10/31/2014

忘れられない一言 18

 「先生も見てみてください、これ」
 と若いスタッフの先生が手渡してくれたのは、私が休職する前に同じチームで働いていた研修医の病歴要約。なかなか読み応えがあったが、たとえばこんな感じだ。

 【現病歴】…本人いわく水分は摂取してた。

 いいんだよ、いいんだ。一回教えたくらいで出来るようになると思うなんて、教育者の思い上がりもはなはだしい。私が休職などせずにフォローしてあげればこんなことにはならなかったかもしれない、と申し訳なく思った。
 きっと殺人的に忙しい初期研修の合間に徹夜で書いたのだろう。私だってサマリーを整理して書けるようになるまでには時間を要した。研修はきつい。わからないこともできないことも沢山ある。でもいつかちゃんと出来るようになるから。がんばれ、全国の研修医!

忘れられない一言 17

 英語で医師を意味するdoctorの語源がdocere(教える)なことはよく知られているが、これは印欧語根dek-に由来し、同じ語根から生じたdiscereは「学ぶ」という意味だ。まあ、「教えることは学ぶこと」と言ってるだけだが。

 ちなみにフランス語で医師を意味するmedicin、スペイン語で医師を意味するmedicoの語源は印欧語根med-に由来する。この語根には「適切な処置をする」という意味があり、mediateみたいな感じだ。moderate、modestなども同じ語源だ。

 またこのmed-からラテン語のmederiがうまれ、これには「世話をする、癒す」という意味がある。そしてさらにそこからmedicineとremedyの二語がうまれた。と、言語学トリビアが終わったところでこの本の第二章も締めくくられつつあるが、そこでハッとする文章にであった。それは;

 It is not "the pill in the hand, but the hand behind the pill" that helps our patients feel better.



忘れられない一言 16(aka ヒポクラテスの誓い)

 ヒポクラテスの誓いは私が紹介するまでもないが、この本によればアメリカの医学部では卒業式でこれを宣誓すると書いてある。患者に善を施す(beneficence)ということは当時も今も変わらないが、中絶と安楽死については議論のあるところだろうから、宣誓をためらう人もいるのではないかと思ってしまうが。本当かな。
 誓いではそのあと患者と堕落した関係を持たないこと、守秘義務などが続く。守秘義務は米国ではHIPPA(Health Insurance Privacy and Portability Act)が1996年に制定され、日本でも個人情報保護法が2003年に成立したことはいうまでもない。それはいいとして、私が今回誓いを改めて読んで納得した部分はここだ;

 ... by precept, lecture, and every other mode of instruction, I will impart a knowledge of the Arts to my own sons ...

 アメリカの医学教育を語る上で教えることが当たり前に考えられているのは、国民性や文化の違いもあるだろうが、やはりヒポクラテスの誓いもその根底にあるのではないかと思った。私もアメリカの医学部には行っていないが医学教育は受けてきたのでこの誓いを受け継いだと信じているし、別にアメリカに行かなくてもこの誓いは当てはまるべきだと思う。

忘れられない一言 15(aka ヒポクラテスの警句集 2)

 それからこの警句集は観察の重要性を教えてくれる。200以上ある警句のほとんどは「尿の表面に泡が浮く人は腎臓の病気で慢性なことがおおい」とか「生まれつき太った人はスリムな人より早死しやすい」とか「肺炎が胸膜に達するとやばい」とか「宦官は痛風と禿げにならない」とか、観察によって得られた知識の集積だ。なかには「強いワインを飲むと空腹が治る」とか「月経を止めたければ胸に巨大なカップをつけろ」とか笑えるものもあるが。
 観察の重要性といえば、私が米国でインターンをしていたとき、いつもアテンディングが病室の入り口に張ってある"contact precaution"という札を見て「どうしてこの患者はcontact precautionなんだ?」と訊かれ答えられずドギマギしたのを思い出す。今は電子カルテにデカデカと"MRSA"とか"VRE"とか表示される時代になったからそんなことはないのだろうが。
 それにしても指導医の回診ではいつも、彼らの観察眼に驚嘆させられた。点滴のラベル、ライン、モニターを瞬時に見て取り「いつまで心電図モニター(あるいは膀胱カテーテル、Aライン、CVライン)が必要なの?」と訊いたり、机の本や所持品、簡単な問診から患者の社会文化経済的背景を診て取ったりしていた。私もそうなりたいと努力してきたつもりだが、まだまだだ。

忘れられない一言 14(aka ヒポクラテスの警句集 1)

 ヒポクラテスの書いたとされる著作は、彼の死後200年以上たってギリシア人がアレクサンドリア図書館を建てたときに当時の医学著作をCorpus Hippocraticumと総称したものだから、そのすべてが彼の書いたものではないと考えられている。
 まあこういうことは古い歴史ではよくあることだが、その著作の中に警句集(Aphorisms)というのがあって、200以上の警句が載っている。有名な"Life is short and the art is long"もその一つだが、これには続きがある;

 Life is short and the art is long, the occasion fleeting, experience fallacious, and judgement difficult. The physician must not only be prepared to do what is right himself but also to make the patient, the attendants, and externals cooperate.
 
