12/18/2015

忘れられない一言 35

 「反省することは重要だが、医者である以上絶対に自分を責めてはいけない。後ろを振り向いてばかりいるよりも、様々な経験から未来の患者さんを救いなさい」(黒島偉作、平山正実対談集『イノチを支える』)。時間には二種類あって、時計が刻む時間はクロノス、それに対して質的でその一瞬が永遠に人生を変えてしまうような時間はカイロスという(日野原重明著『私が経験した魂のストーリー』)。「いろいろな試練に出会う時は、この上ない喜びと思いなさい」(James 1:2)。


11/24/2015

Hemospray

 症例から学べるだけ学びたいから、消化管出血の止血方法について調べていた。というのもこないだ直腸潰瘍症例でみたクリッピングに満足できなかったからである。

 そしたら、Cook Medical社のHemosprayTM(TMは商標のこと)がみつかった。Cook社秘伝の(proprietary)キトサンと鉱物のmixtureを消化管壁に散布すると吸水して固まり、それが止血の物理的なバリアになるだけでなく、凝固や血小板凝集能も高めるらしい。腫瘍からの出血など触りたくない場合や、出血箇所がはっきりしない場合などにバーっと撒けばよいから優れているらしい。YouTubeで検索したら噴いていた出血が止まった動画がいくつもでてきた。

 しかしこのデバイスはアメリカでも日本でも認可されていない(Googleで「ヘモスプレー」と日本語で入れても一件も出てこない)。Cook Medical社自体はアメリカインディアナ州にあるのに不思議だ。北米州ではカナダとメキシコ、アジアでは香港、シンガポールなどで認可されている。




11/22/2015

End-of-life Consultation

 米CMS(The Centers for Medicare & Medicaid Services)が2016年1月1日からの支払い規則を最終決定して、その変更点のひとつにEnd-of-life consultationへの支払いが含まれることになった。最初の30分で$86(病院だと$80)、それ以降の30分はup to $75となっている。このインセンティブがあれば時間をとって患者さんや家族の意思が尊重されるようになり、意思に反した過剰な検査・治療が防げて医療費を抑制できるということを狙っていると思われる。ついでに the End-Stage Renal Disease Quality Incentive Programも最終決定されて、透析ユニットで貧血や感染症や各種安全が一定基準を保てない場合に支払い額が減らされるようになる。


11/21/2015

Gush of Blood

 長期臥床ICU患者が突然に大量新鮮下血してショックになったら、輸液でも輸血でも昇圧剤でも放り込んでとにかく蘇生するのはもちろんだが、一刻も早く出血を止めなければならない。ここでただ消化器内科医を呼んだのでは甘い。たしかに激しい上部消化管出血が下から鮮血ででてくることはあるけど、患者さんの病歴と経過を知る者としてはこの出血が直腸潰瘍によるものと確信されるのだから(経鼻胃管から何も引けないし)、型どおりに上部内視鏡をして直腸からダバダバ何リットルでも出血するにまかせるのではなく、「直腸潰瘍ですから上部ではなく一刻も早く下部内視鏡をして止めてください」と説得しなければいけない。もし嫌だといわれたらIVRに掛け合うか、あるいは直腸に挿入して圧迫止血するチクワ状のSPONGOSTAN®を使うか(8cmしかないから届かないかもしれないけど)して、とにかく即刻出血を止めて失血を防がないといけない。ICUは全身管理が勉強になるのも一面だけど、やっぱりこういうひとつの判断で予後が大きく変わるような緊急事態にたくさん遭遇して即応判断力をつけることも大切だなと思う。





11/18/2015

Going the extra mile

 腰痛と「Mタンパク(とだけ書いてある)」と貧血と進行する腎障害がある症例が紹介されてきたら、骨髄腫を疑って一刻も早く異常タンパクを減少させたい(高Ca血症や体液減少や敗血症などがあればそれも治療しなければならないが)。骨髄腫における腎障害はmedical emergencyなんて書いてる論文もあるが(Bone Marrow Transplantation 2011 46 771)、各種検査が外注で時間のかかる市中病院ではけっこう間延びする。とりあえずその「Mタンパク」とやらの詳細な情報を前医に取り寄せたいが、研修医が問い合わせて送ってもらったFAXには「検出」としか書いてない。で、そこで止まっている。うちでSIFEを出しなおしているが、結果が出るのに一週間はかかる。あーもう見てられない、と私が前医に電話したらあっさり教えてくれた。
 つぎは骨髄穿刺/生検だが、これもやったはいいが外注のレポートが来るまでには時間がかかる。そんなに待ってられないなー、スメアのGM染色を自分で見れば形質細胞くらいわかるんじゃない?というわけで午後3時にした骨髄穿刺/生検のスメアがGM染色されているか午後4時に検査室に電話したら明日やる予定だという。「今日染めたら残業になりますか?」と聞いたら「いや五分くらいで染まるし大丈夫ですよ」というのでお願いして、例のすごい検査室の方にざーっと全視野をスキャンしてもらい形質細胞を確認できた(細胞数カウントまではしないけど)。
 ここまでで、入院して24時間。腎生検の予定も組んだ。私ならこの時点で少なくともbortezomibくらいは始めてしまうが、まあそれはこの間不在だった血液内科医の先生が来られて考えられることだ。私は血液内科医でもないし、そもそもこの症例は私のチームではないのだけど、やっぱり腎臓と患者さんを助けたいし、こういうふうに詰めの甘いところを詰めたりいまできることから行動したりするとやりがいを感じる。どうしたらこういう積極的な働き方というか態度を教えられるか考えている。


8/13/2015

Soon it shall also come to pass

 英Economist誌2015年7月27日付の記事によれば、これから10年で東京圏の後期高齢者(75歳以上人口)は175万増えて、572万人に達するという(シンクタンク日本創成会議、東京圏高齢化危機回避戦略より)。当然医療や介護の需要が増大して、現状でもすでに不足している供給とのミスマッチが広がる。ドイツの学者Florian Coulmas氏はこれを経済の繁栄と医療の発展がもたらした一種のdystopia、catastrophic successと呼ぶが、世界に先駆けて東京圏がこの問題に取り組むことになる。
 というか、もう取り組んでいる。意思疎通の取れない高齢者が非特異的な症状でつぎつぎに救急に連れてこられ、入院対応医が行くとたいてい施設の人も家族もおらず(子供だったら多分こんなことはないのに、高齢者は平気で独りにされる)、入院中は医学的な治療よりもADL低下のアセスメントと対策、ケア環境の確認と転院調整がメインになる。それは時間のかかるプロセスで、これからもっと時間がかかるようになるだろう。行き場のない患者さんたち。そして急性期病院のベッドが慢性期の退院調整待ちの患者さんで埋まっていく。
 もうひとつのcatastrophic successと私が思うのは、意思決定能力のない患者さんに対して(あっても)、家族の負い目と医療者の罪悪感と病院の経営面からどんどん高度な生命維持治療や延命治療が行われ「おじいちゃんおばあちゃんが一秒でも長生き」することだ。Abraham Lincolnは"In the end, it's not the years in your life that count. It's the life in your years."と言ったが、緩和ケアが幅広く行われ、かかりつけ医が患者さんの意思決定能力のあるうちに家族と一緒に時間を掛けて今のうちからadvanced directive、POLSTをとるのが望まれると私は思う。
 こんなことは、考えないに越したことはないのかもしれない。確かに、考え出したらやってられない。未来のことは誰にも分からないし、解決策がないなら悩む時間が長くなるだけ損だということもある。誰か頭のいい人が考えればいいことなのかもしれない。でも現在の医療が、昭和初期の日本の政情のように漠然とした不安を前にしていることに気づいてしまったものは仕方ない。まあ昭和初期から日本はいろいろあっても立ち上がってきたわけだし、これも何だかんだいって過ぎ去るのだろう(高齢化の次は人口減だ、ひとつひとつ心配していたらきりがない)。


8/11/2015

Light and Darkness

 光がやって来るタイミングは、①自分の心が悲鳴をあげ、「もう暗闇は嫌だな」と心底思ったとき、②最初は小さかった苦しみが次第に大きくなり、痛みが膨れ上がっていき、「もう限界だ」というところまで来て、ようやく光がやってくるそうだ(加藤秀視『ONE』)。ということは、どうしようもない絶望に陥ることも決して無意味ではなく、むしろ希望が訪れる前兆だとも言える。この話を読んで思い出すのが、レジデント時代に一個後輩だった先生だ。
 UCLA卒で引く手数多だったのに、親戚の世話をしたいと、よりによって東部で交通の便がいいうちを選んだ。しかし外来のpreceptorと馬が合わず、能力に瑕疵がないのに6ヶ月間の1年目延長(米国にはそういう制度がある)、その間は病院に監禁状態で「宿題」を出されるという憂き目にあった。何の前触れもなくプログラムディレクターの部屋に呼び出され、報告書と処分書を前に座らされて即座に「サインしろ」と言われたらしい。アンフェアだと義憤していた。
 私は彼とpreceptorが一緒だったので他人事と思えず、また彼とよく話す機会があったし、彼がいい奴で優秀な奴だと知っていた(延長処分を受ける人のなかには、受けるべくして受ける人もいるのだが、彼は違った)ので、このような理不尽に対して指をくわえていることができず、よく励ました。彼をクルマに乗せ公園に連れて行き、ダウンタウンが見渡せる芝生の丘に折りたたみチェアを置いて座り、一緒に眺めた暮れていく夕日はいまでも鮮明に覚えている。
 その彼に、私は自分が読みおわったViktor Franklの"A man's search for meaning"(邦題『夜と霧』)をあげた。どんな理不尽でも、耐えて忍べばかならず道は開けるから、あきらめないでと。喜んでくれて、本にサインしてくれと言うから、自分が書いた本でもないのにサインした。そして彼は理不尽な延長を終え二年目に上がり、まったく問題なく卒業し、故郷のベイエリアに戻り、臨床もしつつ医学学習モバイルツールの会社も立ち上げつつ、公私共に幸せに暮らしている。これなど、暗闇を受け入れて突き詰めると、光に出る好例と思う。


8/07/2015

Seat Belt

 米国でレジデントをしていたときに外来で特に問題のない若い患者さんを診て、さらっとプレゼンしたら、preceptしてくれた指導医に「シートベルトをちゃんと着用している?」と言われた。もちろん、訊いていなかった。しかし米国人25-34歳代の死因で交通事故は3位(1位は薬物中毒、2位は自殺)、35-44歳代では4位(1位は薬物中毒、2位は自殺、3位は冠動脈疾患)だから、ヘルスメンテナンスの観点からこれを訊くことは大切だ。同様に薬物使用、自殺のリスク、他殺のリスク(25-34歳代の死因4位、35-44歳代の死因5位が他殺だ)も見逃さないようにしなければならない。若い患者層は内科的に健康な場合が多いが、診るときにはこのような特別な配慮が必要になると思う。


7/30/2015

忘れられない一言 34

 指導医の仕事は授け正すことだと頑なになっていたことを反省させられた。他医を外来受診した際のマナーの悪さに憤慨しており、担当レジデントの先生がうまい言葉を探しているあいだずっと何分も同じことを繰り返し表出して、それでもまだ怒りが収まらない患者さん。それで私が「嫌な思いをさせて申し訳ないです」と言ってもだめで、今度は別のレジデントの先生が「取っ組み合いの喧嘩にならなくてよかったですね」と笑顔で言った。じきに「本当だよ、まったく…」と収まった。

 (え、そんな一言でいいの?)と意外に思いつつ、(すごいな!)と思って、後からその先生に「すごいと思いました」と伝えて、どうしてその一言がでたのか聞いた。すると、別の指導医の先生が場が笑顔や笑いによって和むというか収まることもあると経験で教えてくださったそうだ。そういえば、私も米国で駆け出しの頃に同じような経験をしたことがあった。最近笑ってなかったのかな、やっぱり笑顔は潤滑剤にして常備薬だと思い直した。



7/27/2015

Dignity

 認知機能が重度低下して話がまったくできないような患者さん達を診ていると、人間の尊厳について考えさせられる。自分だったら、そうなる前に先のことを決めておければなと思う。精神科医のDr. Viktor E Frankl(写真)は"Everything can be taken from a man but one thing: the last of the human freedoms—to choose one’s attitude in any given set of circumstances, to choose one’s own way."という有名な一節を書いている。すべてを失っても、親切心、思いやり、優しさ、そして愛を与えることはできる。ただそれも、意識があればの話である。



Cookbook Medicine

 ガイドラインに従った医療を別名cookbook medicineという。ガイドラインは大事だし(エビデンスがあれば)エビデンスに則っているので守られるべきだ。標準化された診療で医療の質が上がるのも確かで、それを否定するものではない。

