12/15/2011

SQL

今週はSQL(structural query language)を勉強した。これはrelational databaseを扱うのに必要な言語で、queryと呼ばれる命令文をつくる。relational algebraにもとづいた普遍的な言語なので、databaseの概念を理解するのに役立つだろうと勧められた。検索して見つけたEdinburghにある大学のウェブサイトを追って勉強している。
 最初は代数学や情報処理の用語にとまどったが、いちいち調べて分かるようになった。お洒落で気に入った用語もある。たとえばintegerとは整数のことだが、数学記号ではZ={..., -2, -1, 0, 1, 2, ...}と書く(Zhalen、ツァーレンとよむ)。arityとは行の数(unary, binary, ..., n-aryと言うわけ)、cardinalityとは列の数。aliases(単数形alias)とは別名、仮名だが、"to pretend that a table is called something else for the duration of a query"のに使われる。
 SELECT A FROM B WHERE Cという構文(syntax)が基本で、それに様々なoperator、aggregate functionsが付随し、組み合わせでいくらでも複雑にすることができる。WHEREのなかに構文が入っている場合、それをsub-queryと呼ぶ。subqueryはそれだけでは一つのattributeで一つの行しかreturnできないので、ANY/ALL/IN/NOT IN/EXISTS/NOT EXISTSなどを組み合わせる。
 そしてrelational databaseの真骨頂が、複数のdatabaseを融合させ、さらに自分の欲しい情報だけを取りだす機能。SELECT * FROM A, Bで得られる表Aと表Bの行を総当たりに組み合わせたcross product(これはデカルトの名前をとってcartesian productとも言う)から、条件演算子JOINを用いてある条件のデータだけを抽出することができる。しかし、複数の表が融合したconceptualな表を想像するのは結構たいへんだ。

11/03/2011

board-certified physician

 米国内科認定医試験(ABIM)に受かったことが今日判明した。三年間の成果だから嬉しい。私のいた病院は昨年ひどい合格率で多くの人を心配させ、恐怖政治の発端になったが、今年はどうやら良いようだ。前いた病院に平和な春が訪れることを願う。
 さてこれに受かると"board-certified physician"、つまり一人前の内科医と名乗ることができる。教育の特権を手にするにもboardに受かっていることは最低条件だ(内科認定医試験に受かっていない人が内科を教えるというわけにもいくまい)。
 合格すると10年間有効だ。2021年にはどこで再認定してるだろうか。その前に腎臓内科の認定医試験が待っているわけだが、こちらは問題集を見るだに格段に難しい…専門家への道は狭く厳しい。しかし今のプログラムは合格率100%というから毎日学び続けよう。

10/18/2011

One-minute preceptor

 先週は、うちの大学(内科)の医学教育を統括するボスの一人と話した。医学教育方面でキャリアを積む方法などを色々聞くことが出来て自分の中で「これだ」という感覚があった。リソースを色々紹介してくれたが、とりあえず最初の一歩として論文をいくつか読み始めた。

 その一つが"The one-minute preceptor: shaping the teaching conversation"(Fam Med 2003, 35, 391-3)だ。これは忙しい外来で学習者をいかに効果的にpreceptするかというアプローチの一つを紹介したものだ。初出は1992年(J Am Broad Fam Pract 5, 419-24)で、2001年に有効性を示す論文もでたらしい(J Gen Intern Med 16, 620-624)。

 これによれば、五つのステップ(microskills)を踏んで症例について議論せよという。それぞれ(1) get a commitment, (2) probe for supporting evidence, (3) teach general rules, (4) reinforce what was done right, and (5) correct mistakesだ。今思うと、レジデンシー時代に私の外来preceptorがこのテクニックをそのまま使っていた。

 Get a commitmentとは、症例をプレゼンテーションした直後の学習者に、彼・彼女自身のアセスメントとプランをopen-ended questionで問うものだ。間違いや評価されることを恐れる人には"If I weren’t available, what would you do for this patient?"と言ってあげると助けになる場合があるという。

 Probe for supporting evidenceとは、彼・彼女の思考プロセスとその根拠を探り、どこが正しくどこが間違えているかを見抜くことだ。まるで学習者を患者さんとして診ているかのようだが、その比較は正しい。Clinical teacherは患者さんと学習者の両方を診断しなければならないのだ。

 Teach general rulesでは、学習者が一度に限られたことしか消化できないことを覚えておかねばならない。とくに新しいteacherは一症例で教えることを詰め込みすぎたり、自分が得意なことばかり教えたりしがちだから注意が必要だ。またここでは"rules"とあるように、単なる知識ではなく応用できる原理原則を教えるべきだ。

 最後のフィードバックも、いきなり「君はここが良かったがここは直そう」などと始めては良くない。目標はあくまで彼・彼女が自己診断・自己学習できるようになることだからだ。"What did you learn from this case?"というopen-ended questionで始め、そのうえでフィードバックしさらにfurther readingをsuggestしよう。

10/02/2011

走り続けて

 この三カ月、コンサルトに移植にと新しい世界で伸び伸びと働いてきた。学ぶことが多く、すでに腎臓内科のように考えて数字の羅列から起こっているプロセスを読みとる力もついてきた。ちょっと疲れた、来月は少しリラックスできるから英気を養おう。



9/09/2011

answering service

 いまの病院の内科レジデンシーは、レジデント達が昼間にレジデント用レクチャを邪魔されずに聞けるように、なんと秘書さんが講義室の前で聴講中のレジデント全員分のポケベルを預かり留守番係をしている。なんという素晴らしい仕組みであろうか。これでみんな講義に集中できる。本当に急用なら秘書さんがレジデントを呼んで対応させるのだろうが、そんなことは滅多にないのだから。秘書さんも、本を読んだりしてヒマにならないようにしている。
 こういう仕組みをanswering serviceといって、たとえば外来なども時間外に電話すると夜間対応の電話交換手につながり、彼または彼女が要件、かけ直してほしい番号などを書きとめて当直の医師や看護師をページする。外来によっては昼休みの時間もanswering serviceにつなげて、みんなが邪魔されずに昼ごはんを食べたりリラックスしたりできるようにしているところもある。ポケベルでも電話でも、ずっとONだとそれだけでストレスだから、こういうのはいいな。

9/04/2011

art of writing notes

 先月後半に一緒に働いた指導医の先生は、まだキャリアは浅いけれどスタッフに抜擢されている。卒後7年目だから、私と3年しか違わないということか。それにしても思考は明晰で、話は論理的で、親しみやすい性格で恐れ入る。

 とくに、カルテの書き方を教えてくれたのは為になった。第一に、specificであれという。ただAKI(acute kidney injury)ではなく、non-oliguric AKI from ATN secondary to septic shockとか。主観的所見にしても、"Patient is feeling better"では話にならない。なにが良くなったのか、良くなったというのはどういうことなのか(程度がどれくらいからどれくらい改善したのか、回数が何回から何回に減ったのか、etc)、きちんと具体的に書けという。

 第二に、summarizeしろという。ESRD, from diabetic nephropathy, with preserved urine output, complicated by ...という風に短い言葉をつなげろと。また診断がついているならグダグダと症状やら検査所見やら並べずともよい。たとえばportal hypertensionと書けば、おなかが張っているだの浮腫だの静脈瘤だの書かなくてもよい。

 第三には、問題点を立てたら系統的に思考過程を叙述せよという。系統的とは、type、etiology、severity、progression、intervention、response、plan、prognosis、の順。またそれぞれ書いたことには根拠をつけないと、読んだ人がなぜあなたがそう考えるのか分からないだろうという。ATNというなら尿沈渣のgranular castとか、hypervolemiaというなら浮腫や頚静脈努張、RAP/PCWPの上昇など根拠をかけと。

 こういうことは、日本にいた時から大事だと意識していたし、自分なりに心がけて来た。だから改めて指摘されると「それぐらい分かっとるわ」とも感じた。でも毎日10人分以上のカルテを書くので、ついおざなりにしていた面もあった。彼の「人間なんてみんなjudgmentalで、あなたの能力は結局あなたの書いたことによってのみ判断される(のだからカルテのアートを見に付けよう)」という言葉が印象に残っている。


8/14/2011

一般名と商標名

 大学病院に来てから、クスリを商標名でなく一般名で呼ぶようになった。Lasix®はfurosemide、Lopressor®はmetoprolol。前の病院では商標名で呼んでいたので慣れるのに数日かかった。一般名で呼ぶ方がプレゼンテーションが科学的に聞こえるから、大学人には聞きやすいのだろう。

