3/05/2020

忘れられない一言 64

 BPPV(良性頭位発作性めまい)の治療、エプリー法(Epley  maneuver)。めまい患者の頭を動かす荒療治なので敬遠されることもあるが、効果はてきめんで、患者に感謝されるし、自分の手で治した実感も得られる。

 こんな治療を初めて考えて実践したのはどんな人だろう、きっと種痘をおこなったジェンナーくらい大変だったのではないか?と思ったら、本当にとても大変だった。その人とは、もちろんJohn Epley先生(1930-2019)だ。


 エプリー先生は耳鼻科医だがとくに耳が専門で(音楽好きだったようだ)、生まれ育ったオレゴンで1965年にクリニックを開業していた。そして、それまで内耳神経切断くらいしか治療のなかったBPPVの治療を自力で研究しつづけた。

 そして、三半規管モデルのチューブに耳石モデルのBB弾をつめて試行錯誤を繰り返し、患者に実践したところ、めまいが消失した。まぐれかと思って他の多数の患者に試したところ、何十年もBPPVに苦しんだ患者も含めて症状が消失した。

 そこでエプリー先生は、1980年にカリフォルニア州アナハイムの学会でこの「リポジショニング」を発表し、患者を連れてきて手技を実演までした。しかし、ペテン師だとおもわれ、嘲笑と怒りしか得られなかった。

 開業クリニックには患者を紹介されなくなり、ある病院では麻酔中の患者に勝手に手技をおこなったせいで別の医師から譴責された(患者のめまいは消失した)。1983年に論文を提出したが、各誌にリジェクトされた。

 それでも彼はめげずに、寸暇を惜しんで研究の実証に尽力した。1992年には初めて論文がアクセプトされた(Otolaryngol Head Neck Surg 1992 107 399、もちろん単独著者だ)が、いぜん周囲は懐疑的で、1996年には正式に州の医師免許剥奪を求めて訴えられた。

 しかし1999年には、New England Journal of MedicineにBPPV治療の第一選択として「エプリーによる方法」が挙げられ(NEJM 1999 341 1590)、以後「エプリー法」として世界中で用いられるようになった。訴えも、2001年に棄却された。


 ジェンナーが種痘をおこなったのは200年以上前のことだが、こちらは同時代といってよいほど最近のこと。エプリー先生と共に研究したドミニク・ヒューズは存命中で、ウェブサイトまである(最初の研究経験は、どういうわけか上智大学らしい)。

 どうしていまだにこんなことが起こるのか?それについて、エプリー先生は生前のインタビューでこのように答えている。脳梗塞後遺症の末に昨年亡くなった先生、感謝とともにご冥福をお祈り申し上げる。


"Physicians learn to just do the routine, to do the accepted things -- don’t go too far out. They’ve got so much to lose if they stick their neck out."
(医師は、現状の治療を繰り返し行うことしか教わらず、そこから先へはほとんど出ない。リスクを冒すには、失うものが多すぎるからだ。)