9/25/2019

忘れられない一言 62

 入院診療には、だいたい「この病気ならこういう治療をして、これくらいで退院」という目安がある。医療費支払いもそれに基づいているし、仕事もクリニカル・パスのような「入院オーダーセット」で効率的に行われる。

 それでも、予想外のことは起こる。

 外来診療も同様で、「どうしましたか?」「そうですか」「検査はこうでした」「治療はこうしましょう」「では次お会いするまでお元気で」と、とんとん拍子に行けばよいが、そうも行かない。

 予想外の結果にも対応しなければならないし、予約外の患者さんがやってくることもある。

 ・・・当たり前のことだと思うだろう。

 しかしそんな時(とくに、疲れていたり空腹だったりすると)、「秩序が乱れた」という怒りを感じることもあるから、注意しなければならない。

 エーリッヒ・フロムは『人生と愛(紀伊国屋書店刊、1986年)』のなかで「制服を着たサディスト」の特徴として、「人間を物と見なす」ことと、「度を過ぎた秩序愛」を挙げ、以下のように述べている(太字は筆者)。

秩序は唯一の確かなものであり、人間が支配できる唯一のものである。度を過ぎた秩序意識を持っている人間は、通常生命におそれを抱いている。生命は秩序をもたないからである。生命は自発的であり、驚きをもたらすからである。

 映画化もされたスタンフォード監獄実験の責任者、フィリップ・ジンバルドーなら、「制服を着るからサディストになる」というだろう。エーリッヒ・フロムは、サディスティックかそうでないかは性格の違いだという。現在の脳科学者なら、扁桃体の発達程度で説明するかもしれない。

 いずれにせよ、大事なのは余裕と、(余裕がないと秩序が乱れたと感じてしまう、という)自覚である。

 いつだったか、鉄道関係に長く勤めたある人は、筆者にこう言った。
 
医療はね、常に事故対応なんですよ。

 この言葉を、忘れないようにしようと改めて思った。





9/19/2019

局麻するときは

 恥ずかしながら今まで、皮膚を局所麻酔するとき、「自分は麻酔によって痛みをとるという良いことをしているのであり、針を刺す痛みと麻酔の液が広がる痛みくらいは、仕方ない(我慢してください)」と思いがちだった。

 しかし、隣人愛の精神からも、ヒポクラテスの"do no harm"の精神からも、こうした痛みを最小限にする努力を怠ってはならない。そんなわけで、筆者も師匠から「神経終末が通っている層に針をいれろ」「液の注入はゆっくりと」「針を複数挿入するときにはすでに麻酔された個所から」などの教えを受けた。

 さらに、皮膚科や形成外科の雑誌には、「リドカインのpHを7に近く」「液をあたためる」「刺入角度を垂直に」などの研究報告がたくさんあるようだ(Plast Reconstr Surg 2013 132 675など)。

 最近は、とくに「ゆっくりと」の効果を実感している。同様に、抜糸する際にも、糸を「ゆっくりと」引き抜いたほうが痛みが少ないようだ。時間を掛けるべきときには、時間をかけようということか。










9/06/2019

忘れられない一言 61

 医者になって10年以上経つのに、いまだに院内PHSは身体の一部にならない。本能的に(こいつさえいなければ)と思っているのかもしれない。医局の机に置き忘れたことに気づいて取りに行くと、たいていはランプが赤く点滅していて、着信記録が何件もある。

 あまりたくさん着信があると、「本当に必要なものはまたかかってくるだろう」と放置することもある。実際そういう案件は、かかってくる。それに対して、私以外の医師に連絡がついて処理された案件は、かかってこない。

 もちろんカバーしてくれた医師には感謝するが、電話をくれた相手にも「お電話くださったのに済みません」というフォローが必要だ。無視したことになり、心象を悪くしたかもしれない。じっさい、こうした事例があまり重なれば、信用は落ちる。

 先日もそんなことがあったが、スタッフとやりとりした後の一言は、心に響いた。


「(いつも必要なときに電話にでてくれるあなたを信じて、他の誰かではなくあなたに対処して欲しくて電話したのに、でてくれないなんて・・)ふられちゃった

 
 カッコ内は筆者の妄想だ。しかし、本当に信用を落としていたらこうは言われないだろう。訳書『医のアート ヒーラーへのアドバイス』によれば、患者は医師への信頼を日々増したり減らしたりして、その残高を査定しているという(5章参照)。医療スタッフもまた同様ということだ。

 同時に、頼られ必要とされるということが、(機械の部品や社会の歯車のように扱われることを嫌う)医師にとっていかに価値ある財産かということも、あらためて実感した。何のために働いているのかと迷ったときには、この言葉を忘れないようにしよう(写真は、小野正利による1992年のヒットシングル、"You're the Only...")。