 しかし同時に、患者さんは一人ひとり違う。だからたとえガイドラインに従った診療を行ったとしても、個々の患者さんの半生、文化的背景や生活習慣、病気についての悩みや考え方、家族状況などを考慮しなければ、医師としてのやりがいを感じられなくなってしまうのではないかと思う。

 とくにホスピタリストは患者さんのことをまったく知らない状態で診療するので、これを意識しなければ医療がベルトコンベアのような作業になってしまうので注意が必要だと思う。

 患者さんは一日24時間病院にいるのに、いったいどれだけのあいだ患者さんと接しているか、ベッドサイドに椅子を持ってきて座り(あるいはベッドに座り)話をしたことが何回あるか、患者さんも自分と同じように幸せになりたくて、それでここにいるのだと考えたことがあるか…、と自問してしまう。




7/24/2015

FMLA

 日本に来て、入院患者さんが退院する際にはご家族に来院してもらい面談して決めなければならないという不文律をより意識する。米国にいた時には高齢患者さんであっても基本的に説明はご本人に行って、退院の日取りはご本人がご家族に電話なりで相談して決めることが多かった気がする。もちろんご家族が来ることもあった(ICUなどなら当然)が、その際にFamily and Medical Leave Act(FMLA)の書類を渡されることがあった。私は法律のことはわからないが、ここでは両親や配偶者が病気のために仕事を休んだり切り上げたりする権利を被雇用者に与える意味合いで適応されていた。この法律があるので、「仕事が終ってからになるので夕方(あるいは夜)しか家族面談はできません」というような日本ではいまでも時々みられる状況はほとんどなかった。

 いま日本では介護離職者が増えて問題になっているという。労働人口の多くが子供の世話、両親や配偶者の介護によって仕事ができなくなったり、早退などに職場が理解を示さなかったり収入が減らされたり、あるいは自分自身が健康を害してしまったりしているようだ。将来は安保法制の改正などによって米国でいうveterans(退役軍人)に相当する社会層(PTSDや脳損傷やその他の後遺症を負った自衛官)も増え、彼らを介護する必要もでてくるかもしれない。これらの介護しながら働く人たちを「会社の都合に合わせられないならやめろ」といって切り捨てる余裕は、いまの日本の労働市場にはないのではないか。フレキシブルに働きお互いが事情を理解しあって支えあう職場作りと、それを促進する社会的法的な整備が求められると思う。


7/23/2015

Ataraxia

 日本の当直医あるあるに「英語論文を読もうと当直室に持ち込んだらそこに漫画が置いてあって、誘惑に負けてそちらを読んでしまった」というのがあるそうだ(そして漫画はどういうわけか『ゴルゴ13』なことが多いらしい…)。私は論文を読むのが好きだからやっぱり当直室でも論文を読んでしまうと思うが、最近は「川辺で流れ行く水を前に穏やかでいる心」を育てなくてはならないなと痛感する。

 知的なよろこびが至上の幸福だとアリストテレスも孔子もペトラルカもモンテスキューもバルザックも言っているそうだが(木原武一『快楽の哲学』)、川を流れるすべての水を汲み上げることも飲むこともできない。ただ穏やかに、水がそこに流れているということを感じるともなく感じる心の平静さなしには、知的なよろこびを持続させることはできないのではないだろうか。

 だから、IgA腎症の自己免疫的機序に補体が関与していることも(JASN 2015 26 1503)、数限りない抗原をターゲットにした数限りない免疫抑制モノクローナル抗体が開発されていることも(抗CD20だけで4-5種類ある、doi:10.2215/CJN.08570814)、AJKDの教育ケースでえらい先生方が「輸液は薬、安易にだすな(考えてだせ)」というわが意を得たお説教をしてくれている(AJKD 2015 66 147)のも、どれも興味深いけれども、穏やかに涼やかに観る必要がある。



7/19/2015

Compassion

 私がアメリカで医学教育を受けたいと思ったきっかけは医学部時代に赤津晴子先生が『アメリカの医学教育』でよいドクターの資質として第一にcompassionate(思いやりのある)、第二にcompetent(有能な)と挙げておられているのを読んだからだ。以後、このふたつのバランスを取ろうと努力してきた積りだが、compassionのほうは後から付いてくるような感じがしていた。そこにきて、積極的なcompassionについて学ぶ機会を得た。それは、相手に対して次のように心の中で唱えるというものだ。
この人は心と身体を持っています。私と同じです。この人には気持ちや感情、考えがあります。私と同じです。この人は、悲しんだり、がっかりしたり、怒ったり、混乱したりすることがあります。私と同じです。この人は人生において肉体的、心理的な苦しみを経験しています。私と同じです。この人は人生において喜び、幸せ、愛を経験しています。私と同じです。この人は幸せになりたいと思っています。私と同じです。この人が幸せでありますように(サンガ編集部『グーグルのマインドフルネス革命』136ページより)。
いままで「腎臓内科医は数字を大事にするがそれ以上に患者を大切にする」などと言っておきながら、外来で患者さんを迎え入れる時に私の心は何をしていたか?迅速で確実な診断のために目、耳、すべての感覚で患者さんから情報を得よう得ようとする余り、「この人は辛くてここに来たのだな、私のすべての力を使って、どうかこの人が幸せになりますように」という祈りを真っ先に届けることを忘れていたのではないか?

 Compassionate careは、患者さんが信頼を寄せるので有用な病歴を言い出しやすくなり診断の質が上がる、患者さんの治癒力をあげる、また治療のアドヒアランスをあげるなどさまざまな肯定的なスタディ結果がでている。Competentであるだけでは半分だ。赤津先生がおっしゃるようにcompetentは大事だが二の次で、まずcompassionateであることが大切なのである。これは医療に限ったことではない。政治やビジネスで競争、交渉する相手を思いやることも重要視されているし、よいリーダーの資質としてアメリカ海軍において重視されてもいるそうだ。

 しかし、よい知らせは思いやる力はトレーニングで鍛えることができるということだ。Neuroplasticityという概念もあるように、成人になってからでもトレーニングによって脳の回路や構造を可塑的に変えることができるとわかってきた。前述の文章を唱えるのもひとつだし、グーグル社のJolly Good Fellow(という役職;エンジニアだったがマインドフルネスに目覚めてそちらを本職にしている)Chade-Meng Tan氏などは「通りがかる人をランダムに選んで"I want this person to be happy"と唱えるように」と言っている。そして相手を思いやると自分の幸福度が上がることも示されているそうだ。



7/18/2015

White Flag(aka 忘れられない一言 33)

 読めていなかった3月の米国内科学会誌を手に取り、on being a doctorを読んで感銘を受けた(Ann Intern Med 2015 162 453)。例によって投稿したのはレジデントだ。いかにレジデントがこの時期に医のアートを学ぶかがわかる。96歳になるひ弱な自分の祖母が体調不良で病院に運ばれて、ERのドクターがcode statusを取らず、リンパ腫の再発とわかると腫瘍内科医は「50%の可能性でcureが可能」といい(こういうことは得てしてある…どうしてかわからないが)、入院中に転倒して硬膜外血腫ができると脳外科医は「手術しましょう」といい、primary serviceの内科医も治療のゴールと緩和ケアについて一言も触れない。まさにelephant in the room(認識しているがあえて触れないタブーのようなもの)だ。いや、認識していないのかもしれない。

 このレジデントはICUで果てまで治療して多くの患者さんを失ったあとで今度は腫瘍内科ローテーションをしていたところだった。彼女はERドクターの代わりに自分でcode statusの話し合いをした。またローテート先の指導医に相談して「彼女は緩和ケアが必要だ」と後押ししてもらったこともあり、本人と他の家族を呼んで治療のゴールについて話し合った。"We can keep her comfortable, give her time to get her affairs in order, and say goodbye"といい、話し合いが終ると、祖母は彼女を抱きしめて"Sounds like a good plan, doctor"と言った。そしてホスピスで快適にすべての人にお別れを言って一週間ほどで亡くなった。彼女はエッセーをこう締めくくっている;
 We do not always have to viciously battle death with our heroic measures. Sometimes the hero is the one waving the white flag.
白旗をあげるのは勇気がいることだ。でもそれがベストだと確信して思うなら、そうすることがベストだ。そして、それができる人がheroだ。



7/08/2015

情提文例集 後編

5.(おまけ)入院中の中間報告

 入院が長くなった患者さんがどうしているかは、患者本人や家族のみならず外来主治医も非常に気にかけているものである。だから、先生方も日常の診療業務が忙しいのは分かるが、もし時間のあるときに手短でもいいから一筆お手紙を書くと、先方からとても感謝されるだろう。もし本当に時間がなければ、電話でもいいかもしれない(が、外来主治医の先生も診察で日中は忙しいので電話に出るヒマがないかもしれない)。たとえばこんな感じに書いたらどうだろうか;

(文例)

[外来医]先生 ご机下

 お世話になっております。先生におかかりの[患者名]様は[入院日]より[主病名]で入院しておりますが、入院期間が長くなってまいりましたので一度先生に経過をご報告しようとお手紙を書いております。
 入院時に[病歴]、[身体所見]、[検査所見]を認め[主病名]の診断で[治療]を開始しましたが、[①病勢が強い、②患者さんの体力が弱い、③治療の副作用がでた、④合併症を起こした、⑤後遺症が残った、⑥治ったが転院先がない、など]により依然入院が必要な状態です。
 ほかに[副病名①、副病名②、副病名③…]についても現在加療中で、[経過:①軽快、②合併症、③後遺症、など]な状態です。
 取り急ぎ現在までの経過をご報告に上がりました。経過が思うように進まず遺憾ですが、引き続き最善を尽くして治療を継続していく所存です。病状が変わり次第、またご連絡差し上げます。ご不明な点やご質問がございましたら遠慮なくお尋ねください。それでは今後ともよろしくお願いいたします。

 私も中間報告はあまりしなかったので、もっとよい文例をお書きになる先生がいたら、そちらを参照して欲しい。

6.おわりに

 ここまで研修医の先生方がよく遭遇すると思われるお手紙を書く状況について、簡単に重要なポイントを示してから文例を紹介した。すでに知っている内容かもしれない(まとまった教育を受けなくても、なんだかんだ言ってみんな書いているわけだから)し、何か新しい発見があったかもしれない。いずれにせよ最後に言いたいことは、お手紙とは相手があってはじめて書けるものだということだ。だから、相手に必要な情報、相手への敬意や感謝を意識して書くことが重要だ。自分だったらどんなお手紙を受け取りたいか考えるとよいだろう。


7/07/2015

情提文例集 中編

3.退院の報告

 退院の報告は入院中のケアと外来でのケアを結ぶ役割を果たすのでとても重要だ。だから書かないとかは論外だし、患者さんが退院後に外来医を受診するまでに届ける必要がある。といっても、基本的には退院サマリーと同じであるから、サマリーが退院までに書けていれば造作はない。しかしサマリーがタマリーな先生方もおられるだろうから、一から書くつもりで文例を作ってみよう。

(文例)

[外来医]先生 ご机下

 お世話になっております。[患者名]様は[入院日]に[主訴]を主訴に当院を受診され、[主病名]のため入院し、[退院日、または本日]に退院となりましたので、入院中の経過をご報告し、今後の方針についてお伝えしにお手紙を差し上げる次第です。(補足:入院が長かった場合には「入院が長引きましたのにご報告が遅くなりまして申しわけございません」を追加)

 入院時に[病歴]、[身体所見]、[検査所見]を認め[主病名]と診断しました。[治療]を[日数]行い、[経過:①軽快、②後遺症、③合併症、など]となりました。退院時の[疾患のパラメター]はXでした。今後は[予防策]するように患者様にお伝えすると共に、[日数]以内に貴院を受診するよう指示しております。その際には[注意点]にご注意いただき、もし[再発など]ございましたら当院に再びご紹介くだされば幸いです。

 また入院時[副病名①]を認め、[重症度(数値など)→治療→経過→今後;前段落と同じ要領で]としております。

(以下副病名②、③…)

 なお、貴院でご加療中の[既往症A、B、C…]につきましては、①貴院での処方を継続いたしました、②[事情]のため[治療の変更]を行いました。これらにつきましては、貴院受診時に再び評価を行っていただければ幸いです。

 以上が経過です。ご不明な点やご質問がございましたら遠慮なくおっしゃってください。それでは、このたびは先生の患者様のケアに関わらせてくださりありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。


 読む側に立って考えれば、冗長なくだりは不要で、簡潔に要点をまとめることが重要だとわかるかと思う。また、ここでも診察の流れの通りに書けばよいのと、日頃のカルテと同じように「診断→治療→経過→今後」の順でひとつひとつのプロブレムに対して記載すればよいのがポイントだ。

