人工知能の発達により仕事がなくなるという心配は、産業革命のときなどと同質だがより影響が深く広いかもしれない。インスタグラムがフェイスブックに10億ドルで買収されたとき同社に従業員は14人しかいなかったのに、同時期に14万5000人の従業員をかかえたKodak社が倒産した(どちらも写真をあつかうというだけで因果関係はないようだが)。
それに備えてuniversal basic income(一定額の収入を全員にあたえる一種の社会保障)が本気で議論されて、スイスでは国民投票になった。産業革命時のThomas PaineやJohn Stewart Millの思想をもとにしているが、働く意欲をなくすのと逆進的だということで圧倒的多数で否決された。それでも、フィンランドやオランダで真剣に検討されている。
人工知能じたいが映画のように人間に立ち向かうことは考えにくいにしても、人が悪用することは十分にあり、悪用された人工知能は核兵器より恐ろしいとも言われる。たとえばロシアは警察が顔認識システムFaceFinderをつかい、中国はソーシャルネットワーキングサイトを検閲して反乱分子をみつけている。さらに軍事利用までされたら大変だ。
人工知能が取って代わりやすい仕事はルーチンで思考をあまり要しないもの(たとえばテレホンアポインターなど;実際に自動音声案内がすでに使われている)とされるが、Alpha Goで有名なディープラーニングによって他の仕事も危うくなってきた。医療は比較的守られていると思っていたが、たとえば放射線画像の読影システムEnliticなどが開発されている。内科でも、症例をたくさん覚えさせたら人間よりよい鑑別診断を挙げてくれるかもしれない。
物理学者Stephen Hawkingも人工知能を公に心配しているらしいし、元英国王立協会会長のReeds卿も人工知能が安全で有益であることを保証するよう求める公開書簡を書いている。だからというわけでもないが、私も人工知能の爆発的な発達(intelligence explosionという)をどう受け止めるか考えている。
人工知能を活用できればそれに越したことはないが、私は人工知能と対になる集合知能(collective intelligence)が重要だと思っている。この言葉じたいは経営用語として日本で生まれたそうだが、要は人々が知識と知恵を共有するということだ。それでこのサイトがあり、また知識や経験をすすんで吸収する姿勢をもってどんな人々からもいろいろ学習し続けたいと思っている(他のブログもよく読むし)。
しかし人間は完璧じゃないから(このサイトだってそうだから免責している)、脳が集まりお互いに指摘しあって協力しあうことも大事だと信じている。Google社で研究するJulia RosovskyらがおこなったProject Aristotleは人と人が協働するときにプロダクティビティを最適化するにはどうしたらいいかを調べたものだが、それによればメンバーの能力にかかわらず、以下の三点があるグループがもっともプロダクティビティが高かった。すなわち①メンバーが均一に参加している、②お互いを配慮する力が高い、そして③女性が多い(!)という点だ。
もう一つ人工知能にできないのが、心であり愛を注ぐことだと思っている。患者さんの痛みをとるのは痛み止めだけではない。共感することであり、理解しようとすることであり、そばにいることであり、眼差しであり、笑顔であり、手をかざすことであり、言葉をかけることである(本当にそれで痛みが消えることはある)。人倫として当たり前かもしれないが、医療従事者にとってこれからその重要性はいよいよ増すかもしれない。