3/04/2013

Medicare 102

 巨大化するMedicare財政を抑えるのに、日本のように点数で診療行為の報酬が標準化された。これをRVU(relative value unit)といい、1985年のCOBRA(Consolidated Omnibus Budget Reconciliation Act)法で始まった。それまで米国の医療報酬はUCR(usual, customary and reasonable)で、同じ手術をするにも外科医AとBで違う報酬が与えられた。

 ところでこのRVU、外科医中心のAMA(American Medical Association)がつくった外科手技一覧のリストに内科系の診療行為を加えてできた。それでか"paid to do, not to think"、手を動かしたほうが儲かる。米国で内科・小児科・家庭医療などの人気が下がった一番の理由はサラリーだが、その元凶はここにある。




 1997年にはBalanced Budget Actという、医療費の成長を経済成長にリンクする法律が通った。経済状況を勘案してMedicareが医療費の伸び(SGR、Sustained Growth Rate)を調節するが、医師会の反対を受けた議会が毎年交渉してそれを無効あるいは緩和している(しかし2013年は支出の多い診療行為についてRVUが削られると聞く)。

 MedicareはIOM(Institution of Medicine)がquality improvementのために発表していた医原性の合併症にも注目し、「これが入院中に起こったら医療費は払いません」という項目(尿路感染症、褥瘡など)を決めた。現在8項目あるが、将来的には200項目に増えるらしい。合併症が起こらないようにする努力と、「これは入院時からありました」と欠かさずチェックして記入する努力、両方が必要になる…。

 さらにJCAHO(Joint Commission on Accreditation of Healthcare Organizations、ジェイコ)のquality measuresにも注目し、その病院で「全心不全患者の90%(だったか95%だったか)がACEI/ARBを内服」というのが満たされるとその分医療報酬がおりる仕組みもできた。これはadded value purchacingといって、満たさないとお金がおりないからやはり医療費抑制になる。前の病院で、ホスピタリストは多数あるcore measureのリストを持ち歩いていた。

 「偉大な社会」政策から約半世紀、アメリカ医療を考察する材料が得られた。日本から来ると米国医療者が国民皆保険に反対するのが奇妙だが、少し事情がわかった。誰も「貧乏人は死ね」と思っているわけではない(たぶん)。要はMedicareが出来てから米国医療はルールと規制にがんじがらめで、それが彼らの不満なのだ。聴衆はレクチャのあいだ何度も不満気に"Jesus"を連呼していた。

Medicare 101

 1963年、JFK暗殺後に大統領を引き継いだLBJ(Lyndon B. Johnson)。彼のリーダーシップと民主党支配の議会によって「偉大な社会(Great Society)」構想が具現化した。そのなかで、貧困との戦い、公教育の充実、公民権の拡大などの各政策と並び1965年に施行されたのがMedicareだ。

 65歳以上のアメリカ人の半数に医療保険がなかった当時、これにより高齢者が安心して医療を受けられる「偉大な社会」が到来するかと思われた。しかし、5年もするとお金がなくなった。どうやりくりするか、ここから40年以上にわたり苦闘が続く。こないだレクチャで、Medicareがいかに医療を動かしてきたかをおさらいした。

 Medicareは拡大した。1972年に40歳以上で疾患のある人、透析を受けている人などが含まれた。1997年にはPart C(私的保険との混合)、2006年にはPart D(薬の保険)ができた。どんどん拡大して、高齢化と疾病構造の変化もあり、1970年には70億ドルのMedicareは2015年には8000億ドルに達する見通しだ。

 支出を抑えるため、DRGができた。これは1981年にYale大学で考案され、New Jersey州の病院で試したら見事に病院が倒産したので、これはよいと1983年に全国でいっせいに始まった。DRG下で生き残るために、医療界に二つの新しい職種が生まれた。一つはcoder、もうひとつはhospitalistだ。

 カルテにDRGコードに適合した重症度と診断名をつけないと、日々医療費が失われる。それで、どの病院でも毎日全てのカルテをチェックする専門の職種Coderが必要になった。もはや一介の医者ではこのコードを全て把握するのは無理なのだ…(私もレジデント時代、よくcoderから診断名を直されたものだ)。

 DRGは診断ごとに医療費が決まり(少しは重症度と日数も加味されるが)、入院日数を短縮してベッドの回転率を上げないと病院がつぶれる。朝に入院患者を回診して午後は外来という既存の診療モデルでは、その日の午後に退院できる患者さんが翌日まで待たねばならない。それで、24時間病棟にいるhospitalist(シフト勤務なのでずっと同じ医師ではないが)が現れた。

 実際、ホスピタリストに任せたほうが入院日数は短縮される(JGIM 1998 13 774)。ずっと病棟にいるのだから、ケアも手厚い(はず)。2010年現在、アメリカで3万人のホスピタリストが働いている。しかし、これで話は終わらない。医療費を削減する様々な試みと、医療者側の対応は後半に続く。

3/02/2013

病歴聴取、カルテ、プレゼン

 いま教えている学生さん達とのセッションも三回が過ぎ(全六回)、みんな型どおりに病歴を取りカルテを書きプレゼンできるようにはなった。臨床実習前でここまでできるのだから大したものだ。これからの三回は、その質をできるだけ高めるよう力を尽くしたい。とはいっても時間に限りがあるので、病歴聴取、カルテ、プレゼンそれぞれから最も重要と思う課題を一つずつ選ぶことにした。

 病歴聴取の課題は、現病歴をしっかり聴くこと。現病歴までで患者さんに何が起きているかだいたい分かるのが理想だ。効果的と思う二つのアドバイスは、①発症前から来院までの様子を抜けなく把握する、②「なぜ患者さんはこんなことになっているの?」と考えそれを解くために質問を続ける、だ。これらを強調するために、医療面接のあいだ学生の横についてこの二点に基づいた補助的な質問をした。

 カルテ(H and P)の課題は、アセスメント。アセスメントとは明確な問いかけに答えようと試みる過程であるべきだ。問いかけとは、「何が起きているのか?」「どうして起きたのか?」「いま何ができるか?」などだ。私は、プレゼンやレクチャ、学会発表などではこれらの質問を明示することすらある(カルテには書かないが)。ただ考えているのではない、ただ知っていることを書くのでもない、アセスメントには目的があるのだ。

 プレゼンの課題は、読まないこと。カルテ(あるいは自分で作ってきたカンペ)を読む学生に「読まないで、私達に話しかけて」というと、プレゼンが劇的に変化した。話すことで相手に伝えることを意識するので、トーンがゆっくりになり、アイコンタクトがうまれ、情報も取捨選択され、言葉も平易になる。立て板に水で情報を詰め込めばよいのではない、カルテとプレゼンでは求められるスキルが違うのだと学生達に自然に理解させることができた。