もちろん純粋な適応の有無、メリットとデメリットなどを考慮して患者さんに説明して決めるのであるが、こんなとき私の頭をよぎるのが、2010年にレジデンシーしていた病院の循環器内科メンターから教えられたこの言葉だ。
「床屋に行ったら、髪を切る」
元は“Don’t ask the barber whether you need a haircut.”という表現で、少なくとも1970年代までは遡れるようだ。床屋には髪を切るという利益の相反があって、髪を切るべきかを客観的に判断するのは難しい(たいていは、必要といってしまうだろう)。
あの投資家、ウォーレン・バフェットも、バークシャー・ハサウェイの総会で1994年、「どの業種や会社が伸びるかといった予測は、予測者のバイアス以外の何者でもなく一銭の価値もない(それを信じるのはナイーブ過ぎる)」として、この表現を使っている。
もっとも、この言葉にあまり解説はいらないようだ。筆者が帰国してから使った相手はいままで100%、すぐさま意を察して思わず笑ってくれる。手技がもっとも分かりやすいが、コード・ステータスや抗がん剤、果ては透析などにもいえることだ。
だれもが自分の専門や信条に縛られる。何がベストなのかを見失わぬよう戒めなければならない。また、もちろん床屋であるからには、間違って頭皮や耳まで傷つけないよう腕を磨くことも大切だ。
こういう、ロールモデルの先生との出会いは、本当に貴重だ。自分も、なんらかのよい影響を周囲に与えられれば良いのだが。
[2019年6月追記]床屋の話が出たついでに、筆者のいまの師匠はことあるごとに「床屋さんのことを考えると、頭が下がる」と言う。筆者は床屋さんに行ったことはないが、同感だ。美容師さんも、時間内にすべきこと(シャンプーやマッサージ、トークまで含む)をしてくれる。物腰や手つき、すべてが洗練されていて、行くたびプロだなと思う。
もちろん彼らは学校にいるときからマネキンを切り、卒業してからは下積みして、仕事が終ってから「カットモデル」を無料で切り・・と長い準備をして腕を磨いている(写真は、町田杏子が沖島柊二のカットモデルを引き受ける、2000年のドラマ『Beautiful Life 〜ふたりでいた日々〜』第一話より)。
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そう考えると、医師がマネキンを切り始めたのは最近のことだし、「カットモデル」は「教育病院ですので研修医が診療することをご了承ください」という掲示で同意されたことになっている、患者だ。訳書『医のアート ヒーラーへのアドバイス』4章には、医療者は患者に奉仕するというが、患者も医療者に奉仕していると書かれているが、本当だなと思う。