5/25/2020

忘れられない一言 65

 米国で内科研修医をしていた頃、いまでも師匠と仰ぐ循環器科指導医(こちらも参照)が、回診でこんなことを言った。

Whatever your answer is, the next question is going to be "why?".(君の回答が何であれ、次の質問は「なぜ?」だがね)

 この一言に、「答え自体よりも、それに至る思考過程が大事なんだ!」と、筆者は感銘を受けた。教育回診は、発表者の思考過程を改善させることが主な目的だ。回答者が黙ってウンウン考えていては、改善させることはできない。

 いま日本でどうにか指導的役割を果たしながら、師匠の言葉を裏返して使うことがある。「あなたは、どうしますか?」と質問した時に、「Aにはこのような利点や欠点があり、Bには・・」と巡り回答がなかなか決まらない時だ。

Say your answer first, and tell me why.(先に答えを言って、そのあと理由を述べてください)

 何事においても「AかBか」で悩むには、人生と勤務時間は余りにも短い。「どちらでも」ではダメで、AならA、BならBと決めなければならない。そのためには、①Aでよいリーズナブルな理由を挙げ、②Aがダメならどうするかを説明できれば十分だ。

 そうすれば指導する側も、「Bが好きだから」などというパワーゲームでその回答を崩すことはできなくなる。あるいは、「Bが作法だから」といった理屈を越えた理由でAを覆すなら、それを明確にできる。


 やはり、師匠のいうように、すべては思考過程次第ということか。





 

5/12/2020

橋の大切さ

 患者さんに病状説明するときに「録音していいですか?」と言われて気を悪くする医師はまずいないだろう。専門的な話を一度で理解する(さらに、それを他の家族などに伝える)のは難しい。逆に「録音はしないでください!」といえば、やましいことがあると勘ぐられても仕方ない。

 では、患者さんに「録音していいですか?」と言われずに録音されていたとしたら、どうだろうか。医師は戸惑うだろう。先ほどとは逆に、「相手側にやましいことや悪意があるのではないか?」と勘ぐってしまうかもしれない。

 しかし、ちょっと待ってほしい。

 自らに「日頃から録音されてまずいような診療をしているか?」と問い直してみよう。そして「そんなことはない!」と信じているなら、堂々としていればいい。そもそもカルテだって患者さんのもので、誰にいつ読まれてもよいつもりで書かなければならない。

 診察や病状説明だって、同じことだ。

 さらに、疑心暗鬼を超越すると、相手を理解しようという気持ちが生まれる。「録音していいですか?」と言えない人は、そうさせる何かがあったのかもしれない。相手を信じられないほど、心配で心配でたまらないのかもしれない。怖いのかもしれない。


 人間関係には、そのように橋をかける気持ちが大切だと思う。




5/11/2020

忘れられない一言 65

 静脈路確保を看護師さんが何度も試みて失敗したときに、ドクターが呼ばれることがある。そういう教育を受けて腕に覚えがあるドクターなら、「任せて」とまでは言わないにしても、「よし来た」と静脈路を取ろうとするだろう。無事に取れれば、カッコいい。緊急時にできれば、もっとカッコいい。

 筆者はそういう教育を受けなかったので、「皆さんがやっても無理なら、私にも無理じゃないですかねえ」と言う。謙遜ではなく、本当のことだ。カッコ悪いが、心の底では「診断が何かを考え、静脈路を確保したら何で治療するかを考えるほうが大切」と思っている。

 もちろん静脈路がなくては困るのであるが、それで困ったことはない。だいたいいつでも、経験豊かな看護師さんがいるからだ。こういう方々は、ほんとうにすごい。この間も、看護師さん数名と腕に覚えのあるドクターが失敗した困難症例(筆者はもちろん、試みなかった)で、こともなげに静脈路を確保したER看護師さんがいた。
 
 ありがたく、ヒーローインタビューのようにその人ににどんなことを考えて確保したかを聴くと、

 「無心でした

 という(血管が破れないようには注意したそうだが)。Malcolm Gladwellの"Blink(2005年刊、写真)"もそうだが、経験を積んで積んで積んだ方は、そういうことをおっしゃることが多い。
 
 手技だと分かりやすいが、そういう「眼力」は内科診療にもあるはずだ。静脈路確保は無理でも、そっちのほうで日々腕を磨いていきたいと思った。