12/25/2013

1月6日から再開(aka メリークリスマス)

 以前から考えていた、研修医の先生達対象の『徹夜しない(美しい)パワーポイント作り』というレクチャをした。パワーポイントについてのパワーポイントを作るのは新鮮だったが、タイトル通り美しく(徹夜せずに)作った。本番は、とくにTABキーの紹介が受けた。
 もっとも、このレクチャは研修医の先生達が「やってください」とリクエストしてくれたから実現したわけで、私は寧ろ彼らに感謝している。次回は論文検索の仕方についてリクエストがあったので、それをやる予定だ。カルテやサマリーを書くコツも、文章では準備してある。
 さて、発表後に「ここまできたら音楽もつけてビデオにしよう」と思い立ち、Movie Makerを開いて作業したらこんなのが出来上がった。このブログにファイルサイズ制限があるのでHDにできなかったが、全画面表示にしてもなんとか観られる画質と思う。
 クリスマスの日に、この一年に受けた恵みに感謝しながらこのビデオを捧げて、2013年の投稿を締めくくろうと思う。来年も、周囲のニーズを把握しながら、自分らしさを活かし、日々ベストを尽くして様々な新しい試みをしていきたい。では、Merry Christmas!





12/22/2013

机を片付ける

 指導医をさせてもらうようになってまだ日は浅いが、その経験から有効と確信に至った(と敢えて強く言いたい)指導方法の一つが、学習者の机を片付けることだ。こんなことは指導医講習会にいっても教えてくれなかったし、いまの教育理論はいずれも学習者主体だ。「母親みたい」と思う人もいるだろう。
 しかし、時にはブルドーザーのように古い慣習を変えることが必要な状況があると、私は思う。たまった書類のうちで不要なものを捨て、必要なものを然るべきところにファイリングすることは、頭の中を整理することにつながる。読む本を目に付く前に、読まない本を後ろに置けば、学習の助けになる。
 とかいう自分の机はどうか?私は坪田一男先生が書いた本『理系人間のための人生戦略』(2000年)を読んでから、机の前に彼の言うポジティブな『セカンドシグナル』を置いている。たとえば、家族の写真、賞牌、初期研修の同期全員がメッセージを絵付けしてくれた陶皿、それから誰がいったか知らないがこの引用句。

 Watch your thoughts; they become words.
 Watch your words; they become actions.
 Watch your actions; they become habits.
 Watch your habits; they become character.
 Watch your character; it becomes your destiny.

12/19/2013

忘れられない一言 7

 中島みゆきは『銀の龍の背に乗って』(2003年)で「柔らかな皮膚しかない理由(わけ)は人が人の痛みを聴くためだ」と歌った。私にとって忘れられない一言は、「人の痛みには3年でも耐えられる」だ。医学部一年生のときに医療現場にいきなり曝露させる(そこで主に介助を担当する)プログラムがあって、そこで看護師さんが仰っていた気がする。

 あれから何年にもなるが、ERで主訴が痛みなのに血液検査結果を待つ患者さんに鎮痛薬が処方されなかったり、病棟で朝に痛みを訴えた患者さんに「お薬をだしておきましょうね」と言ったきりオーダーしなかったり、痛みが(もちろん不本意だろうが結果的に)放置されていることをよく目にするので、この言葉を今でも思い出し続け、教え続けている。

11/22/2013

脳が増えた

 指導医として大事なことの一つは、人の意見をひきだすことだと思う。私も、フェロー時代は指導医に「2つの脳は1つの脳より優れているのだから、私と違う意見でもお前は自分の意見を言うべきだ。私が間違っているかもしれないだろう?というか、お前が何か違うことを考えてる時は、黙っていても丸分かりだぞ」とよく言われた。
 そんな時に「自分はこれだけassertiveになる訓練をつんだつもりが、まだまだ文化的背景にしばられているのか!」と思った。『朱に交われば赤くなる』というが、朱にはなれない。それでも白地を背にすれば真っ赤なように、日本に帰ると私はめちゃくちゃ喋る人だ。『青は藍より出でて藍より青し』という言葉を目指して、自分らしいassertivenessを追求したい。
 とまあ脱線したが、今月は「先生はどう思いますか?」「分からないことは質問してください」と繰り返したのみならず、自分は黙ってフェローの先生に回診させてみたり、色々なアプローチをトライしたおかげか、意見や質問がよく聴かれるようになった。おかげで、診療に用いられる脳が増えた。
 たとえば、「どうしてHIV/AIDSではリンパ球数を気にするのに、ステロイドによるリンパ球減少は気にしないのだろう(この症例、低いけど)?」と研修医の先生が質問する。それで、答えるべく「ステロイド、リンパ球減少」でGoogle ScholarしたらCMV感染の症例報告がたくさん出てきて、肝酵素異常とかもある本例でも抗原陽性だった。さらに、CMV DNA-PCRしか計ったことのない私に、フェローの先生が検査の読み方を教えてくれる。
 1錠のブロチゾラムを飲んでから起きない高齢腎不全症例をみて研修医の先生が「ブロチゾラムの高齢腎不全における半減期はどれくらいですか(添付文書に載っていません)?」と質問する。「長い」で終わらせようかとも思ったが、指導医たるものそれではいかんとGoogleして、文献を見つけた(Br J Clin Pharmac 1983 16 299S、Br J Clin Pharmac 1983 16 309S)。

11/20/2013

コンサルタント

 Malcom Gladwellが書いた"Outliers"(2008年)に、大韓航空801便の墜落事故とコロンビアのAvianca52便の墜落事故の話が出てくる。心理学者によるブラックボックスの分析などで、どちらの事故も「(とくに目上の人に)はっきり意見を主張できない文化的背景」が原因と考えられた。
 前者では「視界が不良なので目を頼らずレーダーを見てください、危険が迫っています」と言えない技術者が「機長、レーダーがよく働いてくれています」とほのめかす発言をし、後者でも管制塔に「私達にはあと一回着陸を試みる分の燃料しかありません」といえない副機長が「あのー、燃料が切れかけているようです」と遠まわしに言った。
 もちろん飛行機事故というのは小さなトラブルが6-7個重ならないと起こらないようになっているので、これが原因の全てというわけではない。しかし、実際に大韓航空がデルタ航空からDavid Greenergを改革に招いて共通語を英語にし、機内でもどこの管制塔にも忌憚なく意見が言えるようにスタッフを再教育してから事故はなくなった。
 私は米国腎臓内科でコンサルタントだった。コンサルタントは主科のやってきたことを見直して改善点をアドバイスするのが仕事だから、主科の気持ち的な部分にも配慮してうまいことcommunicateする術を学べた。日本でそれを苦手に感じる人達が多いのも無理はないが、文化に配慮しながらそういう人達をサポートしてあげたい。ひいてはそれが患者さんのためだから。

