8/09/2025

Sensationalism

  2025年7月20日付で、New York Timesに、急増する循環死後の臓器提供(DCD, donation after circulatory death)の裏を告発する記事が載った。OOSを告発したのと同じ著者によるもので、死亡していない(意識がある)患者が臓器提供された事例(と、あわや臓器提供されかけたがキャンセルされ、意識を回復し今も元気に暮らしている事例)を紹介している。

 非常にセンセーショナルな記事で、「99%はうまくいっている」「助かった例もあるように、最悪の事態が起こらないための仕組みもある」など、なんと記事の著者までもがフォローしているが、臓器提供意思の登録者数が激減するなど、社会の信頼を大きく損なう事態になっている。ケンタッキー州では、事態を重く見た連邦政府の捜査が始まっている。

 日本でも1968年の心臓移植時に同様の事態となり、以後約30年にわたって移植医療が止まった一因になった。ただ、それとちがって今回は、死の定義や基準の議論や法制化が確立し、診断のプロセスやシステムなどもすでにあるなかでの出来事であるから、移植医療が止まることはないと思われる。

 OOSと同様、求められるのは透明性(暴かれる前に知らせる)だろう。また、記事で遠因と暗示されているような「少しでも多くの臓器を摘出し、少しでも多くの臓器を移植するように」という(とくに臓器調達機関、OPOに対する)重圧についても、直視しなければならない。個々のOPOに、成績に応じた統廃合の重圧があるのは確かだ(もちろん、そんなことでwrongdoingをするようなことはないとOPOの団体は記事に断固抗議しているが)。

 さらに、OPOは連邦政府との契約を結ぶ非営利機関であるが、何に対してどのようにお金が払われているのかを、良くも悪くも知る必要がある(筆者は、臓器調達のためにひょいっとプライベートジェットが飛ぶたびに、理由はわかるが仕組みが分からないと疑問を持ってきた)。

 (人からもらう限りは)善意と社会的合意・信頼によって初めて可能になる臓器移植が、今後もベストな治療選択肢であり続けるためにも、膿を出して、よりよく改善していかなければならない。