12/27/2018

レシート幾何学 103

 世界に自分と同じことを考えている人がいると知るのは、うれしいものだ。英エコノミスト誌のクリスマス特別号(2018年12月22日-2019年1月4日)に折り紙の記事がでた。

 それには、折り紙と幾何学・代数学の融合、その工学や医学への応用について主に書かれている。またアカデミックな本気さに欠ける分野だったのが、1958年にOrigamiUSA協会ができ、1989年には国際会議がはじまり現在に至るなど、歴史も学べた。

 文中にひとつ、レシートでできるマジックがあった。それは、紙の真ん中で縦に引いた線のどこかに点を打ち、その点を通るように何度も折り返すというものだ。

 順に説明すると、まず紙に点を打つ。


続いて、その点を通るように折り返す。


少しずつずらして折り返していくと、折り目でできた曲線ができる(赤の破線;Xは中心の点)。



 見てのとおり、これは包絡線(envelope)でできた二次曲線である。エコノミスト誌はこれをgood clean educational fun(良質で明快で教育的な楽しさ)と呼んでいるが、まさにそんな感じだ。

問題は、これをどう代数的に解説するかだ。少し調べた印象では、Xを焦点、紙の上辺を準線(directrix)とする円錐曲線と考えればよさそうだ(図はWikipedia「円錐曲線」より作成)。


 折ってできた二次曲線は、図の緑線、すなわち離心率e(eccentricity)が1の曲線と同じで、これを「放物線(parabola)」という。

 離心率が1とは、図のFMとMM´の比が1対1ということだ。レシートに戻ると、PMの線で折り返したときM´とFが重なるので、△PMFと△PMM´は合同。つまり、FMとMM´は等しくなる。


 ここまできたら、代数に持ち込もう。このマトリクスは準線から焦点までの距離を際だたせるため、準線をx軸、焦点をy軸上においている。


 例によって、FMとMM´が等しいので、下記の式を展開して、二次関数(quadratic function)が得られる。


 さらに応用すれば三次曲線もできるという。また、『数学ガールの秘密ノート 丸い三角関数(結城浩著、2014年)』で紹介されたリサージュ図形用紙なら、楕円もかけるしオシログラフのようなくねくねした曲線も書ける。

 やはり、レシート幾何学(以前のはこちらこちら)から学べることは多い。






12/21/2018

忘れられない一言 52

 忘れられない一言は、どこにいても見つかる。医局の壁にふと目をやると、こんな掲示があった。

 日頃より期限内の退院要約の作成にご協力頂きありがとうございます。本日時点で、作成期日の迫っている退院要約はございません。

 ふだんは、「退院して2週間以内がサマリーの期限なのに、こんなにたくさん迫っているものがあるから、はやく書いて」という掲示だ。それがきょうは、たまっていないという。

 おもわず診療情報管理室に電話して、粋な掲示をしてくれたお礼をした。そして、医局にいた先生方とお祝いした。




 退院サマリーは退院前に書く、と私は以前から教えてきた(サマリーがタマリーはダメリー、などとも言った)。入退院がたてこめば守れないこともあるが、そんなときこそ効率的に仕上げないと、どんどん溜まるのがサマリーだ。

 これからも、この調子で頑張ろうと励まされた。


12/13/2018

忘れられない一言 51

 内科レジデントだった2009年頃、ICUローテーションの初日のことだ。担当患者を回診して全システム(循環、呼吸、神経・・)について情報を得て、息つく暇もなく突入した指導医回診で、まず指導医は私達にこう言った。


「私が求めるのはただひとつ、良心に背かないことだ」


 そして、良心に背く例として挙げられたのが「ICU前の家族待合室を避けて、裏の通路から出入りすること」だった。

 どうしてこの例をあげたのだろう?と当時は不思議に思った。しかし、今思えば「カルテを改ざんしない」というレベルのことを期待しているのではない(そんなのは常識であり当然)ということだったのだろう。