11/18/2013

広域チーム医療

 施設に住む物言えぬ高齢者が誤嚥後にERに運ばれてきて、施設の人が帰ってしまっていたらどうする?幸い吸引して酸素化は改善したし、肺炎所見もない。そのままお帰しするか?私なら、施設に電話する。そして最近の様子を聴いて誤嚥の原因を探す。そして原因が見つかったら、それを防げないか考えて嘱託医に手紙を書く。
 しかしそれは、嘱託医を責めるためでも、施設を責めるためでもない。患者さんのケアを向上させるために何か貢献したい、それだけだ。刻み食をトロミ食にしては?鎮静剤の量が調節できるなら考慮してはどうか?など具体的だが押し付けないスタンス。ケアに関わらせていただいて有難うございます、というスタンス。
 というのも、たとえば鎮静剤が効きすぎていたとして、そこには鎮静剤を使わなければならなかった理由があるはずだ。鎮静剤を使わなければならないほど認知症が進行していたのかもしれない。開始時は他害や転倒のリスクが迫っていたのかもしれない。手紙は、その辺の事情にも配慮して書かねばならない。
 それから、次に誤嚥して今度は肺炎になったら、どうするのか?胃ろうの議論は?治療のゴール、advanced care planは?これをERで決めろと言われても困るが、かといって嘱託医の先生も話すタイミングをなかなか見つけにくいものだろうと察する。だから「(難しいでしょうが)そろそろご家族とお話する時期かもしれません」と、そっと背中を押す。
 私は、忙しいERで前シフトから「CTで肺炎所見がなくCRPが陰性だから帰宅です」と引き継いでも、こうしてちゃんと電話して手紙を書ける医師でありたい。それが、私なりのprofessionalismでありsystem-based practiceだ。私は何も米国でマニュアルだの語呂合わせだのだけを学んできたわけではない、こういうことも大事だと学んできた。

10/30/2013

忘れられない一言 6

 ローマの賢人皇帝マルクス・アウレリウスは自省録で「汝、海に屹立する崖になれかし、波は絶えず打ち砕けようとも、崖は静かに聳(そび)え立ち、まわりの逆巻く波も穏やかに静まりぬ」と書いた。これは近代医学教育の父ウィリアム・オスラー卿の講演集『平静の心』の最初に書いてあるから、医療界には知っている人も多いだろう。

 この引用句を久々に読んで、「どれだけの人が亡くなる前に平静でいられるだろうか」と考えた。そして、亡くなる直前に、はっきりした意識で、BiPAP®(陽圧換気で呼吸を助ける器械)の突風を受けながら診療チームの私に力強く"Thank you"と言った方を思い出した。それも、何度も。

 その平静さと思いやりに、私は患者さんがまるで家族のように感じられた。手をとり絶句したが、正直涙をこらえるので精一杯、あの場で平静さを保つのはとても難しかった。医療は煩雑で、時間がかかり、苦痛を伴い、治せないものは治せないし、治せるものも良かれと思った治療が裏目に出るし、どんなに気をつけても見逃し間違える。

 しかしこの世に医療がある限り、いつの時代も医療者はその時の倫理観と知識・技術・経験のベストを尽くして患者さんを良くしようとしていると私は信じたい。そして、『もはや動かしがたい事態に対して潔く従われんことを』(プラトン『ソクラテスの弁明』より、またD・カーネギー『道は開ける』でも紹介されている)、だ。


10/29/2013

忘れられない一言 5

 あれは米国でインターン(一年目レジデント)をしていたときのこと。私は最初のICU勤務、毎朝早起きして患者さんの各システムについて刻々変わる状況を把握しようと必死だった。それでも結局担当の看護師さんのほうがよく知っていたから、プレゼンしてもしばしば「ううん、今はもう違うよ」と正された。それにまだ経験が少なかったから、プレゼンして意見を訊かれても「あー」と立ち尽くすこともあった。自分は役に立っていないと思った。
 ICU勤務が終わって数ヶ月して、メールボックスに手紙が入っていた。小さいのに分厚い封筒で、患者さんからだった。たしかこの方は、人工呼吸器管理だったが、気管切開になろうかという直前に抜管に成功した。彼女の回診では指導医から「肺胞がどうの」「換気がどうの」と呼吸生理学の質問を矢のように受けたのを覚えている。
 しかし彼女の管が抜けた翌日に彼女は一般病棟に移ったので、おそらく会話はしていない。それなのにどうして私に手紙を?と、封を切ると手紙と小さな贈り物が入っていた。手紙は所謂サンクスカード。私はこの文面を生涯忘れることはないだろう。それを以下に要約して紹介したい。

 お久しぶりです、私が伝えたいのは最大の感謝です。入院を繰り返し、人工呼吸器がついて動けないし話せない私はmessでした。でもあなたは親切で思いやりある態度で朝起きる私を迎えてくれました。私はあなたの手をとって目を合わせ、「私の命を救ってくれて有難う」と感謝の気持ちを精一杯伝えていたんですよ!

