医療報酬に反映されない医療行為というのも、ある。手術をすれば保険点数がつく。手術が患者さんに合っているかをよく話しあって結局しないことになっても、その話し合いにはお金は払われない(外来なら診察代くらいはでるだろうが)。当然、手術分の保険点数もつかない。
でも「転職しないという選択肢も提案します」みたいな転職コンサル会社が流行るように、きちんとしたことをしていれば患者さんはやってくる。そのなかには手術が必要な人も多い。また説明をちゃんとすることは、リスクマネジメントにも重要だ。これらの観点などからも、計上されない利益というのはあると思う。
患者さんのお話をよく聞いて関心をもつことにだって、いろんな効果がある。病気に関連した生活習慣、その背景にある考え方などが明らかになって治療介入がしやすくなるかもしれない。その人が自分になぜどのように治療が必要かを理解して、より前向きに取り組んでくれるかもしれない。
I feel for you、I am here for youという意思が伝われば、患者さんがいままで誰にもいえなかった核心を、出会って数分で教えてくれることだってある。そのきっかけは、言葉じゃないことも多い。ベッドサイドにひざまずくだけで、あるいは「ご家族を連れずに入院されたのかな」と気づくだけで十分だったりする。
まさに聴くに早く、語るに遅く(Jacob 1 19)。口はひとつだが耳はふたつ、ともいう。なおこの聖句、怒るに遅く、と続く。「なんで~できないの」「~しちゃだめでしょ」と責めたくなる気持ちも人間だからわかるけど、それは、遅く、遅く。人の怒りは神さまの望む義にはならないから(Jacob 1 20)。
私達は人の秘密をききだすためにお金をもらっているわけでは、もちろんない。でも、信頼がなかったら医療なんてできない。私達は物を売っているわけではなくて、大げさかもしれないけれどまがりなりにも命を預かっている。だから信頼される人でありたいし、信頼されることに感謝したい。
そういう医療は、東洋的には仁の思想であり情と思う(報酬にならないものが報酬になるというのは、老子の「無用の用」ともいえる)。最近は韓国が医療ツーリズムを大々的に広告していて、成績などよい数字をたくさん挙げている(写真)けれど、第一の宣伝文句はThe healing power of Jeong。정(ジョン)、すなわち情の癒す力。情けは人のためならず、か。