 そして、やはり重要なことは、読み手の外来医に今後何をどうして欲しいのかを明確に示すことだ。そうしないと、たとえば入院中に理由があって変更した薬剤が自動的に元の用量に戻されて副作用が起こる、などのトラブルの元になる。

4.転院の依頼

 自宅退院できる患者様もいれば、できない患者様もいる。高齢化社会が進むにつれ、家で看きれなくなって入院となり、治療が終った後も転院先の施設を探さなければならないケースはどんどん増えてくるだろう。そこで地域連携室のMSWさん達が助けてくださるわけだが、彼ら彼女らも先生方が書くお手紙なしには動けない。だから、お手紙を書いてからMSWさんを呼ぶくらいの姿勢が必要だ。

 この場合のお手紙には、現時点での病状と予後、それに必要となる治療のレベル(酸素、吸引、気管切開チューブ、食事形態、経鼻胃管、胃ろう、リハビリ、褥創ケア、尿道カテーテル、間欠的導尿、緩下剤、浣腸、薬物的または非薬物的抑制、インスリン注射など)を分かる範囲で書くことが求められる。それがないと潜在的な受け入れ先も受け入れるかどうか判断のしようがない(なお、米国ではこの場面でお手紙が必要ない;MSWさんがカルテをすべてFAXしてしまうからだ。ただ手紙がないので、受けた側に何百ページのカルテが積まれる…)。

 基本的に前章と構成は同じだが、書き出しと書き終わりが違うのでそこを意識して一例を示してみよう。

(文例)

[受け入れ医]先生 ご机下

 お世話になっております。このたびは[患者名]様の転院についてご検討いただきたく、現時点での病状と今後についてお手紙でお伝えする次第です。[患者名]様は[入院日]に[主訴]を主訴に当院を受診され、[主病名]のため同日入院となりました。

 [主病名]につきましては、[治療]によって[経過:①軽快し、②ある程度は改善したもののXなどの後遺症が残り、③合併症をきたしその治療を要し]、[内服、リハビリ、その他の介助]が[少なくともおよその期間]必要な状態です。

(以下副病名①、②、③…)

(高齢者であれば別にADLについて記載するのが望ましい;食形態はA、移動はB、排泄はC、シャワーはD、など)

 以上が現状で、今後の治療について貴院でお願いできないか伺いたくお手紙を差し上げております。お忙しいところお手間を取らせて大変恐縮ですが、なにとぞご高配くだされば幸いです。ご不明な点やご質問がございましたら遠慮なくおっしゃってください。それではご検討の程よろしくお願いいたします。

 
 このお手紙は何と言ってもお願いなので、できるだけ丁寧で分かりやすい必要がある。「お忙しいところ恐れ入りますが」とか「なにとぞご高配のほど」とかは、こういう時のためにあるような言葉だ。先生方も、日常生活でも何かものをお願いする時には取り入れてみてはどうだろうか(どうなるかについて私は責任を取らないが)。




7/06/2015

情提文例集 前編

 以下はお手紙(「情提」とは診療情報提供書の略である)の書き方と文例を研修医の先生方を念頭に紹介したものだ。

1.はじめに

 日本の病院で働く以上、避けて通れないのがお手紙を書くことである。しかもこのお手紙は医師間のやりとりであるから、古来からの伝統に従い、恭しく気を遣った文体でなければならない。また文体が面倒くさいだけでなく、患者さんのケアが抜けなく継続して行われるための重要なコミュニケーションツールでもある。

 それにもかかわらず、少なくとも私の知る限りにおいては「お手紙の書き方」という医学部の授業は聞いたことがないし、研修医になっても系統的に教わることはなく、忙しい臨床の片手間にやっつけ仕事的に書いている印象を受ける。私も研修医の先生が書いた初稿を直すことがあるが、いい加減同じことを指摘するのも疲れた。それで、ここに各シチュエーションごとの文例を示すことにした。

 ただ免責事項として、これはあくまで「私がこうしている」という一例を示したにすぎない。私はお手紙を書くのが好きだから比較的まともだとは思うが、読者の先生方の周りにはもっと美しく簡潔な文章を書く方がたくさんいらっしゃることだろう。その場合は、この文例は忘れてそちらを参照して欲しい。しかし、私から見ると上述のようにあまり注目されない領域に思われるので、参考になればと紹介する次第だ。

2.紹介受診の返書

 研修医の先生方が働く教育病院は、おそらく紹介する側よりも紹介を受ける側だと推察されるので、紹介状を持って外来を受診された患者さんを診察した後に書く返書の例を示そう。忙しい外来が終った後で残業のように書かなければならないのは辛いだろうから、要領をおさえれば診察後に2分で書けることを知ってもらえればと思う。

(文例)

[紹介元]先生 ご机下

 お世話になっております。このたびは患者さまをご紹介くださりありがとうございます。本日紹介状をもって受診されましたので、そのお返事をご報告する次第です。

 当院受診時、先生もご指摘の通り問診で[病歴]、診察で[身体所見]を認めました。また追加の診察で[当院であきらかになった病歴や身体所見]がわかり、[血液検査、画像検査など]で[所見]がみられたことから、[診断]が最も疑われると考えました。

 そこで[診断と病状]をご本人(またはご家族)にご説明の上、[転帰:①入院治療、②外来治療、③専門科へのさらなる紹介、など]といたしました。

 以上が経過です。ご不明な点やご質問がございましたら遠慮なくおっしゃってください。それでは、重ねましてこのたびはご紹介くださりありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

 ポイントは時系列にしたがって書くことだ。「受診→病歴→身体所見→検査所見→診断→転帰」という流れをおさえる必要がある(というか、手紙に限らずそれが診療の基本的な流れだと思うが)。それから、私にとっては漢字が多い文章は読みにくいので、たとえば「宜しく御願い致します」は「よろしくお願いいたします」と書く。まあ、これは好きにしたらいいと思う。電子カルテなら、こういうテンプレートを作って、カッコ内を埋めればよいようにしておくのも効率性を上げるひとつの方法かもしれない。




7/02/2015

Two Years

 米国から日本に戻ってきて2年が経った。自分には米国が合っていたから、最初から2年間だけのつもりで(いわゆる2 year ruleを終え、そのあとすぐ米国に帰るつもりで)日本に戻ってくる考えもありえた。

 しかし、私が望んだのは日本の教育病院で臨床と研修医・フェローの臨床教育に専心することだった。せっかく自分が米国で学んできたことを活かしたかったし、少しでもアカデミックなところに居ないと縮み始めると思ったからだ。

 ただ、その道を選べばすでに米国のメンタリティを刷り込まれて米国の診療形態に慣れきった自分が周囲と劇しく摩擦することは分かっていた。そして、やっぱりこの2年間で私はアメリカ帰りが経験し得るほとんどすべての壁にまっすぐ突っ込むようにぶち当たり続けた。

 それでも私は後悔はしていない。ぶち当たり続けても、ときに倒れることがあっても、いま私はこうして立っているし、歩き続けている。困難は自分に宿る信念を気づかせ、それを強くしてくれた。自分がこの先歩むべき道や、そのためにかなえるべき目標も明確になった。

 臨床医としても、他人の痛みを少しは察することができるようになるなど成長したと思う。教育をあきらめなかったことで、トレーニング期間が終った後も自己実現のために知識や経験をたくさん積むことができた。

 その意味では、私にとってこの二年間は今までで最も大事なことを学んだ二年間だったのかもしれない。ここから新しい自分になって、新しい役割を担って、周囲と理解しあい助け合いながら、新しい夢を叶えていきたいと思っている。




6/26/2015

Teachability

 英語でteachableというのは主に否定形で用いられ、「彼(彼女)はteachableではない」というふうに使われる。これは学習者が教え手のいうことを聴かなかったり学ぶ気がなかったりする文脈でよく耳にした。私個人はこの言葉をできるだけ使わないようにしている。というのは、私自身がteachableではなかったからだ。いまの私があるのは、初期研修時代にそんな私を見捨てずに根気良くタイミングよく指導医やシニアの先生方が教えてくれたからだ。

 「仕事の速さと正確さは今の時期に決まってしまうよ」と声を掛けてくれたり「病状説明ではまず患者さん(家族)の理解を確認してから箇条書きにアウトラインを示し、一区切りごとに質問を求めるように」と躾けてくれたり、忙しい救急外来のwalk-inを診ている最中にも「こういう明らかに血液検査などが必要そうな患者さんが来たら簡単に問診してまず検査をオーダーして、詳しいことは後で訊かないと回らないよ?」とか教えてくれた。

 これら一つ一つのパールが私の財産になっている。だから私もできるだけ諦めないようにしている。聖書にも「愛はすべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える」という言葉がある(1 Colinthian 13:7、というか不勉強な私が聖書で知っている言葉といえば数えるほどしかないそのひとつがこれだ)。今思うと、私を指導してくださった先生方から私は愛されていたのだなあと実感する。その事実に今更ながら愕然として、ただひたすら感謝した。今度は私の番だと思う。



6/22/2015

Oblivobesity

 Oblivobesityとは、oblivious(忘れている、無関心でいる←フランス語で「忘れる」を意味するoublierと同根)とobesityをあわせた造語で、2015年6月15日付けのNew York TimesにJan Hoffman氏が書いた健康コラムに載っていた。この記事は、子供の肥満について両親が見て見ぬふりをする(子供が皆太ってきたので目立たなくなったことや、肥満に対してどう対処してよいか分からないため否認することによる)ことについて書いたものだ。Yale大学のDr. David L. Katzがつくった言葉らしい。米国のファーストレディーMrs. Michelle Obamaが子供の肥満撲滅を目指してLet's Moveイニシアティブを始めるくらい子供の肥満は(かれらの将来を考えても)米国で非常に深刻だが、残念ながら親が「うちの子は太ってない」と居直ってしまう現象が起きているようだ。日本でも、文部科学省の調査(平成20年度学校保健統計調査)によればこの30年でこどもの肥満は2-3倍に増えており、9-17歳の10人に1人は肥満だというから他人事ではない。日本の医療はこれから高齢化の波が押し寄せるだけでなく、肥満の波にもさらされるということだ。日本も国を挙げての予防対策が(もうやっているのだろうが)必要だと思う。


6/20/2015

三つの誓願(aka 世界プール紀行)

 私は医学部5年生のときに三つの誓願を立てた。①日記を書くこと、②英語が出来るようになること、③水泳が出来るようになることだ。①については、臨床実習を前にして医者と言うのはどうやら「カルテ」という七面倒くさいものを患者さん全員について毎日書かねばならないらしいとわかり、自分の日記もかけない人が他人の日記を書けるだろうかと心配になって始めた。最初は自分のために書いていたが、だんだん友人などにも見せられるものになり、それがいま毎日300人近くが見て下さるこのブログにつながっている。

 ②については、5年生の夏にスイスのベルン大学病院(Inselspital)で臨床留学することが決まっていたが、私は中学高校時代に交換留学したこともなかったしこれが初めての海外生活になるので、英語ができないと話にならないと思ったからだ(スイスなのでフランス語選択の私がドイツ語も勉強したが…もう忘れてしまった;代わりに今は韓国語ができるからまあいいか)。それに当時から米国で医者をしたいと思っていたというのもある。それで大学から近くにあるSakura Toastmasters Club(いまもある)に通ったり、英語会をつくったり、英検の勉強をしたりした。それで翌年夏はNorthwestern大学に留学できたし、研修医のあいだも米国人医師の教育回診でプレゼンでき、そのあとなんだかんだあって5年間米国で医者をすることができた。

 ③については、スイスの留学先がなぜか形成外科で(要は行ければどこでもよかったのである)、体力がないと手術中に倒れると思ったからである。といっても汗と痛みと土と葉っぱが嫌いな私に(いまはそれほどでもないが)できる運動といえば水泳しかなく、うちの大学の水泳部は毎日早朝から「乳酸トレーニング」とかなんとか人間としての限界に挑戦するような練習を繰り返すスパルタなところだったので入ることもできず、その水泳部の部長がたまたま高校の後輩(私は一浪している)で友達だったので個人レッスンしてもらったのである。

 これが何につながったかと言われると、ちょっと一言では言えないのであるが、まあいろんな所で泳いだ。東京のプールはどこも混んでおり、クルマで渋滞した道路みたいになっている。あたかもNew YorkのCentral Parkにあるランニングコースのようだ。ソウルにあるオリンピックプールもやっぱり混んでいた。しかし韓国の学校にはプールがない。これは韓国が夏にもそれほど気温が上がらず水温が保てないためと言われているが、それもさることながら韓国で学校を作る時にまだ国が豊かでなかったのでプールまで作る余裕がなかったためと思われる。昨年の세월(セウォル、世越)号事故でももし学生達が泳げたらと思うと残念だ。