 私は、主があなたをほかの人たちと共に私の元に届け、私を健康に導き、そしてもう一度地上の人生にゴーサインを出してくれたと信じています。二ヶ月かかってしまいましたが、手作りの小さな贈り物を作りました。何もお返しできませんが、私はあなたを尊敬し感謝しつづけるでしょう。You're the Best。

 ところで、これについて書くには少しの年月が必要だった。というのも私はこの手紙を受け取って、「私にこれを受け取る資格があるのか?」と複雑だったからだ。私には神の手もないし、ほかの人より献身的なわけでもない。上にも書いたが、診療方針は私の診察所見より正確な看護師さんの情報に基づき、私の診療方針よりすぐれた指導医の意見で決められた。
 でも歳月を経て、少なくとも患者さんが診療チームメンバーの中で私を選んでYou're the Bestと言ったのには何か理由があると考えられるようになった。そして今は、たとえ言葉が通じなくても、話ができなくても、ずっといられなくても、毎日の朝回診で、ほんとうに数分だけでも、患者さんの病態を一生懸命探ろう、良くなって欲しいという真心は伝わるのだと信じている。

10/24/2013

忘れられない一言 4

 「よき腎臓内科医はよき総合内科医」というモットーは割と業界で共有されている。腎臓内科は疾患の性質上全身を診なければ勤まらないし、腎臓内科医がかかりつけ医になっている透析や移植の例もある。私も"We are general internists who happen to be nephrologists"という移植・腎臓内科に精通した若恩師の言葉を胸に日々診療している。

 しかしこれには異論もあって、たとえばCKDクリニックなどで「私達は血糖管理やら疼痛管理やらまで手を出すべきではない」という現実的な見方をする先生もいた。私は帰国して出会った「CKDの集学的治療」という言葉が美しくたいそう気に入っているが、一人に40分掛ける米国大学病院の専門内科外来でさえそんなことしていたら外来は回らない。

 そんなある日、今は亡きボスと一緒にCKD患者さんを診察した。私は(今もだが今よりもっと)かけだしで、血糖が少し上がった患者さんに「血糖は内分泌の先生と一緒にコントロールしてくださいね」みたいなことを言った。ボスは思案しながら私のプレゼンを黙って聴き、そのあと二人で診察室に向かった(米国は日本と違い診察室に患者さんが待っている)。

 ボスは患者さんに「病状は私から聞いた」と言い、共感の視線を向けて「大変だよね、"Why me God?(神様、どうして私がこんな目にあうのですか)"と思うよね」と静かに言った。表層の数字から、若いのにインスリン注射しなければならない(確かうつ病で治療も受けていた)この症例の本質を見通すボス。思わず涙する患者さん。肩に手をやるボス。





 2年も前のことだが、いまだに鮮やかに覚えている。こんなボスに出会えたことを心から感謝せずにいられない。うちの大学の各種臨床医養成過程を総称したMaster Clinician Programのウェブサイト表紙に彼が患者さんと写った写真が載っているのも納得だ。そして私も、このよき臨床家へのJediship(ジェダイ道)を研鑽し後世に伝えたい。

10/21/2013

忘れられない一言 3

 医学生数人を連れて患者さんの病歴聴取の練習をしに病棟に行ったときのこと。ボランティアしてくれる患者さんのところへ学生さんを連れて行き、問診を始めてもらう。彼らの問診は素人らしくてフレッシュな面もあるが、ともすると機械的になってしまうので、病室に顔を出して口を挟むのが私の役目だった。臨床家として何にでも興味をもつことの重要性を伝えるこのような機会は私にとって有難かったし、いまでも問診はこだわりを持って教えている。

 私がこうして「なぜ?」「どうして?」と考えながら問診ができるようになった最初のきっかけは、初期研修医時代。米国から教えに来た先生に、症例プレゼンする人が「これは面白い症例ではありません」と日本的に謙遜したら、その先生が「面白くない症例なんてない」と言ってからある逸話を紹介した。それが、あのOn Being a Doctorの名投稿"Curiosity"(Ann Int Med 1999 130 70)だったと知ったのは何年もたってからのこと。

 さて、そんなことを考えながら学生さんと患者さんのところへ行く。するとちょうど学生さんが患者さんに喫煙歴を聞いているところで、患者さんが「タバコはX年前にやめた」と具体的な年数を口にした。こういうときには、やめることを決心させた出来事があったと考えられる。心筋梗塞を契機に禁煙した、という人が最も多い(喫煙が一次予防ではなく二次予防・三次予防になってしまうのが悲しくもあるが、それが現実だ)。

 いずれにせよ学生さんが「X年前ということはY pack-yearか」と計算できたことに満足して先に進もうとするので、私が「どうして禁煙されたのですか?病気をなさったのですか?」と聴いた。すると患者さんは「9/11のあとでやめました」と言った。自分にも何かできることはないかと考え、一種のpledge(誓願)として禁煙したそうだ。歴史上の出来事というのは、いろんな人々がいろんな受け止め方をするものと実感した。

10/17/2013

忘れられない一言 2

 Cardiorenal syndromeで利尿剤を様々に使って体重、浮腫、asterixis、クレアチニンなどをフォローしていた時のこと。治療に反応しなければ透析だから、毎日しっかり患者さんに様子を聞いた。それがご本人は"doing fine"、"whatever"というばかり。たしかにクレアチニンが5.5mg/dlだろうが5.7mg/dlだろうが違いを感じるわけじゃない。

 毎日変わらず体重、尿量、食欲など感じにくいものを聴かれても困るかと思い、ある日「趣味は?」と聴いてみた。すると、絵を描くことだという。やっと定年になってYellowstone、Montana、Redwoodなど若い頃に行った美しい景色を再び見て、その絵を描きたいと思っていた。「透析になったら旅行もできなくなるかな…」と彼は淋しげに言った。

 透析になっても旅行はできますとはお伝えしたが、煮えきれない思いが残った。それにしても彼が若い頃にした旅行の話がとても美しかった。Redwoodでキャンプしたときの火、Montanaでの大きくてフレッシュなクマの足跡(大変だ)…。それが余りにも鮮やかで、管とモニターと食べかけの食事トレイと数独が置かれた殺風景な病室とのコントラストに目がチカチカした。

 その後、どういうわけか(本当に分からないが)利尿剤が効いて心機能と腎機能が回復して、この方は透析を必要とせずに退院することができた。彼が旅行に行ったどうかは、知らない。あとこの方、退院時に「これでhamburger、pizza、fried chickenが食べられる」と真顔で言うので慌てたが、それは別の話。