 でもFlomax®(flow max、前立腺肥大のクスリというわけ)なんかは、一般名(tamsulosin)が発音しにくいので商標名でFlomaxと言っている。たいてい商標名のほうがcatchyで覚えやすい名前だ。Enoxaparin(低分子量ヘパリン)なども、前にLovをつけてLovenox®(loveだって)などと上手いことやっている。





 大学病院の患者さんは一般名に慣れている。それに薬のリストを持ってきている人が多い。前の病院では、一般名を知っている患者さんはほぼ皆無、商標名を知らない人も多く、「青い錠剤」とか「小さい錠剤」とか言っていた。

8/10/2011

ABIM

 米国内科認定医試験(ABIM, American Board of Internal Medicine)が無事に終わった。この為に何か月も試験対策をしてきたので、済んでほっとしている。今日はご馳走を作ってビールでお祝いだ。同期のフェロー達も今月下旬には皆受け終わるので、その暁にも一緒にどこかでパーっと打ちあげる予定だ。

7/24/2011

一挙両得

 私は運動不足なのだろうかと心配していたが、それは全くの誤解だと分かった。毎日朝から晩まで仕事で、帰ったら少しだけ有意義なことをするにしても基本は食べて寝る生活。でも実際は、日中に仕事で10-12時間も歩き回って、腎臓内科の先生は皆エレベーターを使わないので階の移動は全て階段、さらに通勤・帰宅は自転車なのだから運動には事欠かない生活だ。
 だから、今日水泳に行ってきたら、脚のキック力が明らかに強くなっているのに驚いた。何泳ぎをしても、速いし疲れず、息切れもしない。いつもなら、400m位でもう十分かなという気持ちになるのに、今日は700m泳いでも余裕だ。仕事で頭がよくなるだけじゃなくて身体も鍛えられるなんて、一挙両得とはこのことだなあと改めて感心してしまった。

7/20/2011

Cognoscente

 いまの先生はイオンチャネルの専門家なだけあって臨床をしていても洞察が深く鋭くて学ぶことがいっぱいある。ただ何から何まで自分のやり方に固執している嫌いもあるが。今日は「私がしゃべる時には人が使わないような言葉を使うので、分からなかったら聞いてくれ、そうでないと伝わらないから」とかおっしゃる。文脈は忘れてしまったが、いきなりcognoscenteとか言うので戸惑ってしまった。見ての通り元はイタリア語で、辞書によれば"a person who has a expert knowledge in a subject"という意味。同根でフランス語のconnoisseurも、やはり英語になっている。

7/17/2011

Sushi

 自転車通勤も慣れて来た。朝はまだ涼しいし、主に下り坂なので気持ちがいい。道端には鳥とかリスとかウサギとかが現れて可愛らしい。帰りは少し上り坂だし蒸し暑いから家に着く頃にはすこし汗をかくが、運動になってちょうどいい。

 こんどの病院の食堂には、外部からのテナントで何とお寿司屋さんが入っている。それでsushi rollとか緑茶(甘くないやつ)とかが簡単に手に入る。実は面接に来た時に発見し、もしここに来れば寿司が毎日食べられるなあと思った。

 ちなみに私は日本のお寿司も好きだがアメリカのsushi rollも好きだ。海苔が内側、米が外側なのは韓国のノリ巻き(김밥)の影響だろう。具もアボカドとかが入っていてまろやかだし、カラフルでもある。一パックに12個ノリ巻きが入っているが、分量もちょうど良い。

7/02/2011

初日

 きょうは病院に歩いて通勤した。緑の中、途中に川あり公園あり踏切あり、さしずめ「となりトトロ」のごとくトコトコ歩いていく。病院が巨大なので目的地までは20分くらい掛かったが、よい運動だ。まず最初にIce breakerがあり、フレンドリーな雰囲気だった。
 類は友を呼ぶというか、好きでここに来るぐらいだから趣味が多くて優しそうな感じの人が多かった。前がレジデンシーなので共通の話題が多く、レジデンシーの時のオリエンテーションに比べると打ち解けが早かった。フェローシップは各専門科に分かれた狭い世界なので、全科が集まるこういう機会を大事にしたい。
 白衣の採寸とIDバッジの作成が済むとbenefitに関する一通りの説明があった。午後はずっと電子カルテの説明があったが思いのほか複雑だった。これで終わりかと思ったら週明けになんともう一回後半のトレーニングがある…。ずっと画面を見ていたので目が疲れた。
 今度の電子カルテで私がおどろいたのはsmart textだのsmart phraseだのという機能で、これはテンプレートを選び、さらに可変部分を埋めていくというものだ。例えば「上気道炎」というテンプレートなら、いつから、どんな症状が、どのような経過で、…という具合に一つ一つプルダウンボックスから当てはまるものを選べばよいのだ。
 心カテ所見のように定型的な場合ならともかく、ふつうの病歴聴取とプレゼンまでもこれですか…、と悲しみを感じた。しかしこれも時代の流れ。上手く使えば時間の節約になる(たとえば既往歴や内服薬の一覧など余り変わらない部位はdefaultで入力してくれて簡便だ)。それにFree textを混ぜれば私なりのニュアンスを加えられるだろう。

6/30/2011

新しい職場

 大学病院に顔を出し、お世話になる先生や秘書さん達に挨拶に行った。その帰り、病院の廊下を歩いていたら通りすがりの人がフラフラして倒れ込んだ。慌てて駆け寄り抱きとめたのでケガはなく、横になった後も意識はしっかりしていたから病歴を聴取することができた。白衣を着ていなくても取った杵柄はそう簡単には失われない。すぐさま落ち着いて近くにいたボランティアの人にsecurityを呼んでもらい、車椅子で救急外来まで運んだ。

 救急外来の待合室でこんな風に過ごしたのは初めてだ。トリアージで中に呼ばれるまでの時間が長く感じられ、患者さんの容態が急変しないかと落ち着かなかった。失神が主訴なので私のような目撃者の情報は重要だろうと思い、診察に来た研修医に様子を伝えるまではそばにいて、その後患者さんにハグをして救急外来を後にした。旅行や引越で臨床から数日遠ざかっていたので、よい機会だった。

 今度の病院はどこもかしこも美しく立派なのだが救急外来も例外ではない。せっかく来たからERのアテンディングに話しかけると、4年前に新築し、35室あるらしい。彼は「腎臓内科のフェロー?ここはお前たちには縁がないだろう。救急が緊急コンサルトで呼んでも不平ばっかりだもんな」と最初は皮肉っていた。しかし話をして打ち解けると、私が急性期治療や集中治療が好きなことを知って"You will change the practice"と希望を口にしていた。

6/22/2011

どうやら

 こないだもらった賞は、どうやら「ベストレジデント賞」ではなかったみたいだ。私が受賞したあともう一人同級生が最後に受賞していたのがそれらしい。ただ私が受賞後に即興スピーチをして人々の心をつかみ余りにも盛り上がったせいで、私のあとに発表された賞は若干なおざりになってしまったみたいだ。
 これは、シドニーと五輪開催を競った北京が開催候補地を読み上げただけで開催決定と勘違いしたのと似ているが違う。というのも私がもらったのも賞は賞だからだ。しかも「参加賞」みたいなものではない、ちゃんとしたものだ。総プログラム120人のうちで賞の盾をもらったのは6人で、そのうちのひとりだ。
 だから私が行ったスピーチの正統性も失われない(professionalism awardだから却って相応しい)。あのあと人々の心に士気が蘇るのを感じたし、内科のチェアも"future leader"と言ってくれた。いずれにしても、3年間という過ぎたことに対する外的な評価であるから今更どうもない。これから一層精進するだけだ。

6/15/2011

Lady Windermere

 どうも呼吸器内科はOndine's curseとかPickwickian syndromeとか文学の香りがする病名が多い。今日もLady Windermere syndromeというのを習ったが、これはOscar Wildeの戯曲"Lady Windermere's fan"(1892年)に由来する。Lady Windermere syndromeとは、咳をしないことにより本来なら除去されるべき気道分泌物がたまり右中肺あるいは左肺舌区が無気肺となり、それがMAC(非結核の抗酸菌)感染を引き起こしたものをいう。私たちのみた症例も謎の気管支拡張にともなう右中肺の無気肺があり、過去にMAC感染を起こしたこともあったのでその話になった。

 ビクトリア朝時代、女性は公の場で咳をすることはマナー違反とみなされた。それで彼女たちは皆できるだけ咳をしないようにして、軽い咳をするにも扇でできるだけ隠すようにした。そもそもコルセットがきつくて深い咳などできなかった。このようなfastidious(細心に注意深い)な行動が原因と考えられたので、Lady Windermere症候群と呼ばれるようになった。もっとも劇中のLady Windermereは病人ではなかったので、このような呼び名はふさわしくないという人もあるが。Pickwick症候群のPickwickが実際肥満による低換気を起こしていたのと対照的だ。