 プールがないといえば、おそらく同様の理由で沖縄の学校にもプールがない(ところが多かった…いまは違うかもしれない)。というか沖縄の人たちにとって海と言うのは浜辺でバーベキューするところであって泳ぐところではない。泳ぐのは観光客だ。しかし那覇にも県営の屋外50mプールというのはあって、これはなかなか…水温が高い。お風呂みたいだ。しかしプールには「低体温症に注意」と書かれている。なぜかというと4月から10月まで営業しているので、気温が低い時期には水温が低くて低体温症になる恐れがあるからだ。あとGulfというジムがあって、そこのプールで休職中よく泳いで精神衛生を保ったのも今となっては思い出だ。

 米国の屋外プールは、プールサイドが芝生だ(写真)。それでそこにバスタオルを敷いてみんな昼寝したり読書したりしている。屋内プールも行ったが、Northwestern大学の学生寮にあるプールは古い代わりにロココ調の装飾で、プールサイドのタイルもアーティスティックだった。しかし長さがフィートで表示されていたのでどれだけ泳いだのかよくわからなかった。装飾的なプールといえば思い出すのが、チェコのミラン・クンデラが書いた名著『存在の耐えられない軽さ』の映画化作品の最初にジュリエット・ビノシュがチェコの装飾的なプールを平泳ぎするシーンだ。

 ヨーロッパではプールには行かなかった(パリに住んでいた子供の頃は別にして)が、温泉には行ってophrologist(お風呂ロジスト)になった。ハンガリー、オーストリア、ドイツなどでクアハウスにいった。プールには行かなかったが、スイス留学時代には川や湖で泳いだ。ベルンにはAare川というのが流れていて、上流から流されるように泳ぎ、100mごとについた梯子につかまって上がってきてまた上流に向け歩く、というのを毎日実習が終るたびに繰り返していた。Titlis氷河の水がたまった標高の高い湖はめちゃめちゃ水が冷たかったし、レマン湖をローザンヌから船で渡った向こう側のフランス・エヴィアン(あのエヴィアンである)で泳いだレマン湖の水は澄んでいた。

 他にも水不足になりやすいので水深がめちゃくちゃ低い福岡のプールとか、照明がくらい札幌のプール(というか一般に札幌の街は街灯がまばらでオレンジ色で夜が暗い…犯罪が起こらないか心配だ)とか、医師国家試験の合格を受けて頭を冷やしに泳いだ飯塚のプールとか、実家の近くに何十年も変わらずあるプールとか、いろいろ思い出深いものがある。しかしまあ、なんだかんだいって泳ぐという誓願が腎臓内科という水を扱う科を選んだ遠因になっているのだとしたら、ちょっとおそろしい。まあそれは流石にあとづけだろう…。



6/16/2015

見つけてしまうの(aka independent assessment)

 うちの外来には「結果説明」という枠がある。最初は意味が分からなかった。どういうことかというと、別の日に別のドクターが患者さんを診て検査計画を立てるが、その結果を同じドクターが説明できないので代わりのドクターにお願いするということだ。たとえば血液検査をして結果がすぐ出ず、後日説明しようにも患者さんが次の週の同じ曜日に来られないとか、上部(下部)内視鏡を別の日に予約したが、再診の日を待たず検査当日に患者さんが結果を聞きたいというような場合だ。

 個人的には自分が診た患者さんで自分が検査計画を立てたのなら自分がフォローするのがよいと思うが、患者さんにもお医者さんにも色々と都合があるので仕方がない。因みに私はこれを嫌がっているのではない。たしかに消化管内視鏡の所見など私にはさっぱりわからない(私は天地がひっくり返っても消化器内科医にはなれないと思うし、だから消化器内科医が出来る人を尊敬している)から、結果説明と言っても消化器内科の先生が書いたレポートを電子カルテから開いて患者さんの前で読み上げる以上のことはできない。

 しかし、私にもできることというのはあって、それは前医が知りも想像もしなかったことをどういうわけか見つけて診断してしまうことである。「後医は名医」という言葉もあるから、後から診る医者は前に見た医者よりも正確で深い見立てができなければならない。だから「検査説明お願いします」といわれて「はいそうですか」といって検査説明しかしないということは、私には到底出来ない。かならずindependent assessmentを行うことにしている。そして怪しいと思う十分な根拠があったら、無駄に「様子を見る(=何もしない)」のではなく、必要な行動をおこすようにしている。



Dr. Atul Gawande

 昨日のバンドルについてのお話は、尊敬する母校の教授から「いいですね」とのお言葉をいただき、大変ありがたいことだ。それで、どうしていまの職場ではバンドルやチェックリストの考え方が発達しているのか気になり聞いてみると、Dr. Atul Gawandeの著作に影響を受けたQI(quality improvement)-mindedな先生方がイニシアチブを取って来たことがわかった。確かにバンドルを作れば漏らしがないし、ケアの質も担保される。ではDr. Atul Gawandeとはどんな人物なのか?興味を持って調べてみた。

 Dr. Atul Gawandeは1965年にニューヨークでインド系アメリカンの医師夫妻の間に生まれ、オハイオ州で育ち、スタンフォード大学に入学した。在学中に1年間Rhodes Scholarshipでオクスフォード大学に留学して政治、哲学と経済を学んだ。帰国後にハーバードの医学部に入学。学業と同時に政治活動も行っており、学生時代にはGary Hart、Al Goreのキャンペーンに参加し、Al Goreのキャンペーン中にはhealth care researcherでもあった。

 医学部時代に1年休学して、Bill Clintonのキャンペーン中にhealth care lieutenant、大統領就任時にはsenior advisor in the department of health and human service、政権中はClinton health care task forceの委員会のひとつのディレクターになった。その後復学して医学の学位を取り、そのあとハーバード大学の公衆衛生でMPHを取っている。

 学業と政治活動だけでなく、レジデンシー時代に雑誌編集者の友達にオンラインマガジンの連載を頼まれて外科レジデントからみた医療のエッセーを書いた。それがThe New Yorker誌の編集者の目に留まり、スタッフライターとしていくつかのエッセーを書いた。そのひとつがテキサス州の二つの街(二つの病院)を比較して、一方が他方に比べて医療費がいかに非効率的に使われ質が低いかを説いたものだった。

 これがWashington Post誌のEzra Kleinに"the best article you'll see this year on American health care—why it's so expensive, why it's so poor, [and] what can be done."と絶賛され、Barack Obamaの医療政策に対する考えに非常に大きな影響を及ぼし、また米国最大の投資家Warren BuffetのパートナーであるCharlie Mungerが2万ドルをDr. Gawandeに寄付した(彼はこれを全額Brigham and Women's Hospitalの外科と公衆衛生に寄付した)。

 その後も彼は著作を重ねて、2002年にThe Best American Science Writing、2003年にThe Best American Essays、2009年にThe Best American Science Writing、2011年にBest American Science and Nature Writingを受賞している。New England Journal of Medicineなど医学雑誌へも投稿している(surgical checklistの導入に関するスタディはNEJM 2009 360 491、批判も受けているようだが)し、WHOのGlobal Patient Safety Challengeのディレクターでもある。そんななかBrigham and Women'sで臨床もしており、専門は内分泌外科だ。

 チェックリストについての著作としては2009年に書いた"The Checklist Manifesto: How to Get Things Right"が有名で、2011年に邦訳されている(邦題は『アナタはなぜチェックリストを使わないのか?【ミスを最大限に減らしベストの決断力を持つ!】』晋遊舎)。で、これを読んだうちの職場の先生方が感化されて、うちの病院にバンドル・チェックリスト文化が定着してきたというわけ。うち以外にもそういうことをやっている病院はきっとたくさんあるのだろうが、私にとっては新鮮で、広めるのに少しでも貢献できればと思う。





6/15/2015

憂い

 電車の人身事故といえば婉曲的だが、要は人の命が一瞬にして失われたということだ。病院で患者さんの病状をよくしようと臨床上の問題一つ一つに取り組んできた帰り道にこういうことに出くわすと、思わず「むごい!」という悲痛な声がでてしまう。都民は0.5票分の投票権しかないだけじゃなくて、溢れかえったホームすれすれを走る特急だの快速だのによって命までもがこんなにも簡単に奪われてしまうのだろうか。なんでホームにガードをつけないんだろう。そんなにお金が惜しいのか?いったいあと何人死ねば変わるんだろう。


6/05/2015

HeForShe

 日本腎臓内科学会の総会にきたが、同学会は2006年から男女共同参画委員会活動を始めているそうで、今年も同委員会の企画プログラム『腎臓学会の男女共同参画の未来~子育て支援からキャリア支援へ~』があった。まずUN Womenが財界、政界、学界から10人ずつ女性の支援に貢献する男性を選ぶHeForShe IMPACT 10x10x10 initiativeのなかで日本人で唯一名古屋大学の学長(腎臓内科の先生)が選出されていたことを知った。

 知らなかった人も多かったようで(私も知らなかった)、会場にいた人たちはみんな拍手した。名古屋大学は早くから女性が働ける環境づくりに着手してきたらしく、大学運営の学内保育園や常時型学童保育、子育てタクシー、夕方5時以降の会議禁止などをいち早く実現してきたそうだ。すごいなあと思った。

 そのあと日本女医会長の先生が講演されて、自助・互助・共助・公助の側面からどう働く女医をサポートするかについてお話された。保育サポーター制度というのがあるのをはじめて知った。ただし、それでもまだ女性がキャリアを形成していくのが難しいのには、女性自身の意識、家族の限界、カバーする職場の限界(日本の医療現場はとにかくただでさえ忙しいのだ…)などがあるということだった。だから「一事で万人に適するものはない、各自にふさわしいものを探せ(Johann Wolfgang von Goethe)」、ケースバイケースにやるしかない。

 最後に学長が締めのスピーチをされ、①男女共同参画は社会全体の問題で社会のほうが医学界より意識が高い(経団連はこれから労働人口が減るので日本もスウェーデン並みにしないともたないといっている)、②多様性をみとめない男性社会はだめだ、③男性も女性も幸せになれないといけない、とのことだった。たしかにいまの職場もスタッフは全員男性だが、それを意識することがなかった(大学でフェローしていたころは女性スタッフも多く活躍していたが)。

 女性がスタッフとして残って活躍してくれるような環境づくりというのも、これからの時代はちゃんと意識する必要があるなと思った。それだけでも学会に来た甲斐があった。



6/03/2015

忘れられない一言 32

 指導医になったからには、プロなのだから、できるはずのことはできて当たり前である。だから、難しい局面でも何とか打開して結果を出さなければならない。というわけで、研修医の先生がうまく行かなかった大腿静脈CVカテーテルの挿入を代わった。1時間くらい試行してうまく行かなかったが、場所に問題があったようなので他の場所に変えた。でもそっちは、血管の走行がずっと深く径も細かった。正直はいる気がせず「無理でしょ…」と思ったが、諦めるわけには行かない。それでなんとか気合で成功させて、面目を保った。

 手技を終えたあとに、ビックリすることがおきた。なんと同じ病室の(担当ではない)患者さんたちから「先生」と声を掛けられ、「おめでとう」と拍手されたのだ。「おめでとう」と言われたのはいつ以来だろう。フェローシップの卒業以来かな。入院中でおつらいだろうに自分のことをそっちのけで担当でもない私にそんなあたたかい言葉を掛けてくださるなんて、本当にありがたいと思った。それから、こういうドラマがあるからやっぱり自分は臨床医を続けていくのかなあとも思った。




6/01/2015

AND

 心肺蘇生行為を行わないことをDNR(do not resuscitate)とまだ日本では呼んでいる。というか、日本ではDNRがwithdrawal of care(治療をやめる)とかde-escalation of care(アグレッシブな治療をやる)とかcomfort care(治すことを目標にすることから患者さんの痛み・苦しみをとることを目標に変えて、そのためにアグレッシブに介入すること;内科的治療をやめたあとただ打ち捨てられたようになっているのを目にすることがあるが、そうではない)とかとごちゃまぜに使われている印象を受ける。

 さてDNRというといかにもCPRで高率に蘇生できるような印象を与えるため、「いやCPRってのはそんなもんじゃないんだよ」というニュアンスを加えたDNAR(do not attempt resuscitation)という言葉が生まれ、現在米国ではこちらが主流だ。

 しかしこないだの米国内科学会日本支部の総会でミズーリ大学のDr. David A. Flemingがend of lifeについての興味深い講演をしたあとUABのDr. Robert M. Centorが「私達はDNARではなくAND(allow natural death)という言葉を患者家族に使っている」と発言した。たしかにDNARにもまだ「蘇生という素晴らしい医療行為で救えるかもしれない命をみすみす落とす」というニュアンスが残る。ANDがいい。