10/14/2013

忘れられない一言 1

 今でも忘れられない一言は、"It's easy to die, it's coming back that's painful. Dying is a lot easier than coming back."というもの。ある患者さんが、心肺蘇生後のことを何ヶ月もしてから振り返ってこう語った。
 あの時、なんと返していいかわからなかった。素直に「その通り(蘇生後のほうが大変)なんだろうな」と思った。それで「なるほど…でも(痛くても)蘇生してくれてよかった」と言ったかな。
 患者さんとは帰国の間際に病院のロビーですれ違ったような。Good luckと応援してくれ、"Are you coming back?"と聴かれて分からないというと、彼は「二つの道はまたどこかで交差するかもしれない」と言った(なお、これらのストーリーは詳細を少し変えてある)。

10/12/2013

ある問い

 「あなたにとって最も印象深かった患者さんは誰ですか?」と聴かれたら何と答えるだろうか。すぐに心に浮かぶ人がいるだろうか(個人情報だから別に言わなくてもいいが)。教師に印象深い生徒がおり、結婚式を挙げる聖職者に印象深いカップルが(たぶん)いるように、医師に印象深い患者さんがいてもおかしくないだろう。

 この質問が聴いているのは「最も印象深かった患者さん」であり「最も印象深かった症例」ではない。医学的に「印象深い症例」は山のようにあり、学会でも雑誌でもたくさん紹介されている。そうではなくて、この質問はお互いに人として関わったような、何か影響を与え合ったような、そんな患者さんはいますか?と聴いているのだ。

 この問いは私には重いが、それに答える助けとして、今まで書きたいと思っていた臨床医としての思いを書き始めたい。β介在細胞と体液貯留に関する新たな展開(JCI doi:10.1172/JCI63492)や、L-WNK1と家族性高K性高血圧の関係(PNAS 2013 110 14366)についての話を待っている方もいるかもしれないが、そっちは少し待ってほしい。

 というのも、私はイオンチャネルにしか興味ない訳じゃないから。いままでも経験をあちらこちらに書いてきた。うまい文章かはさておき、書き続けることが上達への早道と信じて、私なりにやってみよう。「学問と芸術とは肺臓と心臓のように助け合う」というゲーテの言葉もある。

9/25/2013

You will write again

 日本にいても米国や英国の雑誌が届くよう手続きしておいたのが、やっと届き始めた。それで、習慣を続けることができて幸いだ。なかでも米国内科学会誌の感動エッセーOn Being a Doctorは生きていくうえでの勇気を与えてくれるから、こうして日本でも読むことが出来て嬉しいし、そのメッセージをこれからも共有していきたい。
 さてこないだは、The Evening Seminarというエッセーがあった(Ann Int Med 2013 159 432)。患者さんを招いて気分障害の治療について患者さんからの視点などを学ぶセミナーで、「一番きつかった不眠をどうやって解決したのですか?」と問われた患者さんが「先生がいつも"You will sleep again"と言ってくれたからです」と答えたというエピソード。そこで著者が感じた、「医師が患者さんにできること、それは薬やオーダーだけじゃない、希望を与えることだ」というメッセージに共感した。
 しかし私がこのエッセーから受けたメッセージは、他にもう一つある。それは「自分にも書きたいことがあったら書けばいい」ということ。というのもこのエッセーを書いたのは、ドレスデンにある大学病院精神科で働くドイツ人の先生だからだ。在米中にwritingの訓練も受けたし、私も日々の診療で感じたこと、メッセージを簡潔に書けるようになりたい。"You will sleep again"に倣って、私も"You will write again"と暗示をかけよう。

9/15/2013

We've got a lynx

 米国にいた頃、コロコロのついた台に載ったコンピュータを看護師さんが病棟で投薬などのために用いていた。ICUでは、医師たちが回診するのにこれを用いていた。コロコロがあると、初期研修医がプレゼンする間に後期研修医がコンピュータを操作してカルテ(体温表、データ、画像など)を参照できる。回診の議論で決めたことをオーダーすることも出来るし、カンファ室などでなく病棟の廊下にいるので看護師さんやリハスタッフなどとの話も進みやすい。患者さんに画像などをお見せすることも出来よう。
 それで、いまの職場で同じようなコロコロがもらえないかなあ、と病棟にお願いしてみた。すると、投薬などに適した装備のついたやつは看護師さん専用だからと、シンプルな処置台にノートパソコンを載せたやつを即座に私たちのために作ってくださった。それを使って、回診が効率的になった。以前の職場でコロコロはcow(牛)と呼ばれていたが、私たちのは脚がすらっと長くてキラキラして小回りの利くかわいいやつなので、牛というよりlynxだ。

9/09/2013

置かれた場所で咲きなさい

 新しい職場で仕事を始めて一週間が過ぎた。まず、米国腎臓内科フェローの仲間には卒業後に腎臓内科の仕事につけない人も多いことを考えれば、腎臓内科医として働けることが何より幸せだ。さらに、教える仕事にも付かせてもらえて、こんな有難い恵みはない。さらにさらに、教える人たちの成長が目ざましくて毎日楽しい。

 といっても、いきなり腎臓生理学を一から教えようとか、そういうことばかりではない。今の環境に求められること、患者さんの診療に役立つことも教えている。効率的な働き方とか、プロブレムの立て方とか、臨床推論とか、不確定要素があるなかでの臨床判断とか、カルテ・サマリーの書き方とか、ベッドサイドマナーとか。

 その吸収が、速い。よく「乾いた大地に水を注ぐ」とか言うが、乾いた大地に水を掛けても土が濡れるだけだ。それが、いまは豊饒な大地で種子のあるところに水を注いでいる感じ。私はいまの職場で「置かれた所で咲きなさい」という素晴らしい言葉を教わったが、置かれた場所で咲き咲かせ、仲間とともに成長したい。

