6/26/2015

Teachability

 英語でteachableというのは主に否定形で用いられ、「彼(彼女)はteachableではない」というふうに使われる。これは学習者が教え手のいうことを聴かなかったり学ぶ気がなかったりする文脈でよく耳にした。私個人はこの言葉をできるだけ使わないようにしている。というのは、私自身がteachableではなかったからだ。いまの私があるのは、初期研修時代にそんな私を見捨てずに根気良くタイミングよく指導医やシニアの先生方が教えてくれたからだ。

 「仕事の速さと正確さは今の時期に決まってしまうよ」と声を掛けてくれたり「病状説明ではまず患者さん(家族)の理解を確認してから箇条書きにアウトラインを示し、一区切りごとに質問を求めるように」と躾けてくれたり、忙しい救急外来のwalk-inを診ている最中にも「こういう明らかに血液検査などが必要そうな患者さんが来たら簡単に問診してまず検査をオーダーして、詳しいことは後で訊かないと回らないよ?」とか教えてくれた。

 これら一つ一つのパールが私の財産になっている。だから私もできるだけ諦めないようにしている。聖書にも「愛はすべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える」という言葉がある(1 Colinthian 13:7、というか不勉強な私が聖書で知っている言葉といえば数えるほどしかないそのひとつがこれだ)。今思うと、私を指導してくださった先生方から私は愛されていたのだなあと実感する。その事実に今更ながら愕然として、ただひたすら感謝した。今度は私の番だと思う。



6/22/2015

Oblivobesity

 Oblivobesityとは、oblivious(忘れている、無関心でいる←フランス語で「忘れる」を意味するoublierと同根)とobesityをあわせた造語で、2015年6月15日付けのNew York TimesにJan Hoffman氏が書いた健康コラムに載っていた。この記事は、子供の肥満について両親が見て見ぬふりをする(子供が皆太ってきたので目立たなくなったことや、肥満に対してどう対処してよいか分からないため否認することによる)ことについて書いたものだ。Yale大学のDr. David L. Katzがつくった言葉らしい。米国のファーストレディーMrs. Michelle Obamaが子供の肥満撲滅を目指してLet's Moveイニシアティブを始めるくらい子供の肥満は(かれらの将来を考えても)米国で非常に深刻だが、残念ながら親が「うちの子は太ってない」と居直ってしまう現象が起きているようだ。日本でも、文部科学省の調査(平成20年度学校保健統計調査)によればこの30年でこどもの肥満は2-3倍に増えており、9-17歳の10人に1人は肥満だというから他人事ではない。日本の医療はこれから高齢化の波が押し寄せるだけでなく、肥満の波にもさらされるということだ。日本も国を挙げての予防対策が(もうやっているのだろうが)必要だと思う。


6/20/2015

三つの誓願(aka 世界プール紀行)

 私は医学部5年生のときに三つの誓願を立てた。①日記を書くこと、②英語が出来るようになること、③水泳が出来るようになることだ。①については、臨床実習を前にして医者と言うのはどうやら「カルテ」という七面倒くさいものを患者さん全員について毎日書かねばならないらしいとわかり、自分の日記もかけない人が他人の日記を書けるだろうかと心配になって始めた。最初は自分のために書いていたが、だんだん友人などにも見せられるものになり、それがいま毎日300人近くが見て下さるこのブログにつながっている。

 ②については、5年生の夏にスイスのベルン大学病院(Inselspital)で臨床留学することが決まっていたが、私は中学高校時代に交換留学したこともなかったしこれが初めての海外生活になるので、英語ができないと話にならないと思ったからだ(スイスなのでフランス語選択の私がドイツ語も勉強したが…もう忘れてしまった;代わりに今は韓国語ができるからまあいいか)。それに当時から米国で医者をしたいと思っていたというのもある。それで大学から近くにあるSakura Toastmasters Club(いまもある)に通ったり、英語会をつくったり、英検の勉強をしたりした。それで翌年夏はNorthwestern大学に留学できたし、研修医のあいだも米国人医師の教育回診でプレゼンでき、そのあとなんだかんだあって5年間米国で医者をすることができた。

 ③については、スイスの留学先がなぜか形成外科で(要は行ければどこでもよかったのである)、体力がないと手術中に倒れると思ったからである。といっても汗と痛みと土と葉っぱが嫌いな私に(いまはそれほどでもないが)できる運動といえば水泳しかなく、うちの大学の水泳部は毎日早朝から「乳酸トレーニング」とかなんとか人間としての限界に挑戦するような練習を繰り返すスパルタなところだったので入ることもできず、その水泳部の部長がたまたま高校の後輩(私は一浪している)で友達だったので個人レッスンしてもらったのである。