6/11/2011

Graduation

 卒業式があり、修了証を貰うと同時に三年目レジデントのなかで最も模範となる研修医に送られる賞、Professionalism Awardを受賞することができた。この賞は指導医と研修医の投票によって選ばれる賞なので、私にとって非常に意味があった。誰もみな三年間ベストを尽くしてきたことに変わりはない。とはいえ賞は賞、受賞者には説明責任があるとも思った。それで、皆が共有できる理想や目標をポジティブに提示することで、「みんなよくがんばった、俺たちはよくやっている」と即興で言うことにした。

 受賞後ステージに立ち、ある日病院の図書館で見つけた古い椅子が1919年に作られたことを発見したというエピソードを元に話をした。この椅子を買った人は、おそらく大恐慌、第二次世界大戦、幾多の危機が来ることなど知らなかっただろう。でもそんな不確かな時代にも、彼らはいつかこの椅子に誰かがどこかからやって来て座り、学び、よき医師よき教育者を目指し人類に貢献すると信じていたに違いない。考えてみれば、医師研修より崇高な事業が他にあるだろうか。私たちは今こそそれを自覚して日々努力せねばならない。

 Toastmastersにいるおかげで、100人以上いる聴衆の前でのエモーショナルなスピーチも自然と落ち着いてかつ情熱的にできた。冗談も予想以上に受けたし、クライマックスでは盛大な拍手がわき起こった。涙を見せた人までいた。スタンディングオベーションしてくれた人までいた。今日は本当にまるで映画の様な一日だった。受賞者の名前(私)が読み上げられた時の一瞬スローモーションになる感じなど、自分が実際に体験することがあろうとは思わなかった。

 スピーチをして聴衆と結び付いたことにより、受賞後はwell deservedという雰囲気になった。みんながスピーチに感動したと言い、受賞を祝福してくれた。私はこの賞の投票が始まってから、もし他の人が受賞した時にどこまで素直に祝福できるか分からないほど褒められることに執着していた自分の浅はかさに気づき、自分を責めていたのだ。それを鑑みるに、みんなの祝福が痛いほど嬉しかった。自分の手柄話をせず全体の利益、皆を結び付ける崇高な理想を語れることがリーダーシップなのだなと判った。

6/10/2011

結婚講座

 80歳になる女性の患者さんと話をした。彼女は夫と結婚して56年になるという。結婚して時間が経つと"you become one person"、二人は一人になると言っていた。私が結婚して3年になるというと、"The first 7 years are the worst"という。これには驚いた。新婚という言葉もあるが…。彼女が言うには、最初のうちはお互いの考えや行動、感情などが読めずに苦労するという。しかし徐々にお互いが分かってきて、"you will live with yourself"、自分自身と一緒に生活しているように感じられるという。"That's what marriage is all about"とも言っていた。

 この話が面白いのは、単に結婚話を聞いたというだけでなく、この患者さんが私の同僚皆から"She's not nice"と嫌われていたということにある。確かに部屋に入ると「あんた誰」、「ここの医者はどいつもこいつも何にも知らない人ばっかりだ」とか毒づいていた。しかし今の私はそれ位で動じることはない。薄く笑ってから会話を続けるうち、彼女が家に残してきた夫を心配していること、それで一刻も早く退院したいこと、内科・循環器科・呼吸器科、さらにジュニアレジデント・シニアレジデント・指導医など多くの医師が入れ替わり立ち替わりやってきては違うことを言うのに辟易していたことが分かった。

 人間、分からないことや不快なことにはいとも簡単にラベルを付けようとする。自分可愛さに防衛機制を発揮するのも良いが、患者さんは病人なのだし人間なのだから、怒っているときには何か原因があるはずと関心を持って辛抱強く話をすることが大事かなと思う。そうすれば結婚講座が聞けたり、その人のことがより一層分かって好きになるかもしれない。こういうことに関心を持つ私は実はプライマリケア医に向いているのかもしれないなと思う。でもこういった人間関係のことは何科でも(あるいは何の職業でも)きっと役立つだろう。

6/09/2011

Trained to avoid primary care

 米国内科学会Annals of Internal Medicineには、On being a doctorという投稿コーナーがある。今週号はUCSFの内科二年目レジデントの文章で、タイトルは“Trained to avoid primary care”。共感できる内容が多く、興味深く読み、うちの後輩たちにも読むよう勧めておいた。
 内科研修といっても、プラマリケアに割かれる時間は10%しかないし、総合内科のメンターなどいない、優秀で惹かれる先生は皆専門科だ、コンサルトしてアドバイスを貰いに数え切れないほどの電話をするうち、電話の反対側の立場に立ちたいと思うようになったと彼はいう。
 それに総合内科の外来は週に半日で切れ切れに設定されているうえ、行ってもアテンディングは毎回のように異なるし、保険会社、薬局、福祉関係の書類を記載したり、保険会社に電話してもたらい回されたり何分も保留で待たされたりで、有益な時間はほとんど奪われてしまう。
 総合内科がかなりdisorganizedなのに対し、専門科の外来はより焦点が絞られているし、ひと月ぶっ通しで同じ先生に教わるので教育の質もインテンシブで高くなる。勤務時間もきっちりして伸びることがない。これでは総合内科医になるなと言われているようなものだ。
 しかし彼はプライマリケアに進むことを決意する。それはプライマリケア医が患者さんのことをよく知っていて、病気でなく人を診る科で、患者さんの人生や命に対して何か関わったという実感を持てる遣り甲斐があるからだ。彼は、あるホームレスの患者さんを失った時にそれに気づく。
 プライマリケアは雑用ばかりで、家族と過ごす時間も奪われるだろうし、いつか情熱を失うかもしれないけれど、それらは今言った遣り甲斐に比べれば些細なことだと彼は言う。Nobleな理想で、偉いと思う。逆に言うと、決断に至るまでの彼の迷いと不満がそういう形で昇華したわけだ。
 彼の文章に提案はない。問題提起をして、反響と対策は読者に委ねられている。それは決して不完全なアプローチとは言えない。むしろ「みんなで考えようよ、何とかしようよ!」という呼びかけは「こうしなきゃだめだ!」と言うよりフェアで広く人々に訴えることができる。さて、どうしますか。

6/08/2011

チューチュー

 今月は、研修修了までのわずかな時間を呼吸器内科コンサルトで過ごしている。今日は非心原性肺水腫の症例にあたり、色々学ぶことがあった。新しいコンサルトの電話を受け術後回復室に向かうと、若い男性が酸素を吸っている。看護師さんは「胸写に肺水腫が映っている」というが、若い男性の術後肺水腫と言われてもピンとこない。
 術中輸液も少なく、心疾患を示唆する病歴も一切なく心原性でないことは明らかだ。肺毛細血管から水が漏れているわけだが、なぜだろう。薬によるアナフィラキシー、神経原性肺水腫(椎間板ヘルニアの手術だった)、なんらかのアレルギー反応(アレルギー性鼻炎があってアレルギー科で診てもらっているというから)、など考えたがどれも当てはまらない。
 UpToDateで“non-cardiogenic pulmonary edema”の項を繰ってもARDSのことばっかりで、他にはHAPE(high altitude pulmonary edema)、re-perfusion pulmonary edema、re-expansion pulmonary edema、中毒(heroin、salicylate)だのしかない。利尿剤でさっさと除水しようかとも思ったが、心原性じゃないうえに原因が分からないので気が進まず、酸素化も悪くないので指導医が来るまで待つことにした。
 指導医に話すと、「negative pressure pulmonary edemaでしょ」とあっさり回答。UpToDateのリストも当てにならないものだ。改めて検索すると、術後の呼吸器合併症という項に載っていた。抜管後のnegative pressureにより肺胞が毛細血管から水をチューチューと吸ってしまう病態で、どういうわけか若い人に起こりやすい。治療は利尿剤、CPAP、supportive therapy。

6/06/2011

Texas hold'em

 今日は研修プログラムのピクニックに行ってきた。昨今の様々な事情を反映して参加者はとても少なかったが、未来ある一年目の先生たちが結構来ていたので彼らに希望を持ってもらえるよう楽しく過ごすよう努めた。それで、カードゲームをしようと提案した。
 遊び人風の研修医がバッグにいつもトランプを入れていたので、Texas hold'emというポーカーゲームをすることになった。私は何にも知らなかったので後輩たちから教わった。こういう職場を離れて楽しむ機会には、先輩後輩という教える役割が逆転するほうが面白くてよい。
 ルールは何となくわかったが、普通のポーカーのように役を目指してカードを切るのではない。これは賭けの為のゲームで、相手の表情を読んだり、駆け引きしたりがメインだ。リスクをどのように上手く負うかという戦略が求められる。私には向いてないと思うが、楽しい経験だった。