9/05/2013

Clemens Von Pirquet

 溶連菌感染後の糸球体腎炎の機序についてComprehensive Clinical Nephrologyで学んでいたら、Clemens Von Pirquet先生のことを知り、彼の業績を讃えつつこの病態の最新理解をまとめたレビューを孫引きして読んだ(KI 2007 71 1094)。日本で主に信じられているGDAPH(メザンジウム細胞や基底膜について炎症を惹起する?ただし病変部分に見られないこともある)、欧州で信じられているzSpeB/SpeB(抗zSpeB/SpeB抗体を惹起する、ただし抗体だけあって発症しない例も多い)の話もさることながら、私にはClemens Von Pirquet先生のことが印象に残った。
 Clemens Von Pirquet先生はVienna近郊で生まれ、Innsbruck大学で神学、Leuven大学で哲学をまなんでからGraz大学で医師になった経歴の持ち主だ。医師になって3年目、29才だったClemensは、臨床医として溶連菌後の患者さんを診た経験だけを元に完全な推測で「これは抗体の仕業だ」と思いつき、思いつくだけでなく、それに余りにも確信があったので、この考えを当時の小児科学会に手紙で送った。それも、「この手紙は学会のセッションで、私がいる前に初めて空けてください」という封をして。これは、手紙を受け取った学会関係者が事前に読むと、その考えを盗まれてしまうと恐れたということだ。
 学会で一レジデントの新しい意見を発表すれば、年上の先生方に笑われるだろう恐れもあっただろうが、それを上回る確信があったのだろう。こういう「誰がどう思おうと関係ない!」といえるだけの確信が持てる、注意深い観察と推論能力をもちたい。実際に彼の考えは正しかったし、100年経ったKIの論文でも「ゲーテは『最初のボタンを掛け違えるとシャツが着れない』と言ったが(こういう引用が私は好きだ)、Clemensが正しく最初のボタンを掛けてくれたから今の病態理解がある」と締めていた。

8/15/2013

Lindy Hop

 Lindy Hopとは1920年代のハーレムが発祥の、ジャズに載せた踊りだ。見たら分かるがかなり激しくアクロバティックで、こんなダンスが生まれ大流行したとは、Fitzgeraldが1920年代の米国をJazz Ageと名づけたのもうなずける。このあともCharleston、Boogie-Woogie、Jive、Jitterbug、Rock'n'Rollなど様々なダンスが産まれて現在に至る。
 さて、米国内科学会誌で私が楽しみにしているコーナーOn Being a Doctorに、Leslie Cohen先生が書いたエッセー"Jitterbug"(Ann Int Med 2013 158 919)が載った。これは彼女がフォローしていた患者さんとの話だ。糖尿病と高血圧でフォローしていたが、病院に来ても待合室で元気なく座って、笑わず、話もゆっくりだ。うつ病や内因性の疾患をスクリーニングしたが陰性。
 ある日彼女は、"What was the best job you ever had?"と聴いてみた。すると彼女は、若い頃にTimes Squareでダンサーをしていたこと、Pat Allenという芸名で、特別な衣装を着て人気を集めたこと、そして亡き夫であるダンスパートナーに出会ったことなどを話した。これらの思い出を話しながら、彼女がキラキラし始めた。
 3ヵ月後の外来、彼女は待合室の患者さんを芸名で呼びかけると、それまで目を閉じて退屈そうに座っていたAllenさんは目をパチクリさせ、ニコッとした。そして、診察室でAllenさんのお気に入り、Glenn MillerのIn The Moodを踊った。それまで動きの遅かった患者さんは、機敏な動きで彼女をリードした。一分くらいして終わり、おじぎをして、それからお互い座り血液検査の結果、食事、薬について話し合った。
 この話がimpact factor 16.7の米国内科学会誌で、original articlesやらsystematic reviewやらに混ざって載っているのはなぜだろうか。それは、この学会が医師として患者さんといかに関わるか、医師としてやっていくとはどういうことなのかを教えてくれる生の声をvalueしているだからだと思う。On Being a Doctorと他の記事、どちらがよりインパクトがあるか一概には言えない。

7/24/2013

8月15日から再開

 このブログも6年目に入った。いったん休憩して8月15日から再開するが、再開後も意欲的に書き続けるつもりである。どうして書き続けるのか?それは、学ぶ楽しみを共有せずにおれないからである。そして、「一番好きなことをベストを尽くしてやれば後のことはなんとかなる」という恩師の教えを信じているからでもある。

6/26/2013

Music therapist

 うちの病院にはmusic therapistがいる。それで、彼らがICUでも病棟でも、ギターや音楽プレーヤーなどをカートに載せてやって来るのをよく目にする。しかし先日、院内報に音楽療法のことが取り上げられ、彼らmusical therapist達はただのperformerではないと知った。Music therapistは自分達のために演奏して患者さんや家族に楽しんでもらうのではない。

 逆に、患者さんや家族が人生に意味を見出したり、逆境に取り組んだり、苦しみを乗り越えたり、心や魂を癒したりという目的があって、彼らのリクエストする音楽を提供するのだ。彼らが歌うこともある。Palliative careの一環として音楽療法の効用はさまざまなスタディで示されているというが、音楽が心を勇気づけ魂を癒すことは自明と思う。

5/16/2013

Appreciation breakfast

 Clinician Mentor Programも無事終了し、appreciation breakfastなるものに参加してきた。教えることを申し出たmentor達に感謝の気持ちをこめて朝食を用意してくれるわけだが、いわゆる「打ち上げ」ではなく、プログラムを改善するためにmentor達の意見を聴くのが主な目的だ。
 朝7時から8時半までとされていたが、その日朝から仕事のある人もない人も、自分の都合に合わせてやって来て、言いたいことを言って、自分の都合に合わせて去っていった。プログラムの責任者とコーディネイターだけがずっと居た。
 このプログラムは達成しようとすることがとても多い。表向きは問診、診察、口頭プレゼン、カルテ書きなどの作法を学ぶことにあるが、実際には医学知識、症候診断学、臨床的な推論、診療の計画立案などを幅広くカバーしているからだ。
 それでmentorごとに指導のフォーカスにばらつきがあって、鑑別診断について重点的に教えた人もあれば、診察技能に重点を置いて教えた人もあれば、プレゼンに重点を置いた人もある。いろんなやり方を聴くことができて為になった。
 プログラム責任者はこのプログラムの医学教育全体のなかでの位置づけ、役割を念頭に話を聴いているようだった。これは医学部二年次のコースなので、ここで全部をカバーできないとしても三・四年次に他のコースでいくらでも補いさらに発展させることができる。
 いずれにしても、科を問わず約30人もの医師が忙しいスケジュールにも関わらず自主的にmentorを申し出て、こうして朝早くてもappreciation breakfastにやって来てどうしたらもっと医学教育をよくできるか情熱を持って話すのを見て、ポジティブな気持ちになった。