 全体を読むと、この警句が言いたいことは「人生は短いんだから自分の技を急いで磨け」というのもさることながら、「自分ひとりで出来ることには限りがあるから患者、医療チームとよく協調し外的環境を利用して最善の判断を下せ」というふうに思える。

忘れられない一言 13(aka ハンムラビ法典)

 医学の祖といえばアポロ、アスクレピウス、ヒポクラテスあたりを思い浮かべる人が多いだろう。しかしこの本は最初に釈尊とハンムラビ王の言葉を載せている。釈尊は「病気のないことが第一の恵みである」と言ったそうだ。そしてハンムラビ法典にはこう書いてある;

 If a physician make a large incision with an operating knife and cure it, or if he opens a tumor (over the eye) with an operating knife, and saves the eye, he shall receive ten shekels in money. ... If a physician heals a broken bone or diseased soft part of a man, the patient shall pay the physician five shekels in money. ... If a physician makes a large incision with an operating knife, and kills him, or opens a tumor with an operating knife, and cuts out the eye, his hands shall be cut off...

 「目には目を、歯には歯を」のハンムラビ法典だからこれくらい書いてあってもおかしくはない。しかしこのハンムラビの言葉も、要は"First Do No Harm"と言っているわけだ。患者に命を託される聖職者であり特権職である以上、腕を切られようが切られまいが知識と経験を磨かなければならない。

10/30/2014

忘れられない一言 12

 「先生、私の名前わかります?

 ふと視線を上げると(断っておくが、今日は寝ていない)、看護師さんが名札を手で隠して人懐こい視線で私を見下ろしている。

 もちろん知っている。

 「なになにさんでしょう?」

 でも少しあせった。というのもICUの看護師さん全員の名前を知っているわけではないからだ。名前を覚えることの重要性はいうまでもない。D・カーネギーの『人を動かす(原題:How to Win Friends and Influence People)』でも第2章の第4節で「名前を覚える」と触れられている。

 電子カルテになって医局で遠隔オーダーなどすれば、もはや誰がいつその指示を受けているかわかったものではない。やはり「なになにさん、これお願いします」と直接その人の名前を呼んで一緒に仕事をするやりがいを忘れたくない。

忘れられない一言 11

 New England Journal of Medicineが酸塩基平衡と電解質異常の特集を組んだ。レビューも詳細だし、ここに訳したいくらいだ。ケースは難解かつインタラクティブで結構なことだ。ケースをICUのローテーターと一緒に解いてもいいかもしれない。しかしケースはともかくレビューを訳すのは労力の割に合わないし、酸塩基平衡と電解質異常について自分なりに何かここに書こうかとも思ったが、すでに良書秀書が山積しているのでやる気がいまひとつ出ない。

 そんななか、医局の本棚を見やるとRichard Colgan先生が書いた"Advice to the Young Physician(on the Art of Medicine)"が目にとまった。医学教育においてアートの重要性が取り上げられて久しいが、やはりサイエンス先行(医学発展のためにそれが必須なのはもちろんだが)、あとはシミュレーションで、アートを主唱する人は少ない。さらに、アートが大事という人が言うこともやってることも今ひとつ腑に落ちない。それでこの本を買ったのだった。

 第一章では著者が自信の半生を振り返りこれから書く内容について述べているのだが、最後の段落、とくにそこでの引用句(下線部)が心に引っかかった。

 Let me close by repeating my initial reflection - I am not a complete physician. I continuously strive to be a better physician and a better healer by learning from my colleagues, as well as from my patients. I share with you what I believe to be compilations of some of the greatest medical teachers, those who I consider to have exceptional words of wisdom to pass along to all of us. I have much to learn. So do you. But that should not stop us. In the words of English poet and playwright Robert Browning (1812-1889), as he wrote of the poet and scholar Abraham ibn Esra (1092-1167) in the poem Rabbi Ben Ezra, I confess to you, "That which I have strived to be, and am not, comforts me."

 「自分がなろうと努力している、でもまだなっていないもの、それは私を落ち着かせる」とでも訳そうか。Comfortだから快適にする、でもいいだろう。自分も他人も完成品ではない。向上は生涯つづく努力なのだから、燃え尽きないように快適なゾーンでやることが大切だ。

 この本はこのあと、古今東西の名医・名教師を紹介してから、コミュニケーションなど実践的なアドバイスに及び、さらにはprivate practice時代に経験した智恵(医療訴訟の対応などもふくめ)を余すところなく教えて最後にhealerとは何かをつづり締めくくる。和訳されていなかったら、この本こそその価値があると思うが、まあそれはさておきまず自分で読んでみよう。