研修医のとき、末期がんの患者に「家から近い病院に移してください」と言われた。そこで隣町の病院に掛け合ったが最初は断られ、すぐ上司に泣きついて直接電話してもらい、転院搬送の救急車にも同乗して行った。
それから10年以上たって、(べつの)患者の家族から同じ希望を受けた。当時のことを思い出し、直ちに先方の病院に連絡して了解をとった。しかし、転院するまでの数日で病状が悪化し、転院の日に亡くなった。
患者と家族の望みをかなえられなかっただけでなく、病棟スタッフやカバーする同僚をハラハラさせ、転院先にも迷惑がかかった(搬送中に亡くなる可能性だって、あった)。
どうすればよかったか?
一つ目は、予後予測を正確にすること。末期といっても残りの時間は日単位から月単位年単位まで幅があり、患者ごとに見極めなければならない。
これに関連して、末期がんで亡くなった脳外科医・Paul Kalanithi著、"When breath becomes air"(邦訳は『いま、希望を語ろう 末期がんの若き医師が家族と見つけた「生きる意味」』)で、Paulの主治医はいくら聞かれても統計上の生存期間についてだけは一切話をしなかった。
二つ目は、予後について患者家族はもちろん、関係各所にも早めに伝えておくこと。みんな心の準備ができるし、早めの転院や転院キャンセルといった対応も早めにできる。
そして三つ目は、主治医自身も何がベストかを考えることだと思う。上の場合、「たどり着く途中で亡くなっても、自宅が無理でも、とにかく1メートルでも家に近いところで最期を迎えたい」というほど強い希望なら、それは尊重されるべきだっただろう。
しかし、予後が数日で、主治医も患者をよく知っていて、緩和ケアを受けられて、ご家族が通うのもそこまで不都合でないのなら、転院だけがベストだったかは分からない(上の場合も、ご遺族には「先生に看取ってもらえてよかった」と納得してもらえた)。
これに関連して、やはり"When breath becomes air"の主治医はPaulに「あなたにとって最も大切なことはなにか」を繰り返し問い、それを尊重する立場で終始一貫している。
患者家族の「死にゆくこと」に、医療者としてどう向き合うか。それがまさに、柳田邦男氏の言う「2.5人称の視点」なのだろう。美しく、的を射て、数式のように抽象的で、筆者も好きな(以前つかった)言葉。だが実際どうするかとなると、けっこう難しい。