12/08/2012

Charles Joseph Minard

 私がアカデミックな職場にいたい一つの理由は、いろいろ学べるからだ。たとえば今日は仕事中にCharles Joseph Minardの話になった。彼は18-19世紀フランスのcivil engineerで、infographic分野の先人だ。彼が作ったグラフィックでもっとも有名なのは"Carte figurative des pertes successives en hommes de l'Armée Française dans la campagne de Russie 1812-1813"、Napoleonが1812年に行ったモスクワ遠征についてのフローマップだ。

 これはポーランド・ロシア国境から東征するNapoleon軍の勢力がモスクワに向かうにつれ漸減する様子を地図上に帯状ラインで示し、さらに退却するときのグラフは勢力減少のみならずその過程における気温もグラフで同時に対応させて表示している。見れば分かるが、とても手書きとは思えない精巧さだ。




 どうしてこの話になったか?指導医と私は免疫抑制の話をしていたのだ。私は免疫抑制の程度は、拒絶-感染症という全か無か(点=一次元)ではなく、それぞれを極にした線上(二次元)でどこに位置するかプロットできればと思っていた。そして指導医は、さらに三次元、n次元について考えていた。で、それらを表示する方法としてMinardの話になったというわけ。

Nostalgic professionalism

 今週のJAMAに、"Professionalism in the Era of Duty Hours"(JAMA 2012 308 2195)というコラムが載った。これは「いくら勤務時間ルールを変えても、患者さんを継続して診たいという研修医の情熱を消せはしない(old values do not simply die in a new system)」という話だ。

 で、何が起こるかというと研修医が勤務時間をunder-reportするようになる。これはいくらACGMEが厳禁しても横行している(たとえばMilbank Q 2010 88 350)。家に帰ってからもカルテを読む、書く、データをチェックするなど「仕事」は続く。

 患者さんを継続して診たいというのはnostalgic professionalismだが、嘘をつくのはprofessionalismに反する。同じように、患者さんが気がかりな余り体調が悪くても休まない(専門用語でpresenteeismという)のもprofessionalismに反する。

 どうやって研修医の患者さんを思う情熱を、(やはり患者さんを医療ミスから守るために作られた)新しいシステムに適合させられるか。著者達は警察官、パイロット、看護師など高い専門性と職業倫理を要求されるが、同時にシフトを守って働いている他業種にヒントがあるかもという。

12/07/2012

Ethics round

 今日はACGME requirementのひとつを内科全科フェローで話し合うワークショップがあり、テーマはethics。主にfutilityの話とgoal of careの話をした。Futilityを計る要素は三つ、①Goalが満たせるか、②質が満たせるか、③Goalを満たす可能性はどれくらいあるか(量)。資源の有効活用、コストなどは入らない。Goal of careは六つのレベルがあり、CLFCLFという。すなわち①Cure、②Live longer、③Function、④Comfort、⑤Life goal、⑥(provide support for) Family。Ethics roundというだけあって具体的な症例を元に話をしたので実践的だった。

11/23/2012

さまざまな教育モデル

 学会にはfaculty developmentのセッションもあり、会場は満員で立ち見がたくさん出た。各フェローシッププログラムのディレクタークラスの先生方が多かった、requirementだったのかもしれない。日本人で米国腎臓内科フェローシップを終えて教育に従事している先生達も来ていた。

 発表者のうちではピッツバーグ大学の(私も面接でお世話になった)Johnston先生、Beth Israel DeaconessのHoenig先生のが特にためになった。Johnston先生は、教育方法にいろいろ名前をつけて説明していた。たとえばRIME、Aunt Minnieモデル、SNAPPSモデルなど。

 RIMEとは、学習者がR(reporter)、I(interpreter)、M(manager)、E(educator)のどこに位置するかに従い指導するもの。回診で医学生、レジデント、フェローと異なるレベルの学習者を教える際に、医学生はR(それができればI)、フェローはM(それができればE)というようにアプローチできる。

