12/21/2008

I could have danced all night

 内科のホリデイパーティに行ってきた。球場のVIPルームのようなところがパーティルームになっており、窓からは芝生と観客席が見渡せた。そこに食事とバーがあり、中央はダンスフロアになっていて正面にDJがいて音楽を流していた。

 この日ばかりは皆いいことばかり言う、お互いをほめあって、近況を話し合う。いつも白衣姿しかみない仕事仲間がドレスやスーツを着ているのが新鮮だ。そして、後半からはダンスフロアで踊り続ける。私も少し参加した。

 こちらにきて半年。ずっと「このままではいけない」「こんなことでよいのか」「もっとこうしなければ」と思いながら過ごしてきた。新しい環境に適応するのはいつでも大変で、それは私に限ったことではない。「これでいい」「大丈夫」と硬くしていた心と身体をほぐすのも大事と知る。

 ときには小さな船にのって見渡す限り大海原のまんなかにいる気持ちになる。でも自分は自分だし、いまここで人々や地域とつながりながら生きている。つながっていないように思っても、実はつながっているのだ。はや半年。もう半年すれば、まただいぶん慣れるだろう。

10/27/2008

評価

 年に2回の、program directorとの面接(評価)があった。そこでは、各月ごとの指導医や先輩研修医からの評価を平均したものが発表される。10段階中の5とか6とかいう評価は、ある程度客観的なものとみなされているということだ。A先生は5、B先生は6と評価したので平均は5.5という具合だ。また経験を積むごとに5.5が5.8という様に、向上していくことが期待される。

 それよりも低く自己評価している場合はunderestimate、卑下ということになる。「自分なんてまだまだ」といって低い評価をつけているのは、正しい自己評価ができていないということで決して良いことではない。研修医が終われば、だれも月ごとの客観的な評価などしてくれないのだ。目標は生涯をつうじて自分で自分を正しく評価して質を高めてゆけることだ。

 逆に、人を評価することにも慣れなければならない。すでに病棟で実習している医学生の評価シートを何人分か記載したが、「自分に厳しく人に甘く」で何でもかんでも10点10点・・とやりがちだ。ちゃんと見てくれていないということで相手を失望させることにもなる。でも、4点と書いて学生が不服と考えれば、彼らには評価の理由を質す権利がある。すべてはassertivenessに通じる。

振り返り

 5分でよいから新患を取ったときに関連するUpToDate(診断や治療について簡潔にまとめられたデータベース)を読もう、と薦められた。これは複数の指導医がアドバイスしていたので「患者さんの疾患、治療について勉強する時間がない」と嘆く研修医に対する最も基本的なアドバイスなのだろうと思われる。

 また、ある指導医の先生は"Interns and students, this is your team."とおっしゃり、カルテには自分の思うこと、こうしたらよいという方針などを具体的に大胆に書きなさい、Roundでも、自由に思うことを述べなさい、とのことだった。「馬に上手に乗れるようになる方法は、馬に乗ることだ」というたとえ話も別の先生から聞いた。

 自信なく、間違えをおそれて黙ったりオドオドしていると余り良い仕事は出来ないのに対し、ハキハキと思うことを述べたり分からないことを聞いたりしたほうが仕事がはかどる。わかっているのだが、ハキハキした人を見ると閉口してそっぽを向きたくなる、心のじめじめした部分…。

 Assertiveな態度、aggressiveではなく。自分の考えを率直に伝えることがconflictを生むのでは、とか、波風を立てたくない、という気持ちでいると、結局は自分が何を考えているかを相手に推測させることになり、それは実は相手にとっては不快なのである。

グラフィック

 学会(地方会)のポスター発表を控え準備している。日本にいたときは、A4普通紙で何枚にも分けて作ったものを当日貼りあわせた。今回は病院にcommunicationなる部署があって、新聞紙4枚分ぐらいのおおきな、表面のコーティングされた紙に印刷してくれる。原稿を持っていったら、ポスター担当の人が「ここの字はもっと大きくしたほうがいい」とか色々アドバイスしてくれた。図工のようで楽しい。

10/16/2008

Guess how many

 ハロウィンが近いので、病棟のナースステーションも紅葉やどんぐり、案山子などの紙細工が張られている。トウモロコシ粒のようなキャンディー(candy corn)が詰められ封された瓶があり、なんでも皆で何粒はいっているかを当ててハロウィンの日に計数するらしい。賞品は10$のガスチケットだそうだ。病棟以外のところも、扉におばけのオーナメントが飾られたりしている。

 ハロウィン当日には、バーでパーティーがあるようだ。以前教会だった建物をバーにしたところでやるので、雰囲気も楽しめるかもしれない。コスチュームを着てくるらしい。ちなみに、信徒が少なくなったなどの理由で使われなくなった教会を、desanctifyなる儀式を済ませて他の目的に使われることはままあるらしい。たいていバーになるのが妙な感じだ。

10/07/2008

アメリカ英語だろうか

 Touch base withとは、(人に)連絡をとる、という意味である。このイディオム、想像どおり野球から発想されたものらしい。たとえばホームランを打った人が各塁を確実に踏んでホームインするようなイメージだろうか。
 患者さんの方針について各科コンサルトと連絡をとり確認しよう、という場面で使われる。意外と各シチュエーションで使われる言い回しは決まっている。今のようなシチュエーションでは、90%がtouch base with、残りがfind out、talk toなど。

10/06/2008

primary service

 退院を決めるのは直接の主治医である。しかし、多くの場合患者さんを複数の科が同時に診ている。彼らはコンサルタントの立場だが、患者さんの病気によってはコンサルタントが退院を事実上決定することもある(たとえば胃潰瘍で来た患者さんがいたなら、胃カメラをした消化器科のコンサルタントが決めるというような)。
 それで、コンサルタントが退院させていいと考えているので退院させたら主治医はそうでなかったりする。大変なことだ。主治医が、毎日回診して議論して方針を決める指導医であれば確認しやすい。ところが、担当する患者さんのなかには、それと別に主治医がいて、顔を合わせることもなくカルテと電話だけで方針を確認する場合がある(non-service patient)。これはとくに慎重にならねばならない。

急がば石橋をまわれ

 いつかタイ料理店に行ったときに食べたfortune cookieにこんなメッセージが入っていた。
      
It takes less time to do a thing right than it does to explain why you did it wrong.

 Henry Wadsworth Longfellowというアメリカの詩人・言語学者の有名な引用句だそうだ。仕事していて、この言葉が正鵠を得ているなとしばしば思う。これでいいのかな、と思ったら迷わず確認しないといけない。これでいいのかなと疑わないほどassumeしているときが問題である。それから、引継ぎや当直明けなど間違いが起こりやすいとき。
 また、言葉がたりないせいもあるが、間違ったことをしているように思われたときに、釈明するのが手間である。もともと彼らは思ったことを感情込めてどんどん口にするから、相手の言い分をきくだけでも一苦労なのである。先手をうって確認、確認。そのたびにいちいちポケベルを鳴らしたり、ポケベルを鳴らされてちかく電話まで歩いたりと大変な手間なのだが、慣れるしかない。

10/04/2008

そう遠くないクリスマス

 最近は日本から持ってきた白衣を着ている。米国の白衣とちがい、両サイドに手をズボンのポケットに入れられるようなスリットがなく、全体としてピッタリしたデザインで、生地がパリっとしている。学生のころは米国の白衣を格好よく思った。いまは、日本の白衣のほうが自分の身丈に合って、却って自信を持って振舞える。

 ただシャツとネクタイは、こちらのほうがカラフルで素敵だ。時間があるときに、ショッピングモールでセールしていたら買にいこうかなとも思うが、意外と今あるもので自足しているのでそれほど本気でもない。クリスマスの時期にでも買おうかな。

二ヶ月目の介入

 二ヶ月目になって、早く病院に出勤するようになった。5時半には病院につく。データ収集をするのに、診察して、看護師さんのバイタルサインの記録をメモして、血液検査の結果をメモする。これらは順々にわかるので、順繰り病棟をまわってカルテに記載していく。8時半にはseniorに問題点を報告して、9時半のラウンド前に出せるオーダーは出しておく。

 帰る前には、患者さんの翌日のカルテのうちで、薬のリストや問題点など事前に記載できるものは記載しておく。前日から次の日のことを考えておくことで、診療がより連続したものになる。一時はこれを持ち帰り、家のパソコンから電子カルテが見られるようにして翌日の予習をしようかとも考えたが、いまのところ家では仕事せずに済んでいる。

 日本で研修医一年目だったときも、同じことが要求されていたはずである。でも正直にいってthoroughなカルテは書けていなかった。早起きも苦手だった。いま早起きが出来ているのは、早寝できているせいもある。日本に居たときは夜10-12時まで働いていたうえ、科によっては24時間first callで途切れがなかった。

9/29/2008

一ヶ月

 病棟業務も一ヶ月が過ぎた。一回の当直で2-3人の入院をとった計算になり、負荷としてはかなり少ない。忙しさもかなりマイルドだったはずだ。それでも余裕はなかった、と書くべきか、とはいえ何とかやりおおせたのを良しとしよう、と書くべきか。
 英語、英語、英語である。問題がおこらぬよう、こればっかりは細心に注意を払わなければならない。聞き取れないのは仕方ない。自分が聞き取れなかったせいで患者さんや周囲に不利益がでるのはいけない。どんなときも確認が必要だ。
 感情に左右されると、落ち込んでも浮かれても英語がラフになってよいことがない。だから自分のperformanceを無駄に下げないよう、柔軟に感情を受け流す必要がある。全方向に伸びるつもりで、あちこちぶつかりながらやるのがよいだろう。

ばっさばっさ

 臆病さを跳ね返すのに良い方法は、慎重さだろうか。勇気といいたいところだが、イメージがわかない。やるべきことをやる、という意識かもしれない。病棟業務は動かなければ前に進まない。地図をもって、見通しの良い道を、準備をしてハイキングするのはたやすい。ほとんどが手探りというところで、動いて動いて草を刈り、池を発見し、壁にぶつかり回り道して、目的地にいたる道をつくるのはてごわい。
 でもそれは、こうして書いてみるとなんだか愉しそうでもある。それに相談できる人は必ずどんなときにも居る(pagerでいちいち呼び出すのが面倒で、またどれくらい気楽にしてよいか、距離感のようなものもまだしっくり分からないが)。これまで目的とすべきことがハッキリしていたのに比べると、だいぶんスローになった感じがする。それでも、やってみれば。どこにたどり着くか。