5/29/2015

Post-hospital syndrome

 米国内科学会誌を待っていたら今日来た。Journal Clubで脳梗塞に対するIAT(動脈内治療)のスタディ三つ(NEJM 2015 372 11、NEJM 2015 372 1019、NEJM 2015 372 1009)をレビューしていたのも興味深かったが、もっと面白かったのはIdeas and Opinionsの投稿だった(Ann Intern Med 2015 162 726)。要は、成人病棟は非人間的なところで「血抜き、食抜き、寝かせきり」をして、患者さんのストレスに対する配慮が欠けていることが、小児病棟と比較すれば一目瞭然だという主張だ。私は以前、音楽療法士さんがいる病院にいたのでそれがいかに患者さんのストレスを減らし、それがよいケアであることを証明するのにスタディなどいらないと感じたかについて書いたから、まったく同感だ。(とくに高齢者の場合)患者さんが退院後に入院中のストレスが一気にでてしまい、その現象が多すぎるあまりpost-hospital syndromeなどと揶揄されるまでになっている(NEJM 2013 368 100)そうだ。

 入院中の患者さんは入院しているだけでストレスなのだから、それをケアしてあげなければならない。私はよく米国時代によく「入院ってcrisisですよね」と共感してしばしお話をきくなどしていたが、もっとinstitutionalに取り組まなければならない。だから小児病棟が引き合いに出される。カラフルな壁、病棟内のリラックスできるスペース、蔵書、ゲームなどのハード面と、音楽療法士、臨床心理士を中心に多職種が患者さんの家族も引き込んでこの問題に当たるソフト面だ。一般病棟で毎日採血とか、論外だ(血液検査をしないと分からない腎機能や電解質を扱う私が言うんだから間違いない)。「入院は辛いけどみんなが良くしてくれた、ストレスを軽減してくれて比較的快適だった、ここに入院して良かった」と患者さんの目が活き活きするような病棟を見てみたい。


外来スキル

 以前、外来で怒りんぼうさんを診たときに「さあこの人の不満の原因は何かな?」と宝探しを始めるのは楽しい、それが英語だとやりやすいが日本語だとどうかなと書いたが、日本語でもちゃんとできた。まず第一には、信頼を得るためにどこまでも丁寧かつ誠実に接することだ。そしてこちらが相手の言いたいことを正確に理解できず相手が「だからそうじゃないっていってんでしょ」と怒気を現すたびに、それを一つ一つ大切に拾って謝り、それでもめげずに粘り強く問診を続けて相手が伝えたいことを理解したい(そして力になりたい)という姿勢を明確に示すことだ。助けられるかはわからなくても、全力で助けようとしていることを示す(見せつける位のつもりで見せる)ことで患者さんの気持ちもやわらぐことが多い。

 また、こちらからそれを察することができるが相手が言いにくそうにしている時には、敢えて患者さんの柔らかい触れられたくない部分に触れる勇気を持つことも重要だ。虎穴に入らずんば虎児を得ず。すべては患者さんのためなのだから、医療者がスルーしてはいけない。藪をつついてヘビを出しても、ヘビの扱いに慣れてヘビ退治をすればいいだけのことだ。最後に、魔法の言葉は共感だ。「大変でしたね」、「それは困りますよね」、「私だったら耐えられないと思います、よく我慢してこられましたね」、など。これらのさまざまなスキルを惜しみなく使って、最後に患者さんが「ありがとうございました」といって診察室を後にすると、やっぱり嬉しいし、むしろそういうやりとりのほうが楽しい。怒りんぼう外来でも始めるかな。でも怒りんぼうさんだけじゃなくて穏やかさんと話すのも悲しみさんと話すのも楽しいから、いまのままでいいや。


5/28/2015

Resident Outreach Initiative(aka efficiency improvement)

 夜になってもガラスの靴をはいて電子カルテという王子様との楽しい時間を過ごして、放っておくと12時の鐘が鳴るまで帰らないシンデレラ研修医たちが多い。彼らを帰すためには、ただ「帰ったほうがいいですよ」と言うだけでは余り効果がない。一人ひとりに駆け寄って仕事を効率的に終えることや、自分で考える力や、頭と手足を同時に動かすことを教えてあげなければならない。冗長なカルテをうんせうんせ書くのは時間の無駄で、プレゼンする積りで喋るままサラサラ書けば時間がだいぶん節約できる(米国はカルテもサマリーもお手紙もディクテーションだ)。分からないことはUpToDateでも参考書でも一秒で検索できるし、それでもわからなければぼーっとしてないで手当たり次第聞くのが早道だ。他にも無駄をはぶく色んなコツをさりげなく教えてあげる余力が出てきた。米国の勤務時間制限は、時間制限内に仕事を終えなければ結局自分の責任にされる(プログラムのせいにはならない、なったらプログラムがつぶれるから)。Efficiencyを上げることが求められる。抜けなく速く仕事を終える訓練をさせてあげることも、指導医の大事な役目だと思う。もっとも、ある程度教えたら自主的にやり方を工夫して成長してくれるタイプもおり、そんな研修医には「今日の君ははどんな君より素晴らしい、この調子で光の輪の中に白い羽で羽ばたいてほしい」と言ってあげるのがよいかと思う(木村カエラ『Butterfly』より改変;たまにはJ-POPもfollowしないと話題が通じなくなる…)。いずれにせよ、打てば響く先生達ばかりで教え甲斐がある。


5/27/2015

忘れられない一言 31

 私は大人になったら(研修を卒業したら)アカデミックな教育病院で腎臓内科も総合内科もやりたいと思っていた。そして、できれば医学教育の中でも臨床教育を(米国レジデント以上のレベル対象に)やりたいと思っていた。それには、日本で初期研修していた時に腎臓内科経験のあるすごい米国総合内科医に拾ってもらい、そのあと総合内科経験のあるすごい腎臓内科医に拾ってもらい、米国で総合内科レジデンシーをした時に最も「この人すごい」と思った先生が腎臓内科(と内分泌のダブルボード)医で、腎臓内科フェローシップをやったところで腎臓内科スタッフ全員が総合内科のteachingを兼任しており、なかでも公私共に相談に乗ってくれた移植腎臓内科兼腎臓内科の恩師が"We are general internists who happen to be nephrologists, right?(僕達は総合内科医で、たまたま腎臓内科医でもあるんだよね?)"と言っていたことなどが影響していると思う。

 いま、それができていて幸せだ。こんなことを書くのは、いま私が米国の病院から「空きが出来たのだが二年目腎臓内科フェローとして働くことに興味はあるか?」と誘われているからだ。私は2 year rule(研修が終ったら2年間は本国に帰らなければならないという決まり;あれから二年になるのか…長かったな…)が今年切れるので、米国に帰ろうと思えば帰る先さえあれば帰れる。米国で受けられるシャワーのような教育(浴びるように知識を得て経験を積むことが出来るという意味)、米国時代にしていたアカデミックな活動を再開できるかもしれないこと、昔の同僚や友達にまた会えること、米国で英語で気楽に生活するということ、契約は一年でも米国というところは本当に残りたければなんだかんだいっても残れてしまう不思議な場所だということ、などいろいろ考えることはある。

 そこで言う、いまの働き方ができて幸せだと。一年間エクストラでフェローをするのは決して悪い考えではないが、これからはスタッフとしてスタッフなりに成長していきたいと思っている。最終的に日本の普通のお医者さんになることはできなくても、患者さんを助け周囲の医師と医療職の学びに貢献できればそれでいい。米国が滅亡することは、まあないだろう。日々できることを持続可能な方法でやって、また似たような機会がきても(こなくても)、その時の状況で考えればいいことだ。怖がらなくていい、信じていればいい、誰とも違う自分になれる(平原綾香『翼』より改変)。



5/21/2015

Fake smile

 ILR(implantable loop recorder;1誘導のみの埋め込み心電図モニター)はMRIにcompatibleなことや入れっ放しでも良いことも、acotiamide(商品名アコファイド)がアセチルコリンエステラーゼ阻害薬で保険の用量が100mg一日3回食前なことも、ヨード過剰が甲状腺でのヨウ素の有機化とT4、T3合成を阻害するWolff-Chaikoff 効果などで毒性を与えるとされる認容上限量は成人で2200mcg/dなこと(日本人の食事摂取基準2010年版)も・・・

 肝硬変でのdiuretics-resistant ascitesの治療をUpToDateで振り返った(この群ではβブロッカーを切るbenefitのほうが続けるbenefitより大きいと考えられている)のも、TIPS(transjugular intrahepatic portosystemic stent)シャントの手技をYouTubeでみたことも、ハツカダイコンは20日で成長するが網状赤血球は1日で赤血球になることも、抗ミトコンドリアM2抗体関連Fanconi症候群(PBCを必ずしも合併しない;JJN 2011 53 719)があることも・・・

 みんな面白い。

 これらが面白いのは、単に知識を得ているからというのもあるが、それ以上にこれらの知識を得る過程で人と関わっているからだ。研修医の先生方の質問に答えたり、指導医の先生のレクチャーを聞いたり、研修医の先生からの質問に答えようとしているのを見かけた指導医の先生が教えてくれたり、学会のメーリングリストにコンサルトメールをして全国の先生方からアドバイスをいただいたり。

 このような関わりを通じて、帰国した私も周囲や社会に馴染んでいくのかなあ、などと考える。それから、このような関わりを楽しみにこれからも仕事をして行きたいと思う。

 しかしまあ、こういう「やったー」という瞬間は社会人であれば他の仕事をしていてもあるだろう。やはり医療職であるからには、患者さんとの関わりを生き甲斐にしたい。



 たとえば、患者さんの「嬉しい笑顔」と「悲愴な笑顔」の違いがわかること。ほんとうは心から泣きたいほどつらいのに、泣いてもどうにもならないから気を張って笑うしかない笑顔は、突き抜けて明るいのにどこか淋しげだ。見ていて、こっちが泣きたくなる。

 人の苦しみを分かるとか癒せるとか、そんな偉そうなことはいえないが、せめて「おかしいな」と気づいて、状況をよく聞いて、何かしてあげられないか考えて手を尽くし、必要ならその時ある医療社会的資源につなぐこと。

 「ひとつの心がこわれるのを止められるなら私が生きることは無駄ではない」とはEmily Dickinsonの詩(全文は下に)だが、そういう診療ができたらいいなと思う。



5/15/2015

Courtesy

 教育とは教わって30年経ってもまだ残っているものの事を言う、と本で読んだ(小林司著『「生きがい」とは何か』NHKブックス)。それで、30年まで行かないが10年ちょっと前に皮膚科の臨床実習で当時の助教授から習ったことを思い出した。といっても皮膚のことではない。この先生はたしかイギリスに研究留学された方で、どういうわけか講義の途中でgentlemanshipについて語りだした。そして、「ドアを開けて中に入る時には必ず後ろを確認して、あとから来た人がいたらドアを開けて待っていてあげなさい」と言われた(gentlemanshipというと男性だけみたいだから、代わりの言葉を探したが、まあcourtesyあたりか;professionalismにもなるのかな)。

 教育って不思議だけど面白いなと思うのは、それ以来私はこの言いつけを守り、自分なりに温め続けていることだ。ネクタイにシャツというスタイルを貫いているのも、そういう文脈だ(九州の暑いところで初期研修した時にもその習慣を守ったので、卒業するときに寄せ書きに「Mr. オシャレさん」という名誉な称号を書いてもらった…別にオシャレじゃないと思うけど)。白衣を着て椅子に座る時に白衣にしわが寄らないように気をつけるのもそう。歩いていて左右から他の人が来たら立ち止まって彼(彼女)に道を譲るのもそう。エレベーターに乗り込んだら、誰か来るかもしれないから「閉」ボタンを押さないのもそう。100%守れない時もあるけど、習慣化しているからだいたいやっている。

 翻ると、私が誰かに言った(あるいはどこかに書いた)ことがどこかで誰かに影響を与えているかもしれないということだ。やっぱり面白い。



5/14/2015

Soulmate

 いまの職場は病歴のプレゼン、入院時サマリが定型化されており、「病歴の情報源とその信頼性」、「キーパーソン」を必ず把握するようになっているのがユニークで、これはいい考えだと思う(キーパーソンをKPと略して通じるくらい浸透している)。米国風なのだろう。私も向こうでキーパーソンを把握していたが、配偶者とおもったら結婚していないことも結構多かった。日本には「内縁」という言葉があるが、米国にはないので、こういう場合男性ならboyfriend、女性ならgirlfriendと呼ぶ。しかしビバリーヒルズ青春白書じゃあるまいし、ある程度のお年の方をこう呼ぶことになんだか抵抗があった。そんなとき、ある方が(たしか女性で、患者さんはwidower、彼女はwidowでいま一緒に暮らしているが結婚はしていないという関係だった)「私は彼のgirlfriendといわれるのは嫌いで、soulmateと呼んでほしい」とおっしゃった。たしかにそのほうがしっくり来るなとおもった。


