今年のノーベル平和賞は10月7日に発表される。テロばかりだったけど、ひそかに困った隣人を助けようと勇気を持って行動をしている人が世界にはたくさんいて、そこから選ばれるのかなと思う。私が選ぶとしたら、コロンビアの52年にわたる内戦を終結させようとしているJuan Manuel Santos大統領と左翼ゲリラFARC側のトップRodrigo Londoñoだろう。和解協定は調印済みで、10月2日の国民投票にかけられる。ここで可決すれば、南米のことはあまり報道しない日本など他の国でも祝われて、受賞の可能性が上がるかもしれない。
南北戦争も朝鮮戦争もそうだが、家族や同胞が裏切り殺しあう内戦は恐ろしくて、終った後の傷が大きすぎる。コロンビアは25万人の死者をだしたから、懲りてお互いに和解しようと思ったのかもしれない。ゲリラ側も政府側も人道の罪を自白した者は限定的な行動制限とコミュニティー・サービスを行えば投獄されないという措置的正義は、苦いとおもうけど飲んでほしい。日本としては、コロンビアの再建にはすごいお金がかかるから(石油と天然ガスの宝庫であり、甘みが強くて美味しいコロンビアコーヒーもとれるから)ここは気前よく円借款を貸してあげたらいいと思う。
さて和解の握手はshake handsで握った手を振るわけだが、手をつなぐのはhold one's hand、手を抱くということか。そう考えると乗り物のカップホルダーもカギにつけるキーホルダーもカップとカギを抱いている。日本語の「つなぐ」は「つな(綱)」に由来するのだとか。韓国語では손을 잡다(ソヌルチャプタ、手をつかむ)という。手をつないで気持ちを伝えられるのは基本人間だけで、動物にもロボットにもできない(犬とかイルカも手や手びれを使えるが厳密にはつないでない)。
つないだ手の先には「あのとき手をつないでくれて心強かった」と言ってくれる患者さんがいるかもしれない。そのひとは裸同然で寒い手術室に寝て荒野に置き去りにされたように感じているかもしれない。顔に覆いがかかったり、場合によっては眼が見えなかったりして手技で身体に侵襲がくわわるたび怖がっているかもしれない。そんなとき、声をかけるよりも手をつないであげることがずっと安心を届けられるかもしれない。こんな、子供を持つ人や看護師さんなら常識なことを医学部では教わらないけど、相手を思いやる気持ちがあればきっと分かるようになるんだと思う。