自発的に

 言われたことをするよりも、自分で考えてわからないことは相談するのが基本的態度である。『魔法使いの弟子』では、魔法を試して部屋中を水浸しにした弟子を、師匠が助け叱るが、そのあと「明日から魔法を教えてやろう」という。水浸しにしてはいけないが、自分でやってみよう、考えよう、という姿勢がないと物事は動かず成長もしない。医療現場だけの話でもない。

9/21/2008

ゆっくりと明瞭に

 いわゆるdemandingな患者家族とやりとりをするのは疲れる。当直のときなども「家族が怒って大変だ、なんとかしろ」とcallを受けることがある。どの国でも同じだし、だれとっても家族は大事であるから、べつにこぼすことでもない。問題は、どうしても言葉のことがあるので引け目を感じて対応してしまうことだ。
 このたび、退院した患者さんの家族が(入院中ずいぶん心配していたのだが)、先輩の先生が家族に電話した際に私によろしくと(thank youと伝えてくれと)言っていたそうだ。よかった。言葉も、ゆっくり明瞭に伝えれば相手は耳を傾けてくれる(だって担当医の言うことだから)。分からないことは分からないといえばよい、あとから分かれば伝えればよい。相手の身になって、きちんと喋ればよいのだ。

9/16/2008

サインアウト

 申し送りは、"Do you have anything to sign out on this patient?"というように、患者さんの病態や治療方針といった包括的なことより、「夕方に○○の検査・治療をするので結果をフォローしておいて欲しい」といった直接的な事項を申し送る。

 申し送られたチームは、新しい入院をとる合間合間に電子カルテを開いてこれらの事項を確認する。そして治療方針を変更すべきと判断すれば、必要な介入を行う。引き継いだ事項以外で問題が発生しても、もちろん対応する。そして翌朝に「検査結果は~~でした」「こんなことがありました」と報告する。

 日本の病院にくらべると、米国のサインアウトは雑に思える。たしかにcross coverには「カバーしている立場なので患者さんのことはよく知りません」というスタンスがあるかもしれない。入院を取りながらなので忙しい。皆"Cross cover sucks"とこっそり不平を言っている。申し送る側も、予測される事態を考えて的を絞ったサインアウトをしたほうがよいだろう。



当直のあらまし

 平日に朝から夕方まで入院患者さんを取るのがshort call。平日の夕方~翌朝、休日は朝から翌朝に入院患者さんを取るのがlong call(いわゆる当直)である。いずれも五日に一遍ある。short callは6人、long callは平日10人、休日14人までと決まっている。それ以上に来た新入院の患者さんは他のサービスが取る。Hospitalistとか、Night floatとか、色々ある。

 はやくに定数の患者さんを取ってしまったほうが、夜中に入院を取らずに済みラッキーである。とはいえ、cross coverの患者さんなど、夜間もそれなりにコールはあるが。全5チームのうち、当直のAチームは、B~Eチームの患者さんをカバーする。B~Eチームの医師は、帰る前に当直の者に申し送り(sign out)をする。

 さらに、全病棟とわず心肺停止など急変が起こるとCode pagerが鳴って、現場に駆けつけなければならない。当直医6-7名で構成されたチームの一員として蘇生などの対応にあたるのである(もっとも内科インターンはあまり手技などはしないようだが)。そんなわけでひっきりなしに呼ばれると一睡も出来ないようだ。今のところは寝られているが、どうなるものか。

いろんな楽しみ

 病棟業務も2週間が過ぎた。ようやく患者さんがまとまって入り、今週からの指導医が「この機会(teachingと呼ばれる病棟業務の期間)はまさにlearning experience」と、教える気満々でもあり、なんだか期待してきたものがようやく得られるのかなあという予感がしている。

 とはいえ、単に業務をこなす以上のexpectationが求められるので忙しくなるだろうし、それにより「着いていけない」感でも生じればそれなりにしんどいのだろうが。日本での研修医時代に「はじめての教育的な病棟業務の期間」を過ごしたときは、まさにその為にしんどかった。でも、それがあるから今や大抵のことは平気だし、成長もできたと思う。

 患者さんの飲んでいた薬を調べるために薬局に電話するとか、患者さんが在宅での注射や訪問看護を退院後も受けられるように各方面に電話するとか、そういう一つ一つのことは、研修医としては「できて当然」の雑用かもしれない。でも、外国に来てまもなくでロクに自分の保険やら納税やらの手続きすらままならない自分からすれば、十分に「よくやってる」と思ってよいことである。

 これからも、仕組みが違ったり言葉が違ったりで調節を必要とする点は数多くあるだろう。でも、せっかく来たことによって得られている今の教育機会・成長機会をちゃんと活かして日々を送りたい。そう考えれば、たとえそれなりにしんどい日々があっても楽しみながら過ごせるだろう。その楽しみは、各国料理が食べられる楽しみとはまた違った充実をもたらすだろう。

9/06/2008

どんどん退院

 午前6時20分。ある入院患者さんのところにいくと、症状がだいぶん快復していた。きょう退院できそうだ。患者さんによれば、入院中にはじめた薬のひとつを保険会社が承認してくれないかもしれないという。退院してからの薬は、処方箋を持って薬局で患者さんが買わなければならない。そこで承認がとれていなければ、自腹になる。
 一錠30ドルで、一ヶ月分だと大変な金額になる。続けて飲む薬ならまとめて買わないとcopay(薬局に買いに行くたびかかるお金)が勿体ない。だから退院するからには保険会社からの承認を得ておかねばならない。それでsocial workerに相談したら、各方面に電話してくれた。いろいろ大変だったが、結局患者さんが昼ごろ自分で保険会社に問い合わせて、結局保険がおりそうとわかった。話はここからはじまる。
 なんとsocial workerの方が、患者さんに「自分で問い合わせできるなら早く言え!午前中必死に電話しまくって大変だったのに!」とこぼしていたのだ。患者さんは「大変大変って、それが仕事だろうが(It's your carreer choice)!責めるのは間違ってる!」とキレており、私が昼過ぎに病室にはいると超険悪な雰囲気で両者がにらみ合っていた。
 幸い私はそんなやり取りがあったとはツユ知らず、部屋の空気を妙だと感じながらも「保険がおりてよかったですね」と伝え引き上げた。扉を閉めるなり、一緒にでてきたsocial workerの人が「ありえない、割り切らなきゃ駄目だけど、自分が午前中いかに大変だったことか!」とやりはじめた。すると部屋から患者さんがでてきて「扉の外からでも聞こえて来るんだよ!さっきも言ったけど、それが仕事だろうが!」と再びにらみ合いになった。
 患者さんの言い分がもっともだと思えるが、abuseされたという気持ちは人を非常にみじめにさせるのでsocial workerの気持ちもわかる。しかし、social workerの方に相談するのが遅れると、退院が翌日になったり、週末に話が進まず週明けになったりする可能性もあった。退院が当日決まることは珍しくないので、バタバタせぬよう問題はどんどん予期せねばならない。ちなみにこのケース、入院はたった2日前のことである。昨日まで結構sickだったので油断した・・・。

9/04/2008

サマリー

 退院サマリーをつくっている。私の先輩(senior)は、入院時サマリーを繰り返す必要はなく、検査結果を羅列するのも必要ないという。重要な所見と内容をいれて「この患者さんはこういうことがあって入院し、こういう治療や検査をして、退院時の薬はこれで、退院後は誰のところで診ます」と要約するよう言われた。
 人によってスタイルが大分ちがう。入院時サマリーが定型的なのと対照的である。電話口で即興するからかもしれない。英語で即興など最難関なので、私は文章に起こしてそれを読んでいる。ぶっつけのdictationで多少messed upしても、後からパソコン上で直せるのでいつかはトライしようと思うが、いずれにしても伝えるべき重要事項をリストアップしてからになるだろう。
 日本でも米国でも、サマリーがたまるのは一緒である。それで私は、日本にいたときから、患者さんが入院したときからサマリーを書きはじめるようにしている。米国では、入院日数が短いため多くの問題点が先送りになる(退院後に主治医がフォローする、と書いて終わり)。でもそこに明記しておけば、外来で主治医がそのサマリーを読んで診療に活かされるのでよい。サマリーは主治医にだいたい必ずFAXされる。

8/26/2008

久々の夏休み

 20個のシフトを終えて、残りの日々は休みである。だからこれは休暇を取ったわけではなく、前半に休み無く働いただけである。思えば仕事を始めてから、夏に旅行するのは初めてだ。旅行先について職場で話したら、そこで以前リバーガイドとして住んで働いていた先輩がおり、「おお!その名前を聞いただけで心がしめつけられるほどだ(それくらいすばらしい所だ)!」と胸を押さえながら言っていた。楽しみだ。

8/24/2008

Not a spider bite

 MRSA(mersaと発音する)による皮膚感染症が多い。虫刺されと間違えられやすいが、膿が皮膚にたまりやがて破れる。その前に来る人には、切開する。日本では患者さんが皮膚科に行くから私が診ていないだけかもしれないが、とにかく多い。
 皮膚が弱いのか、手が汚いのか、風呂に入らないのか。MRSAはたいがい院内感染で問題になる菌だが、それが街中にもいるというのは抗生剤の乱用によるのか、院内の感染防御対策がザルなのか。良く分からない。街中のMRSAは院内のMRSAに比べれば耐性は弱いみたいだが。

8/17/2008

safety net

 精神科救急も診る。29号室がそのための部屋で、自殺企図などの患者さんが入る。日本でも救急患者がたくさん運ばれてくるところで働いていたのだが、圧倒的に件数が多い。ところが、自殺者数は日本のほうが多い。米国は人口は二倍なのに自殺者数は日本とほぼ同じである。思うに、米国の人々のほうが、死にたくなったときにちゃんと主張して相談するのではないか。