5/13/2013

True poetry of life

 William Carlos Williamsは、general practitionerをしながら詩を書いた(処方箋に詩を書いたらしい)。The Red Wheelbarrowという詩(俳句みたいな澄んだ美しさがある)が有名だが、散文や脚本も書いていることは知らなかった。
 これは特別な人がする特別なことだろうか?きっとそんなことはない。Family medicineのRichard Colganは"Advice to the Young Physician: On the Art of Medicine"(2009年)で、患者さんや職場でのmemorable storiesを若いうちから日誌につけておくことを薦めている。
 それにSir William Oslerは"The Student Life"(1907年、邦題『学究生活』)でtrue poetry of lifeを認識する重要性を説いてもいる。忙しいけれど、臨床のひとコマを簡潔でも良いからどこかに書き留めて後から読み直すと、仕事のやりがいを確認できそうだ。

4/11/2013

6-word short stories

 いまいる大学はcreative writingのメッカで、数多くのwriting workshopやconferenceに世界中からwriter達がやってくる。街自体がユネスコから世界に数箇所しかない文学都市の指定を受けてもいる。今回初めて、医療者向けの6時間セッションに参加することが出来た。

 参加したのは全米から集まったいろんな世代の医師、医学部でwritingを教える人、その他の医療関係者などが14人。まず短い散文の書き方を学び、代表的な作品を読んで吟味し、実際に30分で試作を書き、スクリーンに映して自分で読み上げ、全員で品評する。そんな風にものを書くのは初めてだったが、やってみたら意外と出来た。

 医師で作家になる人は多いし、scienceとhumanityが結婚している医学領域にいれば論文以外のものを書きたくなるのは自然と思う。米国内科学会誌のOn Being A DoctorやJAMAのA Piece of My Mindのような500-1000語程度の作品が手軽に書ければ、忙しい日常で心がきらめく一瞬を結晶にして、その輝きを残すことが出来よう。

 いや、500語といわずもっと短くてもいいのかもしれない。なんと、英米文学には6-word short storyというジャンルがあるそうだ。最も有名な作品はこれ。

 For sale: baby shoes, never worn.
 
 これはEarnest Hemingwayが「おれは10語以内でストーリーが書ける、賭けるか?」といって作ったとされる(ただしこれは伝説らしい)、読み手にいろんなことを考えさせる作品だ。どうして一度も履かれることがなかったのか?赤ちゃんに一体何が?どうしてそれを売るのか?どうしてそれを広告に出すのか?

 これは暗示的すぎるが、動的でも良い、描写的でもよい、散文的でもよい、警句的でもよい。6語の制約により却って自由度が増すのは、俳句や短歌に似ているかもしれない。セッションでは「2分で作ろう」というので、私も何個か作ってみた。そのうちの一つは、こちら。

 Life goes on, dry or wet.


3/04/2013

Medicare 102

 巨大化するMedicare財政を抑えるのに、日本のように点数で診療行為の報酬が標準化された。これをRVU(relative value unit)といい、1985年のCOBRA(Consolidated Omnibus Budget Reconciliation Act)法で始まった。それまで米国の医療報酬はUCR(usual, customary and reasonable)で、同じ手術をするにも外科医AとBで違う報酬が与えられた。

 ところでこのRVU、外科医中心のAMA(American Medical Association)がつくった外科手技一覧のリストに内科系の診療行為を加えてできた。それでか"paid to do, not to think"、手を動かしたほうが儲かる。米国で内科・小児科・家庭医療などの人気が下がった一番の理由はサラリーだが、その元凶はここにある。




 1997年にはBalanced Budget Actという、医療費の成長を経済成長にリンクする法律が通った。経済状況を勘案してMedicareが医療費の伸び(SGR、Sustained Growth Rate)を調節するが、医師会の反対を受けた議会が毎年交渉してそれを無効あるいは緩和している(しかし2013年は支出の多い診療行為についてRVUが削られると聞く)。

 MedicareはIOM(Institution of Medicine)がquality improvementのために発表していた医原性の合併症にも注目し、「これが入院中に起こったら医療費は払いません」という項目(尿路感染症、褥瘡など)を決めた。現在8項目あるが、将来的には200項目に増えるらしい。合併症が起こらないようにする努力と、「これは入院時からありました」と欠かさずチェックして記入する努力、両方が必要になる…。

 さらにJCAHO(Joint Commission on Accreditation of Healthcare Organizations、ジェイコ)のquality measuresにも注目し、その病院で「全心不全患者の90%(だったか95%だったか)がACEI/ARBを内服」というのが満たされるとその分医療報酬がおりる仕組みもできた。これはadded value purchacingといって、満たさないとお金がおりないからやはり医療費抑制になる。前の病院で、ホスピタリストは多数あるcore measureのリストを持ち歩いていた。

 「偉大な社会」政策から約半世紀、アメリカ医療を考察する材料が得られた。日本から来ると米国医療者が国民皆保険に反対するのが奇妙だが、少し事情がわかった。誰も「貧乏人は死ね」と思っているわけではない(たぶん)。要はMedicareが出来てから米国医療はルールと規制にがんじがらめで、それが彼らの不満なのだ。聴衆はレクチャのあいだ何度も不満気に"Jesus"を連呼していた。

Medicare 101

 1963年、JFK暗殺後に大統領を引き継いだLBJ(Lyndon B. Johnson)。彼のリーダーシップと民主党支配の議会によって「偉大な社会(Great Society)」構想が具現化した。そのなかで、貧困との戦い、公教育の充実、公民権の拡大などの各政策と並び1965年に施行されたのがMedicareだ。

 65歳以上のアメリカ人の半数に医療保険がなかった当時、これにより高齢者が安心して医療を受けられる「偉大な社会」が到来するかと思われた。しかし、5年もするとお金がなくなった。どうやりくりするか、ここから40年以上にわたり苦闘が続く。こないだレクチャで、Medicareがいかに医療を動かしてきたかをおさらいした。

 Medicareは拡大した。1972年に40歳以上で疾患のある人、透析を受けている人などが含まれた。1997年にはPart C(私的保険との混合)、2006年にはPart D(薬の保険)ができた。どんどん拡大して、高齢化と疾病構造の変化もあり、1970年には70億ドルのMedicareは2015年には8000億ドルに達する見通しだ。

