3/04/2011

Hyderabad

 久々にインド人医師と一緒に働くことになった。彼女はインド南東部Andhra Pradesh州の出身で、いままで私が知りあったインド西部の人達とくらべて違いを感じる。なんというか、謙遜の美徳を身につけていてインドらしくない。
 そもそもインド南東部は17世紀にMughal帝国(スンニ派)のAurangzeb帝に滅ぼされるまでQutb Shahi朝(シーア派)が建つ別の国だったし、言語も土着のTeluguだ。建築技術に優れた民族だったらしく、いまでも州都Hyderabadにはたくさんの壮麗な宮殿・寺院が残っているらしい。
 なおAurangzeb帝は遠征を重ね戦費がかさんだうえ、異教徒に対し厳しい弾圧をおこなったためヒンドゥ教徒の反乱を招き、Maratha confederaryがインド亜大陸の大半を実効支配する(Delhiも陥落)。さらにペルシアの侵攻(Nader Shah)、アフガニスタンの侵攻(Ahmad Shah Durrani)でMughal帝国は有名無実化する。
 それでインドの覇権争いはアフガニスタン(Pashtun人)とMarathaの間で行われ、最大の戦いは1761年のthird battle of Panipatだ。Panipatはデリーの少し北方で、Haryana州にある。しかしこれで双方とも甚大な被害と戦死者をだして弱体化し、結局漁夫の利のように程なくどちらも英国に支配されてしまう。