 これが何につながったかと言われると、ちょっと一言では言えないのであるが、まあいろんな所で泳いだ。東京のプールはどこも混んでおり、クルマで渋滞した道路みたいになっている。あたかもNew YorkのCentral Parkにあるランニングコースのようだ。ソウルにあるオリンピックプールもやっぱり混んでいた。しかし韓国の学校にはプールがない。これは韓国が夏にもそれほど気温が上がらず水温が保てないためと言われているが、それもさることながら韓国で学校を作る時にまだ国が豊かでなかったのでプールまで作る余裕がなかったためと思われる。昨年の세월(セウォル、世越)号事故でももし学生達が泳げたらと思うと残念だ。

 プールがないといえば、おそらく同様の理由で沖縄の学校にもプールがない(ところが多かった…いまは違うかもしれない)。というか沖縄の人たちにとって海と言うのは浜辺でバーベキューするところであって泳ぐところではない。泳ぐのは観光客だ。しかし那覇にも県営の屋外50mプールというのはあって、これはなかなか…水温が高い。お風呂みたいだ。しかしプールには「低体温症に注意」と書かれている。なぜかというと4月から10月まで営業しているので、気温が低い時期には水温が低くて低体温症になる恐れがあるからだ。あとGulfというジムがあって、そこのプールで休職中よく泳いで精神衛生を保ったのも今となっては思い出だ。

 米国の屋外プールは、プールサイドが芝生だ(写真)。それでそこにバスタオルを敷いてみんな昼寝したり読書したりしている。屋内プールも行ったが、Northwestern大学の学生寮にあるプールは古い代わりにロココ調の装飾で、プールサイドのタイルもアーティスティックだった。しかし長さがフィートで表示されていたのでどれだけ泳いだのかよくわからなかった。装飾的なプールといえば思い出すのが、チェコのミラン・クンデラが書いた名著『存在の耐えられない軽さ』の映画化作品の最初にジュリエット・ビノシュがチェコの装飾的なプールを平泳ぎするシーンだ。

 ヨーロッパではプールには行かなかった(パリに住んでいた子供の頃は別にして)が、温泉には行ってophrologist(お風呂ロジスト)になった。ハンガリー、オーストリア、ドイツなどでクアハウスにいった。プールには行かなかったが、スイス留学時代には川や湖で泳いだ。ベルンにはAare川というのが流れていて、上流から流されるように泳ぎ、100mごとについた梯子につかまって上がってきてまた上流に向け歩く、というのを毎日実習が終るたびに繰り返していた。Titlis氷河の水がたまった標高の高い湖はめちゃめちゃ水が冷たかったし、レマン湖をローザンヌから船で渡った向こう側のフランス・エヴィアン(あのエヴィアンである)で泳いだレマン湖の水は澄んでいた。

 他にも水不足になりやすいので水深がめちゃくちゃ低い福岡のプールとか、照明がくらい札幌のプール(というか一般に札幌の街は街灯がまばらでオレンジ色で夜が暗い…犯罪が起こらないか心配だ)とか、医師国家試験の合格を受けて頭を冷やしに泳いだ飯塚のプールとか、実家の近くに何十年も変わらずあるプールとか、いろいろ思い出深いものがある。しかしまあ、なんだかんだいって泳ぐという誓願が腎臓内科という水を扱う科を選んだ遠因になっているのだとしたら、ちょっとおそろしい。まあそれは流石にあとづけだろう…。



6/16/2015

見つけてしまうの(aka independent assessment)

 うちの外来には「結果説明」という枠がある。最初は意味が分からなかった。どういうことかというと、別の日に別のドクターが患者さんを診て検査計画を立てるが、その結果を同じドクターが説明できないので代わりのドクターにお願いするということだ。たとえば血液検査をして結果がすぐ出ず、後日説明しようにも患者さんが次の週の同じ曜日に来られないとか、上部(下部)内視鏡を別の日に予約したが、再診の日を待たず検査当日に患者さんが結果を聞きたいというような場合だ。

 個人的には自分が診た患者さんで自分が検査計画を立てたのなら自分がフォローするのがよいと思うが、患者さんにもお医者さんにも色々と都合があるので仕方がない。因みに私はこれを嫌がっているのではない。たしかに消化管内視鏡の所見など私にはさっぱりわからない(私は天地がひっくり返っても消化器内科医にはなれないと思うし、だから消化器内科医が出来る人を尊敬している)から、結果説明と言っても消化器内科の先生が書いたレポートを電子カルテから開いて患者さんの前で読み上げる以上のことはできない。