 Aunt Minnieモデルは、病歴を一文で要約させ学習者の診断能力を評価するもの。"If it looks like a duck, swims like a duck, and quacks like a duck, then it probably is a duck"(なお、英国の脚本家Douglas Adamsは、カモ科のほかの鳥である可能性も指摘している;下図)。同じように、「A(疫学)で、B(既往など)のある患者さんが、C(症状と現病歴で重要な情報)で来て、D(診察、検査所見)がある」と綺麗に情報を並べれば診断はだいたいつく。




 診断がそこまでstraightforwardでないならSNAPPSモデルが有効かもしれない。これはSummarize history and findings、Narrow the differential、Analyze the differential、Probe preceptor about uncertainties、Plan management、Select case-related issues for self-studyに従って学習を促進するものだ。

 これらは何も新しいことではない、名前が新しいだけだ。私は米国に来て自分が日本でSOAP(subjective, objective, assessment, plan)のAとPを鍛えてこなかったことに気づき愕然としたが、日々の診療で無意識のうちに(あるいは指導医がこれらのモデルを使っていたかもしれない)鍛えられた。これから意識して自分と学習者に応用したい。

11/02/2012

ワクワク

 初めてのポスター発表は、しゃべりっ放しだった。「関心を持ってくれてありがとう」「こういうケースに遭遇したことある?」「えっある?どんな?教えて、メールして!」「ヨーロッパの人?この薬使う?」「困ってるんだけど、どうしたらいいと思う?」とか見に来た人に自分から話しかける場合がほとんどだったが、じっくり読んでから質問したり感想を述べたりしてくれる人もいた。ずっとしゃべっていたので、身内の先生が来ても私に話しかけられないほどだった。
 向かいには2年ぶりに再会したフェロー(当時はどちらもレジデントだったが)、メールでやり取りしていたが初めて会うフェロー(RFNのエディタ)などがいて、近況を話したりお互いのケースを紹介し合ったりするのもエキサイティングな体験だった。それに、Pittsburgh時代の恩師や先輩も来てくれて同窓会のような雰囲気にもなった。ポスター会場以外でも、意外な人と再会したり初めて会ったり、学会はいろんな出会いがあってワクワクする。

10/19/2012

レクチャ

 FACE programの第二回はプレゼンテーションについてで、hook(つかみ)の話に終始した。というのも、レクチャは(日本でもそうかもしれないが)もはや過去の遺物くらいに思われていて、まず最初に聞く人の関心や注意を引かなければ、聞いてもらえず、まして理解もしてもらえないというわけなのだ。私はレクチャは効果的な学びの機会と思っているので意外だった。

 レクチャは、ただ聞いたのではだめだが(かくいう私もつまらないと良く寝ることで有名だ…)、その場でメモを取り、分からないことは質問するか自分で調べ、忘れないように別の場所にまとめて整理して書き残し、さらに他の人に説明まですれば、かなり有益と思う。問題は、どうしたら聞き手がそこまで真剣に聞いてくれるかだ。

 それには、レクチャする人がレクチャ内容をよく知っているのみならず、それを分かりやすく説明することができ、さらに聞き手がどれだけ理解したかを大事にしていることが必要だ。Sir William Oslerは言う、"The successful teacher is no longer on a height, pumping knowledge at high pressure into passive receptacles... he is a senior student anxious to help his juniors."(BMJ 2003 326 437より)。これだ!

10/18/2012

Curriculum development

 Teaching Portfolioに記入すべき業績の一つに、Curriculum Developmentがある。これは、何を教えたいのか、なぜ教えたいのか、どのように教えるのか、学習成果をどう評価のか、などをすべてきちんと具体的な形で示し実行することだ。だから、企画書を書くのが始まりだ。
 そこには、問題提起としてのBackground(○○の知識や技能は必要だが、その教育は不十分だ)、理想としてのGoal(おおきな教育目標)、具体的なobjective(このコース・プログラムを終えた学習者は具体的に以下のことができるようになる)、より具体的なFormat(プログラム内容)、それに評価方法(feedback)を書く。
 それを腎臓内科なり総合内科なりのスタッフ達の前で発表し、「どうして必要なの?」「その方法じゃなければならないの?」という批判を全て言い返さなければならない。そのうえで、彼らの意見も参考にプログラムを改善し、パイロットプロジェクトを立ち上げ、その成果次第でさらに広くimplementする。
 正直今までの自分には無縁の世界だ。まるで企業家のようだ。唯一近いものがあるとすれば、Toastmasters ClubのCompetent Manual、それにPersuasive Speech Manualだ。幸い、腎臓内科のスタッフでその道のプロがいるので、彼と一緒にプロジェクトを立ち上げることにした。何についてでも、どこででも、人を説得してプロジェクトを立ちあげられるようになりたい。

