昨月亡くなったボスのmemorial serviceに出席した時のことを思い出した。最初に牧師さんが聖書の文脈で死の意味、残された者の悲しみと希望などにつき説明した。念仏と違って日常的な言葉で説明されるので理解できる。ある意味accountableだ。そして、驚いたことに冗談も言う。
次に、弟のひとりがスピーチをした。これまた、小さいころから医学部に行くくらいまでの思い出を中心に、楽しいムードだった。彼は学生の頃に牛乳配達のアルバイトをしたことがあった。そういえば、生前に彼が私のクルマを見て、牛乳配達のクルマみたいだな、と言ったのを思い出した。
そのあと娘がスピーチをして、これはさすがに涙であったが、それでもこんなくだりもあった。彼女が小さかった頃に「お父さんは何を研究しているの?」とボスの同僚に聞いて「彼の研究内容を理解できる人は世界に三人しかいないんだ」と言われた。それに続けて彼女は「ここにいる(腎臓内科の)皆さんは、(自分が)がその三人だと思ったでしょう」と。会場は笑いに包まれる。
彼はレジデントを終えてすぐに、遠位尿細管のNCC(Na-Cl cotransporter)の存在を予言する論文をsingle authorでJCIに投稿するなど超越した研究者であったし、うちの腎臓内科と内科を臨床・教育も含め長年リードしてきた人なので、歴代の(いまは引退・移籍した)スタッフも駆け付けた。近所の人達もいた。
さらに、FOE(Fraternal Order of Eagles)という博愛NPO財団のメンバーも来ていた。ボスは、糖尿病腎症の研究を可能にするためにこの財団の寄付を訴え、それいらい数十年にわたりこの財団と堅い結束で結ばれてきたのだ。彼らは、FOEのトレードマークであるオレンジのブレザーを着て、FOE専属の牧師を連れてきて、独自の儀式をした。
ここでもまた、ボスがICUで一言「これが糖尿病の結果だ」と強い調子で言ったのを思い出した。心疾患、脳梗塞、腎臓病、足壊死、敗血症、たしかに患者さん達がICUにいるのは、ほとんどが糖尿病の悲しいconsequenceによるものだった。FOEとのつながりの話を聞いて、彼の信念の強さがより分かった。
明るいムードであったのは、彼が天国に行ったからだろうか。キリスト教には死は愛で乗り越えるという言葉もあるし、よく英語では"He is in a better place"とも言う。そのことと、人のことを思い出すのは業績や肩書ではなく、(牛乳配達みたいな)小さなことなのかもしれない、という二つを感じた機会だった。