 しかし、私にもできることというのはあって、それは前医が知りも想像もしなかったことをどういうわけか見つけて診断してしまうことである。「後医は名医」という言葉もあるから、後から診る医者は前に見た医者よりも正確で深い見立てができなければならない。だから「検査説明お願いします」といわれて「はいそうですか」といって検査説明しかしないということは、私には到底出来ない。かならずindependent assessmentを行うことにしている。そして怪しいと思う十分な根拠があったら、無駄に「様子を見る(=何もしない)」のではなく、必要な行動をおこすようにしている。



Dr. Atul Gawande

 昨日のバンドルについてのお話は、尊敬する母校の教授から「いいですね」とのお言葉をいただき、大変ありがたいことだ。それで、どうしていまの職場ではバンドルやチェックリストの考え方が発達しているのか気になり聞いてみると、Dr. Atul Gawandeの著作に影響を受けたQI(quality improvement)-mindedな先生方がイニシアチブを取って来たことがわかった。確かにバンドルを作れば漏らしがないし、ケアの質も担保される。ではDr. Atul Gawandeとはどんな人物なのか?興味を持って調べてみた。

 Dr. Atul Gawandeは1965年にニューヨークでインド系アメリカンの医師夫妻の間に生まれ、オハイオ州で育ち、スタンフォード大学に入学した。在学中に1年間Rhodes Scholarshipでオクスフォード大学に留学して政治、哲学と経済を学んだ。帰国後にハーバードの医学部に入学。学業と同時に政治活動も行っており、学生時代にはGary Hart、Al Goreのキャンペーンに参加し、Al Goreのキャンペーン中にはhealth care researcherでもあった。

 医学部時代に1年休学して、Bill Clintonのキャンペーン中にhealth care lieutenant、大統領就任時にはsenior advisor in the department of health and human service、政権中はClinton health care task forceの委員会のひとつのディレクターになった。その後復学して医学の学位を取り、そのあとハーバード大学の公衆衛生でMPHを取っている。

 学業と政治活動だけでなく、レジデンシー時代に雑誌編集者の友達にオンラインマガジンの連載を頼まれて外科レジデントからみた医療のエッセーを書いた。それがThe New Yorker誌の編集者の目に留まり、スタッフライターとしていくつかのエッセーを書いた。そのひとつがテキサス州の二つの街(二つの病院)を比較して、一方が他方に比べて医療費がいかに非効率的に使われ質が低いかを説いたものだった。

 これがWashington Post誌のEzra Kleinに"the best article you'll see this year on American health care—why it's so expensive, why it's so poor, [and] what can be done."と絶賛され、Barack Obamaの医療政策に対する考えに非常に大きな影響を及ぼし、また米国最大の投資家Warren BuffetのパートナーであるCharlie Mungerが2万ドルをDr. Gawandeに寄付した(彼はこれを全額Brigham and Women's Hospitalの外科と公衆衛生に寄付した)。

 その後も彼は著作を重ねて、2002年にThe Best American Science Writing、2003年にThe Best American Essays、2009年にThe Best American Science Writing、2011年にBest American Science and Nature Writingを受賞している。New England Journal of Medicineなど医学雑誌へも投稿している(surgical checklistの導入に関するスタディはNEJM 2009 360 491、批判も受けているようだが)し、WHOのGlobal Patient Safety Challengeのディレクターでもある。そんななかBrigham and Women'sで臨床もしており、専門は内分泌外科だ。

 チェックリストについての著作としては2009年に書いた"The Checklist Manifesto: How to Get Things Right"が有名で、2011年に邦訳されている(邦題は『アナタはなぜチェックリストを使わないのか?【ミスを最大限に減らしベストの決断力を持つ!】』晋遊舎)。で、これを読んだうちの職場の先生方が感化されて、うちの病院にバンドル・チェックリスト文化が定着してきたというわけ。うち以外にもそういうことをやっている病院はきっとたくさんあるのだろうが、私にとっては新鮮で、広めるのに少しでも貢献できればと思う。





6/15/2015

憂い

 電車の人身事故といえば婉曲的だが、要は人の命が一瞬にして失われたということだ。病院で患者さんの病状をよくしようと臨床上の問題一つ一つに取り組んできた帰り道にこういうことに出くわすと、思わず「むごい!」という悲痛な声がでてしまう。都民は0.5票分の投票権しかないだけじゃなくて、溢れかえったホームすれすれを走る特急だの快速だのによって命までもがこんなにも簡単に奪われてしまうのだろうか。なんでホームにガードをつけないんだろう。そんなにお金が惜しいのか?いったいあと何人死ねば変わるんだろう。


