2/20/2014

10ヵ月後には

 こないだ、ERで気管内挿管した。私は米国でのトレーニングで気管内挿管を一切しなかった(挿管は当直の麻酔科医がした)。にもかかわらず(ER看護師さんの介助のおかげで)挿管できたのは嬉しかったし、それなりにアドレナリンもでた。しかしこの行為は安全だっただろうか?分からない。私がやるべきだっただろうか?すぐ横のブースでは初期研修医が風邪のwalk-in患者さん達を診ていた。ならば、私の役目はそういう一次救急を「さばいて」、初期研修医に気管内挿管の機会を提供することではなかっただろうか。
 そもそも、いくら日本の初期研修病院で研修を終えたからまがりなりにも出来るとはいえ、私はER診療をするために日本に帰ってきたのだろうか。救急部の人員が充実している病院など日本にほとんどなく、どこも内科医が当直でER診療に当たっているのは知っている。その回数も内容も今いるところは恵まれているとも認識している(欲を言えばwalk-in、救急車対応、病棟対応、新入院を別の医師が担当したらいいのにと思うが)。しかし、どうして私が?安全なのか?資源は有効活用できているのか?という思いは残る。こないだの気管内挿管のあとで「私はいったい何をしているのだろう」という虚しさを覚えたのには、そういう背景があるのだろう。
 「米国でも日本でも働ける医師になること」とは「米国で学んだことを放っておいて日本でやり直す」ことなのか、「米国で学んだことしか使わないで済む環境を日本で探す」ことなのか。いまその間で正直疲れている。「米国にいる間やってこなかったが日本では必要なこと」を今からするのがしんどい。その逆に、日本にいない間に米国で必要なことを学ぶトレーニングは、この五年間めちゃくちゃ一生懸命やってきたのに。でも、いまはそれ(米国時代からのアカデミックな活動)もいまひとつ力が入らない。
 米国でレジデンシーをした一年目も結構大変だった。10ヶ月くらいして、やっと地に足が着いた。もっと言えば、日本で初期研修をした一年目はもっと大変だった。しかしあれも10ヶ月くらいして何とか働けるようになった。もう若くないし、院内政治とか大人の事情もあるけれど、まだ帰国して働きはじめて6ヶ月目だ。仲間も少しずつだが増えてきた。他院から「私と一緒に学びたい」と来てくれたGodsend(神様が遣わした助け)の先生もいる。1-3月は初期研修医教育を充実させて、4-6月は後期研修医教育を充実させるというおおまかな計画もこれらの仲間のおかげで進みつつある。だから、いまは大変でもきっとこれから事態がよくなることだろう。