8/12/2009

dictation

 Doctor's officeでの外来診療は、たいていカルテを書かずにみなディクテートする。私も今日からディクテーションをしはじめた。最初はとまどったが、慣れてくるとこんなに簡便で時間を節約してくれるものはない、と思う。書くより話すほうが圧倒的に速い。それに時間に追われて書いたカルテより、タイプしてあるほうが後から読みやすい。
 日本で導入したらどうなるだろう、と想像する。日本語だと口語と文語の違いが大きく、書き言葉でディクテートするのは難しいだろうか。でも慣れればできるんじゃないかとも思う。ディクテーションを文字に打ちなおす人を雇うお金などある訳ないけれど。でも、カルテを書く時間、そして診療情報提供書などの書類をかく時間は馬鹿にならないので、導入されれば効率的だろう。
 医師以外でディクテーションする職業ってあるだろうか。小説家や、ものを書く人にとって、ディクテーションはどうだろう。手が不自由でもない限り、口述筆記してもらっているwriter(書いてるわけじゃないからwriterというのも変だが)は見たことがないが。アイデアがひらめくたびテープレコーダーや携帯電話ごしにディクテートするなんて、ちょっと面白そうだ。

8/08/2009

プログラム選び

 腎臓内科のフェローシップについて調べた。腎臓内科は昨年からNRMPのマッチングに参加したが、昨年のデータをざっと見てみると総プログラム数は約120、総ポジションは約200-300あった。このなかにはclinical fellowshipだけでなくresearch fellowshipの定員も含まれている。かなりcompetitiveな予感がする。レジデンシーと同じで米国北東部にプログラムが集中しているが、プログラムについてもう少しresearchして、希望先を決めたい。

8/07/2009

rheumatology

 リウマチ内科(rheumatology)がはじまった。朝病院でmorning reportに参加したあとは、白衣と聴診器を助手席に放り込んでクルマで郊外のオフィスまで行く。リウマチ(rheumatoid arthritis)の患者さんが多いが、もはや治療の中心はステロイドからDMARDsに移っているようだった。MTX、leflunomideなどの合成DMARDsにetanercept、infliximab、adalismabなどの生物学的製剤を組み合わるレジメンを良くみる。患者さんの治療効果にたいする満足度も高く、隔世の感がある。診断・治療手段は今なお日進月歩なようで、興味深い領域と感じる。他の疾患も徐々にmanageableになってきているようだ。とはいえ、まだまだ治療法が確立していない疾患も多いが。

8/06/2009

Munchausen

 先月は何百という症例を二週間で経験するという貴重な機会だった。いずれもカバーで、自分が受け持った症例とはいえない(だから症例発表などはおそらくできない)が。どれも興味深い症例だったが、もっとも興味深い症例はこんなのだった。
 患者さんは喀血を訴えて来院した男性で、以前肺の手術をしたことがある。それで気管支鏡で気管や気管支に異常がないか調べたが異状はない。肺のCTにも何も影はうつらない。それでも喀血は続き、貧血も進行する。血管造影という特別な検査までした。造影剤で肺に向かう血管を浮かび上がらせ、出血があれば造影剤がそこから漏れるのが見えるはずなのだが、出血所見はみられない。胃カメラもしたけれど食道と胃はなんともない。
 原因がわからず患者、医師ともに不満がつのる。患者さんは肺が痛いと麻薬鎮痛剤を頻回に要求する。ところがこの人は血管が細く点滴がなかなか入らず、採血もままならない。それでPICCライン(ひじ裏の静脈から心臓の近くまで挿入する長いカテーテル)が留置されていた。このライン、採血に便利なのはよいが感染の危険があり、そのうち細菌が血流にまわって高い熱をだしてしまった。血圧も不安定になり、ICUに転床した。
 そこで驚くべきことが判明した。ICUは重症患者が入るわけで、看護師さんの観察もより厳重だ。なんとこの患者さん、自分でPICCラインから採血して、口に入れて吐き出していたのだ!なぜそんなことを…おそらく麻薬鎮痛剤に依存しており、薬ほしさにやったのであろう。これを疾病利得という。いずれにしても血液の感染症があるのでMICUから一般病棟に移った今も治療は続いているが、やれやれである。この話はしばらく病院でも話題になったが、数年に一度くらいはこの手の患者さんが来院するそうだ。

