1/06/2014

忘れられない一言 8

 いま私は、研修医の先生方が患者さんのプロブレムを挙げ、それぞれについて「原因はなに」「どんな治療をしている」「治療に反応しているか」「このあとどうするか(予防もふくめて)」を自分なりに考えられることを目標に指導している。漏れなく診療し全面的に前進させなければ、患者さんはよくならないしよい医療もできないと考えるからだ。

 そして、私の考えるプロブレムには「肺炎」「腎炎」などの病名だけでなく「痛み」「痒み」など症状も入るし、「筋力」「食欲」など機能も入るし、「独居」「大酒家」など社会背景も含まれる。病気だけ治しても、歩けなければ退院できない。そのために看護師さん、薬剤師さん、リハ療法士さん、栄養士さんがおり、相談員さん、ケアマネージャさんがいる。

 そこへきて、よい医療というのはそれだけですか?プロブレムを効率的に解決するだけでいいんですか?という論文(Ann Int Med 2013 159 492)に出会った。論文はいう、Johns Hopkins Hospitalの片隅にはJesusの像、MGHの奥にはエジプトの書記ミイラがあって、近代化する前の病院には人間的な温かみや癒しがあったことを思い出させてくれると。「しかし」と論文は以下のように続く。

[T]he overwhelming experience within the physical structures of technologically advanced hospitals is of power, vastness, and industrial efficiency. They project a technical excellence that seems inconsistent with healing the whole human. They have lost their prior specificity; they are no longer a place where patients can imagine themselves as human beings instead of collections of medical problems waiting to be solved.

 「もはや病院は患者さんが人間としてではなく解決されるべき医学的な問題点の集合としてしか自分自身を想像できない場所になってしまった」という最後にハッとした。病院でもっとも大事なのは患者さんの問題を治すこと。しかし、患者さんが病気をどう受け止めているか、治っていく過程にどのようなことを感じているか、病院で過ごす時間や医療者との触れ合いをどのように意味づけているか、なども無視したくない。

 私とてそれを無視してきた積りはなくて、以前ここでも問題提起して、思いを書き続けている。しかしこの論文を読んで、教育にもっと「全人的医療」の側面を強調しなければと改めて思った。まあ日本の入院期間は長いし、医療者にも優しくて思いやりがある方が多いから、「はい次」みたいな忙しさや非人間性はないが。それから、日本の病院でも出来るいろいろな提案も思いついた。

 たとえば、入院が長い人のところへ行って気遣うボランティアさん、勇気を出させたり癒しを提供する音楽を奏でる音楽療法士さん(米国での経験はここに書いた)、精神的な支えになるチャプレンさんなどがいたらもっと入院生活が意義深くなるかもしれない。祈りの場所があったら助けになるかもしれない。患者さんが闘病メッセージを書けるように紙とペンを置いてあげたらカタルシスになるかもしれないし、それらを文集にして病棟のロビーに置けば、読む人が力をもらえるかもしれない。