 その言葉をもらってから、今でも待合室やラウンジ、売店前など家族がいそうなところをちょっと覗く癖がついている。しかし先日、ほんとうに忙しい時に目が合って(もちろん目をそらしたりはしないが)、説明を求められて少しどぎまぎしてしまった。

 こういうときは「自分はできるだけ相手の気持ちを理解しニーズに応えようとしている」という姿勢を示すことが大切だ。たとえば、敢えて椅子に腰を下ろす。大事なこと・相手が聞きたいことを最初に話し、詳細は後日にする(できれば具体的にいつ、と伝える)。

 さらに(耳が痛いが)、本当に家族と話す時間がないほど忙しいかと言えば、そうでもない。患者が急変しているのなら別だが、その数分を割いたら世界が終る、なんて状況はまずない。工夫すればいいことだ。

 わかってはいるが、とっさの対応は完璧にはいかない。良心に背かないためには、気持ちだけでなく経験も必要ということか。





 

12/09/2018

数字を伝えるスキル

 健診で「肺年齢100歳」といわれてタバコをやめる人がいる。肺呼吸機能検査の一秒量(強制呼気で1秒に吐ける息の容量)は年齢と共に低下するので、喫煙に関連したCOPDで低下した場合に、それが何歳相当かを示したものだ。

 肺年齢であっても、「100歳」といわれると、ちびて今にも消えそうなロウソクがチカチカ灯っているように感じられるかもしれない。




 このように数字で警鐘を鳴らすのは、効果的でありうる。とくに「余命」はインパクトがあり、疫学統計を効果的につかえば行動変容につながるかもしれない(もっとも、あまりにも「なんとか年齢」が高すぎると諦める人がいるかもしれないが・・)。

 一方で、実感しづらい数字はインパクトに欠ける。糖尿病で「ヘモグロビンA1cが16%」といえば、即日入院してもいいほど不良な血糖コントロールだが、意外と「また来ます」と、そのまま帰ってしまったりする。

 数字で人を動かすのに最も長けているのが、商売だ。ちょっと広告をみても「医師の94%が薦めたい商品」「なぜGTPが300から50に?」などの数字に溢れている。それで、けっこうな人々が心を動かされる。

 数字をどう伝えるか。写真のように何かを売り込むわけではない医療者にとっても、大事なスキルだ。




12/05/2018

FJSIM

 Fellow of the Japanese Society of Internal Medicine(FJSIM)は、総合内科専門医の英語名称だ。2年前は取るつもりなかったが、結局とった。とって、よかったと思う。米国資格があれば、現在おこなわれている優遇措置が終了した後でもおそらく受験資格はもらえただろう。だが、いまが受け時だった。

 卒業して10年以上たつと、他専門内科のアップデートが必要になる。米国の医療が日本の数年先だからそれで何とかなると思ったが、米国で総合的に内科を勉強したのすらもだいぶん前なので。

 逆に、資格維持のためにいまの米国診療を勉強しても、日本で未認可のものばかりで役に立たない。今回の試験対策では、その間を埋めて、日々の診療にもある程度役立つ知識をふやすことができた。

 また、ひさしぶりの受験勉強と試験は、学生に戻ったみたいで楽しかった。

 当日は優遇措置で受験生の年齢が高く、マークシートに使った鉛筆が明らかに子供用の人を見ると「休日家族とのプレイタイムを返上して勉強されたのかな」と想像し、紙に頻出な暗記事項をかいて復習している人をみると「やっぱりスマホよりも使い慣れた紙だよね!」などと共感したりした。 
 
 とったところで「総合といっても総合診療専門医とはちがうでしょ」「サマリーがないなんていい加減だ」「専門内科の内容を広くといっても、浅すぎる(自分の専門は簡単すぎる)」などの負い目があって、受けた人どうしと家族くらいしか祝えない資格かもしれない(合格率が低いのがせめてもの慰めだ)。

 それでも、今後はこれが内科認定医を置き換えると聞くし、上記のように学べたものは役立っているし、年寄りの手習いでよい経験だった。





12/03/2018

忘れられない一言 50

 きょうの忘れられない一言。それは英エコノミスト誌(2018年11月24日付)にあったこんな言葉だ。


There's nothing in this world that can't be solved.
(この世で、解決できないことなんてない)


