しかし、私が望んだのは日本の教育病院で臨床と研修医・フェローの臨床教育に専心することだった。せっかく自分が米国で学んできたことを活かしたかったし、少しでもアカデミックなところに居ないと縮み始めると思ったからだ。
ただ、その道を選べばすでに米国のメンタリティを刷り込まれて米国の診療形態に慣れきった自分が周囲と劇しく摩擦することは分かっていた。そして、やっぱりこの2年間で私はアメリカ帰りが経験し得るほとんどすべての壁にまっすぐ突っ込むようにぶち当たり続けた。
それでも私は後悔はしていない。ぶち当たり続けても、ときに倒れることがあっても、いま私はこうして立っているし、歩き続けている。困難は自分に宿る信念を気づかせ、それを強くしてくれた。自分がこの先歩むべき道や、そのためにかなえるべき目標も明確になった。
それでも私は後悔はしていない。ぶち当たり続けても、ときに倒れることがあっても、いま私はこうして立っているし、歩き続けている。困難は自分に宿る信念を気づかせ、それを強くしてくれた。自分がこの先歩むべき道や、そのためにかなえるべき目標も明確になった。
臨床医としても、他人の痛みを少しは察することができるようになるなど成長したと思う。教育をあきらめなかったことで、トレーニング期間が終った後も自己実現のために知識や経験をたくさん積むことができた。