8/14/2008

米国人情

 実は救急外来で、看護師さんに「あなたほど丁寧は人は初めてだ」と言われている。とても大事なことだ、意図的にやっている。患者さんは、時として切迫感と待たされる不満とでniceでないことがあるので最初のうちはびびって奥手にやっていた。
 しかしそれでは駄目で、先回りして「待たせて申し訳なく思う」「痛みはどうだ」「困っていることはないか」と伝えなければいけない。そうすれば「いやいや、忙しいんだろう」「少しはいい」「ありがとう」と返ってくる。そういう意味では、日本よりずっと辛抱強く理解がある。
 なんといっても、残念だけれど、病院で患者さんは弱い立場にあって、受身の立場にあるのだ。だって病気なんだから。医療従事者の仕事は、それをadvocateすることである。取り除ける不満は解消し、不安は共有して、ときに笑いに変えて、一緒にいて過ごしやすい人でなければならない。
 それでか、患者さん医療従事者との会話はおどろくほど雰囲気が明るい(もちろん毎回ではないが)。軽いともいえる。表面上はとにかく大変フレンドリーという、アメリカ的コミュニケーションの真髄か。いやなことを笑い飛ばすなんて、なんだか大阪みたいでちょっといいなと思う。

8/12/2008

喉元すぎれば

 11日間で10のシフト、明日は休み。ひさびさに夜に眠れる。そのあとまた働いて、17日間で15のシフト。今度は深夜勤務がなく幾分気が楽だ。27時までの勤務も面白いのだが、なかなか時間通りには帰れない。なにより生活リズムの確立が困難であった。
 そして深夜勤務だと、どうしても帰宅してから何か食べたくなる。午前3時に終わってすぐに眠りにつければよいのだが、昼夜逆転しているので意外と起きているのだ。周囲の研修医に聞いてもそうらしい。悪しき習慣と分かっていても、なかなか。生体時計がずれているので、ちょうど夕食のような感覚だ。

8/09/2008

ディクテーション

 いまの救急には診察室が30ある。あふれると、廊下や控え室のようなところに患者さんをいれて40人弱になる。診療は2チームに分かれ、それぞれ一人の指導医と2-3人の研修医からなる。計算上、研修医が6-10人、指導医が15-20人の患者を把握していることになるが、時間差でシフトが組まれている(約2時間ごとに誰かしらが入れ替わる)ので必ずしもそうではない。
 とはいえ指導医はいちどきに大変おおい患者さんを把握しなければならない。彼らはカルテは書かない代わりに、研修医のプレゼンテーションと自分の診察などをもとにディクテーションをする。それが後からテキストになって電子カルテ上に載る。これこそ将にプレゼンテーションのよい見本と復習と気づいた。自分の診た患者はリストになっているので、意識的に(声に出して)読み返すことにした。 

連続勤務

 10時間の勤務が苦に感じないときと、途中で疲れを感じるときがある。前者のほうが却って能率的に働いている。場所柄そこにいる限りはオンなので、途中で疲れるとちょっとしんどい。どこか休憩室でもあればよいのだが。fountain drink(コカコーラや甘い紅茶などが飲み放題)はあるので時々汲んで飲む。
 とはいえ、プレゼンテーション、コンサルテーション、手技などをどんどん経験できる楽しい研修である。徐々に仕事にも慣れている。しかも10時間×20=200時間/月の勤務は、実は週休二日の9時-5時生活と同じである。後半にまとまった休みもとれて事実上の夏休みにもなったから、まずまずではないか。

8/07/2008

お味はいかが

 患者さんが何か食べたいという。悪心がおさまり、少し試してから帰りたいのだという。(ああそうですか、では何か買ってきてください)と思ったが、看護師さんに聞くとなんと救急外来には患者さん用にサンドイッチとジュースが用意されているのだ。日本でもお茶はあったが、おにぎりはなかった。
 患者さんは救急外来でけっこう多くの場合に4-5時間は過ごす。だからお腹もすく。経口摂取が望ましくない場合(手術になるかもしれない、など)を除き、患者さんにこれらの飲食物を提供しているようだ。まだ味わったことはないが、どうやらターキーサンドイッチらしい。おいしそう…?

スタイル

 ああ救急だなあ、という指導医にであった。方針の決定に重要な情報を迅速に得て、方針が決まるや否や行動に移る。誰がどの患者を診ているかを瞬間に把握して、前倒しで様子をきいてくる。指導医がなかなかつかまらず相談できないことが、救急外来の律速段階だ。だからこの先生と働いていると、仕事が速い。
 仕事の速い先生と働いて、自分のスタイルをあわせると、自分も仕事の速いタイプになれる。日本での研修時代にも経験したことだ。私も、そっちのほうが好きである。まだこの先生が真の救急事態でどのように立ち振る舞うかは見ていないが、今後のシフトで一緒になったら自ら救急患者さんを選び働きぶりを体感してみようと思う。

8/06/2008

仕事

 それなりに殺伐した雰囲気の救急で、それなりに気分が荒むこともある。あとで相談すると決まって掛けられるのが、"Don't take it personally."という言葉だ。気にするな、あなた個人に向けられたものではないと。訳はわかるが、まだtake it personallyという具体的な意味がピンとこない。
 とはいえ良いこともある。縫合した傷を翌日チェックしたら良い具合であったときなど。また仕事仲間と徐々に打ち解けたときなど。こちらで女性の看護師さんと接していると、同性の友達のような印象を受ける。堂々としているし、(私の思う)女性的なしぐさや言葉遣いがないせいかもしれない。

サービス

 レストランに行ったら、救急外来とレストランは類似していると思った。提供する行為は違うが、客(患者さん)の流れが似ている。レストランでは、ウェイターがテーブルに注文を取りに来て、それを厨房に伝え、料理を運ぶ。ときどきテーブルまで来て料理を気に入ったか聞き、デザートの注文をとる。最後に会計をして、客が居なくなるとテーブルを掃除して次の客が入る。
 救急外来も、私が診察室に入ってきた患者さんのところにいって訴えを聞く。指導医に報告し、方針をたてて検査や治療を行う(ここは看護師さんがしてくれる)。ときどき患者さんの様子を見て、検査結果を伝えたり症状が改善したかを聞く。最後に、入院するか、帰宅するか、帰宅するなら薬は処方するか、後日どこを受診するかを伝える。患者さんがいなくなると、診察室のhousekeepingをして次の患者さんが入る。
 レストランでは、客が給仕の満足に応じてチップを払う。病院では、それはない。だって、医師が提供するのは医療であり、正しい診断と治療を行い正しい知識を与えることだから。でも患者の訴えを聞いたり、共感したりで満足してもらうことも重要だし、場合によっては患者さんの都合や信念に妥協することもある。

8/01/2008

ドラマのような?

 初シフトを無事終えた。いきなり一員として働き出すのだから、考えてみると大したものとも思う。でもなかなか慣れないことが多かった。超緊急でもないかぎりは意外と時間がゆっくり流れる印象を受けた。逆にそれが、患者さんを待たせているようで心苦しくもある。とはいえ、少し急がされている感覚で動くので概ねよいと思われる。
 カルテは、主訴ごとに分かれたチェックシートのような紙に記載する。チェック項目のすべてを聞くことはできないし、その必要もないのであるが、記載漏れのようで後ろめたさを感じる。またアセスメントなどを記載する欄がほとんどなく「どう考えてどうなりました」と書けないので、やりっぱなしにしているような感覚に陥る。
 代わりに上級医、コンサルタントに対する要領を得た口頭でのプレゼンテーションが要求される。最初に方針に関わる重要な情報を伝えるのが役目で、検査や治療をさっさかオーダーし、そのあとどうなったか経過を報告するのが役目。それは日本でもどこでも同じだが、より口頭の役割が大きい印象だ。

7/30/2008

来月

 来月のスケジュールが判明した。10時間のシフトが月に20回ある。朝からのこともあれば、昼から、あるいは夕方からのこともある。仕事内容は、いままでより重症度の高い患者さんが多いことと、相談すべき人が増える。よりアクティブだ。
 前の病院では、救急部で24時間勤務もあったのに比べれば恵まれている。10時間ルールといって、シフトが終わってから10時間は再び病院に来てはいけない。たいてい14-19時間くらい間隔がある。だから眠ることが出来る。
 内科学会の地方会に、いまのところ症例を4つ応募する予定だ。いくつ通るかは分からないが、添削の指導などもして貰えるから良い。これから先、興味深い症例を何の気なしに症例報告にまとめられることが望まれる。

7/25/2008

実技

 眼底鏡は必ずしもどの病院でも教わるものでもないようなので、忘備のためにもコツを少し書いておこう。まず眼底鏡をつうじて物を見ることに慣れる必要がある。眼底鏡を顔に固定して、メガネのように一体となって扱う。そして部屋を暗くし、眼底鏡の明かりも暗めにして、患者さんにはすきなだけ瞬きして構わないと伝えておく。

 患者さんには正面からでなく、耳側から接する。縮瞳させないためである。瞳孔に眼底が黄色く光って見えたら、そのまま近づく。血管を一本みつけ、焦点を変えてはっきり見えるようにする。あとは耳側をのぞきこみ血管を追えば視神経乳頭が見えるはずである。視神経乳頭では、カップ/ディスク比を測定する。まずここまでが基本所作である。それから、異常所見がないか探す。

話す、書く

 英語を話す練習、これは実際に頭で考え口を動かすしかない。「こんな症例がきて、こういう状況で説明するならなんというか?」と自問して、その場でゴニョゴニョしゃべる。実技試験の練習でもそうだったが、何度か練習するうちにこなれた表現でうまくまとまって話せるようになる。ちょっとした時間のあるときに積極的に練習するよう心がけよう。
 米国内科学会に入会した。症例報告などを発表するのに必要なためだ。年会費は病院が払ってくれる。キャリアを積むために、これからはアカデミックな活動を積極的にしていかねばならない。いま書いているのは250語程度の小さなものだが、徐々に慣れて長文も書けるようになりたい。ありがたいことにサポートしてくれる先生はたくさんいる。