Rucksack

 通勤中くらいはぼーっとしていないと脳が活性化されすぎて消耗するくらい論文だのいろいろ読んでいるが、電車の中でぼーっとしているはずが「なぜ通勤女性はリュックサックをもたないのだろう」という疑問が湧いてきてしまった。それで乗客を観察していると、通勤女性でリュックをしょっていたのは全体の1-2%だった。これはリュックの通勤男性にくらべて有意に低い割合と考えられた。ほとんどの通勤女性は肩掛けバッグで、量が多い人は肩掛けバッグの反対側に手提げバッグを持っている。それに対して通学女性はリュックの人も多い(しかもリュックを腰の辺りまで下ろしてしょっている;写真参照)。リュックから肩掛けバッグになることが大人の階段というか慣習なのだろうか。あるいはリュックは混雑する電車内で邪魔になるからという女性らしい配慮なのだろうか。今度誰かに尋ねてみたい。いずれにせよ片肩にバッグをしていると骨格がゆがまないか心配だし、肩掛けバッグも手提げバッグも引ったくりに遭いやすいのではないかと思ってしまう。というわけで、ぜんぜんぼーっとできない。このままでは脳が煮える。いっそスマホを買って例の「ぷよぷよ」みたいなゲーム(あれ何ていうんだろう?)でもしたら、無目的なリラックスになるだろうか。


5/09/2015

ロールキャベツ男子

 日本に帰ってきた医師が慣れないことのひとつが医局というスペースだと思う。プライバシーがなく、落ち着かない。常に見張られている気がする。机の前で、休んで良いのか良くないのかわからず困惑してしまうのだ。向こうで研修医をしていた頃は、机はない代わりに働く時は病棟のworkroom(ナースステーションのような、医師の詰所部屋)にいるし、休む時はresidents' lounge(卓球台があったのが懐かしい)や図書館に居られた。スタッフになれば、机だけでなくoffice(部屋)が与えられ、その壁に大学の卒業証書や専門医資格証を額に入れて掛ける(そして机には家族の写真または子供が書いたパパあるいはママの絵が飾られる)。私がmentorたちと話をする時なども、先生方のofficeに行ったものだった。
 もっとも、だいたいどの医局にもテレビとソファーを置いた「憩いの部分」はあって(そしてそこにあるテーブルにはどういうわけか菓子が切れることがない)、そこで歓談や休憩をできるようになっている。しかし、大量の机とコンピューターの前にいる先生方をバックにしてプライバシーも何もないから、ここで憩い歓談しろといわれてもMURIと思ってしまう。まだ来たばかりで声も掛けにくいし、年配の先生が新聞を読んでいるのを邪魔するわけにもいかないし…。でも、私がこう書いたら今の職場にworkroomやloungeやofficeが出来るわけじゃないから、医局での過ごし方に自分から慣れていかなければならない。
 というわけで、一番身近な先生が「憩いの部分」に居るとき、話に入り込めそうだったのでそろりと近づいてみた。最初は仕事の話をしていたが、じきにくだけた身内なムードとなり、その先生が研修医の先生に「先生は将来、肉食家庭医になってね」と声を掛けた。私も肉食系・草食系くらいは知っている。それで興じてその先生に、別の研修医の先生は何系ですかと聞いてみた。すると、「彼はロールキャベツです」という答え。ほう(は?どういうこと?!)と生返事をしたら、「外側は野菜だけど中は肉ってことです」と説明してくれた。そして周りで話を聞いていた(そう、話はすべて筒抜けなのだ…慣れろ…)ひと全員がこの言葉の意味を理解していた…。少しずつ馴染んでいこう。きっとできる。


5/08/2015

接遇の訓練

 パッチ・アダムスといえば映画にもなっているが、彼に一度会ったことがある。身体を使ったワークショップと講演を聴いたのだった。まず映画で今は亡きロビン・ウィリアムスが演じたパッチとは全然ちがって、実物は背の高い青髪のヒッピーでフォークの形をしたピアスを片耳にぶらさげたおっさんだったのが印象的だった(写真)。彼は講演でいろいろ言っていたが、今でも覚えていることのひとつに、彼が若い頃にランダムな電話番号に電話をかけ、「間違い電話でした」というのを繰り返していたというくだりがあった。これだけだとただの奇行というか迷惑だが、彼がこの行為を通して熱心に努めていた事は、電話を切るときに相手が「もっとこの人と話していたいな、電話を切るのがさみしいな」と思って貰えるようにすることだったそうだ。私個人は彼の講演をまた聞きたいなとは思わなかったが、ともかく彼は世界中の人々に慕われ、悩み相談に多くの手紙が届くそのすべてに返事を書いている(彼はコンピューターも携帯電話も使わない;文通だけする)。

 今の職場にきて、リハビリを受ける患者さんがリハビリ前の医師に診察を受ける、その役目を月に数回担当している。一人あたり数分で、調子はお変わりないですか?くらいで診察と言っても事前に測られた血圧をカルテに記載するくらい(必要があれば追加診察するが)というのを午前中に多いときは30人やる。これが世界に名高い日本の「外来30人診察」なのか…と体験できただけでも妙な自信?がついた。しかし、内科診療(診断のための問診・診察、検査、処方、再来予約、などを含めた)で一コマ30人診るのは相当な腕がないとできないのではないかと思う。それはさておき、このリハ前診察で私が心がけていることが、患者さんに何か希望とか「診察してもらえて良かった」と思ってもらえるようにすることだ。だから「(受傷されて)たいへんでしたね」とか「(これ位で済んで)よかったですね」とか「(~できるようになって)すごいですね」とか「(回復が遅く感じられるけど)時間がかかりますよ」とか「ゆっくりだけれどきっとよくなりますよ」とか声掛けしている。まるで接遇の訓練だ。パッチを目指して頑張るぞ?


5/07/2015

ASPIRATE

 どこが出典か知らないが(検索してもなかなか出てこないので…マニュアル本で有名なSaint-Francesかと思ったが違うらしい)いまの職場では心不全急性増悪の原因をASPIRATEという語呂合わせにしている。すなわち;

A Anemia(貧血)
S Sepsis(敗血症・感染症)
P Pulmonary embolism(肺塞栓症)
I Ischemia(虚血)
R Renal(腎)
A Arrhythmia / adherence(不整脈・怠薬)
T Thyroid(甲状腺)
E Excess work / salt(労作・塩の過剰)

 これで引っ掛けて正しい診断に至ったこともあり、お役立ちの語呂合わせの割にあまり知られていないので、自分が忘れないためにもここに書いておいた。それにしてもどこが出典なのだろう。ハワイ大学秘伝のものなのかな?


antigen-null RBCs

 外来を終えたあとはぐったりするが、それでもこの研究については書いておきたいと思うから書く。A抗原、B抗原はO型糖鎖にそれぞれN-acetylgalactosamineとgalactoseがついているのだが、この結合を切る酵素であるfamily 98 glycoside hydrolaseを肺炎球菌SP3-BS71 (Sp3GH98)が持っている。結合を切ってしまえば、誰にも輸血できるantigen-null RBCsができる。

 しかし、この酵素は活性が低いのが難点であった。そこで分子生物学的にこの酵素をエンジニアリングして元の170倍にまで活性を増幅することにフランスとカナダの研究者達が成功し発表した(J Am Chem Soc 2015 137 5695)。これを応用すれば、輸血のみならずABO不適合移植においても抗A、抗B抗体の壁を乗り越えられるかもしれない(現在は免疫抑制と血漿交換で乗り越えているが;それについては以前に書いた)。

 この論文を読みたいが、アクセスがないのが残念だ。こういうのを何のひっかかりもなくアクセスして読めたらいいのにと思ってしまう。しかし、医学系の雑誌ですらないから、こんなものを各病院が購読していてはお金の無駄だ。それでもなんとかならないものか。出身大学の図書館に問い合わせたら購読しているかな、総合大学だし。卒業生にもアクセス権を与えてくれないだろうか…(ウェブサイトによればアクセスするごとお金を払わなければいけないみたいだ)。

 [追加]なんとか論文をゲットして読んでみると、この酵素は糖鎖の一番先っぽの結合を切るのではなく、先っぽの三つの糖(trisaccaride)ごと切離するようだ。この例を見ても、論文はabstractだけじゃ分からない情報がたくさんあるから、やっぱりフルテキストをPDFで欲しい。



5/04/2015

お疲れ様でした!

 都心でのんびり一日を過ごすほど心休まることはない。映画を観たり、フリーマーケットを見物したり、街を散歩してお店を観察したり、本屋の中にあるコーヒーショップに入ったり。

 しかし夕ご飯を食べに入ったお店で席に案内されてお絞りを渡されたときに「お疲れ様でした」と言われたのには参った。レストランでそんなこと言われたの初めてだ、これが例のお〇〇〇〇か。米国なら”Hi I’m Genie, how are you guys?”って感じだろう。イチコロに癒された。食事も美味しかった(興味のある人は下の写真を参照して行って癒されてみてほしい)。

 終わりというものがない仕事柄、一応の区切りをつけて帰るわけだが「お疲れ様でした」とは言いにくい雰囲気がある。言うには言うけどどうしても先に退勤する後ろめたさを感じて消え入るように帰ってしまう。

 しかし「お疲れ様でした」と気持ちよくいえるというのはこんなにも爽快なことなのか!と思った。

 さあ、今度から勇気を持って気持ちよく言えるかな…?シフト制やサインアウト制なら言いやすいのかな。そういえば「お疲れ様でした」という英語はないんじゃないかと思う。帰るときは単にBye、とかTake care、とか言っていた気がする。韓国語はあるけど(수고하셨습니다、スゴハショッスムニダ)。



呼び出し

 今の職場の外来は個人情報保護の観点から呼び出しが銀行や郵便局のように番号でなされるシステムだ。マイクもなく、電子カルテの「呼び出し」というところをクリックすると「キンコン、XXXX番の方、4番診察室にお入りください」というような自動アナウンスが流れる仕組みだ。自分が患者の立場でこれを経験したときには「キンコン」と音がするたびあたかもビンゴゲームでもしている気分になったが、個人情報保護は大切だからこれも時代の流れかなと思う。

 診察室の閉じた扉をノックして「どうぞ」と言われて中に入るのは、あたかも学校の先生に呼び出されたみたいに感じて思わず「失礼します」と言いたくなる。で、入ると医師が革張りで背もたれとアームレストのついた椅子に座って身体を電子カルテに向けているのである。それに対して患者の椅子は簡易なもの。やれ接遇だおもてなしだと言いながら、こういう根本的なところはなかなか変わらない。ただこればっかりは仕方ない、外来の構造が日本と米国で違うからだ。

 米国は診察室に患者が通されそこに医師がノックして入り、診察台に座った患者のほうが医師より視線がたかくなり、医師はそこで自己紹介して患者と握手する。しかしそれはできないので、私は呼び出しボタンをクリックしたら診察室のドアを開けて患者さんを迎えにいくことにしてみた。こないだあった接遇研修(こういうのはどこも全職員必修なのだ、うちの病院はやってますよといえることが大事だから)があったが、「挨拶」と言う漢字は「挨」が心を開くこと、「拶」が相手に向かっていくことだと習った。

 正直はその場で相手を直ちに治してあげられないことに申しわけなさを感じてしまうこともあり、心を開けているかはわからないが、態度から変えていけば心持ちも変わって行くかもしれないと、半分は自分のためにやっている。もう半分は、診察室まで歩いてくる(または車椅子を押されてくる)様子を一目見ただけでも診療に重要な情報がたくさん得られるからだ。歩き方と速度、表情、服装、同伴者などを数秒スキャンするだけで病歴がだいぶん取りやすくなる。「わざわざ出迎えてくれてありがとうございます」と言われることもあるが、それに満足したくてやってるわけではない。



仏僧と医師

 仏僧が修行道場に行って修業を終えて帰ってきたらそれで修行が終るわけではないことと、医師がレジデンシーなりフェローシップなりを終えたらそれで医師としての成長が終るわけではないことは何となく似ている。仏僧が日々の勤行をおこない、弟子を育て、衆生を慈しみ仏性が顕れるよう祈るように、専門医をとった医師も日々研鑽を積み、若い医師を育て、患者さんの苦しみを自分の持てる全てを使って取り除くことが求められる。

