1/08/2020

遺伝情報と権利と利害

 英エコノミスト誌に、遺伝情報の開示をめぐっての英独二カ国の訴訟に関する記事が載った(2019年9月28日号)。いずれもハンチントン病(HD)に関するもので、被告は医師または病院だ。

 英国のケースは、未成年女性が、父親をHDと診断した病院を訴えた。当時彼女は妊娠していたが、病気のことは産んだあとに知らされたため、「知る権利」を侵害されたという主張だ。父親を診断した医師は知らせるよう説得したが、父親は彼女が中絶するにちがいないとして断わった(父親は母親を射殺した罪で服役しており、娘とは疎遠だったようだ)。

 ドイツのケースはその逆で、元夫がHDと知らされた元妻が、「知らされない権利」を侵害されたとして(元夫を診療していた)医師を訴えた。医師は(子供のことを心配する)元夫の同意を得て知らせたが、子供はまだ未成年で検査もできないし、元妻はどうしてよいか分からず、反応性うつ病になってしまった。

 これについて、どう考えたらいいのだろうか?まず、わが国の『神経疾患の遺伝子診断ガイドライン』を見てみよう。そこでは、温かみのある「配慮」が書かれている。

  • ハンチントン病の遺伝子診断の施行にあたっては、当該患者の診断と同時にその血縁者の診断にもつながるという遺伝学的特性についての配慮が事前に必要である。
  • 遺伝子診断を行った結果、初めて、当該患者の診断のみならず同時に家族の診断につながるという遺伝学的問題が出現するわけではなく、ハンチントン病を疑った時点から遺伝的な問題についての配慮が必要となる。すなわち、遺伝学的問題も含めて患者および家族に説明し理解が得られるような配慮である。

 もっともだが、こうした配慮が「言うは易く行うは難し」なことも多いだろう。上記訴訟をみても分かるように、家族関係はgoodなときもあれば、badやuglyなときもあるのだ(写真は1966年映画"The good, the bad and the ugly"のクリント・イーストウッド)。




 また、たとえ配慮が実践できたとしても、問題がのこる。「知らせる権利」「知らせない権利」「知る権利」「知らずにいる権利」はどれも大切で、権利Aが権利B・C・D・・に勝る(倫理の世界では「権利Aが他をtrumpする」というようだ)というものではない。

 倫理学者にとっては格好の研究テーマだろうが、現場では権利のかわりに利害(interest)に照らして優先すべきことを決めることが多いようだ(European Journal of Human Genetics  2009 17 711)。

 それで、裁判はどうなったか?

 英国のケースは当初、裁判所が、医師の守秘義務に抵触するとして法廷での審理を受け付けなかった。しかし医師団体であるGeneral Medical Councilが「開示しないことで死や重篤な健康被害がもたらされる」場合は例外的に守秘義務を越権できると判断し、今年11月にロンドン高裁で審理が始まった。

 いっぽうドイツのケースは、一審が原告の訴えを退けたが、二審で覆り、連邦裁判所がふたたび退けて結審している。