6/27/2019

忘れられない一言 60

 研修医のとき、末期がんの患者に「家から近い病院に移してください」と言われた。そこで隣町の病院に掛け合ったが最初は断られ、すぐ上司に泣きついて直接電話してもらい、転院搬送の救急車にも同乗して行った。
 
 それから10年以上たって、(べつの)患者の家族から同じ希望を受けた。当時のことを思い出し、直ちに先方の病院に連絡して了解をとった。しかし、転院するまでの数日で病状が悪化し、転院の日に亡くなった。

 患者と家族の望みをかなえられなかっただけでなく、病棟スタッフやカバーする同僚をハラハラさせ、転院先にも迷惑がかかった(搬送中に亡くなる可能性だって、あった)。

 どうすればよかったか?

 一つ目は、予後予測を正確にすること。末期といっても残りの時間は日単位から月単位年単位まで幅があり、患者ごとに見極めなければならない。

 これに関連して、末期がんで亡くなった脳外科医・Paul Kalanithi著、"When breath becomes air"(邦訳は『いま、希望を語ろう 末期がんの若き医師が家族と見つけた「生きる意味」』)で、Paulの主治医はいくら聞かれても統計上の生存期間についてだけは一切話をしなかった。

 二つ目は、予後について患者家族はもちろん、関係各所にも早めに伝えておくこと。みんな心の準備ができるし、早めの転院や転院キャンセルといった対応も早めにできる。

 そして三つ目は、主治医自身も何がベストかを考えることだと思う。上の場合、「たどり着く途中で亡くなっても、自宅が無理でも、とにかく1メートルでも家に近いところで最期を迎えたい」というほど強い希望なら、それは尊重されるべきだっただろう。

 しかし、予後が数日で、主治医も患者をよく知っていて、緩和ケアを受けられて、ご家族が通うのもそこまで不都合でないのなら、転院だけがベストだったかは分からない(上の場合も、ご遺族には「先生に看取ってもらえてよかった」と納得してもらえた)。

 これに関連して、やはり"When breath becomes air"の主治医はPaulに「あなたにとって最も大切なことはなにか」を繰り返し問い、それを尊重する立場で終始一貫している。
 

 患者家族の「死にゆくこと」に、医療者としてどう向き合うか。それがまさに、柳田邦男氏の言う「2.5人称の視点」なのだろう。美しく、的を射て、数式のように抽象的で、筆者も好きな(以前つかった)言葉。だが実際どうするかとなると、けっこう難しい。





 

6/20/2019

忘れられない一言 59

 先日ソウルで開催された韓国腎臓学会で、隣で朝食を食べている腎臓内科の教授とざっくばらんに話をした。その日は日曜日であったが、彼はこんな話をしてくれた。

5 years ago when I went to see patients on Sunday they said "oh you came on Sunday".  Now when I see patients on Monday they say "oh you didn't come on Sunday".
(5年前、日曜診察に行くと患者は「え、先生、日曜に来てくれたんですか」と言った。今は、月曜診察に行くと患者は「あれ、先生、日曜に来てくれませんでしたね」と言う。)

 それを聴いた筆者は、休みの前日患者に「明日は休みなので来ません、休み明けにお会いしましょうね」と率直に伝えていると話した。

 というか、安定している患者には「外出されて結構ですからね」と伝え、おうちで過ごしたければそうしてもらうこともある。休日はよほどの事情がなければ検査はいれないし、点滴なども朝晩にすれば日中は移動できる。

 逆に、不安定な患者であった場合には、「別の先生に診察をお願いしてあります。科内では毎日あなたの病状を話し合っており、みんながあなたの病状を共有していますので心配なさらないでくださいね」と伝える。

 患者に患者以外の役割があるように、医師にも医師以外の役割がある(写真は、筆者が学会ついでにのんびりしたYongsan Mall I'PARK)。それを犠牲にして長く続けるのはとても難しいし、限界を越えれば心身をこわしてしまう。患者だって、ベストコンディションの医師に診療されることを望んでいるはずだ(訳書『医のアート ヒーラーへのアドバイス』の9章「汝自身を癒せ」も参照)。

 「来てくれなかった」「来なかったといわれた」という感情は、お互いの期待がくいちがっているから起こる。期待を揃えるためのコミュニケーションが不可欠だ。筆者が話したあと、教授は「アメリカン・スタイルだね」と言ったが、筆者は「リーズナブル・スタイル」と思っている。





6/04/2019

忘れられない一言 58

 筆者が表題の「忘れられない一言」シリーズを始めたきっかけの一つ、米国内科学会雑誌の投稿コラム"On Being A Doctor"(単行本も出ている、写真は4巻)。研修医からベテランまで「医のアート」について考えさせられた医師なら誰でも投稿できるこのコーナーに、今週も心を動かされた(Ann Intern Med 2019 170 810)。




 昔々、サンフランシスコでは、路上で(酔って)行き倒れている人たちを夜回りして病院に運ぶ救急サービスがあった。彼らは俗に「酔いどれクルーザー(boozer cruiser)」と呼ばれた救急車でサンフランシスコ総合病院のERに運ばれた。

 そこではERレジデントがトリアージを行い、DT(振戦せん妄、致死的な離脱症状)や外傷があればその治療をした。なければ、イエロー・ボトル(ビタミンB群を含む輸液)を入れて、翌朝まで待機してもらい、入院か退院かの判断を待った。

 ある朝この先生は、チーフレジデントとして内科部長と研修医と待機している患者たちを回診をしていた。身体も服もきれいになってさっぱりした患者たちの多くは、元気になって、きれいなベッドや朝食に感謝して帰っていった。

 しかし、そこに1人だけいつまでも残っている患者がいた。やせこけ、目を閉じ、ささやくような声で「疲れた」と繰り返している。聞けば、昨夜は側溝に落ちて酒と吐物にまみれていたのだという。

 研修医は「カケキシアと軽度の低体温を認めるほか特記所見ありません(ので退院と考えます)」と言った。内科部長はうなずき、「では入院させよう」と言った。驚き不満で「何の診断ですか!病棟に、入院の理由を何と言えば?!」と抗弁する研修医。

 その問いに部長は一言、

Compassionだよ

 と答えた。

 Compassionとは、赤津晴子先生の『アメリカの医学教育』(1996年)のなかでcompetencyと並び、よき医師の二大資質と紹介されている。人間味のある心、他人をいたわる心。日本語なら「情け」、漢語なら「仁」や「慈」だろうか。具体的に言うと、上記コラムのような心。