5/25/2011

FTLD

 MKSAPによれば、FTD(frontotemporal dementia)は現在ではFTLD(frontotemporal lobar degeneration)という疾患群の一部と考えられているらしい。他にはprogressive nonfluent aphasia、semantic dementiaなどが含まれる。前者は失語、後者はanomiaを特徴とするが、いずれも進行はゆっくりである。
 さらにFTLDは、他のmotoneuron diseaseを合併することがあるという。たとえばFTDの10%、それにprogressive non-fluent aphasiaの一部の患者はALSによる下位運動ニューロン変性を伴う。Primary lateral sclerosisも、運動野のある前頭葉後部が侵されるという点でFTLDスペクトラムの一部と考えられている。

trigeminal autonomic cephalalgia

 頭痛のひとつcluster headacheは、いまやtrigeminal autonomic cephalalgiaというカテゴリーに分類されていることを知った。これらはみな重度の片側性頭痛で、脳神経症状(流涙、鼻閉、眼の充血など)を伴うが、頭痛の持続時間と頻度により三つに分類されるという。MKSAPなど基本だと馬鹿にしていたが、このように知らないことも実は結構あるので、勉強して「これぐらいは常識でしょう」と早く言えるようにならなければ。
 Cluster headacheは持続が長く(1時間前後)、頻度は少ない(1-3/日)。治療には100%酸素や皮下注トリプタン、予防にはverapamilが有効だ。それに対しparoxysmal hemicraniaは持続15分前後で、頻度は10/日前後。予防にはindomethacinが有効。SUNCT syndrome(Short-lasting Unilateral Neuralgiform headache attacks with Conjunctival injection and Tearing)は、持続は短い(60秒前後)が頻回だ(30-200/日)。予防にはLamotrigine(ただしエビデンスは乏しい)。

5/19/2011

Yale All-Star

 今週はRheumatologyのロテーションをしているが、ここの先生が一緒にいて非常に刺激になる。観察能力、診察能力、そして知識がどれも「ふつうの凄さ」ではなく「かなりの凄さ」だ。聞けばYaleのRheumatology fellowship出身でベストフェロー“Yale All-Star”にも選ばれたという。ただ者ではない。

 今日はjevenile rheumatoid arthritis(JRA)と診断された女性がセカンドオピニオンでやってきた。私が先に問診したが症状がどうにもJRAらしくない。胸骨上部の圧痛は触知したが、他には目ぼしい所見もなく診察を終えた。

 ところがその先生は、胸骨の圧痛と訊いてすぐさまjuvenile spondyloarthritisっぽいと感じ、その後頸椎の可動域制限と首を曲げたときのcracking(パキパキという音)、脊柱の若干の堅さを示した。さらに他の情報も合わせ、臨床的にほぼ確定診断した。sterno-manubrium joint(胸骨頸部と体部の間)はjuvenile spondyloarthritisの好発部位らしい。さらに爪に注目すると水平なridgesが多数見られ、皮疹はないけれどもseronegative spondyloarthropathyの中でも多い乾癬関節炎の可能性が高まった。

 別の患者さんは、Hashimoto甲状腺炎の既往がありANA(自己抗体)高値で紹介されてきた。目ぼしい症状や所見もない。しかし先生は、患者さんの手指の微妙な異常に気づき、眼底鏡を最高倍率にして爪の甘皮を観察し始めた。すると毛細血管の怒張や結節などが見られるではないか。

 この先生は技能だけでなく、患者さんとの接し方もすごい。理路整然と説明するだけでなく、目線が物凄くcaringなのだ。といっても全くベタベタしていない。寧ろドライだ。でも透徹した理性の光が全てを明らかにし、節々の痛みに苦しむ患者さんを涙させてしまうのだ。

 さらにこの先生、臨床だけでなく治験にも積極的に関与しており、ことにSLEの治療薬としては50数年振りFDAに認可されたBenlysta®(一般名belimumab、B lymphocyte-stimulator inhibitor)の臨床応用にも貢献したらしい。久々に優れた先生と出会って、日頃のナアナアな診療で曇っていた目が晴れた。



イエール大学の校章
(Wikipediaより)


5/07/2011

他者の可能性

 Toastmasters clubでまたTable Topic Masterをした。今回は子供の日に因み、「~の日」について即興で話してもらうことにした。前回は自分の経験について話す訓練だったが、今回はcreative thinkingの訓練というわけ。このテーマはちょっと難しいから、皆スピーチが上手くいかず盛り上がらないかもしれないと直前まで心配だったが、結果的には大成功だった。 

 これにより、私は他者が無限の可能性を持つことを学んだ。自分に分からないことは他者にも分からないなどと思い上がってはいけない。「コンピュータの日」について話した人は、コンピュータ嫌いな人にコンピュータの利点や魅力を教える日だと語った。「机の日」について話した人は、今日がそうだと切り出し、机に手を置いていかに机が文明生活に貢献しているかを感謝する日だと言った。

  ある程度相手を知らないと会話にならないが、想定内の質問でコミュニケーションをしていては理解が広がらない。たとえば今の職場にいると、面白いように「どこのロテーションか」「フェローシップの準備はできているか」という質問しか来ない。つまらないから最近は「今度、5km走るんだよ」とか「ダースベーダーとジェダイについて考えたよ」とか突拍子なく教えてあげることにしている。

ジェダイ

 ふとジェダイについて考えた。現在の医療があまりにも標準化され、あたかも診療のアート亡きが如くなのを見かねてのことだ。レジデンシーを卒業して開業でもすれば、保険会社、役所、第三者機関などによる絶え間ない査定・評価・規律・規制に縛られていくらしい。

 私は、医師とはジェダイ騎士のようにジェダイマスターからフォースの使い方と行動規範・倫理観を習い、それを後進に伝えていくものかと思っていた。しかし実際には、ダースベイダーが支配する銀河帝国の一兵卒にすぎないのかも知れない。それが堪らなく哀しい。

 標準化医療は必要だ。「人は間違いをする」というテーゼは否定できない。しかし結局標準化とはどんな阿呆でも間違えないようなセイフティーネットだ。行き過ぎると、「お前たち医者は何も知らず、放っておくと勝手なことばかりし、ミスをし、嘘をつき、怠ける」と言われているようで、非常に不快だ。

 医療の質の確保というのは「最低限の」質の確保であり、ベストの診療とはその遥か上にあるのだと私は信じる。性悪説を唱えた荀子は、性悪を改めるのに礼(外的な規範)を奨励し、法治主義の元となった。しかし、彼はそれのみならず、善を学び続ける継続的な努力も勧めているではないか。

4/17/2011

Culture and medicine

 米国内科学会誌"Annal of Internal Medicine"は、当たり前のことをスタディで示したり診療ガイドラインを紹介したりで、私は馬鹿にしている。しかしまあACP(米国内科学会)に属しているし、毎週律儀に送ってくるようになったので、最近は目を通すことにしている。PICOに取り組んだおかげでエビデンスの質を検討することが今までより容易になったというのもある。
 さてこないだ"Systematic Review: The effect on Surrogates of Making Treatment Decisions for Others"なる論文があり、「家族が患者さんの為に意思決定すると、その家族は心理的に疲れる」という結論で「そりゃそうだよね」と(そんな結論の為にわざわざメタアナリシスした著者になかば呆れながら)思ったが、興味深かったのは40ある論文のうち家族が疲れるという結論に至らなかったものが3つあったという箇所だ。
 その一つが、"Decision Making at end of life among Japanese American Families"(2007年)だった。Annalsによれば、この論文では家族のために終末期医療の決断をした16人の日系アメリカ人は、"(they) found that making the decisions was very difficult; however, the surrogates did not report emotional burden."という。「難しかったとは言うが、精神的負担は訴えなかった」というこの報告は日本文化を考える上で非常に興味深かった。終末期医療の議論に、いや医療そのものに文化がいかに関わっているかを示す良い例と思う。

4/15/2011

皮膚科

 皮膚科の外来でお世話になった。患者さんがガウンを来て診察台に座っているような科はもはや皮膚科くらいしかないと思う。全身診察で皮膚をくまなく観察し、actinic keratosis、basal cell carcinima、squamous cell carcinoma、acne、seborrheic keratosis、seborrheic dermatosisなどよくある皮疹を一通りみた。