 東尋坊でボランティアを続ける元警察官の男性が、身投げしようとする者にかける言葉という。

 世の中、個人も家庭も職場も社会も、とにかくさまざまな問題がある。もうどうしようもない!という考えや気持ちに陥るのも無理ない。

 しかし、この世で、解決できないことなんてない。

 それは、問題に対する見方や感じ方かもしれない。事態が一時的に悪くなっているだけで、おのずと解決するかもしれない。だれかに相談するだけで、そういったいろんなことに気づけるし、必要なリソースにつないでもらうこともできる(ゲート・キーパー)。
 
 このボランティアをしている方は、精神科医ではない。カウンセラーの講習は受けておられるようだが、そういう資格をとって活動を始めたわけじゃない。よき隣人で、別名「ちょっと待ったおじさん」だ。

 しかしこれは、すごい智恵の言葉だ。東尋坊だけでなく、どこにいても役立つ言葉。行き止まりと思ったときに、いつでも覚えておきたい言葉。英国にはKEEP CALM AND ...という標語がある(第二次世界大戦中に準備され、戦後に広まった)が、日本にもこういうよい言葉があるのだから、もっと広まればと思う。









11/29/2018

忘れられない一言 49

 患者さんからこんな言葉を聞いたら、どうしますか。

病院っていうのはこういうとこだとつくづく分かりました

 病院は医療サービスを提供する場であって、残念ながら健康を提供することを必ずしも保証していない。数日のつもりの検査入院で、あれやこれやと問題が(検査に関係あるものも、ないものもふくめ)おきて、入院が伸びたりすることもある。入院が伸びるだけで済まない事だって、ありえる。

 冒頭の言葉は、一番は状況へのやりきれない気持ちの表出と考えられ、医療者を責めているわけでは必ずしもなかった。しかし、この言葉は同時に、医療者に直視したくない真実を突きつける。悪いことがおこらないように質を高める、それでも一定確率でおこるものは適切に対策できるようにしておく、などの重要性を改めて認識した。

 病院っていうのは、そんなに安全なところじゃない。

 でも、人と人が接する以上はせめて「癒しの家」にはなれるのかなと思う。冒頭の言葉を受け止め、その背景にあるやりきれなさを受け止め、できる最善の診療をしてせめて無事に帰ってもらえれば。そして、おたがい「大変でしたね」と苦笑して前に進めれば。





11/25/2018

忘れられない一言 48

 電子カルテの患者画面には、もちろん性別と年齢が書いてある。しかし、何歳何ヶ月まで書かれていることは意外と知られていない。「XX歳0ヶ月」と書いてある人は、その月に誕生日を迎えたばかりというわけだ。

 アメリカにいた頃に用いていたソフトでは、それを強調するアイコンが年齢の横にでて、受付の方が「誕生日だったんですね」などと声を掛けるようにしていた。素直に喜べない誕生日であっても、やはりその年まで生きてきたということはおめでたい。

 さて、これは患者さんの誕生日ではないが、わたしの誕生日に外来をしていたある時、ある患者さんが部屋に入って座るなり笑顔で身を乗り出して「先生、調子いいです!」と発言したことがあった。

 ラーメン屋さんでお客さんが食べるなりカウンターから身を乗り出して「店主、ラーメンうまいね!」と言えば、まあ、うれしいだろう。でも、ラーメンが美味いのか、お客さんの機嫌がよかったのか、お腹が空いていたのかは、わからない。

 医者も同じだ。だから、(誕生日にうれしい言葉だな)くらいに心にとどめながら、「そうですか、それは何よりですね」と返す。

 「じゃあ診るべきことがないですね!仕事を楽にしてくれてありがとうございます」くらい、冗談を言ってもよかったがやめた。実際にはいくつもの問題点について治療を行なって注意深く診ており、そういうよい日ばかりではないことはお互い分かっているので(下はイソップ寓話『メメント・モリ』、2013年ペンギン社刊より)。