10/05/2012

Teaching Portfolio

 FACE Program(Fellows As Clinician Educators)が始まった。2001年に総合内科で小さく始まったのが、2003年には全専門内科に受講資格を拡大し、これまでに100人近いフェロー(チーフレジデントも含む)が課程を修了している(J Grad Med Educ 2011 3 302)。第一課は、Self-AssessmentとTeaching Portfolio(TP)についてだった。
 Self-Assessmentでは、誰を対象に、どんな設定での教育を考えているのか、それらについて自分の強みと改善すべきところを書きだした。学習者が正答にたどりつくまで我慢強く導く、聴衆の注意を維持する、レベルの違う学習者がいても教えられる、教育の方法論など、各々がいろんな改善点を口にした。
 そして、TPを作ることになった。ポートフォリオ自体は、日本でも研修医教育に取り入れられいる。「自分を見つめて、長所を伸ばし短所を改善する」というのは同じだが、TPの目的は一に仕事を得ること、二に昇進することだ。面接で"Are you a good teacher?"と問われれば誰もイエスと答える。TPは、さらに"How would I know?"と問われたときに用意しておく武器なのだ(Acad Emerg Med 2004 11 307)。
 TPがないとどうなるか。教育は研究のようにグラントやpublicationのように客観的に業績を示しにくい。CVでは、回診・講義・スモールグループ学習に割かれた時間を記載するのが普通だが、これは量は測れても質は測れない。それで、大学病院のような場所でEducator Trackのポジションを維持するのはClinician Track、Physician Scientistと比べて困難だった。
 TPには、教育の哲学、カリキュラム作成、教育スキル、学習者の評価能力、学習者へのアドバイス能力、学会発表/論文発表、研修委員会など組織への加入、教育者としての生涯教育、教育者としての賞、将来の野望などが含まれる。内容を研ぎ澄まし、「ほうこれは」と思わせること満載にしてA4に5-6枚に収めることが目標だ。
 というわけで、私の教育哲学を明らかにするべく、いくつもの質問に答え、自分のこれまでの教育経験を振り返り、ローテーションやレクチャに対する評価を読み直している。ただ「教えるのが好き」では、甘い(仕事は来ない)。最初にこれをやらないと、何が自分に必要で、何を努力すればいいのかも見えてこない。じっくりやってみよう。

10/02/2012

Memorial service

 昨月亡くなったボスのmemorial serviceに出席した時のことを思い出した。最初に牧師さんが聖書の文脈で死の意味、残された者の悲しみと希望などにつき説明した。念仏と違って日常的な言葉で説明されるので理解できる。ある意味accountableだ。そして、驚いたことに冗談も言う。
 次に、弟のひとりがスピーチをした。これまた、小さいころから医学部に行くくらいまでの思い出を中心に、楽しいムードだった。彼は学生の頃に牛乳配達のアルバイトをしたことがあった。そういえば、生前に彼が私のクルマを見て、牛乳配達のクルマみたいだな、と言ったのを思い出した。
 そのあと娘がスピーチをして、これはさすがに涙であったが、それでもこんなくだりもあった。彼女が小さかった頃に「お父さんは何を研究しているの?」とボスの同僚に聞いて「彼の研究内容を理解できる人は世界に三人しかいないんだ」と言われた。それに続けて彼女は「ここにいる(腎臓内科の)皆さんは、(自分が)がその三人だと思ったでしょう」と。会場は笑いに包まれる。
 彼はレジデントを終えてすぐに、遠位尿細管のNCC(Na-Cl cotransporter)の存在を予言する論文をsingle authorでJCIに投稿するなど超越した研究者であったし、うちの腎臓内科と内科を臨床・教育も含め長年リードしてきた人なので、歴代の(いまは引退・移籍した)スタッフも駆け付けた。近所の人達もいた。
 さらに、FOE(Fraternal Order of Eagles)という博愛NPO財団のメンバーも来ていた。ボスは、糖尿病腎症の研究を可能にするためにこの財団の寄付を訴え、それいらい数十年にわたりこの財団と堅い結束で結ばれてきたのだ。彼らは、FOEのトレードマークであるオレンジのブレザーを着て、FOE専属の牧師を連れてきて、独自の儀式をした。
 ここでもまた、ボスがICUで一言「これが糖尿病の結果だ」と強い調子で言ったのを思い出した。心疾患、脳梗塞、腎臓病、足壊死、敗血症、たしかに患者さん達がICUにいるのは、ほとんどが糖尿病の悲しいconsequenceによるものだった。FOEとのつながりの話を聞いて、彼の信念の強さがより分かった。
 明るいムードであったのは、彼が天国に行ったからだろうか。キリスト教には死は愛で乗り越えるという言葉もあるし、よく英語では"He is in a better place"とも言う。そのことと、人のことを思い出すのは業績や肩書ではなく、(牛乳配達みたいな)小さなことなのかもしれない、という二つを感じた機会だった。

