英語でteachableというのは主に否定形で用いられ、「彼(彼女)はteachableではない」というふうに使われる。これは学習者が教え手のいうことを聴かなかったり学ぶ気がなかったりする文脈でよく耳にした。私個人はこの言葉をできるだけ使わないようにしている。というのは、私自身がteachableではなかったからだ。いまの私があるのは、初期研修時代にそんな私を見捨てずに根気良くタイミングよく指導医やシニアの先生方が教えてくれたからだ。
「仕事の速さと正確さは今の時期に決まってしまうよ」と声を掛けてくれたり「病状説明ではまず患者さん(家族)の理解を確認してから箇条書きにアウトラインを示し、一区切りごとに質問を求めるように」と躾けてくれたり、忙しい救急外来のwalk-inを診ている最中にも「こういう明らかに血液検査などが必要そうな患者さんが来たら簡単に問診してまず検査をオーダーして、詳しいことは後で訊かないと回らないよ?」とか教えてくれた。
これら一つ一つのパールが私の財産になっている。だから私もできるだけ諦めないようにしている。聖書にも「愛はすべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える」という言葉がある(1 Colinthian 13:7、というか不勉強な私が聖書で知っている言葉といえば数えるほどしかないそのひとつがこれだ)。今思うと、私を指導してくださった先生方から私は愛されていたのだなあと実感する。その事実に今更ながら愕然として、ただひたすら感謝した。今度は私の番だと思う。