドレスデンにある大学病院精神科で働くドイツ人の先生だからだ。在米中にwritingの訓練も受けたし、私も日々の診療で感じたこと、メッセージを簡潔に書けるようになりたい。"You will sleep again"に倣って、私も"You will write again"と暗示をかけよう。

9/15/2013

We've got a lynx

 米国にいた頃、コロコロのついた台に載ったコンピュータを看護師さんが病棟で投薬などのために用いていた。ICUでは、医師たちが回診するのにこれを用いていた。コロコロがあると、初期研修医がプレゼンする間に後期研修医がコンピュータを操作してカルテ(体温表、データ、画像など)を参照できる。回診の議論で決めたことをオーダーすることも出来るし、カンファ室などでなく病棟の廊下にいるので看護師さんやリハスタッフなどとの話も進みやすい。患者さんに画像などをお見せすることも出来よう。
 それで、いまの職場で同じようなコロコロがもらえないかなあ、と病棟にお願いしてみた。すると、投薬などに適した装備のついたやつは看護師さん専用だからと、シンプルな処置台にノートパソコンを載せたやつを即座に私たちのために作ってくださった。それを使って、回診が効率的になった。以前の職場でコロコロはcow(牛)と呼ばれていたが、私たちのは脚がすらっと長くてキラキラして小回りの利くかわいいやつなので、牛というよりlynxだ。

9/09/2013

置かれた場所で咲きなさい

 新しい職場で仕事を始めて一週間が過ぎた。まず、米国腎臓内科フェローの仲間には卒業後に腎臓内科の仕事につけない人も多いことを考えれば、腎臓内科医として働けることが何より幸せだ。さらに、教える仕事にも付かせてもらえて、こんな有難い恵みはない。さらにさらに、教える人たちの成長が目ざましくて毎日楽しい。

 といっても、いきなり腎臓生理学を一から教えようとか、そういうことばかりではない。今の環境に求められること、患者さんの診療に役立つことも教えている。効率的な働き方とか、プロブレムの立て方とか、臨床推論とか、不確定要素があるなかでの臨床判断とか、カルテ・サマリーの書き方とか、ベッドサイドマナーとか。

 その吸収が、速い。よく「乾いた大地に水を注ぐ」とか言うが、乾いた大地に水を掛けても土が濡れるだけだ。それが、いまは豊饒な大地で種子のあるところに水を注いでいる感じ。私はいまの職場で「置かれた所で咲きなさい」という素晴らしい言葉を教わったが、置かれた場所で咲き咲かせ、仲間とともに成長したい。

9/05/2013

Clemens Von Pirquet

 溶連菌感染後の糸球体腎炎の機序についてComprehensive Clinical Nephrologyで学んでいたら、Clemens Von Pirquet先生のことを知り、彼の業績を讃えつつこの病態の最新理解をまとめたレビューを孫引きして読んだ(KI 2007 71 1094)。日本で主に信じられているGDAPH(メザンジウム細胞や基底膜について炎症を惹起する?ただし病変部分に見られないこともある)、欧州で信じられているzSpeB/SpeB(抗zSpeB/SpeB抗体を惹起する、ただし抗体だけあって発症しない例も多い)の話もさることながら、私にはClemens Von Pirquet先生のことが印象に残った。
 Clemens Von Pirquet先生はVienna近郊で生まれ、Innsbruck大学で神学、Leuven大学で哲学をまなんでからGraz大学で医師になった経歴の持ち主だ。医師になって3年目、29才だったClemensは、臨床医として溶連菌後の患者さんを診た経験だけを元に完全な推測で「これは抗体の仕業だ」と思いつき、思いつくだけでなく、それに余りにも確信があったので、この考えを当時の小児科学会に手紙で送った。それも、「この手紙は学会のセッションで、私がいる前に初めて空けてください」という封をして。これは、手紙を受け取った学会関係者が事前に読むと、その考えを盗まれてしまうと恐れたということだ。
 学会で一レジデントの新しい意見を発表すれば、年上の先生方に笑われるだろう恐れもあっただろうが、それを上回る確信があったのだろう。こういう「誰がどう思おうと関係ない!」といえるだけの確信が持てる、注意深い観察と推論能力をもちたい。実際に彼の考えは正しかったし、100年経ったKIの論文でも「ゲーテは『最初のボタンを掛け違えるとシャツが着れない』と言ったが(こういう引用が私は好きだ)、Clemensが正しく最初のボタンを掛けてくれたから今の病態理解がある」と締めていた。