 他に、名前はあるが大したものではないという物も沢山見た。Skin tag、lentigo、milieu、dermatofibroma、post-inflamatory hyper- (or hypo-) pigmentation、venous lake、cherry hemangioma、syringoma、sebaceous hyperplasiaなど。興味深いところでは、erythema nodosum、erythroderma、(suspected) discoid lupus、alopecia areata、pustular psoriasis、dyshydrotic dermatitisなどをみた。

 外用ステロイドのおさらいもできた。大別するとfluorinated steroidとnon-fluorinated steroidに分かれる(前者は顔や脇、腿など薄い皮膚には使えない)。低レベルではhydrocortisone(HC)2.5%、desanideがある。HCはnon-fluorinated steroid、desanideはfluorinated。

 中レベルではHC butyrate、HC propionate、HC valerateがnon-fluorinated。もっとも安価でよく使われるtriamcinolone、それにbetamethasone valerate、bethamethasone dipropionateはfluorinated。このクラスに抗真菌剤との合剤が多いので薄い皮膚に塗るときには注意が必要だ。たとえばLotrisoneはclotrimazoleとBetamethasone dipropionate、Mycolog-IIはnystatinとtriamcinoloneの合剤だ。

 それより高レベルになるとすべてfluorinatedだが、高レベルではfluocinonide、desoximethasoneがある。一般医が処方するのはここまで。最高レベルには、augmented betamethasone dipropionateやclobetasolがあるが、これは副腎抑制など副作用が強く、使用できる量に制限が掛かっているなど劇薬なので、皮膚科医以外は使わないほうがいいと言われた。

 例によって英語表現も学べた。今日はスラングが多かった。たとえばGeezerとは、urban dictionaryによれば"Old bastard. Elderly, cranky old xxxx (person) who drives too damn slow and complains about how things were in his day"。またDitzelとは、"A word used to describe any part of the body that is not ordinarily appropriate for everyday conversation"とのこと。soup-upとは、クルマを改造して出力を上げる、エンジンの馬力を上げるという意味。馬を興奮させるために注射した薬をsoupと呼んだことに因むそうだ。


4/14/2011

PICO

 PICO projectというのを準備した。これは臨床上の質問について、答えを探すべく論文を検索して考察するものだ。見つけてきた高品質のRCTやsystematic reviewについて、Critical Appraisal(批判的な査定、鑑定)を行い、結論がどれくらい確からしく(internal validity)、また自分の患者さんに当てはまるか(external validity)を吟味する。
 それに際してはOxford大学のCEBM(Centre of Evidence Based Medicine)にあるCritical Appraisal Sheetが有用だった。いくつかの批判的な質問(フォローアップはどれだけあったか、ブラインドはできていたか、など)について、論文を読んで検討する。ディベートみたいで、いかにも英米人が得意そうなことだ。今回やってみて、それなりに楽しかった。でも机上の空論というか、空疎な感もあった。

4/06/2011

WD-40

 今日はスポーツ医学/整形外科の外来で一日お世話になった。膝の単純X線写真を見るときには4S(Space, Spur, Sclerosis, and Cyst)をチェックすると教わった。膝のMRI写真で半月板断裂やACL(前十字靭帯)断裂がどんな風に見えるかを学んだ。膝関節内への注射、肩峰下への注射は何をランドマークにするかを習った。今月あと3-4回行くので、やらせてもらうこともあるかもしれない。
 整形外科の診察や手技はまさに「百聞は一見に如かず」。たとえばrotator cuff tendonitisでは棘上筋(supraspinatus)が最も侵されるので、supraspinatus testが診断に有効だ。しかしこの試験、「腕を90°に挙げ親指が下向きになるようこぶしを反転させた状態で下向きの抵抗にさからって腕を水平に保てるかを見る」と言われるより実際診察を見たほうが理解が早い。
 さてこの手の外来ローテーションは、他の医師が患者とどのようにコミュニケーションしているかを観察できるのも楽しみの一つだ。アメリカ人医師につくと彼らならではの口語表現が学べて良い。たとえば膝関節の軟骨が摩耗すると表面にボコボコ穴が開いてしまうが、これをpothole(田舎道などにあり、運転するとクルマがガタンとなるような穴)と表現していた。
 他にも、足首が腫れた患者さんに「これ注射針を刺して吸いだせないの?」と聞かれて「身体の中の水には二種類あって、一つは風船の中の水、もう一つはタオルに滲み込んだような水だ。あなたのは後者だから刺しても吸いだせない」と言っていた。半月板断裂では、「木材のはじっこが裂けて(splint)チクチクするので、それをはぎ取る(scrape off)」と言っていた。
 患者さんがうまいこと言う場合もある。たとえば関節が摩耗した場合に潤滑液を補充する場合があるが、これを患者さんが"WD-40"と言っていた。WD-40とは商品名で、蝶つがい、窓のサッシ、自転車のチェーンまで何にでも使える潤滑スプレーだ。もはや英単語になっており、"WD-40 it"(それにWD-40を吹きつけろ)などともいうらしい。

3/27/2011

Capnocytophaga

 最近は仕事が本当になくて、これからの数カ月はボケないように頭と勘を鍛えておかなければならない。そんなわけで私は日中よくICUに行って、興味深い症例を探すことにしている。この間は、Cryoglobulinemia(polyclonal)に伴う膜性増殖性糸球体腎炎の症例と、Capnocytophaga canimorsusによる脾摘後の重度敗血症の症例が勉強になった。
 それにしてもCapnocytophagaのプレゼンテーションには何とも言えない恐ろしさがあった。普通のseptic shockではないのだ。DIC(血液凝固の制御がきかなくなる重症の病気)と、おそらくそれに伴う末端の黒い壊死。意識はないし人工呼吸器につながっているが、バイタルサインは保たれていた。
 脾摘後と犬咬傷でこの病原体を考えろとはそれこそMKSAPにも載っているが、実際にこの症例でその病歴を聞きだした診療チームが偉い。結局培養は何も生えないかもしれないが、その病歴があれば臨床診断としてまず間違いないからだ。治療は、感染症科コンサルタントが嫌気性菌カバーでUnasynを始めていた。
 どちらも透析導入されていた。もっとも「原疾患の改善なくして予後改善もなかろう」というfutileさも感じるが。この症例では、意識障害が尿毒症によるものかどうかを判断するために透析を回していた。数日後に意識状態を再評価したうえで、家族と治療方針を決めると聞いた。

3/22/2011

試験対策

 MKSAPの腎臓内科の問題を解き終わった。本文を読み終わるのには数日掛かるが。次は血液腫瘍内科にする。試験は8月で、6月末は引っ越しだし7月はフェローシップが始まるから、今のうちに対策を始めているのは正解と思う。MKSAPが終わったら復習しつつもうひとつの問題集を解く予定だ。

3/19/2011

Cosmopolitan

 インドの多様性を物語るエピソードがあった。ある日、インドの友人に「お前の名前は何語だ」と聞いてみた。というのもインドは州によって(州の中でさえ)言語が違うからだ。そうしたら、「いやこれはcosmopolitanな名前だよ」という答え。インド全土で使われている、ということをコスモポリタンと表現するとは流石だ。

総力をあげて

 檄文を、今度はもっと幅広い対象に届けるため書き直した。そして、恩師の先生の勧めで別の病院に勤める米国で育った日本人の先生にもco-authorになってもらうようにお願いした。彼女の手によって、ぐっと訴えかける文章になり、どこにどう寄付するかもより分かりやすくなった。ここまで24時間以内で出来た自分たちを褒めたい。
 それを、私の病院のhealth system(医療法人のような)、他に二つのhealth systemに配った。他のhealth systemは、それぞれ今の病院でお世話になった先生方がchief medical officerをしているので彼らに直接電話して支援を取り付けた。ここまで48時間以内にできた。一刻も早く送りたいというはやる気持ちがあった。
 さらにco-authorのsystemでも満を持して送るべく、日本と関わりのある諸先生方も協力して動いている。船頭が多くなってプロセスはやや遅いが、与える影響の規模がものすごく大きいので万全を期すのは仕方ないと思う。なにせ50,000人の被雇用者と20の病院を抱える米国最大規模の医療グループなのだから。
 私たちがインターネットでの寄付を呼び掛けているのに対し、恩師の先生は高校生の長男と近所をまわって小切手を書いてもらうなどの活動を並行している。地域の開業医、教会などにも声をかけると言う。さらに準備ができ次第、地元のメディアにも人脈を使って報道してもらうよう呼び掛けるつもりだ。数十万人の規模で呼びかけが行われている。
 今日、うちの病院のCEOに感謝の電話をしたら秘書さんが出て、"Thank you for helping us help people in Japan"と言われた。助けたいと思っている人たちに、切っ掛けを与え、どう行動すればよいか教えてくれてありがとうということ。自分の行動に、そういう意義があったんだなと認識した。ヒロイックになろうというのではない。結果的に自己実現の手段になったなと思っているだけだ。