9/14/2012

教育の第一歩

 今月の指導医はよき教育者として知られているが、今月は私に症例のディスカッションをチョコチョコ任せてくれた。そばで見ているのと実際に教えるのは勝手が違う。相手がトンチンカンなことを考えている時に、「それはちがう」とか「それはこうだ」と言わずにうまく相手が方向転換できるようにするのが難しい。「うーん…(それはどうかな)」と言ったくらいで相手が間違えに気づいてくれると思うのは、甘い。
 そう言う目で先生の教え方を見ていると、たとえば先生が「これは難しい問題だ、なぜならば…」と返していた。「これは難しい問題だ」と言えば、相手が知らないことを責めなくても済む。そして、相手が正しく考えるきっかけになる事実を提示する。これは先生が使う様々なテクニックの一つだ。たとえるなら、私が一本の山道を知っているのに対して、先生は山全体(落とし穴や抜け道など、すべて)を知っている。
 医学教育といっても、奥深い。知識だけでなく、このように様々なテクニックが要求されるのだ。さらに対象(医学生、研修医、フェロー、一般内科医、腎臓内科医)、媒体(一対一、少人数ワークショップ、数十人へのレクチャ、数百人への講演、数千~万人への投稿やテレビ)によっても教え方は異なる。それで、この分野も他の分野と同じように「専門分化」している。私はまだ入り口だが、そのうち自分が最も得意とする専門を見つけることになるだろう。

9/03/2012

research month

 初めて経験したresearch monthが、終わろうとしている。時間とやることををすべて自分で調整して決めるためか、ずいぶん長く感じられた。どれだけやってもいつまでやっても終わらない、長いスパンのプロジェクトを進めることによる固有のストレスもあった。また、創造的な仕事なので、個室のオフィスがあればもっと集中できるだろうにと思った。しかし一日一日できることをやって、いろんなことが進んだ。通常業務に戻るので、一旦頭を冷やし、「時間ができた時にまた、あれもこれもやりたい」という気持を高めよう。

8/25/2012

Go-getter

 今日はボスとフェロー達が話し合う日だが、同時にあるフェローの誕生日で、かつ今月はもう一人のフェローとボスの誕生日とわかった。じゃあお祝いするかと皆沸いて、ケーキを買おうとしたが病院には丸々一個のケーキがない。
 普通はここで諦めるところだが、私は街のケーキ屋さんを検索し、電話したら一時間以内に届けてくれると言うので、さっそく注文した。そして諦めていた秘書さんに"Did I not tell you I am a go-getter?"といってみた。
 Go-getterとは、ambitious and enterprising personのことで、enterprisingとはshowing initiative and willingness to undertake new projectsということ。雑誌で見つけたお気に入りの表現だ。ついでに"If it's not impossible, it is possible."というのも思いつき、使ってみた。
 そんなわけで、可愛らしい直径6インチで4-5層にレモン風味のクリームが入った高級なケーキが、ピンクの箱でピンクのリボンにくるまれて届いた。それでみんなでお祝いした。あまり感情を表現しないボスも笑顔だった(ので、別のフェローがスマートフォンで写真に収めた)。

