8/21/2019

情けは人のためならず

 ジェネリックが登場してからオリジナルを売る製薬会社も大変だが、米国ではびっくりするような仕組みが誕生していた。情報源はもちろん、2019年8月17日付の英エコノミスト誌だ。タイトルの"Generous to a fault"とは「寛大すぎるにもほどがある」の意味だが、ここではfaultを文字通りの「過ち」と掛けている。

 「寛大」とあるのは、それがチャリティーを使った仕組みだからだ。

 米国は薬の自己負担額(co-payment、略してコーペイと呼ばれる)が保険によって決まっているが、だいたい10%くらいがコーペイとなる。だから、たとえばジェネリックでない薬Xが月150ドルするなら、コーペイは月15ドル。いっぽうXと同一成分のジェネリック薬Yの価格が月10ドルだったとすれば、10%なら月1ドル(だが、多くの保険ではジェネリックに自己負担が発生しない)。なので、患者さんとしては当然、月15ドル払うよりもジェネリックのほうがよいと考える。

 しかしここで、チャリティー財団がやってきて「お薬Xの金銭的負担に悩む患者様のために、私達が自己負担額を負担します」という。そうすれば患者によっては、「おなじタダならオリジナルのほうがいいか」とXを選択するかもしれない。

 こういった財団は、薬代が払えない患者に治療選択肢を提供してくれる、ありがたい存在である。ただ問題なのは、こうした財団を製薬会社が相次いで設立していることだ。現在、チャリティー財団トップ20のうち、じつに10が製薬会社によるものだ。 

 どうして製薬会社がチャリティー財団を設立するのかというと、患者にオリジナル薬を選択させる「投資」によって、売り上げという十分な「リターン」を得ることができるからだ。財団によっては、自社薬の自己負担のみを肩代わりするものも多い。
 
 2016年の統計では、こうした製薬会社立の財団が年間7400億ドル分の自己負担を肩代わりした。自己負担が10%だとすれば、製薬会社はその10倍、7兆4000億ドル分の売り上げを手にしたことになる。

 さらに、こうした「投資」は「チャリティー」であるから、課税控除が受けられるのだ!米国の法律はチャリティーに寛容なため、「恵まれない・病気の者の益になる」チャリティーではかけた金額の最大2倍まで課税控除できるという。

 この仕組みはさすがに問題化したため、現在日系を含むさまざまな製薬会社が米国証券取引委員会(Security and Exchange Commission)の調査を受けている。またカリフォルニア州は2017年、上記のように同じ薬効で安価なジェネリックがある場合に財団が自己負担の肩代わりできなくする法律を通した。しかし、こんなに頭のよい仕組みを考えるのだから、その対策も考えてあるに違いない。


 薬価と自己負担額をどう決めるか。国、製薬会社、患者にそれぞれの言い分があって、倫理レベルの問題だ。最近わが国でも「患者自己負担のない高額な薬」が増えているので、処方の各方面への影響に対しても、盲目ではいけない。その警鐘となる記事だった。






6年ぶりの再会

 6年前、カッコいいが悲しい文章に出会った。タイトルを"Indian Summer(小春日和)"という(Ann Int Med 2013 158 355、DOI:10.7326/0003-4819-158-5-201303050-00012)、例のOn Being a Doctorからだ。話は、Ohioで開業するprimary care physicianの著者が、医学部(大学院)進学コースの学部生達に講演を頼まれクルマで向かうところから始まる。

 「総合内科医とは?」「トレーニングはどんなものか?」「今の仕事はどんなものか?」という講演内容リクエストの準備をしながら、彼女には数週間前にあったadministratorsとの会談が頭を離れない。そこで医師たちは「外来の新患診察時間を一人あたり20分にしてください」と告げられたのだ。

 日本では驚くことでもないだろうが、米国では伝統的に新患なら60分、問診と診察をじっくりする。彼女達にとっては医療と教育の質に関わる提案だ。しかし経営努力のため避けられない。やめようかとも思ったが、他に行っても経営難なのは同じだ…。

 駐車場につくとラジオからAmericaの"A Horse With No Name"(1972年)が流れ、雨は去り、砂漠は海になり、乗っていた名前のない馬を手放す…、と歌う。何かを解き放つように目を閉じ、彼女はクルマの中でしばらく待った。そして講堂にいくと、希望と不安に満ちた医学部志望の学生達…どれも20才だった頃の自分だ。

 そんな彼らを前にいまの状況を伝えるなんて、著者にはできなかった。用意したメモをしまい、「お金じゃない、恵まれず貧しい人達を癒せ、患者さんに真の敬意を持って接しろ」と訴えた。症例を挙げて、研修医達の思考過程をいかに鍛えるか紹介した。「シャーロックホームズね」というと彼らは笑い、彼女も一緒に笑った。

 これが、彼女にできる最後のプロフェッショナリズムだった。講演後に病院で彼女の仕事を見学したいと希望する学生に、「もちろん、でも私のパートナーに付いてもらわなきゃ、私は辞めるから」という言葉が自然に出た。彼女には、愛するprofessionの尊厳と伝統を保つために残された道は、それしかなかったのだという。


 刹那的でちょっと極端な話ではある。20分といわれても、時間がかかるものはかかるのだから、「そうですか」と答えて自分のペースで診ればいい気もする。外来スケジュールが押すのはどの国でも一緒だ。真面目な人なのかもしれない…と思って、彼女のその後を案じていた。 


 すると、6年後に彼女がまた投稿した(Ann Intern Med 2019 171 295、DOI:10.7326/M18-2911)。


 投稿のタイトルは"A Burnout's Rehab(燃え尽きた者のリハビリ)"だ。燃え尽きたあと彼女は、地元のカレッジでライティングの授業をとったり、子供の送り迎えをしたりといった充電期間を数年過ごした。そして、医師免許を更新しますかという通知が州から届いたのを機に、医師に戻った。

 戻った先は、時間をかけて診察でき、経営的な突き上げの少ない、教会の地下で行う無料クリニックだった。そこで人の力になったり話を聞いたりして(要するに医師の仕事をして)エネルギーをもらい、いまでもそこで診療して絆を築いているようだ。


 とにかく、元気そうでよかった。まあ人生、生きてりゃ、どうにかなるものだから(写真は、1995年のMy Little Loverによる"hello, again ~昔からある場所~"より)。