3/16/2011

檄文

 自分に何ができるか考えていた。災害の現実と現地のニーズ、支援の状況を出来る限り学んだ。そして、考えた末に魂を込めて寄付を呼び掛ける文面を書いた。これは檄文だ。自分が震源となって、周囲の人々を動かさなければならない。そして善意の津波が大平洋を逆向きに走り東北関東地方に届くのだ。自分のしていることに迷いはなかった。
 数百人の人々にメールを送るのには勇気がいったが、今必要なのは気持ちも大事だが何より行動だと自分に言い聞かせた。とりあえず顔の見える一般内科・救急・循環器・呼吸器・消化器・腎臓・腫瘍血液・神経内科・Hospitalist・ケースマネージャの人達に送った。清水の舞台から飛び降りるというが、それはもう矢のように送った。
 ものすごい反応だった。メールを貰った人がさらに転送してくれた。おおくの人々が賛同して寄付してくれた。電話オペレータのおばちゃんも寄付してくれた。子供まで小学校でfund raisingを始めてくれた。アメリカのすごさと思った。アメリカは「自分が心から信じたことを、迷わず行うことだ」と教えてくれた。私は米国赤十字が日本赤十字とのパイプがあってより直接必要な所に届くと思った。他の団体に寄付した人もいた。
 米国赤十字は今日、日本赤十字にひとまず1000万ドルと65000枚の毛布を送った。一人ひとりの力が合わされば、大きなことができる。さらに私は、恩師の先生が居る別の病院にも呼び掛けるつもりだ。また今週はToastmaster clubのミーティングでも聴衆にスピーチで援助を求めて訴えかける。自分の心と自分の言葉を信じて、できることをする。
 檄文の大意は以下の通り(英文は下記)。甚大な被害のを知るにつけ、遠くから胸が張り裂けそうだ。しかし勇気を出して行動を起こさなければならない。私は米国赤十字に寄付することにした。これで水や食糧などの生存に必要な物資が届き命が助かる。寒さと恐怖に震える人々を勇気づけられる。そして、被災地のど真ん中で必死に戦う私の友達を援助できる。皆が力を合わせれば、乗り越えられない危機などないと信じている。日本のために、どうか手を貸してほしい。
 
Dear all,

I would like to call your attention to the situation in Japan, because this email will be the first urgent message I have sent to you during my residency. As you know, last Friday, my country was struck by the historical earthquake and swept by a monstrous tsunami. I am writing this email to ask you for donations and help (perhaps to the American Red Cross) to save lives there.

The damage by this disaster is tremendous. The quake broke most of the infrastructure, triggered fire, and caused severe damage to buildings. My friends were almost killed when their hospitals collapsed. Tsunami crushed tens of thousands of houses. Nuclear reactors are in peril, posing invisible threats of radiation to the surrounding area. Confirmed casualties are over 2,000 and at least 7,000 people are missing. These stunning numbers will only go up. It will take months or even years to recover from this catastrophe.

I decided to donate to the American Red Cross to help. They are a reliable organization, working in cooperation with the Japanese Red Cross. Japanese Red Cross is the leading rescue/relief organization in Japan (but they are too busy to set up their own donation website). It makes me feel crazy to think that people are literally being killed even at this moment. But I have to take courage to act and change the situation. Even after this apocalyptic event, there should still be something that I can do.

By donating them, you can provide 3 precious supports.

First of all, you can save lives. Not only you are helping lives at your hospital every day, you will be saving a lot of lives in Japan. There are people who are still standing on rooftops and asking for help. At least 300,000 people are evacuated, and millions are without water or electricity. Not only medical needs, but are there huge needs of basic supply such as water, food, and blankets just to keep them alive.

Second, you can send a clear message that the whole world cares about the people who are in danger. In the face of crisis, people in Japan are still calm and persevering. I admire them but I wonder how much emotional distress they are going through. By donating, you can tell them they are not alone. You can warm not only the body but the heart of people who are trembling under the wreckage in the cold temperature (as low as 30F) and snow.

And lastly, you can help my friends from my teaching hospital in Japan. They are my comrades, connected with as bond not less strong than blood. One doctor from my class is an orthopedist in the area hit by both earthquake and tsunami. He is working tirelessly doing a lot of trauma surgeries with limited resources. Another one (1 year junior to my class) is a nephrologist in Sendai, a devastated metropolis with 1 million people. He is running dialysis day and night because his hospital is the only place where dialysis can be performed in the region. There are a lot more of my friends who are struggling in the wake of disaster. I want to support them in a substantial way.

I appreciate if you could lend your kind hands to save lives in my country, support them including my best friends. What each one can do against this massive damage might be limited, but if we combine our goodwill, I believe there is no obstacle big enough that we cannot overcome. Thank you in advance for your generosity and cooperation, on behalf of Japanese people.

3/13/2011

generic name

 MKSAPのgeneral internal medicineの問題を解き終わった。本文はまだ少し残っているが。Board examでは薬剤がgeneric nameで示されるのに慣れなければ。降圧剤や抗生剤などは問題ないが、抗うつ剤は、職場でbrand nameを使うことが多いのでcitalopramとか言われてもピンとこない。それでここに一覧にしておく。
 CitalopramはCelexa、EsccitalopramはLexapro、FluoxetineはProzac(半減期が長いので授乳中の産後うつ病には禁忌)、ParoxetineはPaxil、SertralineはZoloft、VenlafaxineはEffexor、DuloxetineはCimbalta、MirtazapineはRemeron(食欲増進効果あり)、BupropionはWelbutrin(てんかんの人には禁忌)。

3/07/2011

Critical thinking

 外国生活への適応は3つの段階を経るという。1つ目は"honeymoon phase"、外国の新しい考えや文物どれもが新しく面白く心酔する時期だ。2つ目は"critical phase"、今度は悪い面をみたり不条理な思いをしたりして幻滅する時期。そして3つ目は"integrating phase"、いわゆる酸いも甘いも受け止めて自国と外国の良い面を合わせて二国間の架け橋になる時期だ。
 "80-20 rule"といえば、「(組織などで)80%の仕事は20%の人が行っている」という法則であるが、Toastmastersの月刊誌に"20-80 rule"というのが紹介されていた。これは「アメリカ人は、困った時に20%の時間しか原因究明に費やさず、残りの80%をかけて問題を治そうとアレコレ画策する」というものだ。確かに彼らは「ああでもない、こうでもない」と考えるばかりで先が見えない状態に我慢が効かない。「これをやってみよう、あれをやってみよう」というのが好きだ。
 この記事を読んで、先の3段階を思い出した。日本から来たばかりの頃は、米国のassessmentよりplanを重視する姿勢が新鮮だった。日本のやり方は、何を決断しようとしても「でも…」という批判やデメリットばかりが強調され、慎重かもしれないがポジティブさに欠けると思われた。米国が"20-80"なら、日本は逆に"95-5"、「95%かけて議論するけれど、肝心のどうするかについて話す時間は5%しかない」というわけ。回診も無意味に長く非効率的に感じられた。
 それが、こちらで働くうちに米国流はあまりに浅薄で性急な診療に感じられ「もっと<なぜそうなのか>考えようよ」と強く思った。低カリウム血症で何も考えずにカリウムを補充するなどとはその好例だ。高ナトリウム血症で、胃管からの自由水供給不足が原因と認識せずに、D5Wを静注補液して数字を直したら退院させたという馬鹿げた例もあった(もちろん再入院になって、そこで私が診ることになった)。
 いまでは両方の良いところを合わせて"50-50"、「バランス良くちゃんと原因究明もするし、ちゃんと解決もする」というスタイルが身に着いたと感じる。米国滞在歴の長い人と接すると、彼らがそういう偏らない見方で日本も米国も評価できているのに気づく。私もこれから、批判的な思考能力と両文化の昇華統合を課題にしようと思う。

3/04/2011

Hyderabad

 久々にインド人医師と一緒に働くことになった。彼女はインド南東部Andhra Pradesh州の出身で、いままで私が知りあったインド西部の人達とくらべて違いを感じる。なんというか、謙遜の美徳を身につけていてインドらしくない。
 そもそもインド南東部は17世紀にMughal帝国(スンニ派)のAurangzeb帝に滅ぼされるまでQutb Shahi朝(シーア派)が建つ別の国だったし、言語も土着のTeluguだ。建築技術に優れた民族だったらしく、いまでも州都Hyderabadにはたくさんの壮麗な宮殿・寺院が残っているらしい。
 なおAurangzeb帝は遠征を重ね戦費がかさんだうえ、異教徒に対し厳しい弾圧をおこなったためヒンドゥ教徒の反乱を招き、Maratha confederaryがインド亜大陸の大半を実効支配する(Delhiも陥落)。さらにペルシアの侵攻(Nader Shah)、アフガニスタンの侵攻(Ahmad Shah Durrani)でMughal帝国は有名無実化する。
 それでインドの覇権争いはアフガニスタン(Pashtun人)とMarathaの間で行われ、最大の戦いは1761年のthird battle of Panipatだ。Panipatはデリーの少し北方で、Haryana州にある。しかしこれで双方とも甚大な被害と戦死者をだして弱体化し、結局漁夫の利のように程なくどちらも英国に支配されてしまう。