 そのためには、自分の心が明るくかつ落ち着いて、モチベーションで充ちている必要がある。その心のお手入れは、ある人にとっては初心に帰ることであるかもしれないし、学会に行ったり論文を読むことかもしれないし、若い医師の燃えるような学びの情熱を受け取ることかもしれないし、患者さんに感謝されることかもしれない。そんななか名越康文著『どうせ死ぬのになぜ生きるのか』(PHP新書)を読み進め、真言密教の『仏前勤行次第』のなかにある開経偈を見つけた。

 無上甚深微妙の法は
 (この上なく深く普通の人が知ることができないような素晴らしい智恵は)
 百千万劫にも遭い遇うことかたし
 (宇宙が始まって終る時間の百倍千倍かかっても出会うことが難しいのに)
 われいま見聞し受持することを得たり
 (私はいまそれを見聞きし受けとめ得る機会を得たのであるから)
 願わくは如来の真実義を解してたてまつらん
 (願わくはどうかその智恵を理解することができますように)

 臨床の「なんかおかしい」という観察眼というか勘というか、そういう能力は経験を積んでいればこそ身につき磨かれていくものだ。フェローシップで無料でいくらでも手に入る論文と専門書を消防車のホースから水を飲むようにごくごくと読んで得た腎臓学の知識の集積も、毎日毎日何十人のコンサルトを受けて得た経験も、ふつうに働いているだけでは身につかない特別なもので自分の基礎をつくったが、時間がたてば古くなる。

 だから日々精進しなければならないのだが、この開経偈に触れて「自分がしてきた経験と得てきた知識は、宇宙が始まって終る時間の百倍千倍かかっても出会うことが難しいものだったのだから、その道をあきらめてはいけない、毎日少しずつでも前に進む努力を惜しまず、それを持続的に可能にする心の持ちようや生活習慣を身につけなければいけない」と気づかされた。私はなんとラッキーな人間なのだろうとも。

 そしてそれがひいては周囲の同僚、患者さん、社会、世界によい影響を及ぼすと信じたい。前掲書によればこれを(大乗)仏教では「方便」というそうだ。『大日経』の「住心品」には、

 菩提心を因となし、
 (自分の未熟さを知り成長しようと固く誓う心を全ての出発点とし)
 大悲を根となし、
 (ひとの成長を願い敬意を持って苦しみに共感する態度を土台とし)
 方便を究竟となす
 (社会の中で日常において相手に親切にしたり貢献したりすることが究極の境地である)

 とある。私が「方便」と言う言葉に抱いていたイメージとだいぶん違う。方便は相手を上から優越的に導くのではなく、相手の無限の可能性を信じるようにやるそうだ。またやったあと自分の心が輝き爽やかになるかどうかを指標にやればいいそうだ。そして一番重要なポイントとなるのは、実は「共に戯れる」ようにやることだとまでいうからラディカルだ。良い方便というのは相手と遊びながらインタラクションすることで、相手の自発性が自然に伸びて成長していくようなものだという。

 これは体育会系で上意下達的な医療文化では根付くのにまだまだ時間がかかる考え方だろう。しかし例えば私が帰国してから上の先生にも下の先生にも関係なく丁寧語で話すのは、従来の文化に対するささやかな抵抗だし(私は上の先生が下の先生に、あるいはドクターがナースに「おう、おう(aとoの間の発音)」と体育会系の相槌を打つのが正直いって嫌いである)、相手の考えを聞きそれを発展させるような対話式の教育を心がけたり、相手の自発的な質問を受けそれに対する答えを提供してあげるようなスタイルを重視しているのも然りだ。



5/02/2015

 私は東京出身だが、庭に大きな樹がある家で育った。長野から作家を目指して上京してきた曽祖父が植えたそうだ。それに東京といっても道路には街路樹があるし近くの大学にも並木道があるし樹々がたくさん生えた公園もある。それでも、いままで物言わぬ樹は私にとっては鉄柱と同じだった。春に芽が開き五月に新緑をだし秋に紅葉しながらダイナミックに生きているのを日々みていたにもかかわらず、である。人間なんかよりずっと長く(うちの樹の種を植えた曽祖父も祖父ももう他界した)生きてきたにもかかわらず。

 名越康文著『どうせ死ぬのになぜ生きるのか』(PHP新書)は、仏教の行を実践することで自ら心を落ち着かせ因縁を断ち切る方法を紹介している本だ。「行」というから座禅したり滝に打たれたりするのかと思ったら、日常のささいなこと、たとえば姿勢を正して息をゆっくり吐ききるだけでもいいというので気が楽だ。この本によれば、一時的な心の乱れを整える方法のほかに、平生から「心の基準点」を高く保っておく方法があるという。そして後者の行のひとつに「大きな樹と呼吸を合わせる」というのがあった。

 幹の太い、生命力に溢れた樹を見つけておき、毎朝早起きして両手を樹の幹にあて、目をつぶって深く深呼吸する。このとき自分の呼吸と「樹の幹の中にある生命の流れ」を同調させることで、自分のなかにある澱みを大きな樹によって洗い流してもらうことをイメージするのだという。心の疲れがたまっている人はなかなか自力では心の落ち着きを取り戻せないので、これをやると樹の大きなエネルギーを借りることができる。これを読んで、出勤の途中に出会う樹々を初めて「大きなエネルギーをもったいのち」と発見した。

 そして、勇気を出して幹に触ってみた。通勤の人の流れのなか立ち止まるだけでも、ちょっと落ち着く。川辺に立ってざーっという水の流れが聞こえるかのようだ。人目が多少気になるが、そこは他人のことに立ち入らない個人の集合都市東京だから「何してるんですか」と声を掛けてくる人などいるはずもなく、心配はいらない(もし見かけても、そっとしておいて欲しい)。樹こそつよい生命体。一人で立ち文句も言わず、深く根を生やし、乾燥にも雨にも耐え、人間なんかよりずっとながく生きる。なんだか尊敬の念が湧いてきた。



4/30/2015

忘れられない一言 30

 米国内科学会誌のOn Being A Doctorを久しぶりに読んだ(Ann Int Med 2015 162 594)。著者は医師を志すところから始まり、医学部時代に苦労して勉学したこと、右も左も分からず孤独できつかったインターンイヤー(伝統的に米国では医者一年目をインターン、二年目以降の研修医をレジデントという;専修医がフェローで、これらを総称してハウススタッフと言ったりもする)を回想したあと、二年目半ばのある日に飛ぶ。

 その日、著者はメンターと将来を話し合うことになっていた。しかしメンターは著者と目を合わせず挨拶もなく、唐突にある患者について尋ねた。孤独で疲れる24時間当直のあいだに診て、チームで決めたプランをオーダーし、退院オーダーにサインし、独りでバスに乗って帰った患者だ。メンターは"Well, he died 12 hours after you discharged him from the hospital. You are being sued."と言った。思わぬ言葉を信じられず口も利けなくなり、将来が暗転した。ここで、著者がメンターの部屋を出るときにメンターは何と言ったか。

 "You are the type of person who is going to change the world."

 パンドラの箱を開けたあと最後に希望が残っていたような話で、こんなことなかなか言えるものではない。ちょっと意味が分からないほどだ。現実には私が世界を変えるどころではない、それは医療の世界が私を変えた瞬間だった、と著者は回想する。弁護士から届く手紙に怒り悲しみ、この件について同僚に相談することを許されず、失敗することを極度に恐れ不安におののき、レジデンシー最後の1ヶ月は出てこないように言われ、パニック発作を起こした。深く傷ついてのレジデンシー卒業だった。

 裁判になる二日前に和解が成立して著者は条件付きの放免になった。しかしその頃には著者は粉々に砕け散り、その破片だけがあとに残った。この経験に意味を見つけようとするのに長い時間を要したし、自分自身が持続的に浸蝕され、暗闇のなかで不安や怒りや窒息や腐敗や内臓がむき出しになるような感覚に傷つきながら医学を学び自分自身をhealerと位置づけ続けることは容易ではなかった。こんな自分は、世界を変える人ではない、と思った。
 それでも、医学の難しさと医療の不確実性、それに携わる厳しさ(ときに逃げ出したくなるほどの厳しさ)を嫌というほど思い知らされたことを、著者は医師を志す第二のawakeningと回想する。まだどっちに向かっていけばいいのか分からないし、この経験がどう活きるのかもわからない。それでも、I need to feel empowered again. I need to feel like I am walking forward and that I might, just might, be able to change the world.という著者。

 I need to、という助動詞に共感できる。一度粉砕されると、「またやるぞ」となかなか言えない。「~じゃなきゃいけない」とは分かっている、という感じだ。Empowered、と受動態なのもわかる。Change the world、という言葉にはやはり光を見る。神は乗りこえられない者に試練を与えない。そしてなにより、こうやって著者が自分の経験と心の中をシェアしてくれることで、読者に希望を与えることができる。誰しもが苦しみや失敗や逆境や試練を経験する。You are not alone、と思える。



4/28/2015

気持ちが萎える薬屋さんの説明

 餅は餅屋、薬は薬屋といいたいところだが薬を処方するのは医師だ。だから各社が各病院に担当者を配置して自社商品の優位性を伝えさせる。お薬屋さんの商品プレゼンは、パワーポイントもお金と時間を掛けてプロが作るのでそれはそれは出来がいい。最近はテレビ番組みたいな動画もついている。多額の研究費用と長い年月を掛けて作った新薬だから利益を回収しなければならない、薬屋さんからしたら当然のことだ。

 私もレクチャなり講演なりでパワーポイントをたくさん作ってきたが、あの完成度には敵わないなと思ってしまう。というか「もう綺麗に凝って作るのはやめだ(下の絵みたいなのはさすがに作ったことないけど、自分なりの美意識はあった)」という気持ちになる。うまい弁当を食わされても気持ちが萎えるばかりだ。内容なんてどうでもいい、どうせ「この矛はどんな盾も突き通す」とか言っているんだろう?と思ってしまう。

 そもそも米国にはない習慣なので、COI的にどうなのか?と、帰国したばかりの前の職場では罪悪感いっぱいで説明に参加してたいてい途中で退席していた。いまの職場では薬屋さんの説明が前座になっているので退席できない。

 それはさておき、今後パワーポイントを作る機会が来たらどうしよう。パワーポイント使うのはもうやめようかな。でもまあそういうわけにも行かないから、内容があってシンプルで洗練されたものにしようかと思う。しかしそうしようにも、薬屋さんがやっている論文を無料で読めるサービスに登録しなければ論文へのアクセスすらままならない(自分が入っている学会の雑誌は読めるけど)。薬屋さんに支配されているように感じる。

 それなのに各病院に配置された薬屋さんの担当の方々は恭しく接してくれるので、医師達はそう感じないように巧妙に操られている。本来なら医師が薬屋さんの担当者に「薬屋さんあっての医療でございます、いい薬を作ってくださり有難うございます」と言うべきなのだろうか。まあそんなこと気にしていたらやっていけない。流れにまかせて生きていこう。



4/20/2015

ニッポンのお医者さん(aka 忘れられない一言 29)

 病棟も診て、外来も診て、病棟当直もして、ER当直もして、外勤もして、土曜も普通に働いて、朝6時に起きて夜10時に帰ってくるのがニッポンのお医者さんだ。ひょっとしたら、勤務医だけじゃなくてニッポンの雇われサムライ(男女を問わず)はどんな業種でもそれが当たり前なのかもしれない。それでも日曜日は活発に過ごしていて、パワフルだ。キラキラしている。聞けば「そういうもんかと思ってました」とかしれっと言うから、慣れというのは素晴らしい(というか恐ろしいというか…私にはMURIと思ってしまう)。

 専門医をいっぱい持っていて、でも「専門医を取って喜ぶのはその日(合格した日)だけです」と言われるニッポンのお医者さん。そんなエネルギーに満ち溢れた先生から「米国でのクリエイティブでアカデミックな活動と日本の勤務医の仕事のあいだにはギャップがあって大変だと思います」とか言われたら、有難うございますって癒される。エネルギーを分けてもらったみたい。いやとんでもない、あなたの成し遂げたこととしている事に比べたら私なんてまだまだです、しっかりしなきゃって思う。それでか、今日は一日へばらずに終えることができた。有難う。それから、今日もお疲れ様。


4/03/2015

狼狽

 いまの職場にいると、自分がいかに曖昧に成長してきたかを痛感しうろたえる。ここの指導医は、きちんとした教え方ができる。それはきっと彼らもきちんと教わったからなのだろう。漏らしのないよう知識をリストまたは語呂合わせで教えるので、教わるほうも感心して安心して内容をメモれる。また、重要なエビデンスとガイドラインが完璧に頭にインストールされているので教える側も自信を持って教えられる。