7/24/2008

物々しい

 LPS法(Lanterman-Petris-Short Act)はinvoluntary psychiatric hospitalizationに関する手続きを米国で初めて定めた法律である。カリフォルニア州で1967年に制定され、他州の同様な法律の草分けになった。第5150条というのが特に関係している。
 いまいる州にもそれに相当する法律があり、外来でも時々、警備の人にお願いして患者さんを救急外来に連れて行ってもらうことがあるそうだ。自傷他害のおそれがある場合に本人の同意がなくても72時間を限度にholdできる。そのあいだに精神科医の診察を受けて入院など処遇を決める。

7/23/2008

bread and butter

 日本でもそうだったが、バイタルサインのなかで血圧は医師がよく診察する。診察前の測定で高かった場合に、再確認のためにもう一度測定することになっている。血圧はsilent killerと呼ばれ症状はないが、血管に負担をかけ心臓をはじめ各臓器に長期的に影響を及ぼす。だから医師が早期に診断して早期に治療をはじめなければならない。
 患者さんにしてみれば「症状がないのに治療しても・・一生薬を飲まされるのは不快だ・・」という気持ちや、「医者が病気をつくって症状もない人にどんどん薬を処方したいのか」「どんな薬にも副作用がある、長く飲むなんて却って悪いのではないか」という見方まであるだろう。正直、一個人としての私の中には共感している部分がある。
 でも医師として正しい知識をみにつけねば。外来診療で最も遭遇する病気であり、なにをどのようにすればよいか諳んじられるようでなければならない。指導医の先生がJNC(Joint National Committee)の最新版ガイドラインをくれたので、早速読もう。その上で、患者さんと接しながら自分なりの哲学を持とう。できれば薬を使わない方法を模索したい。

7/22/2008

マネーゲーム

 法律、税、金融などの分野でニューヨークで働いている方々は多い。知り合う機会があり話を聴いたが面白かった。レバレッジ(他人資本を借りて、少ない自己資本で多くの利益を得ること)という言葉はウェブサイトなどで見てはいたが、改めて説明され少し分かった。
 金融は資本をいかに増やすかという学問である。情報工学から援用して生み出される新たな金融理論をもとに、金融マンたちがリスクを回避し利益を上げるよう日夜働いている。お金を増やして、それをどうするの?とも思うが。流れに逆らうようにお金を動かすことで市場の安定に役立っているのだという。
 この世に経済がある限り、誰でも避けては通れない。仕組みを知っている人が得をする。72の法則(年率×年数が72のとき資本は2倍になるという複利計算の目安)など資産運用の知識、相続税や贈与税を少なく済ませるための知識。仕組みを知る人は「絶対やったほうが良い」というが、リスクも知っておかないと生兵法はケガの元である。
 彼らの説明は分かりやすく、情熱的である。「結局は小学生でも分かる計算です」と言わんばかりに、たとえを使ってたくみに説明する。売り込むために社内外でプレゼンを鍛えられているのだろう。自分もそれぐらい人に自分の専門分野を話せたらと思うのだが。売り込まなくても良いから、せめて伝えられるようにはならなければ。

7/17/2008

共感はできるが

 外来業務(とくに家庭医などプライマリケア)で多い仕事の一つに、physicalがある。なぜphysicalというのか知らないが、就職や運転免許取得のためなどに提出する書類を記載することである。下記の症状はありますか?の質問に「はい」または「いいえ」をチェックし、必要な診察や検査の結果を記載する。
 書類は患者さんが持ってくるはずでクリニックには置いてない。が、先日は患者さんが「職場に聞いたらクリニックに用紙があるはずと言われた」「クリニックの予約をするときに持って来いといわれなかった」「わざわざ来たのに書いてもらえないとは何事だ」などと訴え揉めた。どうしようもないので事情を理解してもらったが、患者さんの怒りモードは最後まで収まらなかった。
 日本でもよくあるが、患者さんが診察が終わらぬ内に「これは何の病気だ」「病名は何だ」「薬はあるか」「○○から来ているのではないか」と矢継ぎ早に答を求めてくる場合がある。それだけ知りたいということだろう。詳しく調べないと正確には分からないなどと応え、自信を持って対応すればナンということもないはずだが、英語なこともありまだ慣れない。

Systems

 外来業務では筋骨格系の訴えを聞くことが多い。今日も肘の腫れを訴える患者さんがおり内側上顆炎(ゴルフ肘ともいう)の診断であった。外来指導医の先生はさすが診慣れている感じで詳しく説明してくれた。他にも肩、膝、足の付け根、腰などさまざまだ。
 また、まぶたが腫れた患者さんもいた。炎症がどこにあるかでhordeolum、chalazion(どちらも物貰いの一種)、blepharitis(眼瞼炎)、cellulitis(ほうか織炎)など用語と治療がことなる。ほかにも頻尿、貧血、皮膚の発赤、のどの痛みなど。患者さんが多く充実した一日だった。
 さらに、メンターの先生から症例報告(abstruct)を書くよう課題を与えられた。どんな症例で、どのように意義深く、どのように教訓になるかを簡潔に表現するのだという。初めての経験だが、これから当り前にやっていかねばならない(おそらく日本にいてもそう)のでやってみよう。

7/15/2008

Seeing is believing

 先週は耳の訴えが多かったが、今日は皮膚の訴えの患者さんが多かった。皮疹の性状を口で説明するのは日本語でも難しいことがあるが、英語ではなおさらである。macule(小斑)、papule(小丘疹)などの基本用語を整理し、皮膚科のアトラスで皮膚症状の写真を見ながらその英語表現を勉強しようと思う。

7/11/2008

ふたたび試験

 もっとも忙しくないローテーションから始まった私は、本来自由な時間に医師国家試験の勉強をすべきであった。チーフレジデントに相談すると、私の年間スケジュールでは今勉強するしかないと分かった。来年受けることも不可能ではないが、来年はすでにフェローシップの申し込みなどでとても忙しいらしい。それに、フェローシップを受ける前に資格をそろえておいたほうが履歴書も見栄えが良い。
 いざはじめると、いままでの試験に比べて治療に重きが置かれ、かつ実践的で研修にもプラスになりそうだ。問題文(症例)を読んで、使える英語表現を学ぶこともできる。シミュレーション形式の問題にも慣れなければならない。検査や診察を自分でオーダーする。シミュレーション上の時計があって、それを自分で進めると検査結果が出たり、患者さんの状態が変化したりする。状況に応じて適切な処置を行うことが要求される。

7/10/2008

恥ずかしながら

 耳あか(cerumen, earwax)除去に来た患者さんが居た。耳あかをやわらかくする薬(cerumenolytics)を使ったり、シリンジで消毒液を混ぜた水を注入して洗ったりする。今日は洗浄した。初めて見たが、日本でも耳鼻科外来で日常的に行われる処置だそうだ。米国では、専門医の診察を受けることが難しいので一般医の仕事になっている。
 耳掃除をしないから耳あかが貯まるのであって、日々耳掃除をすればよいのでは?と思ったが、調べてみるとそうではなかった。耳掃除は鼓膜や耳道を損傷する惧れがあり、耳あかを奥に押し込んでしまうこともあるから良くないという。また、耳垢じたいに抗菌などの保護作用があり、耳道の皮膚が新陳代謝する過程で自然に耳あかは外に運ばれて出てくるはずだそうだ。ほうほうと勉強になった。

7/08/2008

medical clerk

 電子カルテ上に診察した患者さんのリストを作っているので、経過を追うことが出来てよい。今日は、hallux vulgas(外反母趾、患者さんはbunionと言っていた)の患者さんが1st metatarsophalangeal joint(足の親指の付け根)の感染を起こして来院し、整形外科外来で切開排膿になった。
 今日すぐに手を打つべき状況と、数日以内、来週まで、来月までに手を打つべき状況を判断するのが外来診療では重要で、それは日米でなんら変わらないのであるが、実際に方針を決めるときの様子はだいぶん違う。日本の感覚からすると、放り出すように見えるが、患者さんが自立しているとも言える。
 米国では、検査オーダーをすると患者さんが自分で、あるいは受付で秘書さんと相談して予約を組む。他科の受診なども同様で、「○○について他科を受診」と書けば、あとは患者さんと秘書さんで日程を決める。その検査の結果説明も、患者さんが都合の良いときに予約を入れる。
 日本では、検査を組むときに医師が自分で検査枠を調べ、患者さんの都合を聞いて自分で予約し、説明の日程も自分で組む。たとえ他科の検査であっても、説明や同意書は自分で取ることがおおい。予約を組むために「この日はどうで、あの日はどうで」と話し合うのは、医師でなくでもできるはずなのだが。

7/04/2008

Grenada

 Grenada、St. George'sという地名はいまの病院ではとても有名だ。カリブ海の南東、ベネズエラのすぐ北にある島国とその首都である。そこに米国やカナダからの学生が大半を占める医学部があり、いまの病院には、そこ出身の研修医が多いので、St. George'sといえば皆なんのことか分かるのである。
 もっとも、米国も西半球の一員であるから中南米諸国のことくらい人々が知っていてもおかしくはない。また1983年、米国がベトナム戦争以来の大規模な軍事介入を行い、共産圏の支持を受けた勢力を制圧したことでも有名なのだろう。

診断への道

 米国の外来保険診療は、症例が軽症から重症まで5つのレベルのどれに相当するかを医師が判断し、レベルに応じた診療費を請求するシステムだ。レベルは行った検査の多さ、症例の複雑さ(case complex)などにより決められる。
 医師がレベル4と判断しても、保険会社がカルテを見返してレベル4相当の記載がないと判断すると、レベル3以下の金額しか支払われない。主訴について何項目の質問を、何系統(循環器、神経、内分泌、消化器など)のreview of systemsと診察をせねばならないかが定められているのだ。
 お金を取るためにきちんと診察しましょうでは本末転倒。しかし、review of systems(循環器症状、消化器症状など、各システムごとの症状をくまなく訊くこと)、システムごとの診察をいかに効率的に行うかは課題だ。私は診断するために居る(This is what you here for)のであるから、遠慮しても仕方ない。どんどん考えどんどん訊いて、答えにたどり着かねばならない。

