9/12/2016

Eyes Wide Shut

 アイズ・ワイド・シャットはスタンリー・キューブリック監督の遺作だ(トムクルーズがマスクをかぶる、写真)。オーストリアのArthur Schnitzlerが書いた心理小説『夢小説(Traumnovelle)』を基にしているそうだが、映画タイトルはおそらく監督が考えた、「大きく閉じた眼」という矛盾した言葉だ。私はこの言葉の意味がずっとわからなかったが、そのうち「眼が大きく開いているのに見えていない」と解釈するようになった。

 私の師匠が医学生のころ、病院にオスラー卿の流れを汲むEugene A. Stead先生が教えに来た。ステッド先生はオスレリアンの流れを汲む最後の名医・名教育者といわれている(Lancet 2015 385 1720)から、当時病棟を担当した研修医たちが自信を持って「おもしろい」と思う症例をもってきた。珍しい病気や、珍しい発症の病気などだ。

 しかしステッド先生は「ふむ、たしかに面白いだろうが他の症例にしよう」といい続けた。出尽くして研修医の先生たちが「もう面白い症例はありません」といったあと、ステッド先生は「ではこの病棟でもっとも面白くない症例のところにいこう」と言った。そうして連れて行ったのはどんな症例か。

 このエピソードは文献にない。サンクスギビングかなにかで私が恩師のおうちに呼ばれたときに聴いた話なので詳細は分からない。ただはっきりしているのは、その患者さんというのがご高齢で認知症があって嚥下が悪く肺炎になって栄養がたりず褥創ができそうで家族がそばにいなくて孤独で、物理的に抑制されていたかは忘れたがとにかく動けなくて昼も夜もなく天井ばかり見ていたような方だということだ。

 ステッド先生はこれらの問題を問題としてきちんと認識して、しかも「重要な」問題として認識して、ひとつひとつ丁寧にレクチャや議論をしたそうだ。思えばこの患者さんには私達が医療者として人に関われることのほとんどすべてがある。この患者さんをみるのに必要なのは難しい知識や手術技能ではなく、問題を見抜き問題点として挙げる力だ。そしてこれが「見えているのに見えていない」のが、私にとってのアイズワイドシャット。

 このエピソードは、彼が「臨床医に必要なことは多くが医学部・大学以外で習得できる」と考えていたことと符合する。彼はその考えから、医学部を出なくても医師の責任下に臨床診療ができるphysician assistantを創設した。