7/17/2012

Chop, chop

いまのモノ書きプロジェクトは、300語前後のエッセイに内容をまとめるのが目下の課題だ。第一稿を書きあげると、400-500語くらいになる。そこで、ペンの代わりに包丁を手にして(比喩)、不要で冗長な語句を削る。スピーチの時にも"言葉を節約せよ"と言われたものだが、本気でやってこなかった。長ければ長いほど伝わると思っていたのだ。
 しかしブログ記事ともなると、そもそも読者のattention spanがもつ長さでないと読んでもらえない。私自身、他の人の記事で400語を越えてくると、読む気がしない。そのブログで多くの人が読んだトップ記事は200-300語なことにも気づいた。内容を盛り込み過ぎず、分かりやすく、読みやすく、面白く、印象的な結論で締める。これが目標だ。

7/14/2012

いろいろある

"Chance favors the prepared mind"というが、モノ書きのプロジェクトが始まってから色んな面白いことが起こる。先週は、human behavior(ポリネシアの民俗学)を研究して引退した老学者の人と偶然食事する機会があり、「君は本を書くのか?」と聞かれた。本は書かないがブログを書いているというと、「君は本を書くべきだ。human behaviorを研究している私には、君が他の人と違うことがなんとなく分かる」とおっしゃる。そのあとフォーチュンクッキーまで「あなたは思考が明晰で、あなたの視点を他の人に伝え信じさせる力がある」という。
 なんだこれはと驚きつつ、勇気づけられて日々モノ書きしていたら、今度はscience writerの第一人者であるCarl Zimmer氏が講演しに来た。彼は科学モノのベストセラーを何冊も書き、記事をNew York Times、National Geographic、Time、Scientific Americanなどに何本も書く売れっ子作家だ。Science Journalism Awardを受賞した人気ブログも書いている。大学のWriters' Workshop夏期プログラムで教えに来るついでに、私のオフィスのすぐそばで講演するというので行ってみた。
 講演の全ては聴けなかったが、journalistを目指す学生で一杯の会場で、彼があきらかにプロが発するオーラで講演していた。「ネタというのは座って待っていても来ない、探すことだ」というのに共感した。自分が今していることを彼に知らせるのは気が引けたが、何か起こるかもしれないと、思い切って講演終了後に壇上に駆け寄り話しかけた。すると、スケジュールが押していたのでやや面倒くさそうだったが「誰に書いているのかを配慮せよ、それに応じて書き方を大きく変えることが重要だ」と一言アドバイスしてくれた。

7/07/2012

Effective Professional Written Communication

 今年の目標の一つは学んだことを質を高めて発表することだが、いまそのプロジェクトが着々と進行している。それにしても、professional writingというのは今まで学んできた英語と違う領域で、学ぶことがたくさんある。ただ書けばいいというものではないのだ。

 たとえばカルテで、私はeditorial commentを挿入していたことに気づかされた。患者さんがよくなって嬉しいとか、患者さんが良くならないのはこのせいだ、あれが悪い、などという自分の価値判断に基づく評価のことだ。これは必要ない。何よりカルテはmedico-LEGAL documentなのだし、何年後に誰がどんな視点で読むか分かったものではないのだ。

 あるいは編集者の方へのメールで、私は「僕、こんなに頑張って書いたから読んで!」と書いていることに気づかされた。これは、甘い。大事なのは書いたものの内容で、それが編集者からみて発表するに値すると信じる理由と、発表するに値するかをプロの目で判断してほしいとお願いするという点に尽きる。

 実際の記事についても、「僕、こんなに一生懸命勉強したよ!」と書いていることに気づかされた。これまた、甘い。大事なのは読者を惹きつけること(engage the readers)、途中で退屈しないように内容を順序立てて整理すること(make it flow)、それに読者が読んで為になるように結論をはっきりさせることだ。

 このように文章の目的をはっきりさせて、一語一句に効果的な意味を持たせるような書き方を学ぶことは、将来にとってとても有益だという予感がする。これを教えてくれている先生が、なんと英語が母国語でないことにも驚嘆するが、逆にいえば自分にも出来るかもしれないということだ。