6/05/2015

HeForShe

 日本腎臓内科学会の総会にきたが、同学会は2006年から男女共同参画委員会活動を始めているそうで、今年も同委員会の企画プログラム『腎臓学会の男女共同参画の未来~子育て支援からキャリア支援へ~』があった。まずUN Womenが財界、政界、学界から10人ずつ女性の支援に貢献する男性を選ぶHeForShe IMPACT 10x10x10 initiativeのなかで日本人で唯一名古屋大学の学長(腎臓内科の先生)が選出されていたことを知った。

 知らなかった人も多かったようで(私も知らなかった)、会場にいた人たちはみんな拍手した。名古屋大学は早くから女性が働ける環境づくりに着手してきたらしく、大学運営の学内保育園や常時型学童保育、子育てタクシー、夕方5時以降の会議禁止などをいち早く実現してきたそうだ。すごいなあと思った。

 そのあと日本女医会長の先生が講演されて、自助・互助・共助・公助の側面からどう働く女医をサポートするかについてお話された。保育サポーター制度というのがあるのをはじめて知った。ただし、それでもまだ女性がキャリアを形成していくのが難しいのには、女性自身の意識、家族の限界、カバーする職場の限界(日本の医療現場はとにかくただでさえ忙しいのだ…)などがあるということだった。だから「一事で万人に適するものはない、各自にふさわしいものを探せ(Johann Wolfgang von Goethe)」、ケースバイケースにやるしかない。

 最後に学長が締めのスピーチをされ、①男女共同参画は社会全体の問題で社会のほうが医学界より意識が高い(経団連はこれから労働人口が減るので日本もスウェーデン並みにしないともたないといっている)、②多様性をみとめない男性社会はだめだ、③男性も女性も幸せになれないといけない、とのことだった。たしかにいまの職場もスタッフは全員男性だが、それを意識することがなかった(大学でフェローしていたころは女性スタッフも多く活躍していたが)。

 女性がスタッフとして残って活躍してくれるような環境づくりというのも、これからの時代はちゃんと意識する必要があるなと思った。それだけでも学会に来た甲斐があった。



6/03/2015

忘れられない一言 32

 指導医になったからには、プロなのだから、できるはずのことはできて当たり前である。だから、難しい局面でも何とか打開して結果を出さなければならない。というわけで、研修医の先生がうまく行かなかった大腿静脈CVカテーテルの挿入を代わった。1時間くらい試行してうまく行かなかったが、場所に問題があったようなので他の場所に変えた。でもそっちは、血管の走行がずっと深く径も細かった。正直はいる気がせず「無理でしょ…」と思ったが、諦めるわけには行かない。それでなんとか気合で成功させて、面目を保った。

 手技を終えたあとに、ビックリすることがおきた。なんと同じ病室の(担当ではない)患者さんたちから「先生」と声を掛けられ、「おめでとう」と拍手されたのだ。「おめでとう」と言われたのはいつ以来だろう。フェローシップの卒業以来かな。入院中でおつらいだろうに自分のことをそっちのけで担当でもない私にそんなあたたかい言葉を掛けてくださるなんて、本当にありがたいと思った。それから、こういうドラマがあるからやっぱり自分は臨床医を続けていくのかなあとも思った。




6/01/2015

AND

 心肺蘇生行為を行わないことをDNR(do not resuscitate)とまだ日本では呼んでいる。というか、日本ではDNRがwithdrawal of care(治療をやめる)とかde-escalation of care(アグレッシブな治療をやる)とかcomfort care(治すことを目標にすることから患者さんの痛み・苦しみをとることを目標に変えて、そのためにアグレッシブに介入すること;内科的治療をやめたあとただ打ち捨てられたようになっているのを目にすることがあるが、そうではない)とかとごちゃまぜに使われている印象を受ける。

 さてDNRというといかにもCPRで高率に蘇生できるような印象を与えるため、「いやCPRってのはそんなもんじゃないんだよ」というニュアンスを加えたDNAR(do not attempt resuscitation)という言葉が生まれ、現在米国ではこちらが主流だ。

 しかしこないだの米国内科学会日本支部の総会でミズーリ大学のDr. David A. Flemingがend of lifeについての興味深い講演をしたあとUABのDr. Robert M. Centorが「私達はDNARではなくAND(allow natural death)という言葉を患者家族に使っている」と発言した。たしかにDNARにもまだ「蘇生という素晴らしい医療行為で救えるかもしれない命をみすみす落とす」というニュアンスが残る。ANDがいい。