4/17/2011

Culture and medicine

 米国内科学会誌"Annal of Internal Medicine"は、当たり前のことをスタディで示したり診療ガイドラインを紹介したりで、私は馬鹿にしている。しかしまあACP(米国内科学会)に属しているし、毎週律儀に送ってくるようになったので、最近は目を通すことにしている。PICOに取り組んだおかげでエビデンスの質を検討することが今までより容易になったというのもある。
 さてこないだ"Systematic Review: The effect on Surrogates of Making Treatment Decisions for Others"なる論文があり、「家族が患者さんの為に意思決定すると、その家族は心理的に疲れる」という結論で「そりゃそうだよね」と(そんな結論の為にわざわざメタアナリシスした著者になかば呆れながら)思ったが、興味深かったのは40ある論文のうち家族が疲れるという結論に至らなかったものが3つあったという箇所だ。
 その一つが、"Decision Making at end of life among Japanese American Families"(2007年)だった。Annalsによれば、この論文では家族のために終末期医療の決断をした16人の日系アメリカ人は、"(they) found that making the decisions was very difficult; however, the surrogates did not report emotional burden."という。「難しかったとは言うが、精神的負担は訴えなかった」というこの報告は日本文化を考える上で非常に興味深かった。終末期医療の議論に、いや医療そのものに文化がいかに関わっているかを示す良い例と思う。