3/02/2011

outpatient

 今のプログラムでは週一回の継続外来があるが、正直ちゃんとした外来診療を経験する機会はほとんどなかったなと痛感する。入院診療はとにかく経験して、どの分野でも自信を持って診療出来るようになったと言える。しかし外来は、何かを積み上げてきた感じがほとんどしない。今月からMKSAP(内科専門医試験の問題集)のgeneral internal medicine部門を解き始めて、あまりに知らないのに驚き、恥ずかしながらこれで内科研修を終えていいのだろうかと思うほどだ。
 一つには、継続外来とは名ばかりで臨床上の問題を何回かにわたってフォローし改善していくという機会がほとんどない。診たくても患者さんが予約をとってくれなかったり、自分のローテーションの都合で外来が不定期になってしまうことが原因だ。半年や一年に一回やってきて4-5個の訴えを聴き、限られた時間のなかでできるだけ全てについて検査や治療の計画を立てても、結局また半年は来ない。徒労に感じもするし、実際自分の診療計画が正しいのかを検証することもできない。
 それでも移民、低所得、無保険、犯罪歴、精神疾患など処々の事情により良いケアを受けることが難しい人々に最善の医療を提供しようと頑張ってきたし、それにより患者さんが助かった例もたくさんある。だからやってきたことは誇りに思うが、正直入院診療に比べると系統的で総合的な学習をほとんどしていない。今月はMKSAPの総合内科部門を読み知識を補完する。それは内科専門医試験に合格する上でも不可欠なことだ。In-training exam(目的は違うが模試のような試験)でも、私は他の科は全て好成績なのにgeneral internal medicineだけ悪かった。

2/27/2011

Yoruba

 Adekemi、Olufemiといった名前はナイジェリアではとても多いらしい。それぞれ"The crown(or king) cares me"、"The god loves me"という意味だ。ナイジェリア、ベニン(ナイジェリアの西、ナイジェリアが英国領だったのに対しベニンはフランス領だったので別の国になった)を中心に話されているYoruba語の言葉という。日本語とは違うが母音が多いので親近感がある。

Shatranj Ke Khilari

 チェスを習ってしばらく、その話を色んな同僚にしてみると「えー知らなかったの?」と驚かれる。というのも、同僚の多くを占めるインド人達の故郷ではイギリス文化が浸透しているからだ。そんな彼らに私は将棋のことをChinese Chessと説明する。インドではチェスは貴族王侯の遊びの象徴という。そんなバカ殿たちを描いた"Shatranj Ke Khilari(The Chess Players)"という1977年制作の映画があるらしく、劇中にチェスに興じる王たちが、内乱や外憂もそっちのけでチェスにのめり込むという筋書きという。ともかく共通の話題があるのはよい。親切な後輩の一人が、家に使わないチェス盤と駒があるのでくれることになった。

Chess

 先日、午後の休憩時間に後輩の先生たちと話していたらチェスの話になった。私はチェスのルールはいままで習う機会がなかったので、親切な彼らが駒の動き方と基本的なルールを教えてくれた。駒にはKing、Queen、Rook(塔)x2、Knight(馬)x2、Bishop(帽子)x2、Pawn(歩)x8がある。8x8のチェッカーボードにPawnが前列(2nd Rank)、それ以外は後列(1st Rank)に並ぶ。両端からRook、Knight、Bishopの順(将棋で言う香車、桂馬、銀)で、最内側のふたつのうちQueenは駒と同じ(白なら白い所)、Kingはその隣に置く。
 動きは、将棋と同じものと違うものがある。Kingは王将、Queenは飛車と角を合わせた動き、Rookは飛車、Bishopは角。Knightは桂馬に似ているが、前だけでなく八方すべてにL字で移動できるので将棋の積りでいると痛い目に遭う。またPawnは歩に似ているが、最初の動きは二個進むことができたり、正面の駒は取れず左右前の駒しか取れないなど違いがある。Pawnが8th rank(ボードの最奥)まで攻め込むと、promotionといって「と金」のように他の駒に昇格できる(たいていは最も動けるQueenに昇格させる)。
 他にもCastlingやEn passantなどユニークな動きがある。Castlingは特に防衛上重要だ。KingとRookの間にあるBishopとKnightが出て行った場合に、KingがRookに隠れるように移動することができる。ただしKingとRookの間のスペースが敵駒の攻撃範囲に入っている場合はCastlingは出来ない。ゲームは白が先手で、王手はcheck、詰みはcheck mate。他にstalemateというのがあって、これは詰んではいないのでこの状態でいる限りKingにcheckは掛っておらず負けてはないが、さりとて他に動かす手が一切ないという状況を言う。どんなに優勢でも劣勢でも、これは引き分けだ。
 ルールを習った後で、後輩の一人が紙で小さな駒を作ってくれ、初めてゲームをしてみた。Knightの動きとPawnの動きが新しかった。また、QueenはKingのすぐ横にいることから将棋の金のように守備に扱ってしまったが、チェスではQueenが攻撃の柱になる。Bishopは角と思っていると、チェスではPawnの次に位の低い駒なので、たとえばKnightやRookと引き換えに相手のBishopを倒すのは良い手とは言えない。また白の所にいるBishopは、チェッカーボードの白い所にしか行けない(黒い所にはどうやっても行けない)。逆もしかり。これは詰みを考えるとき重要になる。
 一度倒された駒が失われたきり使えないというのも大きな違いだが、これは駒の色が違うので実際やってみると納得だ。将棋を知らない後輩にこの話をすると「倒した敵の駒を味方にして使えるなんてslaveだ」と言っていた。Rookが序盤・中盤で余り出番がなく最終局面で活躍するのも面白く、英語のRookie(新人)はここから由来するというのもうなずける。Late bloomer(遅咲きの人)というわけ。初めてのゲームは後輩の先生が色々解説してくれたので教育的で、もちろん負けたけど非常に為になった。のめり込ませる魅力があって、暇な時間や屋内に閉じ込められた冬などに人生を豊かにしてくれること請け合いだ。

2/10/2011

MFZ

 職場で、仕事にばかり忙殺されずにMFZ(medical free zone)を持とうという試みを密かに企ていていたのだが、今日午後そのチャンスが巡って来た。病棟は落ち着いているし、新患も一人来てからは来る気配がない。それで、医学生一人、一年目のレジデント二人、それに私でLipton Tea片手にカフェテリアで医学以外の話をした。
 私が"We are not machine"という好きな言葉を軽く宣言してから、各々が思いもよらなかった話をはじめてどれも興味深かった。一人はNew Hampshire州のMt. Washingtonがいかに美しいエリアかを話した。来年そこで結婚式を挙げるらしい。一人は今の病院で働くインド人医師が、以前ベンガル州でcounter purcher(密猟者狩り)の仕事をしていたという話をした。ライフルを持って国立公園を駆け回っていたという。
 他にもNeuschwanstein城(ドイツ)、ゾウの生態、薩長同盟と王政復古、写真の話などで盛り上がった。同僚という以前に、お互いに人間じゃないかという気持ちになった。またMFZ以外ではかなりintensiveに医学の話をするので、メリハリができてよかった。私も、読み始めたEconomist誌の記事から得たチュニジアやエジプトの騒動の真相について、自分の言葉で説明することができた。

2/02/2011

PLGE

 SLEの患者さんで、数ヶ月前から徐々にprednisone、MMF、hydrochroloquineをやめていった人が一カ月続く嘔吐と下痢で再来院した。再来院というのは、数日前に一度入院したが、そのときには補液で気分がよくなったので勝手に帰ってしまったのだ。当時の便検査では感染を示唆する所見はなく、自己抗体でもCeliacやIBDを示唆するものはなかった。
 一か月続くという時点でおかしい。SLEの胃腸症状で文献にあたると、mesenteric vasculitisについで多いとされるprotein-losing gastroenteropathy(PLGE)が最も当てはまる。アルブミン値も低く、重度の脱水にもかかわらず下肢浮腫がみられ、CT所見もnonspecific colonic wall thickeningでぴったりだ。診断はTc-99m albumin scintigraphyで、うちの病院で出来るか核医学の先生に聞いてみようと思う。
 IBD(炎症性腸疾患)も考えたが、そもそもSLEとの合併は稀とのことで、CT所見・症状もあまりしっくりこない。おそらくコンサルトした消化器内科医が内視鏡したがるだろうが、low yieldだろう。シンチグラフィで確定診断がつけば良い。PLGEはステロイドが著効するらしいので、そうであってくれればよいと思う。