6/28/2018

レシート幾何学 102

 電車の中で考えるレシート幾何学シリーズ、その続編は五角形からはじまった。正五角形をつくるには、正方形を半分におり、さらに半分の半分というように折り目を付ける(下図)。




 そして、下図のように斜めに折り返すと、できる角度が72度(360/5)になっている。折り返すと72度がふたつで、はみ出す部分の角度は36度(180-144)になっている。半分の折りたたみを元に戻せば、そこも72度(36×2)というわけだ。




 ここから、下図の三角形ABCについて考える。




 AB、BC、ACについてピタゴラスの定理が成り立ち、ABとBCは1:3なので、ACの長さはABの√(1の二乗+3の二乗)倍。AB:BC:ACは1:3:√10。ここで10という5の倍数がでて、ああやっぱり五角形かと思う。

 さて、ここから幾何と代数を融合させ、つぎのようなマトリクスに当てはめる。




 そして、AB、BC、ACの長さをθで求めてみる。そのためには下の二つの方程式を解けばよい。



 
 展開すると、AB、BC、ACは以下のようになる。




 ああ、美しい。しかし美しいものは美しいものを呼び寄せる。ここで、θを正n角形をつくる角度とすると、θはラジアンに直して2π/nとなる。さらに、それを今度は図のような複素数平面に置き換えてみる(図はnが5の場合)。




 ここから先は、AB、BC、ACの話と言うよりも、2π/nの三角関数をどうやってnの多項式に直すか、という問題になる。そして数学雑誌の論文(DOI: 10.1080/0025570X.2004.11953242)などもみると、それにはEuler's totient function、Eisenstein's criterion、Euler's identity、De Moivre's formula、Binominal theorem、Chebyshev polynomialなどが出てくるらしい。

 これらを成書で学ぶのも、楽しみだ。

6/22/2018

テザリング

 通勤車内を書斎にできる人は、幸いだ。ひとりで、誰にも邪魔されずに読書や執筆などさまざまな作業をする時間を、確実に確保できるのだから。遠距離通勤の役得とも言えるかもしれない。

 わたしもその時間を通じて、1年間で1冊の本を訳すことができたクチだ。それはスマホでやったが、パソコンで作業するにはネット環境をどうすればいいかな?と思っていた。そして調べて、スマホのテザリング機能をつかえばよいと分かった。

 これがあれば、スマホがwifi(あるいはbluetooth)のアクセスポイントとなり、パソコンのネット接続が可能になる。唯一の難点は、ネット環境とは関係なく、パソコンキーボード打鍵音のうるささくらいだ。静音化するため、キーボードにかぶせるパッドとかを検討しよう。

 これがあれば、モバイル書斎が一層充実し、執筆も進むだろう。


6/07/2018

Be perennial

 Perennialとは、多年生植物のことだ。わっと咲いてわっと枯れる一年生植物ではなく、多年生植物のように持続的に成果を出して幸せを味わって生きたいものだ。

 それに対してevergreenとは常緑樹のことで、永遠の生命の象徴でありクリスマスにもみの樹が崇拝される理由でもある(もしかすると七夕の竹信仰とも関係あるかもしれない)。

 ただ常緑樹のような人生はちょっと単調な気がする。

 落葉してもいいから、冬にもちゃんと立っている。四季ごとにいろんな喜怒哀楽を経験しながら、それでも立っている。

 そんな人生がいいんじゃないかと、ふと考えた。



5/15/2018

忘れられない一言 47

 病気を生活習慣を改善させることでなんとかしたいと思う人は多い。薬を飲まなくて済むなら、なお結構というわけだ。実際、生活習慣を改善させるよう指導すると外来診療で管理料がとれる。そのひとつが禁煙だが、運動や減塩を勧めるのと違ってこればっかりは患者さんから「いやーなかなか(^-^;)」という苦笑いが返ってくることが多い。

 こういう行動変容について情熱を燃やすのは、総合診療科のマインドを持った人たちが多い印象があるが、腎臓内科医も自分は総合内科医だと思っている。それに『CKDの集学的治療』なんていって禁煙を勧めないんじゃあ片手落ちだということで、私も割とこの話を避けない(成功話はこちら)。