日々是精進

 昨日は患者さんが手術室に運ばれたり、救急外来に運ばれたりとバタバタした。あくまでもdoctor's officeで、本来は血圧の相談などを座って行う落ち着いた場所のはずなのだが。外来から手術室に直接運ばれたのは数年ぶりだという。
 そして今日は、患者さんを救急外来に送った(点滴が必要なため)。吐き気とだるさ、立ちくらみを訴えていた糖尿病の女性だったが、そのような場合に心筋梗塞が疑われることは知っておかねばならない。幸い心電図にそのような異常はみられなかった。
 患者さんにも色々な人が居る。喘息の男性で、発作時の吸入薬と発作予防のための吸入薬を混同している方が居た。発作予防の薬は、発作のときには効かない。それを身振り手振り伝えたら「ありがとう、教えてくれたのはあなたが初めてだ」という。嬉しくなったが、実は何度説明されても理解できない常連さんだった。今回は理解してくれたならいいが。
 また、原因不明の慢性腰痛で苦しむ女性が、痛みのため眠れず食事も出来ないという。予定されていた腰骨の検査は延期になり、ペインクリニックの予約は来月で、どうにもならないと涙ながらに訴える。大変ですね、お気持ち分かりますなどと話し、相手の話を聴いていると、笑い出した。「この一週間ではじめて笑ったわ」という。
 本当になんとかしてあげたかったのだが、指導医とも相談してnarcotics(麻薬:米国ではかなり一般的に処方される鎮痛剤)を処方することにした。しばらくして指導医があきれた表情でいうには、さっきまで泣いて一人で立てなかった彼女が、受付で杖なしにperfectly confortableな様子だという。narcotics目当てだったのだという。確かに見ると笑顔だ。
 ちょっと信じられない。何年も検査を受けており、腰骨に異常も見つかっている。いままでnarcoticsが処方された形跡もない。それに、薬物依存の患者さんは、たいてい怒って切迫しており、「この人には薬が必要です」という偽の紙などを持っている。出来れば、患者さんの訴えが本当であってほしい。

7/02/2008

来たからには

 ついに初出勤、クルマに乗り込み病院へ。外来業務で、そんなに人数を診たわけではないが、まだ慣れず、英語もタドタドしい。しかし免許もあり知識と経験もあるのだからと、keep my chin upして過ごした。スタッフはサポートしてくれ、私も間違いを犯したわけでもなく、突然気分の悪くなった患者さんにも対応し、カルテも書いて処方箋も書いて診療の一部を担当できた。
 私の担当するurgent careは、みな初めて会う患者さんばかり。迅速で必要十分な情報収集が求められる。患者さんが診察室に入ると呼ばれ、扉にカルテが置いてある。扉の前でカルテをめくるが、既往歴、前回受診時のカルテ、最近の検査データ、内服薬、今日看護師さんが取ってくれたバイタルサインなど情報は無限だ。今回の来院にrelevant(関連のある)なものを選び整理する。
 診察を終えると部屋からでて、カンファ室で指導医に説明する。なかなかcoherent(理路整然)にいかないが、指導医はOkey、Okey、と相槌打ちながら聞いてくれるのが幸いである。カルテをじっくり読み直す時間や文章を練る時間もなしに考えを伝えるのは難しい。だが、思えばその訓練をしに米国に来たようなものであるからがんばろう。
 また、米国では眼底鏡がどの診察室にも置いてある。人体で唯一血管を生で診ることのできる場所であるから、血管病変(高血圧、糖尿病、動脈硬化など)を疑う患者では必須の診察事項となっている。日本でも、もちろん自分で眼底鏡を買って診察してよいのだが、今までしてこなかった。あいた時間に一緒に外来している同期の研修医と練習しあったが、なかなか難しい。

7/01/2008

リスク

 今日は病院全体のオリエンテーションで、ついにIDバッジやポケベルをもらった。臨床医学と違う英語(病床管理、院内感染対策、危機管理、保険病名、正確な処方やオーダー、公文書作成などについて)を一日中聞いてへとへとになった。これだけ英語に暴露されるには、やはり働くしかないのではないか。圧倒されたがやる気もでた。
 最後には保険、年金について保険マンらしき男性(院内のbenefit expertという)が早口で説明した。ついてゆけないと同時に、このような狂った保険制度を平気な顔で説明するこの人と保険会社、製薬会社、ひいては米国社会に少しの憤りを感じた。が、来た以上調べて調べてよい方策を採らねばならない。
 健康保険ではdeductible(この金額までは全額自己負担という免責額)、coinsurance(入院費などを保険がカバーする割合)、copayment(外来受診のたびに払う別途医療費)、out of pocket maximum(自己負担限度額)などの用語が飛び交った。
 保険料(benefit contribution rate、contributionとは負担金の意味)は収入と家族構成、保険の種類により決まり、2週間ごとに支払われる給与から差し引かれる。保険はPPO(Prefered Provider Organization)といい、各保険ごとに提携医療機関の数や地域に差がある。私は病院勤務なので、自分の病院に掛かればどの保険でもhighest benefitが得られるのだが。
 ここまででも飲込みに一苦労だが、薬代のための保険が別にある。処方箋をもらって薬局に行くと、自己負担10ドル(後発医薬品)、30ドル(先発品)で薬をもらえるという。ほかに歯科保険、眼科(メガネ・コンタクト)保険がある。さらに、これらを支払うための口座(health saving account)をつくると、振込額に応じて病院から補助が出るという。このあたりから飽和してきた。
 リスクに応じてプランを選べと説明していたが、自分は病気などしないからと月30ドルの保険にして、月200ドルの保険を掛けた人に比べ年間2000ドル浮いた人は、そのお金をどうするのだろう。しかも予想に反して病気で入院でもしたら破産である。健康に関してリスクを負うのは理解できない。安い保険にするひとは、お金がなくてそうせざるを得ないだけではないかと思う。

6/28/2008

オリエンテーション

 今日はオリエンテーションで、はじめて研修医全員が集合した。一日で終わるだけあって、朝から晩まで講義の連続、非常に長かった。program directorからのfatigueについての講義と、chief residentからの研究についての講義が興味を引いた。
 Fatigueについては、原因について(短期、あるいは慢性的な)睡眠不足や感情のストレスなどが挙げられ、注意力や集中力が現弱するほか気分が荒立ったり沈んだりといった悪影響がでる。疲労は、acclimate(順応)できるようなものではなく蓄積してしまう。
 制限時間を守れるよう時間内に終わらせる技量を身につけ、間に合わない分は引継ぎ、休日にちゃんと休息をとり、短時間でよいから昼寝する、などの対策をとるように指示された。コーヒーは、その場しのぎには役立つが余り飲むと寝るべき時に眠れなくなるとのことだった。
 Isolation is your enemy、自信がなく疲れたときに引っ込み思案になりがちなので、敢えてそうならないよう気をつけよ、downward spiralになり得るとのことだった。院外でも、家族、友達と積極的に連絡を取り合いサポートの資源とせよとも言われた。
 また研究については、問題解決能力を向上させるために必要なのみならず、将来的にキャリアを積む上で必須となっていると説明された。何かに関心を持ったら、とことん調べ、それでも分からないものを研究課題にしようとのことだった。ただしfeasible(実現可能)でなければならないから、研修が忙しい多くの研修医は誰かが考えたプロジェクトを手伝うようだ(piggybacking、便乗)。

6/25/2008

外来

 Every cloud has a silver lining(曇り空でもその雲の端からは太陽の光が差しているように、上手く行かない時でも必ず好転の兆しがあるものだということ)、Out of the frying pan and into the fire(一難さってまた一難)など、表現をいろいろ学ぶのはよい。
 さて、午前中は内科外来を見学した。私はurgent careといって「今日は頭が痛い」「風邪を引いた」など予期せぬ新しい問題で来る飛び込みの患者さんを診るようだ。それと別に定期外来も金曜日の午後にあり、これはどの科をまわっていても継続して行われる。
 一週間前に出産したばかりの研修医の先生も働いていた。分娩のため1週間休んで、また働いているという。子供の写真を見せてもらったが可愛かった。多くても午前中に5-7人、重篤な患者さんはERに行くので、日本とは比べ物にならぬほどリラックスした雰囲気だった。
 なお患者さんには保険のない、または保険が十分でない(underinsured)人が多く、タダの薬をあげたり、福祉関係の書類(日本でいう生活保護のような)にサインをしたり(あるいはしなかったり)という仕事も多いようだった。
 ようやく来週には仕事が始まる。自分で考え行動して、上手く行ったり行かなかったりする。分からなければ聞き、調べ、わかることは伝える。そういう経験はワクワクする。じつは英語で診察しプレゼンしカルテを書くこと自体久しぶりだが、じきに慣れるだろう。

6/21/2008

夏至

 講習二日目は、予期したほど大変でもなく無事終わった。内科で今後3年間いっしょに働くことになる先生方と五人くらい知り合いになった。みな親しみやすくて安心したが、まだ名前を覚えられない。今年は(も?)覚えにくい名前が多いみたいだ。
 病院のカフェテリアでは、パンとサラダを主に頼み、サラダにはお酢を掛けるようにしている。周囲にはベジタリアンかと思われたが。マカロニ&チーズやピザなどは、本当は好きなので、敢えてあまり取らないのがよいだろう。

6/20/2008

講習

 今日はACLS講習があって、心肺蘇生法について改めて講義を受けた。講師の先生は消防士さんと看護師さんで、主に救急ヘリで仕事をしている人たちだ。教える経験も臨床経験も豊富な様子でためになった。薬剤のアンプルやシリンジが実際は何mgだとか、実践的な話もあった。
 amiodaroneは泡が立ちやすいのでアンプルから吸うときは気をつけるとか、気管内チューブを挿入したあとの確認に左胸部を右胸部より先に聞くのは、右主気管支に入ることが多いからとか、骨髄針の留置には電動ドリルを使うとか(実際にやってみた)、新鮮だった。
 会話表現としては、heads-up(警告、注意喚起)というのがあった。意識してメモをとらないと、聞いた表現は忘れてしまう。内科も外科も関係なく講習を受けるため、昼は外科レジデントのひとりと食事をしながら会話をした。日本の医学部を卒業してから来た人は珍しいから、関心を集めた。
 明日は後半で、もっとhands-onな実習になる。ためになるからよいのだが、米国心臓協会(AHA)認定コースなので最後の試験が厳しいかもしれない。ガイドブックは貰っているので、少し読んで、付属CDの問題集も解いて、備えよう。
 考えてみると、就職前に(既に受けた人は除き)病院負担でみんなに受けさせるのが筋かもと思う。「うちのスタッフは緊急時の対応をちゃんと習っている」と診療の質を確保することになる。働き出すと二日の休みなどとれないし、実際日本のどこの講習会場も、すぐに予約が一杯になってなかなか受けられない。