 支出を抑えるため、DRGができた。これは1981年にYale大学で考案され、New Jersey州の病院で試したら見事に病院が倒産したので、これはよいと1983年に全国でいっせいに始まった。DRG下で生き残るために、医療界に二つの新しい職種が生まれた。一つはcoder、もうひとつはhospitalistだ。

 カルテにDRGコードに適合した重症度と診断名をつけないと、日々医療費が失われる。それで、どの病院でも毎日全てのカルテをチェックする専門の職種Coderが必要になった。もはや一介の医者ではこのコードを全て把握するのは無理なのだ…(私もレジデント時代、よくcoderから診断名を直されたものだ)。

 DRGは診断ごとに医療費が決まり(少しは重症度と日数も加味されるが)、入院日数を短縮してベッドの回転率を上げないと病院がつぶれる。朝に入院患者を回診して午後は外来という既存の診療モデルでは、その日の午後に退院できる患者さんが翌日まで待たねばならない。それで、24時間病棟にいるhospitalist(シフト勤務なのでずっと同じ医師ではないが)が現れた。

 実際、ホスピタリストに任せたほうが入院日数は短縮される(JGIM 1998 13 774)。ずっと病棟にいるのだから、ケアも手厚い(はず)。2010年現在、アメリカで3万人のホスピタリストが働いている。しかし、これで話は終わらない。医療費を削減する様々な試みと、医療者側の対応は後半に続く。

3/02/2013

病歴聴取、カルテ、プレゼン

 いま教えている学生さん達とのセッションも三回が過ぎ(全六回)、みんな型どおりに病歴を取りカルテを書きプレゼンできるようにはなった。臨床実習前でここまでできるのだから大したものだ。これからの三回は、その質をできるだけ高めるよう力を尽くしたい。とはいっても時間に限りがあるので、病歴聴取、カルテ、プレゼンそれぞれから最も重要と思う課題を一つずつ選ぶことにした。

 病歴聴取の課題は、現病歴をしっかり聴くこと。現病歴までで患者さんに何が起きているかだいたい分かるのが理想だ。効果的と思う二つのアドバイスは、①発症前から来院までの様子を抜けなく把握する、②「なぜ患者さんはこんなことになっているの?」と考えそれを解くために質問を続ける、だ。これらを強調するために、医療面接のあいだ学生の横についてこの二点に基づいた補助的な質問をした。

 カルテ(H and P)の課題は、アセスメント。アセスメントとは明確な問いかけに答えようと試みる過程であるべきだ。問いかけとは、「何が起きているのか?」「どうして起きたのか?」「いま何ができるか?」などだ。私は、プレゼンやレクチャ、学会発表などではこれらの質問を明示することすらある(カルテには書かないが)。ただ考えているのではない、ただ知っていることを書くのでもない、アセスメントには目的があるのだ。

 プレゼンの課題は、読まないこと。カルテ(あるいは自分で作ってきたカンペ)を読む学生に「読まないで、私達に話しかけて」というと、プレゼンが劇的に変化した。話すことで相手に伝えることを意識するので、トーンがゆっくりになり、アイコンタクトがうまれ、情報も取捨選択され、言葉も平易になる。立て板に水で情報を詰め込めばよいのではない、カルテとプレゼンでは求められるスキルが違うのだと学生達に自然に理解させることができた。

2/10/2013

Meiryo

 日本語でパワーポイントを作るのが嫌(日本語で話すのは何の問題もない)なのは、英語のほうが少ないスペースで多くの情報を書けることもあったが、なによりMSゴシックが醜かったからだ。明朝もあるが、ひげ(serif)があってパワーポイントには向かない。欧文フォントのデフォルトがArialからCalibriに変わったのに、和文フォントはMSゴシックのままだ。
 しかし今日、新日本語フォントMeiryo(メイリオ、「明瞭」に由来)に出会い、使ってみて気に入った。少しだけ横長のくっきり・すっきりした字体で、横書きでの読みやすさを追求したという。和文は河野英一氏ら、欧文はVernadaの親Matthew Carter氏が作った。これから、日本語のパワーポイントも色々つくろうかなと励まされた。

2/07/2013

Service and education

 採血、患者さんを運ぶなどは分業されたので米国で研修医がすることはまずないが、オーダー、電話などこまごまとした仕事はたくさんある。アメリカに来て、仕事といえば電話ばっかりで「ここでは医師の仕事は電話することなのかな」と思ったほどだ。
 Serviceとeducationはしばしば臨床研修において対立項で論じられる。学費を払って勉強する学生と違い研修医は働いて勉強するから、ほっとくと労働力になる。それで教育者の役割はserviceを最小限にして教育の質を保つことと考えられてきた。
 しかしserviceとeducationは分離して考えられない。採血がうまくなればそれは技術だし、機内で急患にさっとIVラインを取れるだろう。退院サマリーを書くのも外来アポを取るのも大事なスキルで、教育価値がまったくないとはいえない。
 それで今週のNEJMに、卒後研修におけるserviceとeducationの関係を捉えなおそうという論文がでた(NEJM 2013 368 500)。もともとACGMEは医学知識だけでなくpatient care、practice-based learning、systems-based practiceなど「仕事がちゃんとできる」ための教育を重視してきた。
 この論旨もその流れに沿ったもので、serviceにも教育価値があるから「雑用(scut-work)」と粗末にするな、そしてserviceをもっとembraceする文化を創ろうという。まあ、医師に求められるserviceと仕事量は増える一方だから、それを教育の障害と考えては立ち行かないのは確かだ。

