私は医学部5年生のときに三つの誓願を立てた。①日記を書くこと、②英語が出来るようになること、③水泳が出来るようになることだ。①については、臨床実習を前にして医者と言うのはどうやら「カルテ」という七面倒くさいものを患者さん全員について毎日書かねばならないらしいとわかり、自分の日記もかけない人が他人の日記を書けるだろうかと心配になって始めた。最初は自分のために書いていたが、だんだん友人などにも見せられるものになり、それがいま毎日300人近くが見て下さるこのブログにつながっている。
②については、5年生の夏にスイスのベルン大学病院(Inselspital)で臨床留学することが決まっていたが、私は中学高校時代に交換留学したこともなかったしこれが初めての海外生活になるので、英語ができないと話にならないと思ったからだ(スイスなのでフランス語選択の私がドイツ語も勉強したが…もう忘れてしまった;代わりに今は韓国語ができるからまあいいか)。それに当時から米国で医者をしたいと思っていたというのもある。それで大学から近くにあるSakura Toastmasters Club(いまもある)に通ったり、英語会をつくったり、英検の勉強をしたりした。それで翌年夏はNorthwestern大学に留学できたし、研修医のあいだも米国人医師の教育回診でプレゼンでき、そのあとなんだかんだあって5年間米国で医者をすることができた。
③については、スイスの留学先がなぜか形成外科で(要は行ければどこでもよかったのである)、体力がないと手術中に倒れると思ったからである。といっても汗と痛みと土と葉っぱが嫌いな私に(いまはそれほどでもないが)できる運動といえば水泳しかなく、うちの大学の水泳部は毎日早朝から「乳酸トレーニング」とかなんとか人間としての限界に挑戦するような練習を繰り返すスパルタなところだったので入ることもできず、その水泳部の部長がたまたま高校の後輩(私は一浪している)で友達だったので個人レッスンしてもらったのである。
これが何につながったかと言われると、ちょっと一言では言えないのであるが、まあいろんな所で泳いだ。東京のプールはどこも混んでおり、クルマで渋滞した道路みたいになっている。あたかもNew YorkのCentral Parkにあるランニングコースのようだ。ソウルにあるオリンピックプールもやっぱり混んでいた。しかし韓国の学校にはプールがない。これは韓国が夏にもそれほど気温が上がらず水温が保てないためと言われているが、それもさることながら韓国で学校を作る時にまだ国が豊かでなかったのでプールまで作る余裕がなかったためと思われる。昨年の세월(セウォル、世越)号事故でももし学生達が泳げたらと思うと残念だ。
プールがないといえば、おそらく同様の理由で沖縄の学校にもプールがない(ところが多かった…いまは違うかもしれない)。というか沖縄の人たちにとって海と言うのは浜辺でバーベキューするところであって泳ぐところではない。泳ぐのは観光客だ。しかし那覇にも県営の屋外50mプールというのはあって、これはなかなか…水温が高い。お風呂みたいだ。しかしプールには「低体温症に注意」と書かれている。なぜかというと4月から10月まで営業しているので、気温が低い時期には水温が低くて低体温症になる恐れがあるからだ。あとGulfというジムがあって、そこのプールで休職中よく泳いで精神衛生を保ったのも今となっては思い出だ。
米国の屋外プールは、プールサイドが芝生だ(写真)。それでそこにバスタオルを敷いてみんな昼寝したり読書したりしている。屋内プールも行ったが、Northwestern大学の学生寮にあるプールは古い代わりにロココ調の装飾で、プールサイドのタイルもアーティスティックだった。しかし長さがフィートで表示されていたのでどれだけ泳いだのかよくわからなかった。装飾的なプールといえば思い出すのが、チェコのミラン・クンデラが書いた名著『存在の耐えられない軽さ』の映画化作品の最初にジュリエット・ビノシュがチェコの装飾的なプールを平泳ぎするシーンだ。
ヨーロッパではプールには行かなかった(パリに住んでいた子供の頃は別にして)が、温泉には行ってophrologist(お風呂ロジスト)になった。ハンガリー、オーストリア、ドイツなどでクアハウスにいった。プールには行かなかったが、スイス留学時代には川や湖で泳いだ。ベルンにはAare川というのが流れていて、上流から流されるように泳ぎ、100mごとについた梯子につかまって上がってきてまた上流に向け歩く、というのを毎日実習が終るたびに繰り返していた。Titlis氷河の水がたまった標高の高い湖はめちゃめちゃ水が冷たかったし、レマン湖をローザンヌから船で渡った向こう側のフランス・エヴィアン(あのエヴィアンである)で泳いだレマン湖の水は澄んでいた。
他にも水不足になりやすいので水深がめちゃくちゃ低い福岡のプールとか、照明がくらい札幌のプール(というか一般に札幌の街は街灯がまばらでオレンジ色で夜が暗い…犯罪が起こらないか心配だ)とか、医師国家試験の合格を受けて頭を冷やしに泳いだ飯塚のプールとか、実家の近くに何十年も変わらずあるプールとか、いろいろ思い出深いものがある。しかしまあ、なんだかんだいって泳ぐという誓願が腎臓内科という水を扱う科を選んだ遠因になっているのだとしたら、ちょっとおそろしい。まあそれは流石にあとづけだろう…。