5/27/2015

忘れられない一言 31

 私は大人になったら(研修を卒業したら)アカデミックな教育病院で腎臓内科も総合内科もやりたいと思っていた。そして、できれば医学教育の中でも臨床教育を(米国レジデント以上のレベル対象に)やりたいと思っていた。それには、日本で初期研修していた時に腎臓内科経験のあるすごい米国総合内科医に拾ってもらい、そのあと総合内科経験のあるすごい腎臓内科医に拾ってもらい、米国で総合内科レジデンシーをした時に最も「この人すごい」と思った先生が腎臓内科(と内分泌のダブルボード)医で、腎臓内科フェローシップをやったところで腎臓内科スタッフ全員が総合内科のteachingを兼任しており、なかでも公私共に相談に乗ってくれた移植腎臓内科兼腎臓内科の恩師が"We are general internists who happen to be nephrologists, right?(僕達は総合内科医で、たまたま腎臓内科医でもあるんだよね?)"と言っていたことなどが影響していると思う。

 いま、それができていて幸せだ。こんなことを書くのは、いま私が米国の病院から「空きが出来たのだが二年目腎臓内科フェローとして働くことに興味はあるか?」と誘われているからだ。私は2 year rule(研修が終ったら2年間は本国に帰らなければならないという決まり;あれから二年になるのか…長かったな…)が今年切れるので、米国に帰ろうと思えば帰る先さえあれば帰れる。米国で受けられるシャワーのような教育(浴びるように知識を得て経験を積むことが出来るという意味)、米国時代にしていたアカデミックな活動を再開できるかもしれないこと、昔の同僚や友達にまた会えること、米国で英語で気楽に生活するということ、契約は一年でも米国というところは本当に残りたければなんだかんだいっても残れてしまう不思議な場所だということ、などいろいろ考えることはある。

 そこで言う、いまの働き方ができて幸せだと。一年間エクストラでフェローをするのは決して悪い考えではないが、これからはスタッフとしてスタッフなりに成長していきたいと思っている。最終的に日本の普通のお医者さんになることはできなくても、患者さんを助け周囲の医師と医療職の学びに貢献できればそれでいい。米国が滅亡することは、まあないだろう。日々できることを持続可能な方法でやって、また似たような機会がきても(こなくても)、その時の状況で考えればいいことだ。怖がらなくていい、信じていればいい、誰とも違う自分になれる(平原綾香『翼』より改変)。