Fellowshipの応募にむけてpersonal statementを書き始めた。はや第一稿を仕上げて、nativeの先生と推敲作業をしている。一昨年、residencyに応募するときには大変な生みの苦しみ(と焦り)を味わったが、今回は自信を持って書ける。コツをつかんだという確信を持った。コツとはすなわち、自分の生い立ちを自分の将来から見直したときに、それらが強く結びついているように書くということだ。
これまでの人生、振り返れば無限のことをしている。節目ごとに様々な理由に基づいて決断し道を選んできた。10年先までのプランを持ってその通りに進行してきた人もいるが、自分はそうでもないように感じる。ある時、ある場所にいて、ある人と出会う、それら条件が重なって決まった決断が多い。学問的な理由もあれば、きわめて私的、趣味的な理由もまた自分を動かすのに十分な場合がたびたびある。食事がおいしい、とか。
Personal statementを書く段になって、過去の自分がしていたことの多くが、これからの自分に直接は結びつかないと感じられる。そして自分の将来もまた、そこまで見通しがよいわけではない。「自分のこれまでの進路は一貫したものだっただろうか?」「これからの進路もまた明瞭な一筋の道だろうか?」と不安を抱き、自信を失いそうになる。ところがpersonal statementは寧ろ逆で、自分のしてきた数え切れない経験の中に、じつは一本に続く道があったことを気づかせてくれる。
自分の将来したいことから省みて、自分はどんなことをしてきたか。掘り下げる。日記を読んでもいい、昔の記録なら何でも手にとってみたらいい。大したことはしていない、と絶対に卑下しない。人と較べない。しばらくすると、思い出す。それは賞を取ったようなことじゃないかもしれない。でも、「こんなことをした」「あんなことがあった」、だから「こんなことをしたいと思った」という、経験に付いた意志が見えてくる。
それが私の、誰にも負けない強み。私が一生懸命した経験が、私を作り上げた。Personal statementに求められるのは、その強さ。今思うと、日本で書いていて難しかったのは「いやいや、私なんて」という自分が払拭しきれなかったからと思う。今でも驕っているわけではないし、それどころかassertive(自己主張する)、cocky(生意気な)であれと忠告されたりもするが、少なくともpersonal statementを書く上での心構えは確実に変わった。