morning report

 今月からmorning reportがはじまった。症例について議論するのだが、毎日積極的に発言するように努めている。気をつけているのは、「だから何なの?」という発言をしないようにすることだ。「だからAをしたほうがよい」とか、「私ならこうする、なぜならばBだからだ」というようにプランが付いている方が実践的だ。自分なりのアセスメントとプランを立てる力をつけるためにも、この姿勢は続けていきたい。
 症例は多彩で、いつでも学ぶべきことがある。それらを蓄積すると「こんなに学んだ」という自信がじわじわ湧いてくるはずだ。できるだけ簡単に記録する方法を考えたい。たとえばメモ帳に書き溜めていくとか、カードに書いていくとか。電子的だとシステムごとに分類するなど便利な点も多い。自分の血となり肉とするのに工夫が必要だ。

8/03/2009

Evaluations

 Biannual evaluation(program directorとの面接による年二回の総合評価)があったのを機に、これまでの自分に対する評価を見直した。いままで自分がローテートしたすべてのserviceについて、それぞれの指導医からのevaluationがあり、website上に保管されている。そのページにsign-inすることでいつでも読むことができる。
 多カテゴリーから評価され、knowledgeはその1つでしかない。ほかはcommunication and personal skills、professionalism、clinical judgement、system-based practice(他医療機関、他コメディカル等と連携する能力)、practise-based learning、teaching abilitiesなどである。これらは内科医として生きていくうえで重要な資質ということでAmerican Board of Internal Medicineにより定められたものだ。
 数字による評価もあるが、コメントを付してくださる先生も多い。とてもよいことを書いてくださっているので嬉しくなり全部1つにまとめて印刷した。映画などで「各氏絶賛!」という賞賛コメントをちりばめた広告があるが、それに似たものが出来上がった。「いやいや」といっている場合ではないから、額にいれて飾り、毎日読んでポジティブな気持ちになっている。ただし、英語のほめ言葉にはそれこそ10段階くらいあって、goodだのsatisfactoryだのはレベル1である。Greatだのsuperiorだの書いてあっても、レベル幾つかは分からない。日々向上心を持とう。

気づき

 Fellowshipの応募にむけてpersonal statementを書き始めた。はや第一稿を仕上げて、nativeの先生と推敲作業をしている。一昨年、residencyに応募するときには大変な生みの苦しみ(と焦り)を味わったが、今回は自信を持って書ける。コツをつかんだという確信を持った。コツとはすなわち、自分の生い立ちを自分の将来から見直したときに、それらが強く結びついているように書くということだ。

 これまでの人生、振り返れば無限のことをしている。節目ごとに様々な理由に基づいて決断し道を選んできた。10年先までのプランを持ってその通りに進行してきた人もいるが、自分はそうでもないように感じる。ある時、ある場所にいて、ある人と出会う、それら条件が重なって決まった決断が多い。学問的な理由もあれば、きわめて私的、趣味的な理由もまた自分を動かすのに十分な場合がたびたびある。食事がおいしい、とか。

 Personal statementを書く段になって、過去の自分がしていたことの多くが、これからの自分に直接は結びつかないと感じられる。そして自分の将来もまた、そこまで見通しがよいわけではない。「自分のこれまでの進路は一貫したものだっただろうか?」「これからの進路もまた明瞭な一筋の道だろうか?」と不安を抱き、自信を失いそうになる。ところがpersonal statementは寧ろ逆で、自分のしてきた数え切れない経験の中に、じつは一本に続く道があったことを気づかせてくれる。

 自分の将来したいことから省みて、自分はどんなことをしてきたか。掘り下げる。日記を読んでもいい、昔の記録なら何でも手にとってみたらいい。大したことはしていない、と絶対に卑下しない。人と較べない。しばらくすると、思い出す。それは賞を取ったようなことじゃないかもしれない。でも、「こんなことをした」「あんなことがあった」、だから「こんなことをしたいと思った」という、経験に付いた意志が見えてくる。

 それが私の、誰にも負けない強み。私が一生懸命した経験が、私を作り上げた。Personal statementに求められるのは、その強さ。今思うと、日本で書いていて難しかったのは「いやいや、私なんて」という自分が払拭しきれなかったからと思う。今でも驕っているわけではないし、それどころかassertive(自己主張する)、cocky(生意気な)であれと忠告されたりもするが、少なくともpersonal statementを書く上での心構えは確実に変わった。