5/24/2008

Long-term care

 介護をどのように財政的にまかなうかについて、先日の医学雑誌で論じられていた。全米で1000万人が、基本的な生活動作に不自由があるという。米国も高齢化しつつあり、この数字は当然ふえる。多くの場合は家族がケアをしていて、そのための保険に入っているのはごく一部である。公的負担にするのか、私的負担にするのか。医療保険のなかで一本化するのか、別建てにするのかなどを検討せねばならない。
 Bruce Vladeckが1980年に《Unloving Care》という本を書いて、介護を要する人々が米国で見てみぬ振りをされていると訴えた。あれから状況は悲しいけれど変わっていないという。今年の大統領候補者たちも、医療について言及していても介護については建設的提言をしていないと指摘し、誰が大統領になったとしても、とにかく今が検討すべきときだという。

5/23/2008

Employee Health

 就労前検査を受けた。薬物依存でない証明に尿検査をして、アルコール依存でない証明に呼気検査があった。尿検査などは水で薄めたり出来ないように厳重な手順で行われた。すなわち、採尿室に入って採尿したら、手も洗わずトイレも流さずに部屋から出て検体を渡さねばならない。
 ほかに結核排菌患者と接するときに必要なマスクがフィットするかの検査や、色盲検査があった。感染症(肝炎ウイルスや麻疹など)の抗体価などは、以前に米国医学部で臨床研修をしたときに日本の大学で作ってもらった書類がそのまま使えた。無事、就労できそうでよかった。

来たからには

 病棟で回診を見学しながら、たくさんメモを取った。英語に暴露されて、口語表現をたくさん習った。米国ドラマを英語字幕でひたすら聴くのも、同じような効用がありそうだ。それらを理解し使えるようになれば、会話がだんだんとsmoothになってゆくだろう。ちょっと英語に触れただけで(新聞記事を1個とか、ドラマを1話とか)、ごっそり語彙と表現を学ぶことが出来る。その積み重ねだ。
 そのあとに、本題の医学知識がくる。英語ができなきゃ、面白くない。心不全、不整脈、高血圧、冠動脈疾患と、とにかく循環器疾患が多い印象で、各種薬剤に精通せねばならない。もっとも、内科医なのだから薬の使い方を知っていてナンボである。要求される知識は日本で学んだものと重なっていないものが多く(私は内科のなかの各科をローテートした訳でないので)、米国の医師免許や内科認定医の試験対策を平行すると良いかもしれない。

5/17/2008

オーダー

 病院で見学をしている。オーダーがほとんどすべて電子化されている。完全に電子化なので、日本のように「オーダーしました」とカルテに記入し、そのページに札をたて、オーダー置き場に置く、ないし、看護師さんに伝える、という手間がない。STAT(臨時、急ぎ)の指示でも看護師さんがパソコンを見ているので支障はないようだ。
 点滴に何をどのように混ぜ、どのルートから何時にどれくらいの速さでおとすか。日本の病棟では1から組まなければならないから大変で、どこかひとつを変えるために最初からやりなおすこともしばしばある。こちらでは、セットになっている。「8時間ごと」と指定すれば、病棟でうまいことはじめてくれる。
 病院内の電話帳をもらったが、各部署、研修医のpager(ポケットベル)番号のみならず、周辺にある医療機関の電話番号が書いてあり有益に思えた。あまり「日本では」「アメリカでは」といいすぎると「出羽の守」と揶揄されそうだが。
 

4/30/2008

感謝

 渡米するにも、いろいろな条件がある。親のこと、子供のこと、配偶者のこと、日本での職場の状況、自分の健康、医療情勢(日本で学んだほうが良い、など)、国際情勢、時代。意志のあるところに道が出来る、と言って進んできたものの、自分にどうにもできないものにより道が閉ざされることだってある。神父さんは、今回のことを「すばらしい恵みだ」と言った。たしかに、自分だけじゃない。

3/22/2008

政・官・財

 官公庁ではたらく先輩と話す機会があった。学生時代、いまの病院に見学にきた際に研修医をされていた。直接ついたわけでもないのに仲良くなった。たまたま札幌に来ており、みんなと飲み会をするというので入れてもらった。3年ぶりの再会でもお互い変わらず親しく思っておりうれしかった。入省してからは精神的にも肉体的にも最もきつい日々だったと彼は語った。
 感じたことは2つあった。一つ目は、世の中ほめられない仕事、感謝されない仕事のほうが多かろうということ。関係各所の調整をする仕事など特に、最大公約数の提案にしてもすべての方面から叩かれるらしい。扱う利権が大きいだけに怒号やヤジも日常茶飯事だという。じつは心のそこで「よくできたね、よしよし」とみんなから言われたいと思っている私など大アマちゃんもいいところだ。
 もう1つは、省庁でも地方自治体でも、とにかく組織のなかで目先の仕事をこなすので精一杯だということ。予算削減が景気後退のせいだろうが、いままでの滅茶苦茶で国が借金しているからだろうが関係ない。考えたところで変えることもできない。組織の都合、組織の論理で動く。だがあくまで正論を言いたいし、潰されぬようにも立ち回れる彼は省の良心となろう。いずれ出馬するだろうか。

3/21/2008

速報

 さきほどメールとウェブ上で確認し、ピッツバーグの病院に決まった。アイオワでないのは少し残念でもあるが、あそこは外国人医師にとっては300倍の倍率で、面接に呼ばれるだけでも30倍であった。マッチングであるから、病院にも私にもどうしようもないことだ。
 アイオワの次にランクした病院にマッチした。ピッツバーグの病院をふたつ受けたうち、いまの病院と提携しているほうではなく、いまの病院に去年までいた米国人医師が勤める病院である。わたしが見学したなかではもっとも面倒見がよい。program director、総合内科スタッフも見学・面接時から非常にwelcomeであった。市中心部から近い病院でもある。
 ピッツバーグはいわずとしれた全米一住みやすい都市、そして日本人社会も確立されている。同じ職場には日本の方がいないというのもちょっと良い。それに、前の病院で出会い知遇を得ている「師」の米国人医師と近くで働けるのもうれしい。
 とにかくこれで、マッチング生活は終わり。超特急に乗って米国で働く前から「時代の寵児」「鳴り物入り」になるのもうまくいかなかったらと不安であった。地に足着いた生活をして下積み生活+家庭生活を充実させたい。

3/18/2008

速報

 本日午前2時(米国東部時間で3/17 12h00)、マッチング協議会から"Did I match?"メールが届き、すくなくともマッチはしたとのことだった。そのとき私は患者さんの対応をしていたので、2時間くらいして救急外来のパソコンでメールをひらいたら判った。
 どこの病院にマッチしたかは、日本で言う金曜日の午前2時にわかる。もし決まっていなければ今からscrumble(空きポジションへの二次募集)に参加しなければならず、緊急国際電話、緊急渡米もありえた。しかし実際には、ありえなかった。だからよかった。

3/17/2008

試練は成長の好機

 先日に仕事で自分の考えも聞かずに「もっと考えなきゃだめだ」と言われ、人の自尊心を壊して支配したいのか恨まれたいのか判らないが、自分の考えに沿ったことがされていないと「基本がなっていない」、とにかく駄目であると全否定される経験をした。この経験には、なぜそこまで言われなければならないのか分からず大変憤った。
 しかし、もっとショックだったのは、自分も他人のことは言えないのではないかと感じたことだ。押し付け、否定ではなく相手の考えをきき、尊重しつつ提案する(あるいは思いつかせる)のが重要と本で読んでいながら。それでその日はものすごく疲れた。人間、身体的なことで疲労するのではない、精神的なことで疲労するのだ。寝たらなおったが。
 そういえば、その先生はタタキアゲなのだと誰かから聞いた。それに幼時から自分はいじめっ子であったと豪語するような人だ。人を変えることは出来ない、自分で対応していこう。これから米国でふたたび研修医をするのだから、へんなプライドはかなぐり捨てたほうがよい。無知の知、知れば知るほどわからないことは増える。聖書にも「柔和なる者は幸い、天の国はかれのものである」とある。

3/15/2008

Sante publique

 昨日は講演会に行ってきた。演者の先生はフランスで公衆衛生学を学んだ経験もある人で、現在九州の大学で教えていることもあり食指が動いた。医療政策と財源についての冷静な分析と提言で、自分が働きながら感じている矛盾や疑問の多くが言及され、それらに対する学問的にとりくみが紹介されていた。
 国家財政、社会保障としての医療と考えると、誰のせいだか知らないが国庫が何百兆円の債務を抱えて、年金も吹き飛んでしまった以上「医療費減らせ」の大合唱は続くと思われる。しかし、現時点で医療は原価割れし、医療者の無償労働により補填されている。さらに今後高齢化社会で急性期疾患、慢性期疾患、介護のすべてで需要が急騰する。
 そこで、対厚生省ではなく、対国民(支払者)対財務省に声を上げる必要がある。どれだけの質の医療をするのにどれだけのコストが適正なのかを説明する。そのためには自ら適正化の努力をして、可視化されたデータを公開せねばならない。これなしに支払者の同意は得られない。
 また演者の先生はDPCという診断群分類を開発した一人だが、これは[病気][患者][治療]が示されたコードで、同じ病気で同じような患者が同じ治療を受けたときどれだけお金がかかるか、どのような結果になるかを全国的に相対評価できる。元々保険診療に用いられていたレセプト電算を基盤にしており、頭のいいひとがいるなあと思う。