6/07/2012

case abstracts

久しぶりにcase abstractを投稿した。今回、字数を減らすために冗長、不必要、重複したところを徹底的に見直した。仮説や主張が大事で(ある先生はこれを"meat"と言っていた)、それをいかに論理的に守り、守るために効果的なcase presentationをするかという考えが身に付いた。採用されたらいいなと思う。

6/01/2012

研究と農業

 研究の準備をしているが、まるで農業だ。農業も研究も、結果が出るまでに時間が掛かる。データベースを作るための作業は、くる日もくる日も広大な畑を掘っくり返して土に空気を入れ、種まきの準備をしているかのよう。それに比べると「論文を読んで勉強になった」だの、「患者さんを治療したら良くなった」だのはimmediate gratificationだ。秋の収穫を夢見てコツコツやろう。

5/21/2012

骨折り損のなまくら

こないだスタッフの先生に"You can't be good at everything."といわれた。毎週、これでもかと言うぐらい学ぶことがあって、それを階段一段飛ばしにかけ登ろうとしている私。仕事と生活のバランスもあったもんじゃない。でも学びの密度が濃いのは確かだし、日一日の成長を実感できる楽しみは、何にも代えがたいと思える。
 問題は、駆け上ってどうしたいかだ。今はフェローシップだから、全てを学ぶ必要がある。全てをインテンシブに学んで、自分の診療の核となる知識と経験を積むのは良い。ふつうは、そのあと「飯を食っていく」のである。つまり仕事だ。ここで得た知識、経験、生涯学習のやり方、相談できる人脈、などで、患者さんを診察していく。それが、一人前ということ。
 それが今の私は、筋斗雲にのってお釈迦様と高さ比べをしている孫悟空か、あるいは牛と大きさ比べをしようとおなかを膨らませるカエルのようだ。全速力で知識の泉をがぶ飲みしているが、それでburn outしたのでは仕方がない。このままいけば、burn outしても無理はない。それはなぜか?それは、目標がないからだ。
 一点にフォーカスして、それが好きで、それを突き詰めれば、何をも突き抜ける強さを手に入れることができる。まんべんなく好きで、まんべんなく拭き拭きするだけじゃ、骨折り損のなまくらだ。全てを見た後で、何がしたいのか。いや、完全なるすべてを見ることなど出来ないだろう。どこかで「あれもこれもあるけど、私はこれ!」と言えなければ。
 一人以上のスタッフに"You will be successful wherever you go."とも言われている。問題は、どこにいくかだ。どこにも行けなければ、なにもできない。臨床が好きなら、なんでも一通り出来て、生涯学習しながら知識をアップデートして、全分野に少しずつ経験を積んで、患者さんによい診療を行い、職場でよく機能して、それでいいだろう。
 教育が好きなら、医学生、研修医、後期研修医(ないしフェロー)がいるところで働いて、自分のもつ知識と経験を惜しみなく与えよ。Best teacher awardを目指し、名授業、名講演ができるようになれ。また、master clinicianとして他から呼ばれるような医師になれ。研究がしたければ、grantを取って、論文を書いて、息の長い論証とよく練られた実験をして、真理をつかめ。
 多少の失敗をおそれず、多少の逆境にくじけず、強い意志をもって、第一人者を目指して突き進む。それも、好きで突き進む、その過程じたいが幸せなこと。それがフェローシップ後の人生に必要なこと。テストで90点取りましたじゃダメ。誰にも分からないこと、自分の心の中にある核が、これからの人生を動かす。

5/17/2012

Town hall meeting

 今日は初めてtown hall meetingに行ってきた。病院が財政難なので、研修医(フェローも)の保険料と自己負担額を上げるという決断がresidents' councilに断りなく行われたことに対し、猛反対が起きて実現したものだ。全ての科におよぶ、約800人の研修医とその家族に関係することなので、会場は数百人でいっぱいになった。配偶者、子供もたくさん来ていた。

 まず副学長が謝った。better communicationが必要だったと。そして君たちはとても重要な存在だ、大事に思っている、といった。そのあとで財政状況がどうの、他の大学でもやっていることだ、うちの病院でも他職種に比べて研修医は恵まれている、と決断に至った理由を説明した。経理課の人もいて、やはり同じようなことを言った。

