溶連菌感染後の糸球体腎炎の機序についてComprehensive Clinical Nephrologyで学んでいたら、Clemens Von Pirquet先生のことを知り、彼の業績を讃えつつこの病態の最新理解をまとめたレビューを孫引きして読んだ(KI 2007 71 1094)。日本で主に信じられているGDAPH(メザンジウム細胞や基底膜について炎症を惹起する?ただし病変部分に見られないこともある)、欧州で信じられているzSpeB/SpeB(抗zSpeB/SpeB抗体を惹起する、ただし抗体だけあって発症しない例も多い)の話もさることながら、私にはClemens Von Pirquet先生のことが印象に残った。
Clemens Von Pirquet先生はVienna近郊で生まれ、Innsbruck大学で神学、Leuven大学で哲学をまなんでからGraz大学で医師になった経歴の持ち主だ。医師になって3年目、29才だったClemensは、臨床医として溶連菌後の患者さんを診た経験だけを元に完全な推測で「これは抗体の仕業だ」と思いつき、思いつくだけでなく、それに余りにも確信があったので、この考えを当時の小児科学会に手紙で送った。それも、「この手紙は学会のセッションで、私がいる前に初めて空けてください」という封をして。これは、手紙を受け取った学会関係者が事前に読むと、その考えを盗まれてしまうと恐れたということだ。
学会で一レジデントの新しい意見を発表すれば、年上の先生方に笑われるだろう恐れもあっただろうが、それを上回る確信があったのだろう。こういう「誰がどう思おうと関係ない!」といえるだけの確信が持てる、注意深い観察と推論能力をもちたい。実際に彼の考えは正しかったし、100年経ったKIの論文でも「ゲーテは『最初のボタンを掛け違えるとシャツが着れない』と言ったが(こういう引用が私は好きだ)、Clemensが正しく最初のボタンを掛けてくれたから今の病態理解がある」と締めていた。