1/31/2011

Rh mismatch

 血液型がRh陰性の人は日本では稀で、Rh不適合輸血については正直あまり知らなかった。今回Rh陰性の男性にRh陽性の血液を輸血することになり、輸血センターの先生から色々学んだ。前提として、Rh陰性の人はRh陽性の血液を受ける(または晒される)ことで、抗Rh抗体を作ってしまう。それで、たとえばRh陰性の女性がRh陽性の赤ちゃんを身ごもった場合には抗体ができないようにRhoGAMという中和抗体を用いる。いったん抗体ができてしまうと、Rh陽性の第二子ができた場合に抗体が赤ちゃんを攻撃してしまうからだ。
 さて妊娠が関係ない場合にはどうか。ガイドラインによれば、18才以上の男性・50才以上の女性についてはRh陽性の血液を輸血してもよいらしい。ただし抗Rh抗体がまだ無い場合に限る。もし抗体が出来てしまったら、Rh陽性の血液は輸血しても壊されてしまう(のみならずさまざまな危険が伴う)のでRh陰性の血液を輸血しなければならない。抗体ができるには数カ月を要するという。それで、今回の例では抗Rh抗体が無いことを確認してRh陽性の血液を輸血することになった。

1/27/2011

Six of one, half a dozen of another

 "six of one, half a dozen of the other"とは、「二つの選択肢の間には実際のところ違いがなく、どっちみち同じ」という意味。日本語の熟語で言えば、朝三暮四、同工異曲、大同小異、五十歩百歩などが近い。

 患者さんに病状を「Aかもしれないし、Bかもしれない」と説明したら、この表現が返って来た。私からすればAとBは病気のタイプ、治療法、予後が異なるのだが、患者さんからすれば大同小異だったのだろう。

 一人目の患者さんは、他院で挿入されたpermanent IVC filterに塞栓が引っ掛かり静脈鬱滞をきたし、腎静脈以下の下大静脈から両腸骨静脈、大腿から下腿にいたる広範囲な塞栓症を作って搬送されてきた。
 
 塞栓とフィルターを除かなければ下肢血流が途絶する恐れがあるが、塞栓を除くにも抗凝固・線溶剤を使えば出血のリスクが高い。フィルターを除くのは(permanentなので)不可能ではないが実験的な手段だし、除けば塞栓が肺に飛ぶ恐れがある。

 下肢血流の途絶、出血、肺塞栓・・これらはいずれも違う病態だが、患者さんからすればどれも困った事態であることに変わりない。

 二人目の患者さんは目の奥が痛いというので、腫瘍の転移や感染症(化学療法後のneutropenic feverで入院していた)を心配してMRIを撮った。しかし腫瘍であれ感染症であれ、患者さんにとっては"one of six or half a dozen of another"というわけ。

 ちなみにMRIでは症状と一致する側の錐体尖にopacified air cellsが見られ、otology(耳鼻科の中でも耳だけを専門にする科)に掛けたらpetrous apicitis(錐体尖炎)という。でも結局何によるものかまでは分からず、外来でフォローすることとなった。

 画像診断上コレステリン肉芽腫ではないようだが。enhancing lesionではないとはいえ、病歴からは腫瘍の転移が強く可能性として残るので注意が必要だ。



(Wikipedia "Six pack rings"より引用)




1/15/2011

Connotation

 言葉についたイメージのことをconnotationというが、それでふとweaningという言葉を思い出した。これは本来「赤ちゃんを乳離れさせる」という意味だが、集中治療では「人工呼吸器から離脱させる」という意味で用いられる。しかし私が一緒に働いたある集中治療医はこの言葉が大嫌いであった。weaningというと、人工呼吸器サポートを受けている状態があたかもお母さんの愛にはぐくまれ乳を吸いながら過ごしている赤ちゃんのごとく快適なように聞こえると彼は言う。実際には人工呼吸器につながれた状態は苦しく、鎮静・鎮痛剤を大量に必要とし、肺炎・じょく創の元になる。患者さんをこんな状況に安住させてはいけないのである。だから一刻も早く挿管を必要とするに至ったプロセスを取り除いて患者さんを人工呼吸器から解放しなければならないという意味で、彼は"liberate from ventilator"という言葉を使っていた。それ以来私も彼の考えに同意して、weaningという語は使わなくなった。

1/11/2011

抗GM-CSF抗体

 外来の医師控室にNew England Journal of Medicineの記事があり、先週号のClinical problem-solvingだった。ぜんそくの既往のある若い女性が、上気道感染を機に数カ月の経過で増悪する呼吸苦をきたしたというストーリー。喘息に似た疾患(間質性肺疾患、Churg-Strauss、ABPAなど)を考えていたら、CTで"crazy-pavement pattern"が見られpulmonary alveolar proteinosis(PAP)の診断に至った。

 抗GM-CSF抗体のtiterが高く、GM-CSF注射を行い良くなったという。この疾患はこちらに来てから何人か見たことがあるが、みな数カ月に一度の肺洗浄をされていた(肺を右も左も気管支鏡で丸洗いするという治療)。抗GM-CSF抗体については、これがあることでGM-CSFが中和されてマクロファージの増殖・活動が異常になるという病態機序が唱えられている。ただしGM-CSF治療については一定した評価を得るまで至っていない。




 [2019年8月追記]上記のクレイジー・ペイヴメント・パターンは、もはやPAPだけの特徴ではなく、ARDS・心不全・肺炎など幅広い疾患で診られることが分かっている(米国胸部学会のサイトも参照)。

1/05/2011

Oncology

 ひさしぶりに腫瘍内科ローテーションが始まった。分子生物学、ウイルス学、免疫学などがintegrateされた学問でfascinatingだ。たとえばhead and neck cancerではHPVウイルス(とくに発がん性の高いHPV-16と18)がリスク因子であるが、ウイルスのDNAがコードするタンパク質(早期に転写翻訳されるE6、E7)ががん予防遺伝子のp53やRBを抑制したり、細胞周期を廻すのに関与するp17を異常発現させたりすることで発がん作用を起こすと学んだ。
 病理組織がHPV陽性の例は、より若い人に多くみられ、舌根と扁桃が圧倒的に多い。陰性のものにくらべ予後がよいが、陽性でも他のリスク因子(飲酒、喫煙、噛みタバコなど)がある場合は変わらない。予防目的にHPVワクチンを(cervical cancer予防だけでなく)head and neck cancerに用いてはどうかという話もある。cervical cancerほど患者数は多くないが、頭頚部がんは手術しても放射線治療しても大がかりになるばかりでなく、発声・嚥下など基本的な機能が侵されるので検討の価値はあると思う。
 免疫学といえば、治療(予防でなく)目的のがんワクチンがホルモン療法に不応の前立腺がんに応用され始めている。Sipuleucel-T(商品名Provenge)は、患者さんの白血球(とくに抗原提示細胞)を取り出し、がん細胞に特異な抗原(prostatic acid phosphatase)とGM-CSFと混ぜて培養することで、がん細胞をやつける白血球に育てそれらを増殖させたもの。これを患者さんの体内に再び戻すことで、がん細胞に対する免疫反応を起こすのが狙いだ。
 こういった話が回診で盛りだくさんに出てくるのでウキウキする。分子標的療法の話はさらに楽しい。今日はフェローがmetastatic melanomaに対する抗CTLA4モノクローナル抗体(ipilimumabとtremelimumab)の話をした。CTLA4はT細胞活性化に必要なco-stimulation(B7とCD28の結合)を邪魔するので、この抗体でCTLA4を駄目にするとT細胞活性化が促されがん細胞に対する免疫反応が進むという仕組みだ。生存期間を数カ月伸ばしたという研究結果がでている。
 このCTLA4に関しては、さらに話が広がる。この分子を逆にはびこらせれば、co-stimulationが邪魔されT細胞活性化が起こらなくなると考えられる。それで、実際にCTLA4-Igという分子標的療法(たとえばAbatacept、商品名Orencia)が自己免疫疾患や移植後の免疫抑制に用いられ始めている。免疫学が幅広い分野に応用されているのをみて、これが21世紀の医学なのだろうなと痛感する。ともあれ、勉強することが沢山あって飽きることがない。