3/14/2008

雨降って地固まる

 今年初めての雨。路上の雪もいくばくもない。空気の匂いがちがう。昔の人々は春の到来と喜んだかもしれないが、魔法がとけたみたいでちょっとさみしい。雪が降り積もる地域で越冬できたのは成果だった。雪道の運転は結局しなかったが、これからはそういう土地に行くこともあるかもしれない。
 マッチングの発表が迫っている。周囲の人々に言及されて、自分までそわそわした。マッチしなかったときのプランは結局考えていないが、考えてもいまから数日の間に何か思いつくわけじゃない。結果を待ってから動くしかない。じたばたしても結果は決まっている(発表されていないだけ)。

2/11/2008

平静の心で

 驕るものは久しからず。信用も評判も、壊すのは簡単である。今日は病棟で看護師さんにまずく対応してしまい後味の悪い結果になった。いままでに私がそうした対応をしたことはなかったと看護師さん本人も言ってくれたが、この件を起こした今、ちょっと早期には修復は難しい状況だ。
 最近、自分の考えに自信をもったり、やはり自分のやってきたことや努めていることは正しかったと感じる機会があって、自分をたかめに評価する気分がづついた。しかし、その反面相手に攻撃的になったり、声が不要に大きくなっていたように思う。気づいてよかった、思い上がりもいいところである。
 おとといの救急外来では、一見よくある病気に見える患者さんから丁寧に病歴を取って、なにかおかしいと感じることができた。結果、まれだが命に関わる病気と分かり手術になった。力はついているはずだ、それを感じるのはよい。でもdark sideは避けなければならない。
 もうひとつ。今回、抽象すれば「相手が求めるのとまったく正反対の攻撃的な受け答えをした(自分が頼りないと言われたように感じたため)のでショックを与えた」のだが、これは私生活においてもあってはならないことだ。感情をコントロールしなければならない。

2/07/2008

遺伝子の世紀

 よくある病気へのかかりやすさ(遺伝子多型)を調べる大規模な研究も沢山されているが、稀な病気の原因遺伝子を調べて細胞生物学や病理学の解明につながることもある。今週の医学雑誌に後者の研究成果が載った。
 Hutchinson–Gilford Progeria症候群というきわめてまれな病気があり、患者さんは生後からどんどん老化して生殖年代まで生存することは稀である。このような病気は遺伝子の突然変異によって起こると考えられるが、果たしてLamin Aというタンパク質をcodeする遺伝子に突然変異がみつかった。
 これはアミノ酸配列を変えないが、mRNAのsplicingが異常におこるため結果的に異常タンパクができ、通常なら一旦細胞のなかの膜にはりついてから酵素により細胞質に放出されるはずが、膜からはなれずにたまってしまう。これによりとくに核膜が膨れてしまうのだという。
 それで何故老化のような症状が起こるのかはわかっていないが、高齢者の細胞にも同様の変化がみられるそうなので、老化のメカニズムに関係している可能性がある。老化を進める多くのもの(タバコ・加齢・ストレスなど)が細胞レベルで起こす共通の変化の一つなのだろう。
 稀な病気を研究して、すべての人に当てはまる原理が解明されたら面白いと著者はいう。これらの研究成果がゆくゆく明日の医療をかえてしまうかもしれない。白血病などでは、遺伝子の異常とがん発症メカニズムがかなり判明しており遺伝子検査をして「ある型」と分かればそれに固有な治療をする。

2/01/2008

多角的にみる

 来年度から担当を外れる患者さん(おおくは高齢者)たちに、外来でその旨お話しする。お別れの間際になって、患者さんがどんな生い立ちで、誰とどこに住んでいて、何に愉しみをもって暮らしているのかを話すようになった。時間の制約と、主訴と関係ない「無駄話」をすることの罪悪感がそうさせたのかもしれない。そんな話をするよりも、症状の話をよくきき病気の原因を考えろと。
 たしかに医者の仕事は話し相手ではない。医療者としての自覚を持つ意味でも自戒は必要である。しかし、患者さんの背景や、患者さんがどういう気持ちや理解でいるかを知らなければ治療もうまくいかないことが多い。もっと早くに訊いておけばよかったと思う。
 先日、米国で老年医学を学んだ先生からcomprehensive geriatric assessmentについて学んだ。physical health, mental health, function, social problemに大別して評価すべき項目を順に説明してもらった。このような系統的なリストが他業種間で共有されれば、外来診療が豊かで実効的になるであろう印象をもった。

1/31/2008

成長課題

 同期のひとと話をして、下積みできる期間もかぎられていると思った。いまのうちに経験すべきことを経験しておかなければ、2-3年のうちに指導役にされてしまい頼りない人になってしまう。いまの病院では、研修医が独り立ちが目標だと常に促されている。彼らは、だから自分で考え自分で行動し、試行錯誤のうちに自らの内に自信をつけている。皆わりと自信家だ。
 私は、考え行動しているつもりだが自信は過信という思いが強い。自信を持ってやることも確実ではなくあくまで間違えが起こりうると思ってフォローするし相談もしてしまう。安全を担保にはできないが、いつまでも人を頼っていては成長しない。いまの目標は、チーム診療でGOサインを出せる立場になることだ。そのためには、さらなる経験と学習が必要だ。See one, do one, teach one。

1/28/2008

思考過程

 うまくいかないとき、自分の考えではうまくいくはずなのにおかしい時には、正しいと思っていることを疑わなければならない。肺炎で治療中の患者さんが、経過中にふたたび発熱した。肺炎の原因菌はわかっており、それに効くであろう抗生剤を最初から使っていた。いったん良くなったのに、ふたたび悪くなった。
 尿路の感染(導尿の管から菌がはいる)、血液の感染(点滴の管から)、副鼻腔の感染(鼻から胃にいれた管から)、皮膚の感染(褥創があれば)など疑わしいものはしらべたが、原因として否定的である。肺炎が悪くなった可能性がやはり疑わしい。
 人工呼吸器で管理しているので、口から気管に管がはいっている。そういう患者さんは、緑膿菌など院内の悪い(抗生剤に耐性のつよい)菌が入りやすい。しかし痰をしらべると膿性であるが、染色して顕微鏡でみても菌はいない。どういうことなのか。
 気まぐれの熱ならよいと思っていたが、どうにも解熱してくれない。感染症科の先生に相談すると、抗生剤の量が少ないことがわかった。抗生剤、じつは痰の培養結果がでたのでよりカバーの狭い(どんな菌にも効くわけではないが、その菌にはちゃんと効く)ものに変更したのだが、量が少なかった。
 成書を確認し、チームの医師複数で納得のうえオーダーした。腎臓がわるいので腎臓病の人のための用量を書いた本を参照したのだが、そもそも普通の人の量として書かれた用量じたいが少なかった。腎臓にはよいが、感染症にはよくなかったということだ。感染症も腎臓もわからなければ、患者さんはなおせない。
 

1/19/2008

帰途

 Iowaを離れようとしている。面接には、今回はレバノン、ヨルダン、ブラジル、ガーナ、コロンビア、日本から来ていた。サッカーのワールドカップのようだ。レバノンにはアメリカン大学という英語で授業が行われ卒業生のほとんどが米国で働く、移住専門のような医学部がある。日本にもそのうちできるだろうか。認可がおりないだろうか。ともかくそこの卒業生はめっぽう強い。たくさん先輩が働いているし、教育が米国的であることも知られているからだ。
 しかし感じの良い人たちで、面接前日のdinnerのときなども質問がないかと気遣ってくれ、全体に陽気な雰囲気がただよっていた。地中海の東端に面したレバノンと、パレスチナとヨルダン川を挟んで向かいあうヨルダン。イスラエルとの関係でネガティブに報道されることが多いが、こうして(たぶんお金持ちにうまれ)高等教育を受け米国で研究や臨床に従事する陽気な人々がたくさんいるのだ。世界は広い。
 面接もおもしろかった。面接で大事なことは、その場で考えることである。考えるのに必要なリソース(基礎知識)と基本的な態度や話の構成については準備しなければならないが、模範回答を覚えることは重要ではない。考えることが重要である。あとは質問されたときにそれらを頭の中で組み合わせて文章をつくる。debateでも、その場で反駁しなければならない。それに日本のように質問に答えたらそれで終わりではない。向こう(面接官)も、その答えを受けて自分の考えを話す。だから、お互いをそうやって知り合う過程なのだとおもう。それでinter-viewというのか?

1/17/2008

うまくやる

 明日はついに病院の見学と、夜には研修医の先生方との食事である。外国からの応募者が受ける日のようだ。面接の日にはdiversity issueについての説明などが予定されている。面接前の準備、できてないことがたくさんある。情報収集と、なんとなくどう答えるかまでが出来ているが、完全に文例を作って暗誦したりはしていない。
 ただ、前の街で面接を終えたときには「わざわざこの街に来る意味ない」とすらおもっていたのが、来てみるととても魅力的で一目惚れな状態であることからして、"be yourself"でやればうまくいくと信じている。平常心で、いまの英語力、いまもっている自分でやってよう。
 unpreparedというほどでもない。英検一級の二次試験でも、まったくしらされない課題を渡されてそれについてしゃべるよう要求された。事前にそういう稽古をしたのがよかったか、結果的には通った。大学時代に英語会にいたときから、impromtuで話す練習をたくさんたくさんした。今回も要領よくやればよい。

1/15/2008

手続きは大変

 ECFMGの証明書がこない。試験に合格して、日本の医学部をちゃんと出ているのにもかかわらずである。マッチングの期限を過ぎてもできなければ、当然マッチングから外されてしまう。ホームページでstatusを確認すると、機関が日本の医学部をちゃんとでたかの証明を医学部に問い合わせて、その結果を待っているとのことだった。
 しかし、その通知は大学に'06.12に届いており、大学は'07.1に機関に「この人はちゃんと卒業しました」という通知を送っているのである。それは機関に届いているようで、verification receivedとホームページの登録情報にちゃんと書いてある。おかしいなと思って電話したら、
 「ほんとだねー。いま担当者に話したら、『大丈夫なはず、今日明日中に対応しとく』って」
 「通知を確認したら、10 busines dayかかるけど証明書を送るね」
 というさりげない返事が返ってきた。世界中から問い合わせ、応募がきているのだからこういうことも日常茶飯事なのかもしれない。まあ一安心。いろんな人に相談したが、やはりこういった手続きを助けるマニュアル(日本人用)が必要だ。liability(法的責任)の問題もあるからあまりおおっぴらにはできないが、参考資料としてあると多くの人が助かるだろう。

