8/21/2019

6年ぶりの再会

 6年前、カッコいいが悲しい文章に出会った。タイトルを"Indian Summer(小春日和)"という(Ann Int Med 2013 158 355、DOI:10.7326/0003-4819-158-5-201303050-00012)、例のOn Being a Doctorからだ。話は、Ohioで開業するprimary care physicianの著者が、医学部(大学院)進学コースの学部生達に講演を頼まれクルマで向かうところから始まる。

 「総合内科医とは?」「トレーニングはどんなものか?」「今の仕事はどんなものか?」という講演内容リクエストの準備をしながら、彼女には数週間前にあったadministratorsとの会談が頭を離れない。そこで医師たちは「外来の新患診察時間を一人あたり20分にしてください」と告げられたのだ。

 日本では驚くことでもないだろうが、米国では伝統的に新患なら60分、問診と診察をじっくりする。彼女達にとっては医療と教育の質に関わる提案だ。しかし経営努力のため避けられない。やめようかとも思ったが、他に行っても経営難なのは同じだ…。

 駐車場につくとラジオからAmericaの"A Horse With No Name"(1972年)が流れ、雨は去り、砂漠は海になり、乗っていた名前のない馬を手放す…、と歌う。何かを解き放つように目を閉じ、彼女はクルマの中でしばらく待った。そして講堂にいくと、希望と不安に満ちた医学部志望の学生達…どれも20才だった頃の自分だ。

 そんな彼らを前にいまの状況を伝えるなんて、著者にはできなかった。用意したメモをしまい、「お金じゃない、恵まれず貧しい人達を癒せ、患者さんに真の敬意を持って接しろ」と訴えた。症例を挙げて、研修医達の思考過程をいかに鍛えるか紹介した。「シャーロックホームズね」というと彼らは笑い、彼女も一緒に笑った。

 これが、彼女にできる最後のプロフェッショナリズムだった。講演後に病院で彼女の仕事を見学したいと希望する学生に、「もちろん、でも私のパートナーに付いてもらわなきゃ、私は辞めるから」という言葉が自然に出た。彼女には、愛するprofessionの尊厳と伝統を保つために残された道は、それしかなかったのだという。


 刹那的でちょっと極端な話ではある。20分といわれても、時間がかかるものはかかるのだから、「そうですか」と答えて自分のペースで診ればいい気もする。外来スケジュールが押すのはどの国でも一緒だ。真面目な人なのかもしれない…と思って、彼女のその後を案じていた。 


 すると、6年後に彼女がまた投稿した(Ann Intern Med 2019 171 295、DOI:10.7326/M18-2911)。


 投稿のタイトルは"A Burnout's Rehab(燃え尽きた者のリハビリ)"だ。燃え尽きたあと彼女は、地元のカレッジでライティングの授業をとったり、子供の送り迎えをしたりといった充電期間を数年過ごした。そして、医師免許を更新しますかという通知が州から届いたのを機に、医師に戻った。

 戻った先は、時間をかけて診察でき、経営的な突き上げの少ない、教会の地下で行う無料クリニックだった。そこで人の力になったり話を聞いたりして(要するに医師の仕事をして)エネルギーをもらい、いまでもそこで診療して絆を築いているようだ。


 とにかく、元気そうでよかった。まあ人生、生きてりゃ、どうにかなるものだから(写真は、1995年のMy Little Loverによる"hello, again ~昔からある場所~"より)。