6/04/2019

忘れられない一言 58

 筆者が表題の「忘れられない一言」シリーズを始めたきっかけの一つ、米国内科学会雑誌の投稿コラム"On Being A Doctor"(単行本も出ている、写真は4巻)。研修医からベテランまで「医のアート」について考えさせられた医師なら誰でも投稿できるこのコーナーに、今週も心を動かされた(Ann Intern Med 2019 170 810)。




 昔々、サンフランシスコでは、路上で(酔って)行き倒れている人たちを夜回りして病院に運ぶ救急サービスがあった。彼らは俗に「酔いどれクルーザー(boozer cruiser)」と呼ばれた救急車でサンフランシスコ総合病院のERに運ばれた。

 そこではERレジデントがトリアージを行い、DT(振戦せん妄、致死的な離脱症状)や外傷があればその治療をした。なければ、イエロー・ボトル(ビタミンB群を含む輸液)を入れて、翌朝まで待機してもらい、入院か退院かの判断を待った。

 ある朝この先生は、チーフレジデントとして内科部長と研修医と待機している患者たちを回診をしていた。身体も服もきれいになってさっぱりした患者たちの多くは、元気になって、きれいなベッドや朝食に感謝して帰っていった。

 しかし、そこに1人だけいつまでも残っている患者がいた。やせこけ、目を閉じ、ささやくような声で「疲れた」と繰り返している。聞けば、昨夜は側溝に落ちて酒と吐物にまみれていたのだという。

 研修医は「カケキシアと軽度の低体温を認めるほか特記所見ありません(ので退院と考えます)」と言った。内科部長はうなずき、「では入院させよう」と言った。驚き不満で「何の診断ですか!病棟に、入院の理由を何と言えば?!」と抗弁する研修医。

 その問いに部長は一言、

Compassionだよ

 と答えた。

 Compassionとは、赤津晴子先生の『アメリカの医学教育』(1996年)のなかでcompetencyと並び、よき医師の二大資質と紹介されている。人間味のある心、他人をいたわる心。日本語なら「情け」、漢語なら「仁」や「慈」だろうか。具体的に言うと、上記コラムのような心。