1/11/2008

明日の治療

 結節性硬化症という遺伝疾患がある。血管筋脂肪腫という、いろんな成分が混じった腫瘍が肺や腎に出現することが知られているが、遺伝子異常により腫瘍細胞でmammalian target of rapamycin (mTOR)なる受容体が恒常的に活性化され増殖することが明らかになってきたそうだ。
 そこに作用するsirolimusなる薬があって、この投与により腫瘍が縮小し、投与の中止により増大したという報告が医学雑誌に載っていた。この薬はイースター島の土壌に住む菌が産生する抗生物質として発見されたが、現在は免疫抑制剤・抗がん剤として注目されている。
 遺伝疾患については、原因遺伝子が調べられるのだから病因の解明が今後一気にすすむ可能性がある。治療法もそれに合わせて開発されていくだろう。この物質が悪いので、その働きをおさえよう、というのが分子標的療法である。遺伝子が悪いなら、それを取り替えよう、というのが遺伝子治療である。
 免疫抑制剤も、移植医療の発展などと共に開発が進んでいるようだ。たとえばmycophenolate mofetilという薬は、こんどは真菌が産生する物質だが、核酸代謝(de novo経路)を抑制し免疫細胞の増殖を抑える働きがある。副作用が少ないことから米国では好んで使われ始めている。日本では、医師ですら知る人は少ない。
 私は研究の話をするのは結構好きだが、研究自体が好きかというとそうでもない。大学病院で研修すると、自分は研究しないまでも、研究者達とこういった話をもっと身近にできるかもしれない。しかし大学病院で研究しない者に居場所はあるのか。臨床研究、教育に従事するなら可能だろう。

1/10/2008

木も森も見よう

 昨日は病院見学に行った。研修医の先生についたが、その日は午後に外来があるため午前中に仕事を終えなければならず忙しい様子だった。患者さんに新しい問題点ができて対応に追われたりもしていた。それでも、ちゃんと実習に来ている学生にレクチャもして、12時には仕事を終えて昼食のでるnoon conferenceに行く。
 検査値異常についてのレクチャだったので、この値が高いときはこんな病気という説明をするものと思った。しかし、重要なのは病歴であると強調していて印象深かった。たしかに、その患者さんがどんな症状があったか、どんな既往症があるか、なんの薬をのんでいるか、酒はのむか、家族にはどんな病気があるか、を調べるのが一番である。
 検査値異常をみたとき、さらなる検査を追加する方向に走りがちであるが、下の下なやり方と心得るべきだ。それは初期研修をした病院でも言われた。なんのために検査をやって、その検査の結果が陽性だったらどうで、陰性だったらどうなのかが分からないようじゃ、本当に意味がない。
 病院見学、いままではもっぱら患者さんの病歴を聞いて一緒にどんな検査や治療をすべきかなどを考えていた。それもよいが、見学の主旨はそこの研修医がどんなで、教育はどうで、職場環境は合っているか、などを知ることである。この病院のように学生が実習にくるところは、研修医から教育する立場におかれることを実感した。

1/08/2008

うまくやるには

 次期chief residentの先生が昨日言ったのは、"Be social"ということだった。どの病院で研修することになるにせよ、最初の時点でひらかれるパーティやらピクニックやら食事会やら、みんなが参加する行事をぜったいにはずすなと。intren生活は厳しいけれど、とくに市中病院の場合みんな医療スタッフは家族のように親しくなるので、おたがい助け合ってやっていけると。それは日本でも一緒である。
 パーティ、日本でさえあまり得意でない。パーティ大活躍指南、という本があったら読みたいものだ。英語で大笑いするための勉強もせねば。まあ、大フィーバーせず、大笑いしなくてもパーティは楽しめるはずなので、慎み深く周囲と打ち解けるやりかたを目指そう。

まあこんなものだ

 昨晩は、友達の友達にあたる人を紹介されて電話で相談することができた。遅くに恐れ入る。あれは聞くべきか、このときはどうしたらいい、などたくさん質問して楽になった。おたがい日本の有名な教育病院で研修した者どうしで、共通の友人がたくさん判明して愉しい時間だった。少しお金はかかったけれど・・。スカイプなる無料電話サービス、名前は聞いていたがこれから必須になること受けあいだ。
 翌朝。なかなか寝付けず、身体が変に熱くなったりして困ったが結局十分に寝ることができた。朝食をゆっくりとって、ストレッチをして、磨いた靴とスーツに着替えて出かける。外はオーバー不要な暖かさだ。ほどなく病院につくと、秘書さんの笑顔がお出迎え。朝の症例カンファレンスを見学する。やはり、めいめいが考えたことを口にするのが印象的だ。気取らずさくさくと進むのがいい。どうして今の病院でうまく行かないのだろう。発表者は「発表」、参加者は「質問」と構えすぎるかもしれない。診断にこだわりすぎ、というのもある。今回診断ははっきりつかなかったが、アセスメントの勉強にはなった。
 見学者に発言が求められることもあるかと思って一生懸命聞いて構えていたが、そういうものではないらしい。見学に来れずに面接の人もいるから、プログラムの様子を垣間見せているのである。こういう感じか、と観ておればよい。引き続き、program directorとchief residentからそれぞれプログラム説明あり。これまた、聞いておればよい。ここで情報の多くが得られるので、さらに聞きたいことがなくなってしまうかと心配もしたくらいであった。
 そして、ジュースやら飲みながら面接の部屋に連れて行かれるまで待機である。今回面接には、transitional(内科以外の科志望で、最初の1年だけ内科をまわる)の米国医学生数人と、categorical(内科コース)の外国人医師が数人いた。シリア、パキスタン、ペルー、日本。シリアとパキスタンなど、政情不安で研修どころでないのではとハラハラしたが、そういうものでもないらしい。すでに米国に移住して研究している人もいた。
 面接じたいは知っている先生方だったこともありスムーズであった。むしろ典型的な質問は少なかった。自信を持って自分の伝えたいことを気持ちをこめて伝えるよう努めた。色よい反応であったから、うまくいったと思いたい。面接後は食事がでて、研修医の先生方と話し、院内ツアーをしてもらい、最後にdessert with facultyで終わりである。なんのことかと思ったら、bossがカジュアルにスキー、サッカー、マチュピチュの話などして朗らかに去っていった。そういうものらしい。 

1/07/2008

独立自尊

 明日になれば、すべてが終わっている。きっと大丈夫。やや緊張しているが、これが世界の終わりじゃない。いままでの受験と勝手が違うし、はじめての面接なので無理もないが。何事もはじめての前は、緊張するものだ。たくさんの方々から声援いただいた。勝手に来ておいて、国内外から声援まで求めるとはわれながら変なやつだと思う。
 結婚するといろんな邪念や、無駄な高望みなどが消えて、現実を見て、一歩一歩やっていけるようになる気がすると友が言った。いま彼女と結婚することを考えたら、とたんに浮わついた不安がすっと落ち着いて、心拍数が正常化した。不思議な経験だ。人に大丈夫といってもらっても、自分が落ち着かなければ仕方ない。なんだかやれそうだ。
 明日になればすべてが終わり?そんなことはない。あさっては、second look(もう一度見学すること)の予定だし、金曜日には別の病院で面接だ。upsetしてはどうしようもない。基本的に、私に興味があるからわざわざ面接に呼んでいるのである。なおupsetとは、「upな状態でsetされた」意といま気づいた。それは落ち着かないだろう。

1/05/2008

ロケットスタート

 空港につくと去年夏までいまの病院にいてお世話になった米国人の先生が、仕事を中断して車で迎えに来てくれた。ありがたい。研修がうまくいくには最初が肝心であるというアドバイスを得た。以前に他の先生も同じ事を言っていた。
 九州に来たときは、寮だったので身体一つで来ればよかった。実家を離れた精神的ギャップは少しあったがじき慣れた。北海道のときは、友人が事前によいアパートを探してくれたし、着いた日に大家さんが車で家具揃えなどに付き合ってくれた。彼女が来る前にまず一人だったも、先遣隊の気持ちになって張り合いがあった。
 たしかに、生活にさっさと慣れておかねければ仕事などおぼつかない。クルマ、アパート、インターネット、引越しなど。生活習慣を確立しなければ。ビザが取れるや否や渡米するべきだ。ビザが取れる前に観光ビザでホームステイができればなお良い。
 それに、仕事に慣れるために早めに1学年うえの先輩のshadowing(仕事ぶりを観察してシミュレート)をすることが極めて大事である。こうしてうまく研修のスタートを切ることができれば、持ち前の性格や知識、経験をうまく反映させてその後も乗り切れるだろう。万一こけても、周りが助けてくれるだろう。

プレホスピタル

 機内で体調をくずした人がいたら、どうするのか。救命処置としてはABC(Airway、Breathing、Circulation)を守ることだ。今回の飛行時間は10時間ちょっとだった。到着までに命があやうい場合は、太平洋を通過中なら日本、Hawaii、米国の太平洋側のうち最寄りのところに緊急着陸するのだろう。そこから救急車で病院に搬送となろう。
 それほど生命に危険がすくないと思われる場合は、症状をとりつつ様子をみる。熱さまし、痛み止め、咳止め、下痢止め、吐き気止めなどの薬(錠剤、注射)はあるのだろうか。なんなら自分が常備薬をもっていればよい。
 問題は、両者の間のグレーゾーンである。症状が激しい場合、生命の危険が少ないと考えられる病態であっても人々は不安になり、声が大きい人(権力を持っている、怒っているなど)なら緊急着陸しろとすごんでくるかもしれない。あるいは、緊急着陸すれば多くの乗客、航空会社、などの予定を大幅に変更することになるので、その責任を取れるのかといわれるだろう。
 生命の危険が100%ないとはいえない。しかしなんでもかんでも緊急着陸したらオオカミ少年である、というか医者じゃない。この見極めがプレホスピタルケア(病院にくるまでの処置と判断)である。前の病院で救急車同乗の経験を2-3回したが、みな重症に見えて大汗をかいた。いまはどうだろう。重症度に応じた行動をとれるよう、訓練がもっと必要だ。