2/01/2013

Kool-Aid

  米国トレーニングは雑用が少なく効率的に学べるというのはある程度正しいが、それでもそれなりにフェローでなくても出来る(というか他がすべき)仕事が回ってくる。それをみて後輩フェローが「何でおれたちがやらなきゃならないの?」というので、「まあフェローなんて所詮そんなもんでしょ」と答えたら、"Don't give me that Kool-Aid"という。
 Kool-Aidとは人工着色料と人工甘味料で出来たジュースの素で、夏などに子供が水に溶かして飲む。すでに溶かしたものも売っている。しかしここで彼は「ジュースなど要らぬ」といっているわけではない。「そんなふうに洗脳しないでくれ」と言っているのだ。なぜか?
 詳しくは書かないが、1978年に起きたカルトPeoples Temple信者たちが「これを飲めば革命が完成する」だのと洗脳され毒入り飲料(Kool-Aidのようなジュースだったらしい)を飲まされた、身の毛もよだつ集団自殺にちなむ(多くは強制とも)。しかし現在では、アメリカ英語のイディオムとして定着しているようだ。

1/26/2013

I think I did a good job

 ついに始まったClinician Mentor Program、医学部二年生四人と私一人でセッションするというのは初めての経験で新鮮だった。まず彼らのパフォーマンスについて彼ら自身の印象を聞くと誰もが"I think I did a good job"と言うのにビックリした。そして人のパフォーマンスについて聞くと誰もが"I think he (or she) did a good job"という。
 そう、ここはアメリカ。別に彼らとて「俺ら完璧(指導など要らん)」と言っているわけではないのだ。だからここは「ぜんぜんgood jobじゃないよ?」などと言ってはダメである。「よくがんばったね、AとBが良かった、CとDはこういうふうにするともっと明確になると思うよ」とアドバイスすればよいのだ。
 最初は戸惑ったが、考えてみると「いやーやっぱダメですね…どうせ僕なんて…」などといわれるよりも、"I think I did a good job"と言ってくれたほうが「うんうんその調子、もっとよくして行こうね!」と前向きにアドバイスしやすいし、相手も「アドバイスありがとう、じゃあそうしてみる!」と取り組んで実際良くなっていくので楽だ。
 いったい私はどんなセッションをしているのか?これは問診技術、診察技術、カルテ記載技術、プレゼンテーション技術を鍛えることが目標だ。まだ医学部二年生だから指摘すべきところは無限にあるが、いかに効果的なアドバイス・訓練をするかを考えるよい機会でもある。
 たとえばreview of systemで何を聞いていいか分からないという。それで「各システムごとに4-5の症状があるだろう?それらがスラスラ言えるようにしよう。はいじゃあ、心血管系(の症状を言って)!」と一人ずつ指差して訓練。「主訴に関係する大事なシステムについては重点的に、他のシステムは1-2個ずつ聞いてみれば?」と具体的に提案してみた。
 問診・診察技術でも「症状がいつから始まったか聞くのはいいが、どうして始まったかも探偵のように出来るだけ調べよう、さもなければ予防できない」「患者さんの心情に人間として対応してほしい、そうしないと問診が尋問になってしまう」など、自分が最も改善してほしいと思うことにフォーカスした。
 そしてプレゼンテーション技術の上達は、私が最も好きな(Toastmasterだからね)訓練で、一人がプレゼンし、一人が時間を計り、一人が不要な言葉(umなど)を数える。皆が、どうしたらもっと良くなるか考えて私に質問する。昨日は5分プレゼンを4回、1分プレゼンを12回聞いて、それぞれ良いところと改善点を指摘し、私にとってもよい訓練だった。

1/22/2013

Serenity Prayer

 Serenity Prayerとは、「変えられないものを受け入れる静けさ、変わるべきものを変えていく勇気、そしてその二つを見分ける智恵を与えてください」という祈りだ。腎臓内科にいると、静けさ・勇気・智恵の重要性を痛感する。
 たとえば急性腎不全でコンサルトを受けたら、原因を調べる。補液やら薬の中止やらで治せるなら治す。調べ尽くしてATN(急性尿細管壊死)と分かったら、たとえクレアチニンが上がり続けてもただ回復を待つしかない。
 ICUではあらゆる生命維持治療が行われる。人工呼吸器、昇圧剤、IABP(大動脈内バルーンポンプ)、LVAD(左室補助デバイス)、TAH(完全人工心臓)、ECMO(体外膜酸素化装置)…。腎臓内科医も一緒になってCRRT(持続透析)をやる。「やれることは全部やってる、だから透析も」と呼ばれるわけだ。
 コンサルタントは困った医師を助けるのが仕事だから、頑張って助けようとしている主治医の力になってあげたい。でも翌日まで持たないと分かっている患者さんに透析を施すことが果たして妥当なのか。昇圧剤下で心停止を繰り返すpH 6.9の乳酸アシドーシスと高K血症、すでに高用量のCVVHDF中なものを「何とかならないか」と言われても、どうしようもない。
 静けさ…戦場のような病院で、静けさ…。静けさ…?オスラー先生は平静の心を持てと言った。マルクスアウレリウス帝は崖のように静かに聳えて荒波をおさめよと言った。恥ずかしながら、最近色々あって忘れていた。誰だっていつだって色々あるんだ、そんな時にも静けさを忘れないようにしなければ。

1/01/2013

Cliffちゃん

 腎移植の患者さんがC diff感染を起こしたら、治療はimmunocompetentな患者さんとどう違うのか?Immunocomoromizedな移植患者さんだから、さぞかし特別な配慮がいるのだろうと想像されるが、エキスパートオピニオンの論文(AJT 2009 9 S35)によれば原則は通常のC diff治療と共通している。すなわち、軽症から中等症ならmetronidazole、重症ならvancomycinというわけだ。まあ臓器移植患者さんに特化したよいエビデンスがないからというのもあるだろうが。
 ただし、免疫抑制されている以上、臓器移植患者さんの重症C diff感染はより危険と思われる(外科的治療を要する例が多かった、colectomy後のmortalityが高かったと言うデータも)。それで、前掲のエキスパートオピニオン論文が推奨するアルゴリズムでも下痢の回数、発熱、白血球数高値などあれば基本vancomycinを第一選択にしている。
 余談だが、C diffを嗅ぎ分ける犬というのがオランダの大学病院で試験的に用いられている。二歳になるビーグル犬のCliffちゃんは、実験で感度100%、特異度97%でC diffを嗅ぎ分けることが出来た(BMJ 2012 345 e7396)。C diffはヒトでもある程度「ああ、これは…(C diffっぽい)」と分かるが、さすがは犬の嗅覚。ちょっと可哀相でもあるが、役立ってて偉い。