Rubber stampとはゴム印のことだが、自らの意見なく(またはあっても言うことが許されないか、言う気がないか、言っても無視されるか、などで)追従する人ないし議会などのことも指す。よく引き合いに出されるのがNPC(National People's Congress、全国人民代表大会;写真はロイター)だ。2987人も代表が集まるのにそれぞれが意見を出し合い議論するわけでもなく、基本的にだまって指導部の方針を追認するさまは、欧米の価値観からかなり奇異に映るようだ。ことなる利権を折衝する場だと考えられている議会ならなおさらだ。
しかし「会議は発言しない場所」というのは日本においてconventional wisdom(そういうもんだ、という智恵)だ。「日本人のミーティングといえばサイレント、スマイリング、スリーピングの3S」なんて過去の話かと思っていたがそうでもないらしい。それはミーティングが意見を出し合う場ではなくて指導者の方針を追認する場だから。発言が禁止されているわけではないけど、意思決定過程がそうである以上はむやみに発言しても自分も周囲もいいことがない。
渡米したての2008年には自分の考えがうまく言えず堂々とできず苦労したし、帰国した2013年にはみんなに意見を言わせようと試行錯誤したけれど、日本でふたたび適応しようと思っている2016年には、周囲にあわせて頷いたり笑ったりしながら、必要な時に必要なタイミングで相手が聞いてくれるように発言して貢献する(あとでこっそり耳打ちするとか)などの穏便なやり方をさすがに学んでいる。
これを私はテレビ番組になぞらえてhinadan(ひな壇)と呼んでいる。ひな壇芸人というのはユニークな概念なのでそのうちkaizenのように英語になるのではないかと思う。ステージに一人で立つのに度胸と場数が必要なように、hinadanするのにも練習が必要だ(難波義行『大勢のなかでも存在感がでる ひな壇芸人のトーク術』という本まで出ている)。日本文化を学び直す意味でもやりがいがあることだ。