 私も医学生時代はカレント2003を読み、レジデント時代はpocket medicineの第一版(赤いの)を読み、卒業前にはMKSAP15の教科書を読み問題も全部解いた。しかし忘れるものは忘れるし、医療は日進月歩である。私が腎臓内科の専門医教育を受けていた間、また韓国語短期留学していた間もずっと日米両方の良いとこ取りをした総合内科を学び教え、鍛え磨きつづけた彼らにかなうわけがない。

 また、学び直さなければならない。しかし、焦っては駄目だ。それから、自分がやってきたことにも自信を持たなければならない。焦りや羨望、劣等感が生じるのは仕方ないにしても、それをうまく処理する。人間関係をちゃんとつくってサポートを維持する。レジリエンスに関する本を読む。できることはできるし、できないことはできない。自分の強みと弱みを理解して、強みを磨き弱みを平均くらいにできればいい。

ABPP for PAL

 いま総合診療科にいるので、診療するのに使う知識が2011年まで遡る。それは、多くのことをすでに忘れているということを意味する。しかしmaintenance of certificationの意味でもここで忘れていたことを学び直し知らなかったことを学び続けることは有益だ。
 その一つに、PAL(persistent air leak)に対するABPP(autologous blood patch pleurodesis)があった。論文(Thorax 2009 64 258、Current Opin Pulm Med 2012 18 333)によれば、tetracyclineやtalcに比べて非侵襲的で気胸再発のリスクも低い方法だという。
 デメリットとしてchest tubeが細いと自己血が凝固して詰まって緊張性気胸を起こすことがあるので、前者の論文は生食フラッシュを薦めていた。また入れる血液の量は、最初の報告は50mlだったが、100mlのほうがより有効だそうだ。

4/02/2015

忘れられない一言 27

 外来、小さな教育的clinical pearlも見つかった。それは、外来受診前に患者さんが書く質問票を鵜呑みにしないということだ。

 忙しい外来で質問票がたいへん役に立つことは言うまでもない。しかし、患者さんがすべて正直に書くとは限らないことを知るべきだった。私が担当した患者さんは、私が現病歴をあらかたきいたあと一通り既往歴、内服などと尋ねようとすると「そこに書いてあるでしょ」と言った。確かにかいてある。

 それで、相手に迎合するような形で「飲んでる薬はないんですね」「タバコはすわないんですね」と軽い確認をしてしまい、患者さんも「そう」と答えた。でも血液検査で多血症が見つかり、まず「タバコ吸いますっけ?」と聴いたら、「吸わない」にチェックされた質問票にちらりと目をやり申し訳なさそうに

「すいません、嘘書きました」

 と言った。

BAD DAY

 Bad dayなんて書いたら嫌なことがあったみたいだが、そんなことはない。むしろ、同僚の先生の誕生日祝いができてhappy birthdayだ。なのになぜbad dayかというと、BAD(branching atheromatous disease)型脳梗塞について勉強したからだ。
 ラクナ梗塞が細い脳動脈が高血圧性にhyalinosisにを起こして詰まるのに対し、BADは、レンズ核線条体動脈、橋傍正中枝などの入り口がアテローム性病変によりふさがり狭窄・閉塞する。1989年に提唱されたものだそうだ。入り口が詰まるので、枝そのものは空いている。
 臨床的には、ラクナ梗塞よりも進行が早く治療に難渋するそうだ(入り口が詰まるので梗塞範囲が深く広くなる)。日本でよく研究されているらしい。治療はおおよそ他の脳梗塞に準じるが、アテロームの炎症を抑える意味でスタチンが一層効果があるかもしれない。
 
 

3/19/2015

課題

 「AだからBできない」ということは、多い。私もそうだ。しかしそんな時人は実際、「Bしたくないから、しないということを自ら選んでいるのであり、そのよい口実のためにAという理由を探している」のだという。アドラー心理学によれば、このAは『人生の嘘』と呼ばれる。Cannotではなく、Will notというわけだ。

 逆に言えば人生は自分が決めるし、決めたことを変えるのも自由だ。フランクルはこういっているそうだ、環境や教育、また素質ではなく自分が自分を決める。人間であるということは、このあり方しかできない、他のあり方ができないということでは決してなく、人間であるということは、いつでも他のやり方ができることなのである、と。

 だから「AだからBできない」という理由探しは止めにして、やらなければならないことは腹をくくってやらなければならない。失敗するはずがないという楽天主義ではなく、現実を見据えて一生懸命もがく楽観主義で。二匹の蛙がミルク壺に落ちて、片方は悲観して溺れてもう片方は一生懸命もがくうちミルクがチーズに固まり壺から出られたという寓話もある。

 アリストテレスによれば素材因、作用因、形相因、目的因があって物事が行われるという。彫刻にたとえれば大理石(素材因)、彫刻家(作用因)、題材・イメージ(形相因)、作ろうという意志(目的因)。新しい職場、自分の能力、仕事の内容の三つだけが揃っても、やろうという目的意志がなければ何事も成し遂げられない。

 しかし一人でできることには限界があり、社会生活には周囲の助けが必要だ。そのためには黙っていては駄目で、他の人に言葉で依頼しなければならない。ただ相手の助けを期待したり当然視してはいけない。他の人はあなたの期待に応えるために生きているわけでもないからだ(逆もまた然り)。しかし善意があれば助けてくれるだろう。

 10人いたら、一人くらいは何をしても自分のことを良く思わない人はいる。だが二人くらいは何をしても受け入れてくれる。残りは状況による。自分のことを良く思わない人や、自分を型にはめようとする人に心煩わせることはない。自分を受け入れてくれる人を向いて、自由に生きることだ。自分をよく思わない人がいるというのは自由に生きる代償だ。

 自由に生きれば(自由に生きなくても)失敗することもある。自由に生きて失敗すれば自分の責任だが、自由に生きなくて失敗したときに「俺のせいじゃない」と責任転嫁することもできない。結局選んだのは自分なのだから。しかし、失敗は起こると思っておいたほうがよいし、それで自分の価値が下がるわけでもないし、人の評価を気にする必要もない。

 自分のやりたいように生きることを周囲が諸手を挙げて賛成してくれると言うことは稀だと思ったほうがいい。抵抗があるから自由に生きられる。鳩は真空を飛んでいるのではなく、空気という抵抗があるから、それにあらがい支えられて飛ぶことができるのだ。などということを岸見一郎著『アドラー心理学入門』(ベスト新書)で読んだ。

3/07/2015

私達のチームへようこそ(^o^) 4/4

4.退院サマリーの書き方

 よいプレゼンをしてよいカルテを書き、問題点を効果的に解決していけば、患者さんをよくして退院させてあげられます。そして私達は先生に、退院サマリーが退院前日に書けていることを求めます。大変に感じるかもしれませんが、それは「あるコツ」さえ知っていればそんなに難しくありません。コツとは以下の二点です。

① 入院時サマリーを活用する

 入院時サマリーを記載した時点で、退院サマリーの半分は終わっています。なぜなら、主訴・入院時病歴・入院時現症・入院時検査所見はすでにそこにあるからです。ですから、入院サマリーを書いた時点で、退院時サマリーのうち書ける部分は埋めてください。

② カルテを活用する

 カルテのアセスメントとプランを、上記のフォーマットで必要十分な情報を容れて書いたら、それはほとんどサマリーの「入院時経過」です。各プロブレムについて、たとえば私はこんな風に書きます:

#腎盂腎炎 入院時に発熱、右CVA叩打痛、膿尿、細菌尿を認めた。CTRXを開始し、3日後に解熱。尿培養で大腸菌が陽性、抗生剤を感受性のあるCEZに変更して計14日投与した。今回3度目だが、普段からトイレを我慢してしまうとのことで、予防のために排尿をより頻回にするようお奨めした。

 入院最終日のカルテのアセスメントとプランは、このようになっているはずです。だから、入院最終日に入院後経過がかけるわけですね。同じ要領でその他のプロブレムについても書き、最後に「プロブレムAもBもCも軽快した(あるいは外来治療が可能になった)ため、何月何日にどこどこに退院となった」と終われば出来上がりです。

 それから退院サマリーで気をつけてほしいことは、要約することです(それでサマリーというのです)。だから、入院中のくねくねした診断過程や、あっちこっちに迷走した治療過程は、できるだけ簡略化して書いてください。その際には「後から読む人にその情報が必要か?」と考えるとよいでしょう。
 
終わりに

 ここまで、私達と一緒に働く上で助けになるだろうことを書きました。これを書いたのは、最初にこのようなアドバイスを教えてあげたほうが、あとから「もっと早く教わっておけばよかった」と後悔せず済むと思ったからです。いきなり全部習得するのは無理ですから、少しずつやりましょう。では、先生とお仕事をご一緒するのを楽しみにしています!


私達のチームへようこそ(^o^) 3/4

3.カルテの書き方

 先生は私達のチームを代表してカルテを書くのですから、求められるレベルは高いです。そこで、私達は先生が質の高いカルテを書けるようにサポートします。フェローの先生がいるときは彼らがオーダーを出してくれますし、カルテも彼らが見直してくれるでしょう。私達が先生のカルテに求めるのは以下のような点です。

臨床的な問題点が揃っている
病態を把握している
チーム回診で議論、計画した内容を反映している
読みやすく的確な表現で書かれている

 形式はプレゼンと同じSOAPフォーマットで書いてください。SとOについてはプレゼンのところを参照していただくとして、ここではアセスメントとプランの書き方をお話しましょう。一番最初に意識してほしいのは、5W1Hです。

 WHO 誰が WHAT 何を
 WHEN いつ WHERE どこで
 HOW どのように  (HOW MUCH どれだけ)
 WHY なぜ

 これらを意識してみてください。そのうえでどう書くかについて、ここに私が使うアウトラインを示し、それぞれの要素について解説しましょう。

 症例要約
  問題点1
   -診断根拠・原因
   -治療
   -経過
   -今後・予防
  問題点2
   (以下同様)

症例要約:簡単にどんな症例かわかるような一文です、これがあると症例を知らない人が読んでもすぐにどんな症例かわかります。私がよく書くのは次の形式です。

 [重要な既往・重要な治療歴など] ある [年齢・性別] が [症状、あるいはすでに診断がついていれば診断] で [入院日] に入院、 [重要な経過]。

例 ANCA関連腎炎の再燃でステロイド・アザチオプリン治療中(ベースラインCr 2mg/dl)の60歳男性が、利尿剤とARB増量による腎前性AKI(Cr 3mg/dl)で11月1日入院、AKIは輸液後に軽快したがステロイド増量による高血糖に対してインスリン導入、教育中。

問題点:診断が付いているなら、診断。付いていないなら、症状。診断や症状のみならず、かけるなら重症度や原因も書きましょう。

例 糖尿病性腎症、CKDステージ4
例 夜も眠れないほど重度の掻痒

診断根拠・原因:診断の根拠となる症状、バイタルサイン、診察所見、血液検査所見、画像所見、その他診断の決め手となる検査結果を書きます。結果待ち検査も書きます。【ステップアップ!】診断の原因の原因まで書けたら、立派な医師です。

例 (肺炎)発熱、呼吸器症状、低酸素血症、胸部X線。培養、尿中抗原は結果待ち
例 (誤嚥性肺炎)もともとの脳梗塞後の嚥下機能低下+鎮静剤による意識レベル低下

治療:「抗生剤」「降圧剤」など医学生レベルの記載ではなく、「クスリの名前」「用量」「いつから何日目」を記載してください。そうしないと、次になにをしたらいいのかわからなくなります。

例 ロサルタン 80mg 一日二回、11/29に40mgから増量
例 LVFX 500mg 24時間ごと、11/30に48時間ごとから変更(腎機能改善)

経過:何を追っているのかを具体的に明確にしましょう、そうでなければよくなっているか悪くなっているかもわかりませんね。

例 解熱、酸素化改善、呼吸数改善、CRP改善
例 痒みは夜間眠れる程度に改善したが、日中少しまだあり、頓用のクスリを1回内服している

今後、予防:ここがその日の私達のプラン、「で、どうするの?」の部分です。【アドバンス!】ただ「こうしよう」ではなく、「Aを目標にBをして、Cに気をつけながらDをフォローして、EになったらF」と先を読むプランを書けると優秀な医師です。

例 抗生剤を静注で継続、培養結果がでたらそれに合わせて変更、トータル14日で終了予定
例 血液透析で2Lを目標に除水、血圧をフォロー、血圧低下時には除水を下げる

 質の高いカルテが書けるようになると、たくさんの良いことがあります。一つ目は、頭の中が整理されます。二つ目は、退院サマリーがすぐかけます(後述)。三つ目は、情報提供書がすぐにかけるようになります。そして四つ目は、読む人に「できる」と印象づけ、院内での評価が上がります(覚えて置いてください、先生のカルテをみんなが読んでいることを)。Good luck!