2/27/2019

忘れられない一言 55

 初期研修を終えたあと、総合内科で「シニア」的なお仕事をしていた時に、科内で薬剤師さんからTDM(therapeutic drug monitoring、抗菌薬などの血中濃度をモニターし投与量を決めること)を講義してもらう機会があった。

 当時の筆者は今以上に生意気だったので、聴きながら(大学で薬理学の単位を落としかけたことも忘れて)「そんなことは知っている」と思いあがり、講義のあとで自分の知識をひけらかすような質問を沢山した。そうして場がなんとなく変な雰囲気になったあとで、ボスがこんな質問をした。

薬剤師さんが、どんなときにやりがいを感じておられるかに、関心があります

いま思い返しても、本質をつく言葉だなと思う。患者さんも「ひと」なら、医療職もまた「ひと」。ひとりひとりが、苦楽を共にする仲間。中島みゆきの『糸(1992年)』は「あなた」と「私」の二本だが、医療というのはもっとたくさんの糸が織り成す、もっと大きな布だから、きっともっと多くの誰かを暖め傷をかばうのだろう。




2/18/2019

外来予約の数学的な考察

 外来診療では患者さんを4週、6週、8週、12週など偶数週おきに診察することが多い。しかしこれらの数字は互いに素ではないので、たとえば12週に一度は4週おきに診るAさんと8週おきに診るBさんと12週おきに診るCさんの診察日がそろって、その日は飛びぬけて外来患者さんの数が多くなる。

 おなじことは自然界でも問題になりうる。7年ゼミ・13年ゼミのようにセミの周期に素数が多いのは幼虫が起きてくる年を互いにずらしているから(あるいはそのような周期のセミだけが自然選択で残った)という説があり、素数の本『素数姫の素数入門』(「素数に恋する女」製作委員会)にも紹介されている。

 ということで思いついたのが、素数週のフォローアップだ。5週、7週、11週のように完全に素数でなくても、「互いに素」な4週おきのDさんと9週おきのEさんは36週おきにしかかぶらない。こうした工夫によって、外来患者さんの週ごとの人数は平坦になるのではないか?

 そもそもフォローはどうしても偶数や4の倍数週おきでないといけないわけではない。むしろ「1カ月おき」「2カ月おき」と思って4週おき、8週おきにしても一ヶ月は28-31日なので、合わなくなってくる。それで1週ずらして奇数週にするというようなことは臨床現場でよくある。

 患者さんに「仕事の都合でどうしても6週おきがいい」などの希望がある場合は別だが、そうでなければ奇数週に抵抗はないと思われる。なお筆者はいまヘアカットを5週おきにしているが、とくに困ったことはない。

 むしろ課題は、ほんとうに素数・奇数週フォローのモデルが外来患者数の偏りを解決するかということだ。こちらは既にされた研究がないかを調べるなどしてもうすこし検証してみたい。三連休がふえて月曜外来の患者数が休みの前後週で倍近くになるなど、外来患者数の偏りはリアルに困った問題になりうる。役立つ解決モデルがあってほしい。



 

 
 

 

2/08/2019

忘れられない一言 54

 以前、患者としてかかった担当医師に「先生も大変ですよね」といったら、「私はいま泣きそうに感動しています、本当に」と言われたことがある。

 同じように、担当した患者さんのご家族から「ありがとうございました、先生もお身体にきをつけて」といわれて、うるっとした。

 たくさんある業務をかぎりなく効率的にして、最善を尽くしてさまざまな臨床判断をして、集中して手技して・・・と日々お仕事をしてやりがいも感じているが、あまりにも殺伐とすると心が乾いてくる。

 こういうお言葉はほんとうに、砂漠でみつけたオアシスのように貴重で、何物にも代えがたい。






 

2/07/2019

数秒間待つこと

 外来で患者さんを呼び込んでから(最近は番号だ)ドアが開くまでの数秒間、患者さんを待つことがある。そのあいだに電子カルテの検査値だの記載だのに気をとられると、ドアが開いても目が合わない。

 それでもすぐに「ああ〇〇さん、こんにちは」と笑顔で目を合わせて挨拶すればさほど失礼には当たらない。

 しかし、たとえばリハビリ中の患者さんがそれまでずっと杖を使っていて、たまたま待合スペースから診察室までの数メートルを杖なしで歩こうと決心してドアを開けているような場合もある。





 そしてそういう場合は、達成感とよころびでドアを開けた患者さんの笑顔を受け止めてあげたほうが親切で礼儀正しいと思う。患者さんはさんざん医師を待っているわけだから、医師のほうも数秒くらい患者さんを待たなきゃと、反省した。

 


 

2/01/2019

忘れられない一言 53

 5年間の米国生活、救急外来で診療する機会は数え切れないほどあったが、患者ないし患者家族として受診する機会はなかった。しかしもし患者として受診していたら、この一言にびっくりしていたかもしれない。

 「遺書はありますか?

 「遺書」といわれるとビックリするが、これはadvanced directiveのことだ。




 日本語通訳の方がこういったようで患者さんもびっくりしていたが、たしかに「事前指示」という訳語もあまり一般的ではなく、そもそも急変時や自分で意思決定ができなくなったときにどうするか(コード・ステータス)をあらかじめ決めている人はそう多くない。

 そんなわけだから、時間のない救急外来でコード・ステータスを確認しようとしてもけっこう困るのではないか。筆者はこういう問題を深くかんがえるタイプだからいろいろ苦労したが、最近は現実的にやれるようになって、わりと助かっている。

 その要点をいくつか書いてみると、コード・ステータスは

1)何かがなければならないが、

2)こうでなければならないというものはなく、

3)いつでも変えられる

 と言うことだ。

 まず1)については、「決められないならフルコード」になる。そういっておくと、とりあえずの結論がでる。

 2)についていえば、「DNARを取るべきだ」と医療者が考える場合はその理由を十分に説明するべきだが、「DNARでなければならない」ということはない。Agree to disagree、意見の相違があることを認めて、フルコードでどうなるかを知ってもらえば、それでよい。

 この時、AND(allow natural death)という言葉を使ってもいいかもしれない(こちらも参照)。

 そして3)についてだが、最初は1)の意味でのフルコード(あらかじめ「心肺蘇生しないでほしい」という明確な意思がなく、救命目的で救急外来にやって入院診療する以上は「がんばりたい」というような)で、その後DNARにかわってもよい。

 病勢が悪化する、急変がより差し迫る、心肺蘇生の意味が医学的になくなってくる・・・など入院してから状況は変わるし、ご本人とご家族がいろいろ考えたり話し合ったりして方針が変わることもある。