 そのあとコメントや質問タイムになった。まずは自分たちに何の相談もなくこのような重大な決定がなされたことに対する怒りと悲しみ、なぜそうなったのかの追求が行われた。経理課の人がうまいこと言って、「これからはちゃんとする」と収めようとしていた。組合化をほのめかす発言(どうしたら私たちの権利は守られるの?)もあったが、組合という言葉自体は出なかった。経営側とのコミュニケーション、関係を始めるところから、みたいな話になっていた。

 次に、いかにこの決断が不合理であるかについての意見、他に方法はなかったのか、なぜ研修医がピンポイントに対象なのか、これは契約違反ではないか、今年からやってくる新研修医は何も知らされていない、来年からこれを知ってよい研修医が来なくなるかもしれない、など。私も「なにもbenefitを削らなくても、各人がcost-consciousになってquality improvementに励んだほうが医療費の節約になるんじゃないの?」という意見を例をあげてジョークを混ぜて発言した。同調者もいた。

 そのあと、個々人の事情について意見が聞かれた。スタッフも来ていた。他のもっといい大学に行けた志願者を「うちはbenefitが充実している」といってスカウトしてきたのに会わせる顔がない、研修医の彼らにはretirement benefitがないし、給料も安いし、家族もいる。"it's a big deal、you guys woke up sleeping tigers"と経営側の対応を批判していた。

 他にも、子供がいてbenefitが充実しているからアイオワに来た、保険があがったら治療費が払えない、とか、持病があるけど保険のおかげで治療ができている、とか、大病に掛かったが保険があったおかげでこうして働けている、とか、子供を産むのにちょうどいい時期だったのに、保険が上がったらトレーニングが終わるまで待たなければならない、それでは妊娠関連のリスクが上がってしまう、とか。

 さらには、州法を取り上げて「retirement benefitがないなど、州法でも研修医は別枠で扱われており他業種と同じbenefitでなければならないという前提はおかしい」という指摘をする者もあり、さらに「私は州法など知らないが、研修医というのは患者さんと病院のために命を捧げているようなもので、虫垂炎になっても当直業務を続けるような人達であるから、とにかくそんな私たちの受ける医療を保証しないのはおかしい」と続ける者もあった。

 経営側は、とにかく沢山の挙手に対して次々と発言をうながすばかりで、質問には余り答えなかった。逆に言うと、とにかく相手に言わせて、聞き役にまわっていた(これが英語でいう"I hear you"、同意も批判もせずただ聴くという態度だ)。質問の答えを聞かれても「あなた方の意見をまとめて、ふたたび検討して今週中にプランを発表する」に終始していた。決定の先延ばしも選択肢の一つらしいことは匂わせていたが。

 当直なので行くか迷ったが、貴重な体験だった。このような全科におよぶミーティングは滅多にない(これが初めて)らしい。Town hall meetingと言えば思い出すのはアイオワが舞台の映画"The Field of Dreams"だが、ちょっと映画みたいだった。研修医側の意見も参考になったし、経営側の対応も参考になった。これで状況がどう変わるのか、注目していよう。

4/01/2012

オプション

 三月も終わり。腎移植の6週間ローテーションが終わった休日にのんびりしている。移植の基礎が分かって、腎移植が好きになった。米国では腎移植フェローシップが腎臓内科フェローシップと別に組まれており、そこまでやりたい人は一年追加しなければならない。いっそ初めから腎移植ローテーションをもっと組み入れて三年間のプログラムにしておいてくれれば迷わなくてよいのにと思う。他にも集中治療とか、リサーチとか、はたまた緩和医療とか色々一年追加できるオプションがある。
 あれもこれもチョコチョコ取って、資格の額ばっかり増えて、結局どうするのかと思う。もしやるなら、本業の腎臓内科・総合内科でどこかでスタッフとして働きながら生涯教育のように何年かおきに取るほうが、学んだことを活かす場がはっきりあって説得力のあるキャリアプランになるだろう。いい加減、2008年から2013年までの5年間(日本時代の下積みもいれれば2005年からの8年間)積み上げて来たことを以て、どこかでスタッフとして思う存分やってみたい気もする。