7/26/2019

Comfortと「なぐさめ」

 訳書『医のアート ヒーラーへのアドバイス』刊行から3ヶ月、お手に取った方の中には読了された方もいらっしゃるかもしれない。そして、1章にあるこのくだりに注目された方もおられるかもしれない。

「私がなろうと望み、なれなかったものが、私を慰める」

 これは、下の英文に相当する。

"That which I have strived to be, and am not, comforts me."

 これは英国詩人ロバート・ブラウニングの詩、『ラビ・ベン・エズラ』にでてくる一節を意識したものだ(オスラー卿も講演で引用している)。

What I aspired to be,
And was not, comforts me:

 有名な詩なので当然訳されていて、comfortは「慰める」とするのが通例だ。それで筆者のその訳も合わせたのだが、どうしようもない違和感を感じ、出版ギリギリまで別の訳にするか迷った。「力づける」「悔いはない」「だから頑張れる」のように、ポジティブな言葉にしたかったのだ。
 
 しかしその後、内村鑑三『ヨブ記講義(講義は1920年に行われ、現在は岩波文庫・青空文庫に所収)』を読み、彼の説明に納得した。少し長いが、ヨブ記16章1-5節についての解説から引用する(フリガナは除いてある)。 

◯そもそも「慰め」とは何を指すか。『言海』を見るに、邦語の「なぐさめ」はなぐより出た語であって(風がなぐ(凪)の類)、「物思いを晴らして暫し楽む」を意味するという。他の事に紛らして暫し鬱を忘れるというのが、東洋思想の「慰め」である。されば東洋人はあるいは風月に親しみ、あるいは詩歌管絃の楽しみに従いて、人生の憂苦をその時だけ忘れるを以って「慰め」と思っている。従ってなお低級なる「慰め」の道も起り得るのである。正面より人生の痛苦と相対して堂々の戦をなさんとせず、これを逃避して他の娯楽を以てわが鬱を慰めると言うのはまことに浅い、弱い、退嬰的な態度である。聖書的の「慰め」は決してこの種のものではないのである。

◯英語において「慰め」を comfort という、勿論もちろん慰めと訳しては甚はなはだ不充分である。 fort は「力」の意である故、 comfort は「力を共にする、力を分つ」を意味するのである。そもそも人が苦悩するのは、患難災禍に当りて力が足らざるためである。その時他より力を供することがすなわち comfort である。故に真の力を供するのが真の comfort である。しからざるものは comfort ではない。殊に天父より、主イエスよりこの力を供せられるのが、キリスト教的の「慰め」である。かくの如き力を供給する慰めが真の慰めである。ヨブの三友の慰めの如きは、むしろ力を奪うところの慰めであったのである。

 いかがであろうか。従軍慰安婦の訳であるcomfort womenがおかしな英語になるように(クオーテーション・マークをつけて表記される)、また米国ホテルチェーンのComfort Innが決して「慰み宿」などではないように、"comfort"と「なぐさめる」は同じではない。このように、文脈によって違う訳語をあてるのも、翻訳の(困難かつ)醍醐味と言える。







7/02/2019

オスラー卿を知っていますか

 米国内科学会誌に「ウィリアム・オスラー卿は、RVUを稼いでいたか?」という投稿が載った(Ann Int Med doi:10.7326/M19-0665)。RVUとはrelative value unitの略で、要は「診療報酬の支払い点数」のことである(こちらも参照)。

 研究と教育に身を捧げ、大学にとって(医学の発展にとっても)欠くことのできない財産であったオスラー卿。しかし多くの活動には経済的な「生産性」がなかったので、現在のスタッフ選考基準からすれば彼は大学に居続けることができなかっただろうと投稿者(なんと、循環器内科医である)は言う。

 今年はオスラー卿の没後100年にあたるが、その間に米国の医学部と教育病院の関係、社会・医療制度などは大きく変化した(医学教育と社会の変化について歴史的に論じたKenneth M. Ludmererによる2005年の大著、"Time to Heal"の要約目次も参照)ので無理もない。

 しかし投稿者は、「RVUもいいが、今こそもっと大切なバリュー(教育、メンターとしての関わり、コレジアリティ=医師どうし良好な関係を築くこと、研究、患者ケアなど)に立ち戻る時だ」と言う。さもないと、100年後の人々に「どうしてそんな状況なのに何もしなかったのか?」と不思議がられてしまうだろう、と。


 没後100年、私達も改めてオスラー卿の人生を顧みてはどうだろう。重厚な故・日野原重明先生の訳した講演集『平静の心』(新訂増補版は2003年)、今年出た平島修先生、徳田安春先生、山中克郎先生著『こんなときオスラー:『平静の心』を求めて』は、既にお読みの方も多いだろう。また訳書『医のアート ヒーラーへのアドバイス』4章にも、彼の生涯から学ぶべきアドバイスをまとめてあるので参考にされたい。

 日本内科学会の専攻医登録評価システム(図はロゴ)もその名を冠するほど、日本の医療とつながりの深いオスラー卿。今後、米国内科学会だけでなく日本の内科界でも投稿のような議論が広がり深まればなと思う。