 すると、まあいろんなお話が聞ける(たとえばこちら)けれど、こないだも認知や行動について示唆的な発言があった。

「2ヵ月後お会いする時には、どれだけ吸っていると思いますか?」

 とお伺いしたところ、

「半分にします」

 とおっしゃる。それで、

「半分って何本ですか?」

 とお伺いしたところ、

20本の半分だから、15本

 とおっしゃった。20本の半分は10本だ。半分と言ったものの10本は無理と思ったのか。いずれにしても、この発言だけで禁煙の意思と喫煙の欲求のあいだで激しく相克があることが伝わってくる。

 完全喫煙が100で、1本でも吸っていたらゼロって白黒な世界じゃない。現実はもっとファジーで、マーブルで、カラフルで、まるで人生そのものだ。





忘れられない一言 46

 腎臓内科医にとって、むくみが減って皺ができるのは、よいことだ。消化器外科医にとって、手術した患者の放屁を聞くのがよいことであるように。

 しかし、患者さんにとって、とくに女性の患者さんにとっても皺が祝福すべきことかと言うと、そうでもない。

 だから、「むくみが減って皺が寄りましたね」なんて満面の笑顔で言って、「皺ができたなんて嫌なこと言わないでよ!」と怒られないよう注意が必要だ。

 要は、相手の立場にたって考えられますか?ということだ。医療者のゴールと、患者のゴールは、多くの場合近くて似ているが、まったく同じではない。





忘れられない一言 45

 家族構成を知るのには、"Who do you live with?"の直訳である「誰と一緒にお住まいですか?」という質問が便利だ。すると、配偶者と住んでいたり、母と一緒に住んでいて父は他界していたり、子供一家と住んでいたり、孫と住んでいたり(子はいなかったり出て行ったり)する。

 家族が同席しているような場合は、その家族と一緒に住んでいる場合もあるし、そうでない場合もある。あるいは、同席しているのが家族ではないこともあるので、まず確認することが必要だ。いつも配偶者ときていた人が別の人ときた場合に、理由をたずねると

「(配偶者は)キュウシしましたので

 という答えが帰ってくることだってあるかもしれない。キュウシが急死だとわかるのに少し時間がかかるくらいはまあ仕方ない。でも、動揺を見せずにその時の様子、葬儀のこと、亡くなった後の生活についてお話を聞いたり共感し、診察をつづけるのがプロだ。

「自分が死んだら、悲しんでくれる人はいるのかな?」

 などと考えるのは、診察が済んでからでいい。




 

5/10/2018

ところ変わって変わらないもの

 ABIM(米国内科専門医資格を管理するところ)による、資格維持のための教育モジュールを解いて、最初は感動したが、だんだん悲しくなってきた。

 ABIMの専門医資格といえば、これがあれば米国では一生やっていけるという大事な資格であると同時に、その更新制度については改革が会員の反対があった経緯がある。

 しかし、反対後に極めてリーズナブルな再改革がなされ、現在では何年ごとに一定の単位(MOCポイント)をとればよいことになった。

 単位はJournal ClubでもGrand Roundでも、本当にさまざまな教育活動が含まれるようになった、そのひとつがABIMがやっているモジュールだ。

 各科ごとに各年のupdateモジュールがあるが、何度トライしてもよいので、色々調べて勉強してください(こういうのをオープン・ブックという)、となっている。

 その具体的な内容はもちろん開示できないが、とにかく、非常に勉強になる。ABIM資格を持っていて、本当によかったと思う。

 ではどうして悲しいことがあるのか?それは、多くの治療が日本でまだ認可されていないからだ。

 もちろん、高齢化とか透析とか医療制度とか、日本には日本で先を行っている分野がある。抗IL-6モノクローナル抗体のように日本にしかない薬もある。
 
 日本は日本だし、米国は米国だ。まあ、それでいい。それでも、日本でも米国でも(別の国でも時代でも)変わらないものがあるはずだから。