3/04/2013

Medicare 101

 1963年、JFK暗殺後に大統領を引き継いだLBJ(Lyndon B. Johnson)。彼のリーダーシップと民主党支配の議会によって「偉大な社会(Great Society)」構想が具現化した。そのなかで、貧困との戦い、公教育の充実、公民権の拡大などの各政策と並び1965年に施行されたのがMedicareだ。

 65歳以上のアメリカ人の半数に医療保険がなかった当時、これにより高齢者が安心して医療を受けられる「偉大な社会」が到来するかと思われた。しかし、5年もするとお金がなくなった。どうやりくりするか、ここから40年以上にわたり苦闘が続く。こないだレクチャで、Medicareがいかに医療を動かしてきたかをおさらいした。

 Medicareは拡大した。1972年に40歳以上で疾患のある人、透析を受けている人などが含まれた。1997年にはPart C(私的保険との混合)、2006年にはPart D(薬の保険)ができた。どんどん拡大して、高齢化と疾病構造の変化もあり、1970年には70億ドルのMedicareは2015年には8000億ドルに達する見通しだ。

 支出を抑えるため、DRGができた。これは1981年にYale大学で考案され、New Jersey州の病院で試したら見事に病院が倒産したので、これはよいと1983年に全国でいっせいに始まった。DRG下で生き残るために、医療界に二つの新しい職種が生まれた。一つはcoder、もうひとつはhospitalistだ。

 カルテにDRGコードに適合した重症度と診断名をつけないと、日々医療費が失われる。それで、どの病院でも毎日全てのカルテをチェックする専門の職種Coderが必要になった。もはや一介の医者ではこのコードを全て把握するのは無理なのだ…(私もレジデント時代、よくcoderから診断名を直されたものだ)。

 DRGは診断ごとに医療費が決まり(少しは重症度と日数も加味されるが)、入院日数を短縮してベッドの回転率を上げないと病院がつぶれる。朝に入院患者を回診して午後は外来という既存の診療モデルでは、その日の午後に退院できる患者さんが翌日まで待たねばならない。それで、24時間病棟にいるhospitalist(シフト勤務なのでずっと同じ医師ではないが)が現れた。

 実際、ホスピタリストに任せたほうが入院日数は短縮される(JGIM 1998 13 774)。ずっと病棟にいるのだから、ケアも手厚い(はず)。2010年現在、アメリカで3万人のホスピタリストが働いている。しかし、これで話は終わらない。医療費を削減する様々な試みと、医療者側の対応は後半に続く。